この頃 体がだるいような気がするのは 夏の疲れが出てきたからかなと思っている。何をするにも一呼吸おいてから動かなければだめな感じで、これを加齢のせいだと言ってしまえばそれまでだけど。夏の疲れよって言ったほうがまだ救われるかな なんて(笑)
きっと あんなに暑かった日々がここにきて急に涼しいというより寒い気がするからだろう。母はコタツ布団を出してコタツにとっぷり足を入れていた。早すぎるんじゃない?って思ったけど、ストーブを取りつけするには早いから 朝晩の冷え冷えした空気にはこれが一番だと言うのだ。確かにコタツは布団をかけると全然違う。それにしてもまだ早いだろう?まだ8月だよ(笑)いやいやこの寒さは 尋常じゃないよと母が首をすくめて見せた。
まぁまた暑くなったら 布団を取り除けばいいわけだし。母のお好きなように♪
どの季節も次の季節に移るときには 体に異変?があるように思えるが、それの顕著なのが夏から秋への移り変わりだろう。わたしの中で体の衰えを見に沁みて感じる時期でもある。若いときは夏もまた好きだった。学生の頃の夏休み 友人と二人で北海道の牧場でアルバイト。いわゆる飯炊き女だ。料理のレパートリーがさほどなかった私に当たった滞在先の家族は はずれくじを引いたってわけだ。もう一人の彼女はそこそこできたので それで帳消しにしてもらい(笑)炊事 洗濯 あれこれ なんとかやりこなした。男子学生も二人アルバイトに入っていて、一人は上智大 一人は九州大。それぞれ商社と医者(研究者)の道に進んだらしい。この4人がアルバイトとして雇われていた。また 近くの牧場同士でアルバイトの手伝いがあって サイロの干し草作りに駆り出されることもあった。
とにかく広く 青く 緑に溢れ こんな世界がこの日本にあるのかという思いだった。夏といえば 真っ先に目に浮かぶのが あの頃の景色とみずみずしい空気だ。もう今のわたしの周りにはどこにもない。貴重な時間だった。目の前の世界がすべて輝いてみえたものだ。夏は生き生きと過ごす季節でもあった。
それがどうだ 今は。夏といえば ぜえぜえと息を切らしてあえいでいる。あの頃のわたしだったら 乗り越えることができただろうか。若さという替えがたい宝石を その貴重さを渦中にあるときには少しも知らずにむさぼるように削り 残されたものは空の箱なのか?
いや 宝石の代わりに経験という重石(漬物石かもしれない)が今は入っている。誰かのためには役立たないが、何かのためには役に立つかもしれない。わたしがふと感傷にふけようと思い 恐る恐るふたを開けたときに、ずっしりとただそこに在る どけようとしても寄せることのできぬ重さでそこに在る それが箱の中で鈍く光っているだろう。若さが消え去っても わたしという人間そのものはどこへも行きはしないのだ。
※※※
この夏 娘と孫と行った世田谷美術館で見つけた一筆箋。『暮らしの手帖』の懐かしさよ。
※※※
きっと あんなに暑かった日々がここにきて急に涼しいというより寒い気がするからだろう。母はコタツ布団を出してコタツにとっぷり足を入れていた。早すぎるんじゃない?って思ったけど、ストーブを取りつけするには早いから 朝晩の冷え冷えした空気にはこれが一番だと言うのだ。確かにコタツは布団をかけると全然違う。それにしてもまだ早いだろう?まだ8月だよ(笑)いやいやこの寒さは 尋常じゃないよと母が首をすくめて見せた。
まぁまた暑くなったら 布団を取り除けばいいわけだし。母のお好きなように♪
どの季節も次の季節に移るときには 体に異変?があるように思えるが、それの顕著なのが夏から秋への移り変わりだろう。わたしの中で体の衰えを見に沁みて感じる時期でもある。若いときは夏もまた好きだった。学生の頃の夏休み 友人と二人で北海道の牧場でアルバイト。いわゆる飯炊き女だ。料理のレパートリーがさほどなかった私に当たった滞在先の家族は はずれくじを引いたってわけだ。もう一人の彼女はそこそこできたので それで帳消しにしてもらい(笑)炊事 洗濯 あれこれ なんとかやりこなした。男子学生も二人アルバイトに入っていて、一人は上智大 一人は九州大。それぞれ商社と医者(研究者)の道に進んだらしい。この4人がアルバイトとして雇われていた。また 近くの牧場同士でアルバイトの手伝いがあって サイロの干し草作りに駆り出されることもあった。
とにかく広く 青く 緑に溢れ こんな世界がこの日本にあるのかという思いだった。夏といえば 真っ先に目に浮かぶのが あの頃の景色とみずみずしい空気だ。もう今のわたしの周りにはどこにもない。貴重な時間だった。目の前の世界がすべて輝いてみえたものだ。夏は生き生きと過ごす季節でもあった。
それがどうだ 今は。夏といえば ぜえぜえと息を切らしてあえいでいる。あの頃のわたしだったら 乗り越えることができただろうか。若さという替えがたい宝石を その貴重さを渦中にあるときには少しも知らずにむさぼるように削り 残されたものは空の箱なのか?
いや 宝石の代わりに経験という重石(漬物石かもしれない)が今は入っている。誰かのためには役立たないが、何かのためには役に立つかもしれない。わたしがふと感傷にふけようと思い 恐る恐るふたを開けたときに、ずっしりとただそこに在る どけようとしても寄せることのできぬ重さでそこに在る それが箱の中で鈍く光っているだろう。若さが消え去っても わたしという人間そのものはどこへも行きはしないのだ。
※※※
この夏 娘と孫と行った世田谷美術館で見つけた一筆箋。『暮らしの手帖』の懐かしさよ。
※※※