仕事で四国徳島に行く時、高松から
鳴門まで高松高速道が全線開通する
までは、高松空港の先の峠を南に越え
て徳島県に入り、高速徳島道を東に
向かった。
その峠の途中で徳島県美馬市に入って
ほどない場所の大カーブの真ん中に
ハンバーグ専門店があった。
殊の外おいしい。
今まで日本全国いろいろな場所で
食べたどのハンバーグよりも美味だ
と感じていた。
懐かしい思い出の多かった品川の
つばめグリルのハンバーグに少し
似ている気がした。
行きも帰りも、ここで私は食事する
ことに決めていた。とにかくうまい。
四国行きで徳島方面に行く時には
必ず寄った。
理由はわからないが、突然閉店に
なった。
とても寂しく感じた。
その後も、そこを通り過ぎる度に、
寂莫感に包まれた。
やがて、高松道が鳴門まで開通して
からは、そのルートで徳島道を通る
ことはなくなり、その店の跡の前を
通ることもなくなった。
グーグルマップで観ると、まだその店
のログハウスの建物は残っている。
今度、仕事ではなくプライベートで
バイクで四国ツーリングする時には、
あの峠を通ってみようと思っている。
ドラマ『深夜食堂』がめちゃくちゃ良い。
ビッコミ原作も良いが、実写版のドラマ
は作り物の物語だとわかってはいても、
あまりの表現描写に毎回グッと来る。
涙無くしては観られない。
よくこんな良い写真が撮れるなぁと
思う。
原作は顔と吹き出しだけの漫画だが、
実写作品は全体が動いている。生きて
いる。
このドラマに出てくる店も、新宿
ゴールデン街の街も、実はロケでは
なく体育館のような倉庫の中に作ら
れたインドアの街並みのセットで
撮影されている。
スタッフは徹底的に新宿ゴールデン
街を研究しまくったのだそうだ。
私は最初、「こんな店あったか
なぁ」と記憶をほじくり返した。
私もゴールデン街の住人だったから
だ。
室内セットと知ってぶったまげた。
もろに、ゴールデン街の街そのもの
が映像化されているからだ。
そして人だ。
深夜0時から朝7時までゴールデン街
付近の路地裏で開店しているめし屋
を舞台に様々な人間模様の物語が
描かれるのだが、毎回24分1話完結
の話なのに、そこに登場する人たち
は新宿の人そのものであるのだ。
実在の人物と実話を映像化したとしか
思えないほどに「新宿」を克明に
描いているのである。
物凄く、新宿の花園神社界隈の
空気とそこに棲む人間たちの息遣い
を製作者は捉えている。
毎回胸に迫る切なくも暖かい物語
が表現されている。
ゲスト俳優陣も素晴らしいが、
何よりも、「新宿ゴールデン街」
の人々を描き切っているのだ。
ただものではない物語だ。
物語なのにくっそリアル。
こどじのジョーブや赤茄子のお姉
ちゃんとかも出てきそうな雰囲気
だ。内藤陳さんや松田優作や原田
芳雄さんとかも、サラリとそこに
座っていそうな映像作品となって
いる。
ネットで動画配信サイトにて観る
ことができる。
おすすめ。
脚本、キャメラ、大道具、小道具、
俳優陣、すべてが完璧すぎる程に
完璧なドラマだ。
この作品、すげえ。
シーズン1の3話以降からこのドラマ
の真髄が展開されるが、ぜひとも
最初からご覧になって、それから
映画版を観ることをおすすめする。
結構衝撃を受けている。
映画『泥の河』を観た時以来の衝撃。
新宿ゴールデン街に行ったことがない
人も、ぜひドラマ『深夜食堂』をご覧
になってほしい。
ドラマではあるが、これまるで実話
ドキュメンタリーのような作品に
仕上げられている。
新宿という街は、このドラマで描か
れるまんまだ。もろにこのまんま。
出てくる人々は本当に新宿に実在
するような人たちばかりだ。
これね。これが新宿だよ。いやホント。
私はこんな新宿をこよなく愛し、
新宿区に住んでいた。
このドラマは絵空事の作り話では
ない、と思わせるほどに完璧に
新宿の素顔を描いている。
これがセットとは。
新宿ゴールデン街以外の何物でもない。
すべて、「汚し」の技法で作られて
いる。嚆矢は黒澤明だ。それをルーカス
とスピルバーグが学んだ。
まっさらピカピカの物にリアルな時代
付けを施すのである。
ゴールデン街とその付近にある
このドラマの舞台となっためし屋
