心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

夏の疲れを感じながら

2015年08月29日 | ほんのすこし
 この頃 体がだるいような気がするのは 夏の疲れが出てきたからかなと思っている。何をするにも一呼吸おいてから動かなければだめな感じで、これを加齢のせいだと言ってしまえばそれまでだけど。夏の疲れよって言ったほうがまだ救われるかな なんて(笑)
 きっと あんなに暑かった日々がここにきて急に涼しいというより寒い気がするからだろう。母はコタツ布団を出してコタツにとっぷり足を入れていた。早すぎるんじゃない?って思ったけど、ストーブを取りつけするには早いから 朝晩の冷え冷えした空気にはこれが一番だと言うのだ。確かにコタツは布団をかけると全然違う。それにしてもまだ早いだろう?まだ8月だよ(笑)いやいやこの寒さは 尋常じゃないよと母が首をすくめて見せた。
 まぁまた暑くなったら 布団を取り除けばいいわけだし。母のお好きなように♪

 どの季節も次の季節に移るときには 体に異変?があるように思えるが、それの顕著なのが夏から秋への移り変わりだろう。わたしの中で体の衰えを見に沁みて感じる時期でもある。若いときは夏もまた好きだった。学生の頃の夏休み 友人と二人で北海道の牧場でアルバイト。いわゆる飯炊き女だ。料理のレパートリーがさほどなかった私に当たった滞在先の家族は はずれくじを引いたってわけだ。もう一人の彼女はそこそこできたので それで帳消しにしてもらい(笑)炊事 洗濯 あれこれ なんとかやりこなした。男子学生も二人アルバイトに入っていて、一人は上智大 一人は九州大。それぞれ商社と医者(研究者)の道に進んだらしい。この4人がアルバイトとして雇われていた。また 近くの牧場同士でアルバイトの手伝いがあって サイロの干し草作りに駆り出されることもあった。
 とにかく広く 青く 緑に溢れ こんな世界がこの日本にあるのかという思いだった。夏といえば 真っ先に目に浮かぶのが あの頃の景色とみずみずしい空気だ。もう今のわたしの周りにはどこにもない。貴重な時間だった。目の前の世界がすべて輝いてみえたものだ。夏は生き生きと過ごす季節でもあった。

 それがどうだ 今は。夏といえば ぜえぜえと息を切らしてあえいでいる。あの頃のわたしだったら 乗り越えることができただろうか。若さという替えがたい宝石を その貴重さを渦中にあるときには少しも知らずにむさぼるように削り 残されたものは空の箱なのか?
 いや 宝石の代わりに経験という重石(漬物石かもしれない)が今は入っている。誰かのためには役立たないが、何かのためには役に立つかもしれない。わたしがふと感傷にふけようと思い 恐る恐るふたを開けたときに、ずっしりとただそこに在る どけようとしても寄せることのできぬ重さでそこに在る それが箱の中で鈍く光っているだろう。若さが消え去っても わたしという人間そのものはどこへも行きはしないのだ。

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この夏 娘と孫と行った世田谷美術館で見つけた一筆箋。『暮らしの手帖』の懐かしさよ。

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ここがあって良かった

2015年08月29日 | ほんのすこし
 ここを開設してから 4000日まであと69日になった。2カ月ちょっとかあ。あっという間だなあ。
わたしの中では ○年○ヵ月という表現のほうがピンとくるのだけど、ここの編集画面を開くと「ブログ開設から○○○○日」と小さく表示されているのに気がついてからは あぁそうなんだとそっちの方に目が行くようになった。自分でも遠の昔に思えるほど 10年以上も昔の11月末にここを開いた。あの頃はどんなだっけ?

 ここを知る2年以上も前にはネットでマウス画を発信し自分のHPを持っていた頃 色々な方との交流があった。励ましや優しさを味わっていて ネットの楽しさを存分に味わっていて・・・それがもろくも崩れてしまったのは 自分の病気と手術というそれまで予想だにしなかったことが勃発したからだった。その後の 激変した生活を一体誰が知っていたというのだろう。今もあの頃のことを思い出そうとすると 頭が混乱してくる。思い出せない部分が多々あるのだ。不安と失意の時 あれは一体どんな日々だったのか。信頼しなくてはならない人が去っていったとき・・・自分が悪かったのだと思うことに落ち着いた。責められるべきは自分なのだと。

 でも 本当にそれで良かったのか?

 しかしながら 10年以上もの時は そんなことを反芻するほどの力を与えてくれなかった。というより 考えることを自分自身が拒んだのだ。それは早くこの現実から離れてしまいたいというただそれだけの思いだったのかもしれない。だから 自分というものが何ができる存在なのかを確かめずにはいられなかった。そしてネットにはもう入らないと思ったのに ブログというものの存在を知り、恐る恐る始めたのだ。顔も知らない誰かと文字を通して知り合える楽しみを徐々に感じて行った。それは 孤独の中の光のようなものでもあった。

 そしてブログを書きすすめていくうちに自分の中でさらにやりたいものが湧きでてくるのを知った。
ゴスペルワークショップへの参加。まるで清水の舞台から飛びこむみたいな そんな気分だった。誰も知った人のいないものへの参加だった。逆にわたしのことを知った人がいないというのが 良かったのかもしれない。新しい自分を見つけるための第一歩だったから。
 そして クラフトテープ作りや手づくり。夢を見たものだ。もしかしたら これで収入を得ることができるかもしれないなどと大それたことを(笑)
 さらには 若い頃からやってみたかった読み聞かせにも挑戦した。子どもたちを相手に絵本を読むのは実に楽しかった。自分には朗読するという特技があるのではないか?とまで一時期思ったものだ。なんという尊大な・・・今はそう思ったことが恥ずかしい限りだ。

 内面は怒涛のごとく過ぎて行ったと思うが、外面はおっとりした時間だったように思える。
 そして 家族内では 父や母の入退院の繰り返し。父の死。弟の入院があり母の入院があり 弟の死があった。そのどれもが無我夢中で過ぎていった。
 嬉しいことは 娘と息子が結婚し それぞれに子どもを授かったということだ。

 人生はなんと波乱に満ちているのだろう。10年以上前のわたしに今の状況が予想できただろうか?
 人生は先を見通せないから 面白いのだろう。
 そして人生に諦めない限り こうして生きていることが出来るのだ。
 10年前のあの頃 前に一歩踏み出すことがなかなか出来ず、後ろを見て自己嫌悪に陥ることだけで終わっていたら、今のわたしはいなかったかもしれないと ここを開くたびに感じるのだ。
 ここに生きているわたし、生きた証がギュッと詰まっている。
 
 ありがとう goo!
 ほんとにここがあって 良かったと思うよ・・・