渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ジャズギター

2021年07月21日 | open

Guitar Jazz & Jazz Guitar:
Destiny - Full Album
(1 Hour Cool and Smooth Jazz Music Instrumental)

おすすめ。
あくまで、好きな人には。

私はこのグルーブ感は好きだけど。
リー・リトナーみたいに裏にアクセント
取るような弾き方。





小樽の夜

2021年07月21日 | open


東京の乗り屋の友は小樽の夜である。
先日北海道に行った人とは別な人。




なんだか北欧みたい。


「小樽の夜」という曲がありそうだが、
リサーチしたら無かった(笑
「小樽のひとよ」は有名だけどなー。
1967年の曲。これ、テレビでよく観た
なあ。
でも、白黒テレビだったんだよな、うち。
てか世の中一般。
うちがカラーテレビを買ったのは1969年
のアポロ11号月面着陸を見るためだった
けど、月からの映像モノクロだったと
いうオチがついた。

「小樽の人よ」は、このギターのイントロ
よね。名曲。
小樽のひとよ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ

プラム

2021年07月21日 | open


庭の木にプラムが成った。
K.ヤイリのギターにプラム色の小ぶりな
アコギが20年ほど前にある店にあった。
あれはいい発色での塗装をしていた。
かじりたくなるような色だった。
あるオフ会で、高校生の女の子がヤイリ
のプラム色のギターを持って来て参加し
ていた。
うわー、これどうしたの?
と尋ねたら、私が見て試奏した店で買った
のだという(笑
同じ個体みたい。
おもろい偶然もあるもんだ(笑
何百キロも離れたとこでのオフ会だった
のに。

ヤマハ

2021年07月21日 | open







ヤマハだねい。
ヤマハは日本ヤマハのインターカラーの
紅白がいいねい。
これ、日の丸の色なんだよね。

それにしても、速い。
速いだけじゃない。継続力がある。
中須賀選手、おめでとう。




わかりやすい

2021年07月21日 | open


登場すると悪所からの来訪者も増える(笑
わかりやすいのう(笑
魚拓だけでなく、ここの記事貼り付けて
また裏ネットの悪所で誹謗中傷してるん
だろ。匿名の陰に隠れてコソコソと。
これから夜にかけては卑劣な連中がまた
増える。

再炎上目的の二匹目のどぜう狙いか(笑

人類初の宇宙旅行

2021年07月21日 | open


人類初の宇宙旅行が成功した。
それにしても、このロケットの形は狙った
のだろうか。
横浜鶴見の有名な塔よりリアルだど。
しかも、ロケット部だけが帰還時には
そのまま着陸した。
立ったままで。
まさに・・・。
うーむ。

てな話を友人としていたら、「しーっ。
消されますよ」と(笑
ありがちな話だ(笑



ミニ

2021年07月21日 | open


やっぱこれ乗りたいなあ。
ヤマハSRは好きだけど、それほど乗り
たいとは思わない。
だけど、これは実車に乗りたい。
クーパーでなくキャブ・ノーマルなら
かなり長く、20数年乗ってたけど。
89年式の最後のキャブ車。
味のあるいい車だった。
車検で筑波常勝の東京府中のGP10(ガレー
ジプラステン)に出したら、キャブのオー
バーホールと同調までやってくれて、ソ
レックスツインがすこぶる快調だった。
吸う時、スンゴォ!ってな音がして、45PS
とは思えない加速だった。まあ、高出力車
には叶わないけど、一応1959年の設計な
んで。それにしちゃそこそこ走った。
前輪ダウンのコンニチハも直してくれてた
しさ。
それでワンコやかみさんともいろんなとこ
行ったし、東京広島間もワンコ乗せて何
往復もしたし、渓流や山の管釣りやキャン
プにも散々あれで行った。よく走ったよ、
あのミニ。

大排気量の高出力で勝ち誇ったように勘
違いしてるのって四輪も二輪も俺は大嫌い
なのよ。
デカバンに乗るのに煽り運転が多いのは
なんとなく心理背景分かるような気がす
る。威力主義なんだろうね。
それでも、ミニは、レースでも速かった。

