渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

小説『一刀斎夢録』

2020年11月28日 | open


非常に面白い。
浅田さん、やはり筆力あるなあ。

ここらあたりは暴れん坊勝小吉の自著の
現代語訳パクリの風味だが(笑)。


物語の主人公は伊藤一刀斎ではない。
この人。別名山口二郎、別名藤田五郎だ。
元の名を斎藤一(はじめ)といった。
世には知られていないが、自称名を類推
するに、なにがし三郎、なにがし四郎と
名乗っていた時期もあるのかも知れない。
壬生時代からの新選組隊士では沖田総司
の二つ年下で若手だった。
しかし、かなり謎に包まれた人物ながら、
新選組では極めて重要なポストにいた。
それでいて、新選組分派で倒幕派寝返り
の高台寺党の御陵衛士にも潜入し、戊辰
戦争後は会津藩大目付の娘と婚姻してい
る。上仲人は元会津中将松平容保だ。一介
士としてはあり得ない。だが事実だ。
しかし、ヒントがある。大目付の娘と婚姻
してるのだ。勘定奉行や町奉行ではない。
秘密警察、KGBやゲシュタポや特高やCIA
のような大目付という組織の長の娘と婚姻
なのだ。当時は恋愛結婚などは存在しな
い。
斎藤一=山口二郎自身、監察が役務だった
のではなかろうか。
もしかすると、新選組監視の為に隠密と
して会津藩から最初から派遣された諜報
員=潜入捜査官だった可能性もある。
二十歳にして新選組では副長助勤、三番
隊組長を務め、剣術指南番にもなってい
る。
新選組合流は試衛館組が京都に着いて浪士
隊を立ち上げて以降だ。新選組に入隊して
即幹部。しかも近藤の側近である。謎が
多すぎる。坂本龍馬暗殺の実行犯説まで
ある程にミステリアスな人物だ。
明治以降は警視庁に奉職し、西南戦争に
は新政府軍抜刀隊として参戦し、退職後
は東京高等師範学校で撃剣指導、東京女子
師範では庶務と守衛として勤務した。
大正4年、座したまま死した。

謎の剣客、斎藤一。
この写真は、これまで巷間出回っている
斎藤一の写真は本人の姿とは程遠い、これ
こそが本人であると、遺族が百数十年の
禁を破って最近公開した斎藤一本人の明治
期の写真である。
土方、原田、斎藤と新選組男前三人衆と
世間で云われた片鱗が見受けられる。
何故一刀斎か。その通り。一刀斎とは、
斎藤一のアナグラムなのだ。


私が通った高校界隈の大正元年の様子が
書かれている。
東京は明治時代から電車が走っていた。




コンバットナイフ

2020年11月28日 | open


このブローニングのコンバットナイフなの
だが、親子程年の離れたバイク仲間の男が
バトニングにも使えるナイフを欲しがって
いたので進呈した。乗り仲間だ。
フルタングではないナローだが、エンドま
で突き通しで、しかもレザーワッシャーの
ためバトニングをしても衝撃緩衝がなされ
るのでハードに使える。軍用ナイフならで
はのタフネスさを持っている。
ベトナム戦などの時に、よく肩のストラッ
プに特殊部隊兵士が逆さまに吊り下げてい
たタイプのナイフだ。

本人は喜んで使ってくれているので、こち
らとしても嬉しい。
まあ、ミリタリーマニアでもあるのだが、
なぜかコンバットナイフは持っていなかっ
たようだ。釣りやキャンプナイフは使い
倒しているアウトドアマンなので、ナイフ
遣いは問題ない。
研ぎはシャプトンの刃の黒幕を使っている
ようだ。
なおさら、グッド。

これね、良いナイフでしたよ。廃番。

粘る刀

2020年11月28日 | open


刀への信頼は、持つ者の思い込みではな
く、現実的なその刀剣の実力と密接な
関係の上に成り立つ。
友人のこの刀への信頼は、かなり深い。
粘る鋼に鍛え上げているからだ。それは
ある事から事実と判明している。
空気切り専用のペラペラ物ではない。
所有者はこの刀で日本一を一度獲ってい
る。

信頼=不動の安定性から生まれる

2020年11月28日 | open


1995年に友人から貰ったこのブローニング
にはかなり信頼を置いている。
信頼とは、ふわふわした不安定でコロコロ
と変わるものには置くことができない。
「不動の不朽性」のようなものを備えた
ナイフでないと信用はできない。
これは物だけでなく、人についてもそうで
あろう。


