心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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やっぱり暑いよ

2015年08月11日 | ほんのすこし
朝早くは少し風が冷たいかなと 嬉しくて窓を全開していたのだけど・・・なんてこった!暑いよ。
エアコンも全開だよ。

エアコンのない部屋とエアコンのある部屋を行き来すると体がどうなるの?といった感じで、空気が全然違う!
もしかして 外はもっとひどい?案外 外の方が良かったりして・・・
昨日 タクシーの運転手さんが 今年は今までになく暑い夏だと話していて でもお盆過ぎればあっという間に涼しくなりますよ と続けてたけど、ほんとかな?ほんとにほんとに涼しい日がやってくるの?といった疑問が出てきそうな今日も暑い日になりそう。

それでも空気が違うのか 汗もの状態が増えることはなく、この分だと治るかもしれないと淡い望みを抱く。
あと3日で治るかなぁ・・・ちょっと難しいかもしれない。
せっかく申し込みしたのに 暑いのに長袖というわけにもいかず(第一 汗かきの私には長袖なんて無理!)二の腕を出した服装をしなくてはいけない。この赤い腕の状態では 寄ってくる人もいないだろうなあ。半径1メートル以内に寄らないでくれオーラを出さなくては(笑)
ということで あんまり治らなければ欠席しようかなと弱気。

さて、この暑さでもなんとか元気に過ごしていたという母の顔を拝見しに 出かけてこなくては。お盆の準備もしっかり聞いてやらなくては。
お盆ちかくなるとどこへ行ってもお店が人でごったがえしているのが ますます暑さを極めていくんだけどね。仕方がないね。
それにしても東京駅は凄かった。10日であんなだったら 今日 明日とか 考えられない人だろうね。食べるところも買い物するところもどこも行列だらけ。田舎でのんびりタイプの私には 人を見ているだけでどっと疲れてしまう。戻ってきてタクシーに乗って外を見たら 歩いている人がぽつんぽつん あぁ なんだかホッとするぅ~
心底 田舎ものだねぇ(笑)

空気が違うなぁ

2015年08月11日 | ほんのすこし
短い期間ではありましたが、都会の匂いと煩雑な空間に埋もれてきました。といっても 日中の暑さには閉口し 着いたときから発生した多量の汗もに悩まされ、思っていたことが全然できないまま 戻ってきてしまいました。最小限の一日だけ孫と二人でいる時間 孫を寝かしつけるという課題はクリアしましたが。

料理をするにも 暑くて とてもやる気が起きないし、外に出るにしても歩くのはしんどいし。かといって孫は運動しないと もてあますだろうし。親の苦労がわかりますよ。あの暑い都会で どう対処していったらいいんだろうねぇ。娘が悩むのもわかるなあ。
その前に 子どもより大人がまいってしまうよ。

わたしはといえば 見るも無残な両腕の汗もの大群に 人生初といもいえるぐらいの状態で、まさかまさかのここで発生?状態。それでも孫は「そんなばあばは嫌!」なんて見せず、遊び相手になったり。これがもっと大きくなったら、「ばあば 気持ち悪い~そばに来ないで」なんて言うようになるんだろうか・・・(ちと寂しい)

今回思ったのは 1歳と10カ月になった孫は 思っていた以上に大人の話す内容を理解しているということ。大人が説明していると ちゃんと聞いている。まあ聞いてもしてほしいことは やってほしいんだよぉ~の方が勝っているけど。それでも理解できているのと理解できていないとでは雲泥の差がある。頭ごなしにダメ!と言う言葉だけでシャットアウトしても 理解が伴わないと、不満だけが残る。なぜだめなのかを伝えることも大事だなと思った。そしてそれをきちんと考え 娘が「一つだけより 二つ出して本人に選ばせるほうが納得する」という形をとっていたことにも感心した。今のブーム(買い物したら何かを持ちたい)も考え 子どもが一つ手に持って自分も買い物に参加したのよ!という満足感を持たせる。それは決して 全部わたしが持つの!全部わたしの物!といった感じではない。こんな小さい子が自己主張をしている姿は 我儘だと思う方もいるかもしれない。でもそれはわたしもこの人たち(家族)と一緒に買い物してるのよという嬉しさの表れなのかもしれないと思った。手にしたときの「どうよ♪」という表情はなんとも可愛いものだ。

孫を見るという大役を終えたが、暑さとどこまでなじむことができるかという課題には最後まで立ち向かえなかった。つくづく私は田舎に合っているんだなと思う。逆に孫はこの暑さにも負けずなじんでいくんだろうね。子どもは環境に合わせて適応していく能力が 優れているだろう。田舎育ちよりずっと試練に耐える力が育つかもしれない・・・でも たまにはこの田舎の空気を吸わせてあげたいと思うばあばだ。

やっぱり空気が違うね。
朝早く 窓という窓を開けると 入ってくる空気が全然違う。
なんだか ここに住んでいることが嬉しくなる。
都会はわたしにとって ちょっとの間お邪魔する場所。そしてここがわたしの細胞を蘇らせてくれる場所。