でも世の中、意地悪さんはいるもんで、
モンテカルロラリーの時はミニがフェラー
リに勝つのが許せないと圧力かけられて
レギュレーションを変えられたりしたも
んなあ。
おいら日本人でメリケンのジャイアンじゃ
ないから判官贔屓だしさあ。ちっこいの
がおっきーのに勝つのには拍手を送りたい
のよね。ダビデの投石のように。
矢吹ジョーが超絶強者でアタタタターだっ
たら、多分あの時代、1960年代後半には
人気出てなかったんじゃないかなあ。
星飛雄馬が巨漢の絶対王者だったりとか。
飛雄馬だって小柄で軽い球質のハンデを
克服するために血の滲む努力で大リーグ
ボールを完成したんだしさ。
なんか、最近は勝ち組負け組(すでに死語)
のおバカなステレオ感性でジャイアン好き
が正義のように振る舞ってる風潮あるけ
ど、日本人のおいらからしたら、何だか
なあ、なんだよね。
それ、トランプですか?みたいに。

小粒でピリリと辛い。
日本人の琴線に触れる車が旧型ミニだっ
た。オースチンならなお良し。


回転寿司好きブロガー

2021年07月21日 | open


「2010年に年間337食(7/28〜11/22まで
は118日連続、計119食)の記録がある
ほど回転寿司好きな、回転寿司応援ブロ
ガーです」
との事です。

わははは!
こういうコアなマニアックスペシャリスト
大好きだ(笑
「永遠に不滅です」って、「長島」さん
を知る世代かな?
長嶋ではなく長島。
でも、長島さんは「永久に不滅です」だ
たのよね。正確には。


ロシア製メスキット

2021年07月21日 | open

ロシア製のこの兵式飯盒はとても使い
やすい。メスキットというよりはメシ
キット。

水筒、カップ、ポットのセットになって
る。


組み合わせるとカチリとワイヤーハンドル
が固定される。飯も炊ける。


水筒はウイスキー用スキットルのデブちん
みたいな形。底が丸くないので、自立する
ため何かと便利。


カップの取っ手もカチリとハマってスタッ
キングした物を固定。
ワイヤーハンドルも回すとカチリという
音と共に固定される。

よく考えて設計してある。
ソ連の最大の発明はアメリカを尻目にし
ていた宇宙船とAK47小銃だが、こうした
小さなアイテムも非常に気配りが利いてい
る。
現ロシア時代はよく知らないが、ソ連時代
は残虐な国家だった。
しかし、国歌としては、私はソ連の曲と
歌詞が一番好きだ。
今は歌詞を変更して曲をそのまま使用して
国歌としている。
国歌といえば、ペルーの国歌で、ペルーの
友人によると、ペルーの国歌は最後まで
歌うと30分くらいかかるという。
普段は簡略化した国歌なのだが、何かの
式典の時にはフルコーラスだという。
暑いし、生徒たちバタバタ倒れると友人は
言う。
同じ南米出身の別な国の友人と、うっ
そー!とか言ったが、「いや、ほんとよ。
ほんとなんだってば」と言っていた。

短い時間の君が代だが、まだ日本の国歌
と法制定されていない頃の1990年代。
二輪の世界グランプリで、君が代が途中
でカットになった時は、世界選手権主催
者のFIMはおざなりだなあ、と感じた。
日本人が優勝したのが気に入らないから
の意地悪かも知れないが。
欧米人のアジア人差別意識ってすごいか
らね。言葉を喋る猿、くらいにしか思って
なかったんだから、いやまじで。
ここ最近だよ。人間かもなあてな感じで
日本人の事を見始めたのは。