このナイフはこの人から貰った。


今でもちょくちょく連絡取り合う。
こん男は見た目もだが、中身が漢。
付き合うならば、人を絶対に裏切らない
こういう男でないとならない。


小汚い裏切りや裏や陰でのちょろちょろ
したネズミのような振る舞いで外道を働く
人倫にもとる下衆は近寄って来ても見切ら
ないとね。
見抜く一つの方法あるよ。
目を見てごらん。目が泳いでいるから。
心根が薄汚れていて後ろめたいことやって
いる自覚はあるのに嘘ぶっくらこいてるか
ら精神不安定で目が泳ぐんだよね。
その手の人間は信用してはいけません。
精神が不安定なので、いつどう転ぶかわか
らないからです。どんな時でも、自分のみ
を唯一絶対的な正義とするような族です。
米国の精神科医のモーガン・スコット・
ペックが著書『平気でうそをつく人たち』
で指摘した「邪悪な人たち」という精神
分類の人間ね。
ペックが著書を出版した頃は、呼称類別
が無かったので、説明のしようがなくて
そのような呼称で呼んだが、今では、その
「邪悪な人たち」は、精神病として認定
されている。
しかし、困りものでもある。
精神病だからと、実害のある犯罪を犯し
ても処罰されないのか、という社会的な
問題があるからだ。
精神病者は、どんなに人でなしのひどい
事をしても罪にならないのか。
そこなのである。

だが、事実としては、とんでもないひどい
こと(完全に犯罪)をやりながら、いけしゃ
あしゃあと生活してる野郎がいたりする。
目は泳ぎまくっているので、見れば即判
る。嘘も周囲につきまくっている。
注意されたし。



携帯刀掛け

2020年11月28日 | open



この自作携帯刀掛けは、何かと便利。
畳むとぺったんこになる。
ピコグリルの焚火台みたいなもん(笑)。


小説『大江戸釣客伝』

2020年11月28日 | open

過去にも紹介したけど、この小説が面白い
のよー。
今、再読してハマってます。

作者本人も釣りが好きなのだけど、一度
テレビ番組でフライフィッシングをやって
いて、釣れないからとルアーにその場で替
えた時は、「こらー!ちょっと待て!」と
思ったけどね。
そんな安易にやりたいなら誰でも釣れる
餌釣りか投網でも打っとけ、とね。
何が何でも釣る、そのために手段を選ば
ない、てのは釣り師でも釣り人でも釣り
好きでもないんだよね。それは釣りでは
なく漁労なの。

江戸期、享保年間に記された旗本津軽采女
による『何羨録(かせんろく)』は、日本の
『釣魚大全』ともいえる最古の釣り専門書
とされている。
江戸期の江戸が何が面白いって、多岐に
亘る各分野で超オタクの極め者たちのプロ
フェッショナルぶりが開花したことだ。
幕府はたびたび綱紀粛正を表看板に取締を
したが、為政者である武士からしていろん
な分野で極め者になっていた。それは広く
芸術的な分野にも及んだ。
釣りに関しては、日本海に面した庄内藩
などは武芸の一助として釣りを奨励して
いた。
釣りは、武士も町人も、食糧確保として
の目的だけでなく、釣ることそのものを
楽しむ「スポーツフィッシング」の思想
が既に江戸期には日本では発生していた。
釣りというのは、なかなか釣れないから
こそ面白い。どうにか釣ろうと人は工夫
をするから。
魚との勝負、みたいな面が釣りにはある。
というか、それがメインだ。

