映画『忍者武芸帖 百地三太夫』
(1980年 東映)
戦国時代末期、伊賀百地三太夫の遺児
となった幼き少年鷹丸は、立派な青年
となっていた。
彼は船上からモリでハマチを突き獲り、
それを父の遺品の寸伸び短刀でさばいて
船上で食らいつく。
狙いを定めて、
振りかぶって一気にズドン。
これ、撮影に真剣日本刀使ってます。
すんげ切れ味。下の土壇代わりの
ムシロまで一気に共にザックリ。
土壇払い、というやつです。
さばいて魚食って、そこらに無造作に
放り置いてるけど、すぐに錆びちゃう
よ~(笑)。
船上で使った場合、即綺麗に清拭する
のが常識です。今も昔も。真水を以て。
これは戦闘においても。人を斬ったら
すぐに清める。でないと即刀は赤イワシ
となります。血液には塩分が多いので。
先日の釣行でも私は釣った魚を船上で
シメた際には、ステンレスであっても即
真水で丁寧に洗い流しました。
刀身に臭いがかなりつくので、それは
帰宅後中性洗剤で丁寧に洗浄。洗剤が
無かった昔は灰汁などで丁寧に洗い流し
て臭いを除去したそうです。
まあ、エンターテイメントの物語だから(笑)。
ただ、本物の日本刀を使って実際に斬って
いる貴重なシーンを真田広之が演じていま
す。
吹替かもしれないけれど。
彼が日大芸術学部に通っていて、学内では
殺陣研究会をやっていた頃の作品です。
この映画、鷹丸の忍術の師匠戸沢白雲斎
役の丹波哲郎がめちゃくちゃいい。
台詞回しもカメラアングルも、一気に
東映時代劇になる。名演。
これだよ。時代劇の胸すく表現は。
おお、ここは!
この慶長四年の103年後、拝一刀と
裏柳生が対決した場所!
拝一刀は大車輪の大立ち回りで裏
柳生の忍びを100人くらい斬った。
拝一刀もブスブスに刺されたのに
なぜか死なずに烈堂以外全員斬り倒
して、よろよろで歩いて行くところ
でジ・エンド、の場所。(若山富三郎
版映画)
この『忍者武芸帖 百地三太夫』でも、
秀吉の懐刀の不知火将監(千葉真一)
との最終対決をする場所だ。
若い真田広之。撮影時19才。
この頃、悪役が多かった千葉ちゃん、
カッケー。
この短刀のなかご部分に百地一族の
埋蔵金の地図が金象嵌されている。
二つ揃ってようやく一つの地図になる。
この短刀をめぐっての熾烈な戦いだった。
最後は、百地三太夫を助けた服部半蔵
(夏八木勲)から「その短刀をもらおう
か」と迫られる。
この私の差料の愛刀が世に生まれてから
19年後の出来事であった。
この刀は天正八年(1580年)生まれ。
つまり、この二代目百地三太夫が
この戦いの時に19才であるならば、
同い年という事になる(笑)。
日本人は家ごとに家紋を持っている。
英語ではファミリークレストと呼ぶ
「家」を単位とする日本独自の血脈
を示す看板の紋章だ。
日本人の苗字は約6000、家紋は2万
5000ほどあるといわれている。
歴史の中で武家が台頭するに至り、
吾と他を区別するために家紋は発達
し、一気に増加したとされる。
武家は本紋のほかに替え紋という
複数の家紋を持つのが常だった。
近世江戸期以降は、武士以外にも
有力者等は家紋を持つようになった。
明治以降、一般庶民も家紋を普通に
式服などに使用するようになった。
日本にはしきたりがある。
現行法では一切規定されていない。
それは、家紋についてはいくつかの
絶対に日本人として守るべき律が
ある事もそのしきたりのひとつだ。
一、家紋は勝手に新たに作れない。
一、やむなく新たに家紋を新設する
場合には、徳川葵、太閤桐、仙台笹
の三種だけは絶対に使用しない。
一、家紋は家主が着けるものであり、
「家」に付随する。したがって、当主
の紋は正妻であろうと側室であろうと
着用は赦されない。
現代においては法的規制が何もないの
が家紋に関しての約束事という現状だ。
それゆえ、勝手に徳川将軍家の三つ葉葵
を使用したり、柳生家の家紋を無断使用
して自派のPRに使ったりしている全く
以て武士の世界とは程遠い事を為しな
がら武士をコスプレする興行師たちも
また、男紋を妻は使用できない。