それでも、物品は良い物は良い。
AKで国防はできないが、実利としては
実力ある良品は良い。国は関係ない。
そのため、良ければソ連のAKだろうと
ナチスのワルサーだろうと私なら使う
時には使う。国は関係ない。
ソ連ロシアのこのキャンティーンキット
は非常に良い。
フランス軍の水筒カップキットと似てい
るが、フランスは僅差でロシアに機能性
が負けている。
一方、米軍てのはこういうの弱いねえ。
米軍物のこういうので使えるのはカンキリ
くらいだ。

軍物なので勿論中古。
十分に殺菌、滅菌してから使用している。
思うに、中古物を一括りでバカにして
の事を「あいつは乞食だから」とネット
に書いて誹謗中傷している奴は、もしか
すると日本刀とかには興味ない奴かも。
本物の日本刀というのは時代物の中古し
かないのだから。名刀も国宝もみんな
「中古」なんだから。
だから、まさかとは思うが、現代刀新品
が世界最強最良とか、高額な現代職方が
製作した金具が気に入らないからとそれを
憤怒で破壊して、その事を自慢げに自分の
周辺ブログとやらに書いてる奴かもよ(笑
でも、どう転んでもやってる事は犯罪だ
から。
犯罪者は逮捕されて裁かれて社会的な制裁
を合法的に受けるべき。

にしても、心根がさもしいなあ。
とことん。
西日本豪雨災害の時も嘲笑って喜んでた
もんなあ。
多くの方々の温かい支援の事を嘘だとか
どうせ私が自分で買ったのだとか(毎度
パターンが同じでお里が知れる)。
まあ、なんてのか、心無い。人としての
心は無い。
それに煽られて乗せられてる連中も多いの
だから、どうかと思うよ、ほんとに。

貰いもん

2021年07月21日 | open





ネットストーカー

2021年07月21日 | open







地図のない旅

2021年07月21日 | open


昨日、元来の旗日休みを取り自分の時間
とした。
広島県内の生まれて一度も通った事がな
い道を気の向くままに走った。
一切地図は見ない。
広島県内はあまり知らないので、地図も
ナビも見ないその道行きは、結構面白い。
時々やる。
下道だが、結果としてはかなりの時間、
かなりの距離を走った。
写真に収めたい「おおー!」という風景
も沢山あったが、止まらずに走行した。
以前、やはり初めての道を走った時、
「ここ、もしかして、『彼のオートバイ.
彼女の島』でロケに使われたバイクでコオ
が渡った吊り橋じゃないの?というよう
な場所もあった。
地図なき旅は、そうした発見が面白い。
出会いなのだ。一期一会の。
旅はそれが良い。

小中の修学旅行ってさあ、仲間たちと
くから面白い事は面白いけど、あれ、自由
時間なかったらさぞやつまらない旅行だ
と思うよお。
海外などの企画ツアーがタイムスケジュー
ル差し詰めなどのはつまらないのと同じ
で。

一応、整理するために、私は走った場所
の確認を後日地図を見ながらチェックする
ようにしてます。
そうする事で、その場所への行き方が頭
の抽斗に入る。
それでも、そういうのは実際に走らないと
ダメ。実践あるのみ。
あと、その後の机上での復習ね。イメト
レみたいな。
予習は、計画の範疇なので、集団走行の
時には絶対に事前ルートを策定したほう
がいい。
しかし、ソロの場合はいつでも自由なの
で、気ままなルートで駒を進める。鉄の
駒を。
地図上で、走った景色や路面状態を思い
出しながら辿るのは、これまたこれで、
結構楽しいのです。かなり。
どうせ行くなら、二倍四倍と楽しみ方を
増やさないとさ。




深夜のオリエンテーリング

2021年07月21日 | open

 
都内の場合、道路には標識があるので、
路上で迷う事はない。
ただし、これが駅の地下街とかになると
ランドマークが無いので迷う。その為に
迷わぬようにA1等の表示を付与して出口
の案内図などが設置されている。
不夜城である東京の路上で道に迷う事は
滅多にないのだが、これが特別区を外れて
都下や埼玉、神奈川の郊外や田舎に行った
場合、夜道は土地勘が無ければ皆目分から
なくなる事が方向音痴でない者でも起き
る事があったりする。
 