江戸期の江戸湾。
洲浜が多く、魚の宝庫だった。


キスなんてのは、江戸湾の定番だ。
今、この洲浜は全て埋め立てられた。
西本願寺の隣にはうちの藩の浜屋敷があっ
た。いわば、藩の私設港湾施設であり、
海上輸送の物品の上陸拠点でもあった。
藩邸という呼称は明治以降の呼び名で、
江戸期には「藩」は正式名称ではないた
め、「藩邸」は存在しない。上屋敷、中
屋敷、下屋敷、抱屋敷、蔵屋敷、浜屋敷
などだ。
広島藩の上屋敷は現在の警察庁隣りの
国交省(旧運輸省、食堂の飯が他省より
美味かった)の場所で、中屋敷は国会議事
堂と赤坂サカスで、下屋敷が原宿表参道
一帯だ。
備後安芸広島浅野家は大藩だったので、
屋敷も多くあった。当然、江戸詰めの広島
藩士=家中も多かった。江戸生まれ育ちの
浅野の家中も多く、おのぼりさんとはちと
違っていた。
非番の日には、浅野の家中も藩士仲間たち
江戸湾で釣りしたに違えねえ。と思う。
上屋敷は江戸城に面した公邸なので、謡曲
鳴り物は禁止だが、中屋敷以下では禁止さ
れてはいなかった。家中の士は詩吟を吟じ
たりもしたことだろう。
飛び道具の稽古は江戸の府内では禁止だ。
手裏剣なども禁止。
しかし、最後の将軍は手裏剣の名人だった
ので、一橋時代に習得したと思われるが、
一体どこで御法度である飛び道具を学んだ
のか(笑)。
手裏剣さえ禁止なので、鉄砲などは江戸で
は厳禁だ。よって、江戸屋敷で砲術稽古は
できない。「入り鉄砲に出女」は学校でも
小6の時に習った事だろう。
自然と江戸では剣術が流行る。

広島藩浅野家中屋敷の跡地。港区赤坂。




広島藩中屋敷跡地。千代田区国会議事堂。


広島藩下屋敷跡地。渋谷区原宿。


本日のレインボー 2

2020年11月28日 | open


先ほどの三原港。
こいつぁ朝からいいあんべえだぜ。

本日のレインボー

2020年11月28日 | open



本日の瀬戸内レインボー。
天地真理の歌を思い出す。
もしくは、ドラマ『サインはV』。
古い。古過ぎるぞ、昭和ウルトラマン
世代。

サインはVはジュン・サンダースが入って
からの立木大和がドラマの佳境なのだが、
あたしゃ最初のメンバーが好き。


岡田可愛さんて奥居香に何となく似てた
のよ。半世紀以上前(笑)。


日本刀の見た目は研ぎ次第

2020年11月28日 | open


これは日本刀ではない。全鋼の肥後守だ。
地肌の熱変態の様子が克明に肉眼で確認
できるように、日本刀研磨と同じ手法で
私が研ぎ上げた。


たとえ日本刀であろうとも、日本刀専門
の研磨を成さずにナイフのような研ぎを
してしまうと、刀身は洋式ナイフのよう
になってしまう。
日本刀は日本刀専門の研磨を施さないと
日本刀の本来の姿を見ることは出来ない。

(備中国水田住山城大掾源國重/研田村慧氏)


この親友の日本刀は、ツンツルテンの模擬
刀のような無惨な表面だったので私が肌を
起こした。
同時によれよれだった鎬ラインをビシッと
正確に研ぎで出し、ツルツル丸坊主だった
鋩子もきっかりとナルメて、消滅していた
横手もきっちりと私が出した。
なかごまでを総合的に判断して、三原派
尾道辰房の作と私は鑑した。


肌を起こしたら、ビリーバットが現れた。



小林康宏師匠は刀工であると同時に研師
でもあるのだが、鍛冶押し以外は今は自
身研ぎはしない。鍛冶押しも昔のように
サッと押せばパッと刃が付くまで押さず
に、かなり打ち下ろしに近いので、研師
が今は苦労している。
ただし、刀身の出来栄えは、全盛期と謳
われた1990年代よりも確実に今のほうが
出来が良い。今の康宏作にはほぼ全作に
映りが出ている。直刃調小乱れで頼むと
康宏本来の本領発揮の刀剣が出来る。
斬鉄剣にして極めて優美。雅なる剣。
それが小林康宏刀だ。


刀が見える、見えないという事

2020年11月28日 | open



友人が素晴らしい刀の情報を教えてくれ
た。上代刀になろうか。奈良平安か。
肌が頗る綺麗だ。
焼き刃が眠くなって来て不明瞭に感じるの
は、経年変化によるマルテンサイトのオー
ステナイト化によるものだろう。
だが、確実に焼刃も刃文も存在する。




日本刀の場合、刃文とは焼刃頭と地の境界
のラインの事を指す。相州伝系などはその
境界ラインが光に透かさないと判然としな
い。備前伝のように拭いをかけただけでも
はっきりと境界=刃文が出てくる変態とは
異なる様相が刀身上に現出する。
そのため、相州伝では研師が白くこすっ
て、さもそこに刃がありますよというよう
に刀身に描く。
この研師の白描きの部分を焼刃だとか刃文
だとか勘違いしている人が世の中とても多
い。困ったことに、日本刀を扱う武道関係
者でもきちんとした正確な日本刀の見識を
有している人は多くはない。