子にあっても、女子は父の家紋を使え
ない。これは今でも西日本を中心に
この風習が継続している。
「腹は借り物」などという、女性を生殖
機能保有生物としてしか見ない女性差別
意識が現在でも存在する。
裏返すと、男は偉いとする馬鹿な男たちの
男根主義がその女性差別を今の時代に
あってさえも温存させている。
男と生まれた事はたまたまであり、自分の
意思や手柄とは無縁であるのに、それを
自慢したり誇りに思ったりして人に上下
をつけようとする。
これこそが差別の実体だ。
そしてそれを制度的に補完しようとする
のが社会における差別制度であるのだ。
最近夫婦別姓を叫ぶ人たちが多く、その
主張のほとんどが「男女同権」を言う。
江戸期、武家社会にあっては夫婦別姓
のままであった事を知らないのだろう。
日本においては夫婦別姓は男尊女卑の
男中心の社会構造の体現であり、支配者
階級である武士たち(全日本人3千万人
のうちの約8%の人口比率。日本は平安
時代から幕末まで総人口は3000万人で
横這いだった)はその男社会を代弁する
第一人者としての立場を堅持していた。
善し悪しの問題ではない。そのような
今、夫婦別姓を唱える人たちは、夫婦
別姓にあった日本の幕藩体制の武家社会
の有様を知らない人たちが別姓を主張し
ているのではなかろうか。
たぶん、明治以降の新政府が創作した
新戸籍制度の「家制度」にのみ着目して。
それはまるで私にあれを想起させる。
看護婦という呼称を撤廃しようという
社会PRが蔓延した時の革新勢力の
それは「医師のみは師の文字を使うが
看護婦たちは婦のままだ。医師はナース
を見下している。ナースたちにも師の
文字を使用すべきだ」と。
アホかと思った。
そもそも医師とは江戸期の価値観に
おいては非常に身分の低いものだった。
それゆえ武士の士(さむらい)という
文字は与えられない。師だ。詐欺師と
同じ師が使われた。医士ではない。
さらに江戸幕府以前の日本においては、
貴賤差別のピラミッドの頂点は天皇
看護師呼称の主張者たちの中身は、
私には非常にオソマツに思えた。
差別撤廃を口にしながら、日本の
そして、それの主調の中心幹は、
それはあたかも、歌舞伎役者が
歌舞伎界は訴訟に勝利し、日本の
だが、歌舞伎のオハコの真骨頂は
結局は自分らのみの待遇改善要求で
しかなく、全人民的な幸せを願う
視点での行動とは位置づける事は
できない。
「歌舞伎界は君らは脱賤できて
だが、提訴≒死罪という時代にお
水平社以前に歌舞伎役者たちが命
江戸時代などは、そうした階級差
貴賤とは読んで字のごとく、貴が
何が良くないって、生まれた時か
そして、生まれ出自血脈によって
それが差別を主軸とするピラミッド
ちょうどナース問題と同じ頃、
小泉総理が国民に黒白判断のステ
多くの意図的な立候補者が野党
彼らは「刺客」と俗に呼ばれた。
広島六区三原地区からはホリエモン
その国政選挙の時、社民党(当時)
まだ社会党に入る前、東京地裁前で
「最近テレビばっか出ててタレント
みたいだね」とからかった時「いや
だぁ。やめてよ~」とニタついて
いたのは遥か昔の弁護士時代。その
国政選挙の頃には弁護士稼業では
だが、「女を刺客に使うな~」で
これあかんやつと思った。
男女同権ではなくフェミニズム
自衛隊員だろうと米軍だろうと、
大昔、私の先輩が、某大学で修羅
すると、その女は「女を殴った~!」
と言って大騒ぎした。
学生運動のヘルメットを被った
しかし、リベラルを気取る日本
男女同権を口にしながら、「女
権利とは義務との連鎖であるとい
だから私は、日共代々木とソ連
理由はニセモンだから。本当の
善し悪しの問題とは別な存在として
日本の家紋は現在も存在している。
私は自分の妻の事を「嫁」と人に
なので、地方の田舎に21世紀の
「奥さん」とか言ってる間抜けは、
嫁呼称の上を行く論外だ。
日本人が話す敬語について一切無
「うちのかみさん」という表現と
「うちの奥さん」という表現では、
中身内実意味合い使用目的に雲泥
なんというか‥‥。