私が高校の時、一つ上のイトコが四輪車
の免許を取ったので、車で地図を一切見
ずに行き当たりばったりでどこにたどり
着くか二人でやってみた事がある。
交差点や別れ道ではその場で瞬時に適当
に選択して進む事にした。夜空の星で
位置観測をすることは無しにして。
ある程度まで、自分たちの進行している
場所は頭の中の地図で方位方角がそれと
なく認識できていた。
だが、途中、埼玉の浦和の郊外あたりで
ど真っ暗な道となり、そこを進むうちに
全く自分らがどこに向かっているのか、
自分の位置はどこなのかが分からなくなる
不思議な体験をした。
雪山でのホワイトアウトや、真っ暗なトン
ネルを進むと上下左右感覚が無くなるブ
ラックアウトのような危険な感覚に陥る
が、多分、平面上でそれに近い感覚が我々
を襲ったのだと思う。
登山中のホワイトアウトは動かない事が
第一だが、オートバイなどでトンネルでの
ブラックアウトの危険な状態はある方法
回避できる。これは私の経験から自得
した手法の情報だが。
それは、前方と灯りのつくメーターと
バックミラーを交互に何度も見ながら
進行するのだ。
これにより上下左右感覚の消失を防げる。
それを知らないからか、時々、トンネル
の中で横の側面にタイヤを接触させて転倒
してしまう二輪事故の動画が動画サイトに
は何件か上がっている。
あれは、下手とか居眠りとかではなく、
本人が上下左右感覚が消失して走行ライン
が不明になり、目つむり運転と同じ事に
なったのだろうと思う。三半規管が機能
しなくなるような。
逆立ちしたままコーナリングなどはでき
ないので、二輪車ではいくら車体や身体
が傾こうとも、頭部はできるだけ垂直を
保つようにするのが人体の構造からくる
絶対条件だ。
これも三半規管の正常な働きを妨げない
為の措置だ。ライディングの基本。
 
だが、雪山のホワイトアウトではなく、
四輪車運転中にホワイトアウトになり
かけた
経験が私にはある。
それは仕事で九州からの帰り道の高速
道路で、ゲリラ降雪となり、前方が10
メートルも見えなくなった。
多くの高速走行中の車両は時速10km/h
以下に減速してドゆっくりと進んだ。
それでも、前の車両のテールランプが見え
なくなると、不思議な現象が起きた。
まるで宇宙遊泳をしているかのように、
重力を感じなくなり、上も下も右も左も
分からなくなったのだ。山口県内で。
極めて超低速で次の出口まで進むが、
あ!と気づくと真っ直ぐに進んでおらず、
ガードレールに向かっていたりして、かろ
うじて超低速の為避ける事ができた。
ほうほうのていで出口まで辿り着いたら、
案の定、本線は緊急閉鎖となっていた。
その案内の職員さえ跳ねそうになった。
時速5キロくらいで。
無事、後続車から追突されず、また、自分
も追突せずに下道に下りる事ができた。
下道は下道で、これまたそこは雪国だっ
た、というような状態だ。
結果、福岡から広島まで一日では帰りつ
けずに一泊することになったが、これま
たホテルも旅館も急遽満杯でどこも泊まれ
ない。ようやく一部屋見つけて宿泊して
難を逃れた。これが北海道や広島県北な
らば、戸外車中泊などしたら、車が雪に
埋もれて死亡する。
 
さて、私とイトコ、17才と18才の四輪車
冒険走行となる地図の無い深夜のオリエ
テーリングでは、不思議な事に、
それ
を開始した地点に知らないうち
戻った。
二人とも大いに驚いた。
「え?!」となった。
まるで真夏のミステリーのようだった。
映画『野性の証明』で、陸上自衛隊が
山中で迷うが、元特殊部隊員の味沢が
そっと刑事に指摘したように「迷ったの
ではない。迷わされているんだ」という
ような、その感覚がした。
 
