渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

半沢直樹饅頭

2020年11月02日 | open



都内のイトコの新聞記者からこれもろた。

半沢直樹の名刺入りだあ(笑)


丸の内6丁目てのが笑える。
三丁目までしかねーよ(笑)

美味しいごく普通の饅頭です。
ごっつぁん。


【不動産ミステリー】変な家

2020年11月02日 | open

【不動産ミステリー】変な家

こわっ!

創作者に乾杯!


でも、あらゆる点で稚拙。

殺しを知らない人が作った物語。

暗殺てのはね、完璧にやられるんだよ。

それはもう完璧に。


おでんの季節

2020年11月02日 | open


なしてこげん安かっちゃか?

機関車

2020年11月02日 | open











鉄ちゃんではないが鉄道は好きだ。
特に機関車が好き。蒸気であれ、液状で
れ、電気であれ。
DD51もレトロスタイルでいいが、EF210
もカッコいいと思う。

榛名湖

2020年11月02日 | open



1960年代、群馬県の榛名湖にスケートを
やりに行った。
小学校低学年の時だ。
新宿西口からバスで行った。
父の会社の人たちに連れて行って貰った。
榛名湖では、ワカサギ釣りというのを初
めて見た。
アイススケートを初めてやったのは、品川
のスケートリンクだった。5才の時。
これも父の会社にスピードスケートの元
選手がいたので、教えて貰ったが、厳し
かった。戦前生まれの人たちは、教える
となったら例え子どもだろうと手を緩め
ない。
なにくそ!負けるものか!と奮起して
頑張るので上達は早いのだが、とにかく
厳しい。
だが、負けず嫌いな奴は短期間で上達し
たのも昔の子どもの特徴だった。
そして、昔のそれが良かったのは、他人
を蹴落とすことではなく、自分の能力を
高めることで自己の劣勢を転覆しようと
子どもたちが努力をしたことだ。ガキども
は「奮闘」の大切さを学んでいた。
徒競走で御手手つないでゴール、人に順列
は付けないため、などという現在の歪んだ
おためごかしの事は全否定である、という
リアリズムがかつては存在した。
大切なことは、トップでテープを切った子
も、走りきれなかった子も、互いに健闘を
称えてその前向きな心を称賛することで
あったし、そうした精神を教育されて来
た。
それは決して、なにも優越主義的に勝った
者が負けた者を足蹴にすることではなかっ
た。
大切な教えだったと今でも確信している。
ニセの平和主義や平等主義は真の平和主義
や本物の平等とは別次元の事だ。
その人なりに最大限に奮闘したその健闘を
互いに称える。
だからそこスポーツは精神的な健全性の
涵養の場、教育の場となり得るのだ。

榛名湖にはこれは大昔からあった。


乗りたかったが、乗れなかった。
足を止めて指咥えてカートを見ていたら、
「スケートをやりに来たのだから、スケー
トを練習しないとダメじゃないか!」と
の会社の人に叱られた。
そらそうだ、と滑った。
そうした発想をパッと転換することも、
向かって行くことも全く苦ではなかった。
自分が出来なかったことがどんどん出来て
くるのが楽しかったからだ。
「修行」なんてのは私は今でも嫌いだ。
嫌いの上に「大」が付く。
何か苦行をすればそれでよしというような
発想自体が大嫌いだ。
成果はどんどん上がる。それはそれできち
んと自他共に評価すべきだ。
あくまで、客観的に厳格に。何が出来て
何が出来ていないのかを。
成果が現出しているのに、それを認めずに
徹底的にこき下ろすのが「修行」だと勘違
いしているような輩が世の中多すぎるの
も、私が「修行」を嫌う大きな要因だ。
私の場合、全てを楽しんでやっている。
苦労の向こうには明日が開けているのが
分かるから。
どんどん、ズンドコ出来るようになる。
人によって進度の差こそあれ、着実に人
は出来るようになる。
こんな面白いことがあるかっつーの。

榛名湖。
旅館で出たワカサギの天ぷらは最高に
美味しかった。
家に帰ってからワカサギの天ぷらを望ん
だら、んなもん魚が売ってねえってさ。
ひぃー。
そりゃそうだ。昔は今みたいな物流では
なかったので、季節の旬物であろうと、
地方名産品が簡単には都心部でさえも手
に入らなかった。特に魚などは。地方の
名産種などが出るのは高級料亭のみだ。
全国的な産直トラック輸送が一般化した
のは1980年代以降の事である。
それまでは、物流の中心は貨物列車。

DD51、最高にカッケー!


広島県の冬

2020年11月02日 | open


広島県は瀬戸内海沿岸はあまり雪は降ら
ないけど、冬の山あいはこんなもんです。


ごく普通の広島県の冬の風景。


カエデとモミジ

2020年11月02日 | open


紅葉(こうよう)というのはホントに美しい
と感じる。
景色としての日本の美の一つなのではなか
ろうかと思う程に目を潤す。

カエデとモミジは違うのよね。
どちらもカエデだけど(笑)。


こちらカエデ。


こちらモミジ。


でも紅葉と書いてモミジと読ませる位だ
から、あまり概念上は日本人は区別して
いない。イロハカエデなどはオオモミジ
との区別はつきにくい。
赤く染まる事をモミジとも言うし、コウ
ヨウとも言う。
また、一般的にモミジと呼ぶのはイロハ
カエデだったりする。


要するに、植物学的な分類とは別な概念
で我々日本人は色づくカワズの手のよう
な葉をモミジと呼んでいる。
だが、紅葉(コウヨウ)することをモミジ
と呼ぶのは最近ではあまり使われない。
ただ、言葉としては残っていて、和食の
もみじおろしはニンジンなのにモミジと
呼んでいる。これも色合いからだ。
童謡にある「秋の夕日に照る山 もみじ」
は、色づいた景色を指しているのだろう。
個別の葉を指しているのではなく。
「松を彩る 楓や蔦は」で初めて固有名
が出てくる。
この童謡、小学生の時に学校で散々これで
もかという程に歌わされたが、二番の歌詞
はとんと覚えていない(笑)。



広島県は秋の紅葉が実に美しい土地だ。
安芸国は秋の国という程に。
関東ならば紅葉の名所は日光だろう。
日光は目を見張る美しい紅葉の景色が
広がる。あれは素晴らしい。
広島県は県内西部の三段峡が見惚れる
景色を見せる。絵葉書のような風景なの
だ。まことに鮮やかなのです。
機会があれば、ぜひ一度足をお運びくだ
さい。
これから、真冬にかけてが見頃です。
広島県の山間部は結構豪雪地帯で、この
あたりも真冬には深い雪山となります。


革しか着ない

2020年11月02日 | open


「革しか着ない」
大昔、モッズの奴らは馬鹿にした。
確かに革しか着ない。
だが、俺らが自分で選択したこと
だ。
しのごの言われる筋合いはない。
それは半世紀以上経った今も変わ
らない。
俺らには「流行」なんてのは関係
ない。
TON-UPは永遠だ。

晩秋

2020年11月02日 | open




庭の木を見むとて見むに
秋のいろの至り至らぬ里は
あらじとぞ

仲良し

2020年11月02日 | open


里親さんのもとに行った仔猫は、別場所
で生まれたおない年の子といつも仲良し。
うちから行った子は日本語の良い名前を
つけてもらったようだ。
和名のその響きは良い。
フランス語にすると「ランブル」だ。

我が家のベンガラは私の膝下で寝ている。


パーツ

2020年11月02日 | open


ちょい乗り二輪のパーツ着。
すり減った既存部品は交換することに
する。