刀身の焼刃はべたっと白くはならない。
マルテンサイト変態している部分なので、
光の屈折反射度合いが地とは変わり、明る
くなるのだ。あるいは光の反射によっては
刃の部分のみが暗く見える。

このように新刀(慶長以降の日本刀)のよう
な地と刃の境目がはっきりとしている系統
ではない古刀の場合、きっちりと地と刃の
熱変態の様子を刀身から正確に読み取らな
いと日本刀は見えない。


例えばこれは日本刀の材料で折り返し鍛錬
をして作った小柄小刀であるが、研ぎによ
る白い刃取りは施していない。刃艶と地艶
のみの段階で停めている小刀だ。

表は小柄小刀の規矩を守り、鑢の一本突き
を施した。銘は切っていない。

裏が刀剣としての表になる。ここは太刀、
刀のような鍛え肌と焼刃を見せるように
ある程度表面研磨してある。打ちっぱな
し、削りっぱなしではない。



光の関係で明暗が逆転している。
このほうが熱変態がよく見えるので、この
ままの拭いっぱなしの差し込みのままに
してある。

どこが焼刃でどこが刃文か判るだろうか。
棒のような直刃はこの世に存在せず、この
ように小丁子が均んだ焼刃頭の連続とな
る。
研師の白描きをここに施すと、本物の焼刃
と刃文が見えなくなる。

(小柄小刀/平成7年康清作/私の作品)

こちらは天正8年(1580年)の安芸国大山
住仁宗重の作。
地肌が見えるような撮影のため、焼刃は
見えない。これも小乱れの直刃調だ。
(撮影町井勲氏)

この私の刀の全身等身大写真は、旧山陽道
の大山鍛冶の住居跡地に歴史解説看板とし
て設置表示されている。
中国新聞でも取材記事が掲載されたが、
広島県の歴史的な文化遺産提示により、
郷土の歴史解説に積極的に協力できたこと
は、私としても嬉しく思う。

こちらは私の差料小林康宏作。平成4年作。
研ぎは鎌倉の田村慧氏。
白く刃取りした中に本当の焼刃と刃文が
見える。小乱れ直刃調だ。
地肌の小杢目といい、焼刃といい、まる
で粟田口か来(らい)のような雰囲気を出し
ている。


この明瞭ではない画像からでも、画像拡大
で地肌の景色が見えることだろう。
(こういう時、PCよりもスマホが便利だ)

日本刀を見る、ということは、刀身に現れ
ている物理的な現象をそのまま丸ごと正確
に見る、ということだ。
予断も偏見も思い込みも私的思い入れも、
何もかも一切無い。
ただひたすら心を無垢にして、透き通った
心で日本刀を見る。
そして、ありのままを素直な心で見る。
そうしないと、日本刀というものは絶対に
見えない。見えて来ない。
「刀を見る」ということは、見る人の在り
方次第で真実にどれほど近づけるか、と
いう人にとってのかなり大切な部分に接触
するのである。
心が曇っていると目が曇るので、真実は
見えない。
これは、なにも日本刀の事だけでなく、人
の世の定理に通じる。
しかし、その重要な事を日本刀は人に教え
てくれるのである。

人間のクズ

2020年11月28日 | open


いつまでもしつけえなあ。

愛しのピーチパイ

2020年11月28日 | open


個人的には政界進出なんて絶対嫌だなあ。
この康宏刀所持者。
「これで大根切れるかなあ」と言ってた
くらいの桃ちゃんがいいよ。
眉間に皺寄せおばさんにはなってほしく
ない。
ポリティカルよりポライトな君らしい君
がいい。
御政道などという伏魔殿の住人にはなら
ず、ガッコのセンセしてたほうがいいよ。

警戒エリア

2020年11月28日 | open


仲間内情報で、別な市内で友人はやたらと
パンダに張り付かれる事が急増していると
いう。
そこのエリアを走る時のみ、まるでこちら
を走らせないかのように張り付くという。
白二輪も複数で張り付くのだそうだ。
何があるのかは知らないが、そこは要注意
エリアだ。東広島市内。