実は、迷路を脱出する方法はある。
それは、相当な時間はかかるが、例えば
壁のある迷路ならば、ずっと右に右にと
右壁を辿れば絶対に外に出られる。
いわゆるビデオゲームのパックマン状態
になるのだが、それをすればかなり時間
はかかるが確実に迷路からは脱出できる。
これは物理的に。
だが、現実ではそれをできないので迷う。
 
イトコとの野外走行においては、それを
やらずに、適当に右!左!直進!とやった
のだが、6時間かけて気づくと全くの偶然
で元の地点に戻っていた。
「うっひゃー!
気味わりー。帰んべ」
と互いに言って帰宅する事にした。
まだコンビニも深夜営業のファストフード
店もなかった時代の事だ。
街道まで出て、自動販売機コーナーで休
んだ。
今では、その街道沿いの無人自動販売機
設置所自体が無い。
ネット番組などでは、そうした複数の自動
販売機群が設置されているガラパゴス的な
場所を巡り歩く旅という企画もあり、人気
を博しているようだ。
そうした自販機コーナーは、70年代には、
夜にはマルソーの小僧たちの溜まり場に
なっていた。
そこでいわゆるうんこ座りをして、少年
たちは屯してタバコを吸っている。
自販機には自動で温まるホットドッグなど
もあり、なかなか美味かった。
よくゴキブリの巣になっているとかも都市
伝説的に言われたが、自販機の食品は
きち
んとパッキングされていので
心配はな
い。
 
深夜のオリエンテーリング。
地図なき旅。
なかなか、ちょいとしたスリルはあった。
深夜の山中のように危険ではない。
だが、人に連絡を取りたくも、公衆電話
がある場所を探さないとならない時代な
ので、現代人からしたら別な意味での不安
感を覚えるかも知れない。
しかし、そうした類の擬似体験は野外の
キャンプで現代でも堪能できる。
できるだけ、可能な限り、キャンプでは
電気を使わないようにするのだ。
キャンプ場でスマホ眺めっきり、などと
いうのはとても時間がもったいない。
そして、原始の原初、ナイフをキャンプ
では使う。
なぜ使うか。ハサミを使えば簡単なのに。
しかし、ナイフなのだ。
そこには、人間が失ってはいけない大切
なものを忘れないという大きな意味があ
るからだ。
君よ、野性を忘却するなかれ。

方位感覚と方向音痴

2021年07月21日 | open


星や月の位置から自分の現在位置と方位を
知るのは航海の基本だった。
陸(おか)にあっては、野山では地図とコン
パスさえあれば、人は己の位置と進む方角
を判断できる。判断できない者は野生動物
のいる野外では死ぬ。
街中にあって、徒歩もしくは車両で移動す
る者は、標識や景色によって自分の場所と
進むべき場所や方角を認知する。それが
できない者は目的地にたどり着けない。
「方向音痴」とされる人も自分がどこに
いるのか認知できない為に進むべき方向
が分からなくなる。方位方角だけでなく、
景色の中の目印を見定めて位置を的確に
判断して進行方向を決定する事ができな
いケースも発生したりする。
「方向音痴」が重度になると、一度行った
事がある場所にもたどりつけない。街の
風景が迷路のようで、どこをどう進んで
いるのか皆目分からなくなったりする。

しかし、方向音痴は訓練で克服できるら
い。


【公式】松平健「マツケンマハラジャ」 MV

2021年07月21日 | open

【公式】松平健「マツケンマハラジャ」 MV

♪カレーじゃカレーじゃ
♪カレーじゃカレーじゃ

ツボにハマった(笑)。
シュールだわぁ。
このまさに俺の世代の映像設定(笑)。
この時代、窓にサッシは存在しなかった

けどね。ビルでもガラガラの鉄製枠だし、
民家は全部木製窓枠だ。

しかしなぜ、あの昭和30年代、子ども
たちは
カレーが大好きだったのだろう。
それはもう、カレーはご馳走でした。