心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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考えなくちゃなあ

2015年08月01日 | ほんのすこし
昨日 温泉で湯殿に腰掛けていたときに 隣り合わせになった方がいました。その方とは以前にも少し話しをする機会がありましたが、昨日はその方の方から話しかけてきて、
「お母さん 何歳になるの?」
ということから始まりました。83歳になる予定だというと 自分の母親は94歳だったということを話し始めました。
わたしの母はまだしっかりしているからいいと言うのです。

というのも その方のお母さんは認知症になっていて 妹が家で母親を見ていたそうですが、徘徊をしたといっては連絡が入り 怪我をしたといっては連絡が入り、本当に毎日 母親に振り回された日々だったとか。そして母親が亡くなった後の荷物の多さとその処理に大変な時間と労力がかかったことを話しました。
その方曰く だから自分は物を多く溜めこまないことにしたのよ と。
そういえば 以前話しをしたときに 物置きの整理をして食器とかの処分をしたから 肩が痛くて・・・と話していたのを思い出しました。もしかしたら お母さんが亡くなってから自分の家の不用品の整理をしようと思い立っていたときなのかもしれません。

普段から わたしも物を処分しなくちゃって思ってはいるけど、自分が亡くなってからのことを考えたことはあまりありません。これって子どもたちに勝手に処分して と言っても 託された方は困るってこともあるなぁと思いました。今日 母にこの温泉での話しを教えると
「死んだら 全部捨ててくれ」
と言いました。自分では処分できそうもないというのです。それはそうでしょうね・・・母の性格からいって これまで溜めてきた物を今さら捨てるのは とてもじゃないけどかなりの労力がいるし、一つ一つに思い出があるのでしょうからね。でも 思い出は心の中にとってあるから 物として取っておかなくてもいいんだよって どこかで誰かが書いていたのを思い出しました。

この世に生を受けた宿命 それは死へ向かうということ、誰にも必ず来るこの「死」というものをどう受け止め、迎えるかということ わたしもそろそろ考えていくべきなのだなと思った次第。
母が 明るく言いました。
「お金も無いし、分けるものも無いから 心配することは一つも無いなあ。これって逆にあの世に行ってからこの世のことを心配する必要が無いってことだよなあ」
「確かに・・・その日を暮らしていけるだけで 満足 満足」
と答えると
「ん?やっぱりギリギリだと困るから ちょびっとお金に余裕があればなおいいなぁ」
と 笑いました。
処分するという話からは ずれていましたが、なんだか落ち着くところに落ち着いたかなと。我が家の大岡越前母上は 今日も前向きでした(笑)

贅沢を望まなければ 日々の暮らしが満足のいくものになる、庭に咲く花に喜びを見出せば 豊かな心を思い出す。
見かけたときに 楽しく話すことのできる人が周りにいれば しあわせな時間を味わうことができる。
多くを望まず 今在るしあわせに満ち足りた思いを感じること それが母との生活にはあるように思います。