渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

藤の木

2021年04月08日 | open


藤って成長早いのね。
20年程前に鉢植えの小さな葉っぱだけの
苗木を買って来て試しに植えたら、ほっ
たらかしていてもぐんぐん伸びて、毎年
今頃良い花が咲いてくれるようになった。

これ根元。


大蛇のように藤棚の柱に巻きついて伸び
て育った。


こちらは横の白藤の根元。


こちらもぐんぐる巻きだ。


白藤のほうは、花はもうすぐ。


映画『独立愚連隊 西へ』(1960)

2021年04月08日 | open

『独立愚連隊西へ』(1960)
監督:岡本喜八
主演:加山雄三

60年後の今観ても面白い。
全くの娯楽戦争映画。
だが、戦争による殺し合いよりも大切な
ものをきちんと伝えている。
現代はアプレよりもアプリ、アフォリズム
よりもアホイズムの時代だ。
そんな時代だからこそ、戦後15年目に作ら
れた戦中物語であるこの映画はことさらに
箴言を配さない岡本監督の手法がとても
いい。

独立愚連隊とは、大隊本部直属ではなく、
独立歩兵小隊として、あちこちの危険な
戦線に飛ばされる部隊の事だ。
軍でも手を焼く暴れん坊ばかりて編成され
ている。
そして、軍の階級はあるにはあるが、そん
なものは全員丸無視だ。実力知力に長けた
少尉を隊長と仰ぎ、皆がそれぞれの得意
分野で力を合わせて難局を乗り切る。
多分だが、漫画家の望月三起也先生は、
岡本監督のこのシリーズにかなり影響を
受けたのではなかろうか。
この作品の10年後の1970年に発表した
傭兵漫画の『夜明けのマッキー』は、この
『独立愚連隊 西へ』の影響が強く見られ
る。
階級よりも、戦場での実力を重視する点
や、主人公マッキーが戦場カメラマン
のジャーナリストである点などは、『夜明
けのマッキー』の傭兵部隊「牙」が実力
本意の戦闘部隊であること、独立愚連隊
の曹長(佐藤允)が、第1作では新聞記者と
して登場する点などが共通している。
そして、独立愚連隊が個性豊かなキャラの
隊員揃いである点も傭兵部隊「牙」は似て
いる。
ちなみに私は、望月三起也先生の『夜明け
のマッキー』は、『ワイルド7』を超える
望月作品の最高傑作だと思っている。






映画『独立愚連隊 西へ』(1960年)は
独立愚連隊シリーズ2作目だが、なかなか
面白かった。
こういう作品を劇場で観たい。
優れた映像作品、文芸小説、漫画は、時代
という時間軸に左右されない不朽性を持っ
ている。
作品として良質な良作であればある程、
いつの時代でもその作品は輝きを持つ。
映像にしろ、小説にしろ、漫画にしろ、
永遠の命という大切なものがそこにある。
読み捨て、書き捨てなどは人の世において
歴史と文化を形成しはしない。
コンビニのおにぎりの包装ラップのような
映像や文章は、たとえどんなに作った本人
が意味を持たせようとも、決して時間軸を
超えて残る「作品」とはなり得ない。
一過性のポイ捨て物などを人は人の世の
精神的支柱にはできないのだ。

先輩の鋭い指摘

2021年04月08日 | open







巨人の先輩西本さんが手厳しい指摘をして
おります。
やり逃げならぬやらず逃げの振り逃げ。
草野球じゃないんだからよー(笑)。

騒音

2021年04月08日 | open


駐車場だから、そこに停めて休むのはかま
わないだろうが、屯してバンバン吹かして
とか、近所の人たちにほんと迷惑だと思う
よ。

あおり

2021年04月08日 | open


ハマ人が帰省中のハマ人を県外ナンバー
つけているからとあおりまくりの接触追突
あて逃げ。
何が「ヒートアップ」だ。やめろバカ。
この手のカッペ根性排外主義ファシズム
には日本人の民度の低さとしてうんざ
する。

伯方の焼き塩

2021年04月08日 | open



この瀬戸内海で作られる塩、
ホントに
ウマい。
おすすめ。
日本では塩にも厳しい歴史があった。
伯方の塩は、政府による戦後の高圧的
規制の中、消費者運動により蘇った
自然塩だ。そして、塩の規制の法律も、
平成になってかなり経ってからよう
やく撤廃となった。
国民が復活運動により会社を立ち上げて
作った塩、伯方の塩。
是非、メーカーサイトをご覧ください。

⇒ 伯方の塩


ドラマ『白昼の死角』(1979)

2021年04月08日 | open


ドラマ『白昼の死角』(1979年8月~)

原作は高木彬光の1959年発表の
小説。

1963年にテレビドラマ化された。
本作は1979年8月から放送された
リメ
イクドラマだ。
これに先立ち、同年79年4月に
映画が
劇場公開された。私は
映画は即観に
行った。
物語の舞台は戦後直後の東京。
東大生が起こした光クラブ事件
の実話
を基に高木彬光が小説化
した。


この作品、1963年版テレビドラ
マは
私は未見だが、1979年4月
版の映画よりも
ずっと1979年
8月からのテレビドラマのほう
が面白い。

映画は出来は悪くはないが短
時間に詰め込み過ぎでかなり
無理とはしょりが見られる。
ただ、俳優陣の演技は光って
いた。

ドラマのほうはきめ細かく描か
れていて、
役者さんたちの演技
もかなり見応えある。

全編メディア化希望の声は多い
よう
だが、なかなか実現されな
い。

79年版映画のDVD化さえ今世紀
に入って
かなり過ぎてからだった。
何か事情があるのだろう。

このドラマの毎回のラストエン
ディング
には、1979年放送当時
の日本国内の
風景が多く出てく
る。戦時中の映像
と交差しながら。
その中で東京都内の大学の風景
がある。

1970年代終焉の1980年の1年前の
1979年、私が
一年生(関西でい
う一回生)の時の
大学というの
は、東京都内は国立も早慶はもと
よりどの私大も、どこの大学で
あれ殆どがこのような光景だった。

学内のキャンパスはどの大学も
タテカン
と無数の壁貼りポスター
だらけ。

それが東京の大学の風景だった
し、
日常的な常態だった。
信じがたいだろうが、学習院で
さえこんな感じの景色だったの
である。