のようなめし屋兼飲み屋の「古茶
(こちゃ)」に通い詰めだった頃
の私(1990年)。
15年ほど前にネットで私が写って
いるこの画像を見つけた。銀の
スーツが私だ。
この店でも、実際に実話として
ドラマ『深夜食堂』のような事が
起きていた。
私はここで毎日のようにシャケと
お焦げごはんと玉子焼きを食べて
いた。『深夜食堂』に出てくる
玉子焼きは、もしかすると古茶の
おばちゃんの玉子焼きをスタッフが
知っていたか、もしくは取材研究の
際に「玉子焼きならば古茶」という
ことを製作者が知りえたのかも
知れない。唐十郎さんもたぶん
おばちゃんの玉子焼きを食べに
古茶に通っていたのではなかろう
か。
私、この店で一度出禁になった。
店内で客と喧嘩になったのだった。
客層と店を小馬鹿にした奴が店内に
いたので、そいつとその連れを
私が怒鳴り上げてから揉めたの
だった。連れのキム君が止めてくれ
たから何とかなったが、止めなけ
れば、ビール瓶で頭をかち殴って
いた。しかし、おばちゃんに出禁
をくらった。超常連だったが。
暫くすると出禁は解かれ、また
シャケめしをおばちゃんは食わ
せてくれた。
そして言われた。
「あなたはね、奥さんをもらい
なさい」と。
昔の子ども時分に都電が走っていた
通りのそばのビルの一階に古茶は
あった。
都電跡地は今は花園緑地帯といっ
たか。劇画『キリン』で若き
泰三=モヒカンがMCリーダーの
帰りを花見の時期に待っていた場所
だ。リーダーは酒を買いに行った
まま帰って来なかった。
そして、古茶は今はない。おばちゃん
にも、もう会えない。
[万葉語] 上代日本語 発話例
Rakugo in Old Japanese language
[京阪式アクセント]
めちゃくちゃ面白い。
万葉コトバで聴く古典落語(笑)。
古代出雲語を再現する実験
因幡の白兎とワニの一件もこんな
言葉で話していたのだろうか。
まあ、ワニは古代産鉄民のことで
和邇一族のことでしょうけどね。
ワニを丸とも書くのは、それは鉄
を表すのが原意だろう。
ワニから春日氏が発生し、それが
小野となり、小野が横山、本間、
海老名、愛甲e.t.c.に分岐して行った。
春日小野一族は大陸朝鮮との文化的
結合も深く、後胤は多くが外交官と
して登用され、一族の末裔たちは
遣隋使から遣唐使に任命された
歴史事実がある。コトバを解した
一族だったのだろう。
小野氏は鎌倉以降は勢力を拡大した
各地の地名を苗字にして行った。
日本におけるカバネの時代が遥か
昔になり、苗字が姓(セイ)とは
別に発生した頃だ。
また、吉備そのものは多くの技術
を倭国にもたらした吉士=吉師との
関係性も見逃せない。製鉄技術も
天から降って沸いたものではなく、
「持って来た」ものだからだ。
超古代産鉄を担う吉備穴国造は
和邇同祖であるが、たぶん、白兎
の神話も古代製鉄の新技術の勢力
数えでの一件が後世に逸話として
神話化されたものだろう。産鉄技術
を持つ大国主命を隷属化したヤマト
の連合新王権の正当化の為に。
白兎は白い神=大和新政権勢力
≒砂鉄製鉄集団を表し、ワニは
日本に製鉄技術を1世紀にもたらした
超古代製鉄集団=赤い神≒リモナイト
褐鉄鋼製鉄の先住旧式製鉄技術集団
のことだろう。
神社の赤と白の分別は、古代製鉄の
技法と両勢力拮抗の残滓であるだろう。
しかし、考えたらうちも2,960万アクセス
600万人訪問ってのは、少なくはないよ
なあ(笑)。
しかも、ウェブ日記開始の2003年から
ではなく、このgooになってからだから
2011年あたりからのカウントだ。
う~ん。マンダム。
最近はかつての半数になって安定して
いるとはいえ、日に万アクセスあったり
するのだから、なんだかなぁ。
ボットを差し引いても、結構な数の方々
がご覧になってくれているのだなぁ、と。
あっが~す。
与太日記すけどね。

ナイフに優劣はつけたくないが、現実と

だが、好みのみを言うならば(そんな事
ブレードシルエットは限りなく日本刀に
それは当然北欧ナイフのブレードライン



Lightweight Budget Baker Tent.
The Tigersden by OneTigris.
このテントいいなぁ。