渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

石垣

2021年04月14日 | open


俺さあ、馬鹿だから、子どもの頃は城の
石垣ってのはピラミッドみたいに全部土台
が石積みなのかと思ってただよな(笑
垣なんだよな、垣。石積台ではなく。
当然、外周部の外側のみが積み石で固め
られてるの。
それ知ったのは小4の頃だったか。
ちと愕然とした(笑
そりゃそうよね。濠の石垣見てりゃ、
造りも分かりそうなもんだってんだよ
な。
よく見てよく考えろ、てやつだったな。

詐欺メール

2021年04月14日 | open


配送先名も配送元も業者も明らかにして
いない。
こらロボ検によるスパムランダム送信の
詐欺だべ。
クリックしたらあかんやつ。

富士山

2021年04月14日 | open


富士山はでかい。
とんでもなくでかい。
神奈川県から見る富士山はとてつもなく
大きいが、東京から見る富士山もこの写真
の通りだ。
これは望遠を使っているのでさらに大きく
見えるというのもあるが、とにかく実際に
富士山は大きい。
鳥取市内に出張の際、よく行く小料理屋
で富士山の話が出たから、店主と女将さん
にこの画像を見せたら「これは合成加工
でしょう?」と俄かに措信せざる事態だっ
た。これだよ、と言っても、うっそー?!
これほんま?と。
でも、神奈川・東京から見る富士山は、
笑うくらいに大きい。

江戸時代から、江戸で見る富士山は愛さ
れていて、各地に富士見の地名が残って
いる。


富士山、でけえす。
そら、日本一大きいのだからでけえよな。


世の中に二輪車がごく一般的だった時代

2021年04月14日 | open


アイドルさえもがバイクに乗る時代。
1980年代。それは良い時代であった。
松田聖子さんは、「ピンクのスクーター」
と「銀色のオートバイ」という曲を歌って
いた。
いずれも自分が運転する想定の曲だ。
「ピンクのスクーター」は、スクーター
に乗って彼がいる町に飛んで行きたいと
いう曲。
「銀色のオートバイ」は、素肌に革ツナギ
を着て、フルフェイスを被って置き手紙
をして彼と別れる曲。息苦しい上品ぶった
彼との生活に見切りをつけて一人海まで
走るという曲だ。
両曲とも作詞は松本隆だ。
ただ、曲は「ピンクのスクーター」は
作曲が原田真二で秀逸。原田調の独特な
ポップな曲調ながらも、変則コードで変換
させる曲となっている。
曲の終わりかたのキー進行も余韻を残す
作りとなっていて、曲として面白い。
構成は風の大久保一久の「約束しようよ
パターンに似ている。

二輪車がようやく市民権を得て、誰もが
バイクに親しんだ季節。
それは、とても明るく、良い時代であっ
た。
上の写真を見て「ノーヘルじゃんか」とか
わっけわからん事を言ってはいけない。
原付1種は、1986年までノーヘルOKが
法律だったのだ。

石立鉄男&ユニオン映画作品の定番女優

2021年04月14日 | open


名作『パパと呼ばないで』はじめ、石立
鉄男&ユニオン映画作品では、毎作ごと
にマドンナ役の女優は変更されるが、
変わらずどの作品にも出演していた女優
さんがいる。
それが名優の冨士眞奈美さんだ。
ウルトラ美人なのに石立鉄男なみの三枚目
キャラを演じ切る。1938年生まれの現在
83才。
若い時は、そら美人どしたえ。
演技は巧く味があり、女性版石立鉄男か
成田三樹夫か、という名女優さんだ。
小百合ちゃんは、彼女がこなす役柄を
絶対にこなせない。


ドラマ『気まぐれ天使』(1976年)

2021年04月14日 | open

『気まぐれ天使』(1976年10月〜
1977年
10月)
 
大手下着メーカー「プリンス」の
宣伝部
の新任宣伝部長南條友江
(酒井和歌子)は
バイク通勤をして
いる。
同社宣伝部に勤めながら童話作家
になる
夢を持っている加茂忍(石立
鉄男)は、大金
を貯めなければ婚
者(大原麗子)と結婚
できない条
件があり、サラリーマンを続け

いるが、その彼の周囲で起こる
ドタバタ
騒動の物語。
なぜか、途中から、大原麗子では
なく酒井
和歌子にマドンナ役が
スイッチしたドラ
マ。悠木千帆
(樹木希林)と坪田直子の存在

不思議なキャストだった。
 
冴えないサラリーマン忍の上司
南條友江
はヤマハRD350に乗っ
ている。
1976年当時の新設された中型二輪
免許の
教習所バイクはこれだった。
2ストだ。
2スト車で一本橋をやる。確か当時
は卒検にはないが、教習では波状
もあった。
その数十年後に免許制度が
改正
されて中型二輪免許は極めて簡単に
なったと聞く。1970年代は車体引
き起こ
には不動車が使われ、
タンクには砂が
タンに仕込
まれていた。
また、一本橋の通過速度審査規定
も今より
ずっと長いタイム規定だ
った。
内容を比較してみると、ほぼ現在
の大型
二輪免許がかつての中型
二輪免許と同格
の技能審査内容の
ように見える。
1975年から開始された限定解除
免許試験
は「合格させない為の
試験」であるため、
現在の制度と
態様とまるで異なっていた。
服装でまず受験者を判断する。
白いジェッ
トヘルメットに黒い
カカト付きブーツは
「限定解除法
第一条」とまで揶揄される
程だっ
た。また、受験者の言葉違いも
審査
される。
警察が強権的であった時代だ。
車両を停止させて免許提示の時
に現代の
ように「お急ぎのところ
おそれいります
が」なんてこと
は間違っても警官は言わ
ない。
「免許証!おたくどこまで行くん
だ?」
だ。全てにおいて横柄だし権力を
カサに着て
いた。警察官が国民に
「てめえ」「この
野郎」とか言う
のもごく日常的だった。
警察官に対して少しでも反抗的
な言葉遣い
をすると、それだけ
で取締り対象として
扱われた時
代だった。
そうした中で、自動二輪の免許を
それまで
の小型自動二輪(原付)・
自動二輪から小型
自動二輪・
自動二輪限定あり・自動二輪限定
無し
という3種に分けて、さらに
自動二輪限定無し
は教習所では
取得できない、という世にも
奇妙な珍法ができた。お上は
やりたい放題
の時代だった。
しかし、1981年に始まる全国3
ない運動
以前の時代でも、二輪
に乗りたい人たちはどん
どこ
乗った。
空前絶後の日本の戦後バイク
ブームは1980
年代からだが、
その序章は1970年代中期
には
始まっていた。
意外と思うかもしれないが、
バイクブーム
は50ccの原付の
一般普及により支えられ
ていた。
主婦層が誰でも買い物バイクを
利用し始めたのが大きかった。
1970年代、ホンダのラッタッタ
とヤマハ
のパッソルが時代を変
えたといえる。
 
南條友江はやがてドゥカティに
乗り換え
る。他にも乗っていた
気もする。ZⅡにも
乗っていた
ようにも思えるが、記憶違い

も知れない。
 
部下の森田健作を後ろに乗せる
友江役の
酒井和歌子。
 
このドラマでの酒井和歌子さん
はとても
カッコ良かった。
バイク走行シーンの吹き
替えは、
多分堀のロコさんあたりだ
ろうなあ。