Knife Making
Brass Titanium Frame Lock Folder
できる!
ただし、こちらは日本国内ではあかん
やつ。
「あいくち」に相当するので、登録証
がある日本刀以外でこの形状、この無
鍔の拵だと銃刀法違反になる。
Knife Making - Hidden Bokuto Knife
この形の刃物は、日本では携帯ではなく
所持そのものが禁止。刀身形状は製法は
どうあれ日本刀となるため、ナイフとは
見做されない。
それの無鍔の短刀は長さに関係なく
「あいくち」となる。ドスなどのつるん
とした塗り鞘も「あいくち」となる。
唯一白鞘は保管用であるので「あいくち」
規定からは外れる為、ヤクザがよく白鞘
で殴り込みに臨むが、白鞘(しらさや/
しろざや)は接着剤ではなくソクイと
いう米を練った物で張り合わせていて
即割れるように作ってあるので、ヤクザ
映画のように白鞘で斬り合いなどはでき
ない。あれは創作の非現実的なナン
チャッテだ。
補完用の白鞘納めの15センチ未満の
日本刀形状の合法刃物であっても、持ち
歩いたら銃刀法や軽犯罪法に抵触する。
正当な理由なき刃物の携帯はなんぴと
たりとも業務等で認められている以外
では許可されていない。
刃物携帯を理由に逮捕しようとしたら、
現場警察官の裁量で、たとえ刃渡りが
1センチのレターオープン用カッター
ナイフだろうと軽犯違反で身柄を逮捕
拘束できる。
銃刀法と軽犯罪法の刃物の条項の運用
実態は、国民はよく知っておいたほうが
よい。
釣りの帰りに、梱包もせずに道具入れの
中に工具ナイフを無造作に入れていたり、
コンソールボックスにナイフをそのまま
入れていたら、職質を受けたら即逮捕
案件だ。
そんなんおかしいやないか、などという
子どものような言いがかりは警察官には
通用しない。
刃物ユーザーは、心得よう。法規制と
取り締まりの現実を。
昨日の地元の峠の午後1時。
後方に点になる。
心が病んでるのではなかろうか。
作った自作木刀。
作り。
ではない体捌きを習得するた
めの形(かた)稽古用の木刀だ。
プト。
刀法を用いれば、確実にこの木
刀で相手の腕の骨や鎖骨は骨折
させられる。
では済まない。
刀法の違いは確実に存在する。
ただけの畳表が切断できるの
か、という事だ。
絶対に切れない。
者かどうかをまず最大限に武
人は警戒する。
知る」からだ。
これを用いて土佐英信流太刀打
之位や日本剣道形やその他組太
刀の体捌きを稽古してきた。
術であるので、絶対に体の捌き、
こなしの稽古は外せない。
切先は二天一流の木刀に見ら
れる古流系の形状仕上げ。
実はめちゃくちゃ使い込んで
いるので、左手の手のかかる
部分が摩耗している事が判る。
決して握り締めず、ふわりと
擦り減って来る。そして、真
剣日本刀ならば、柄糸がボロ
ボロになってくる。
抜き付け、切り付けの手の様態。
わが流では、決して指で鍔を支え
たりはしない。自由自在の運刀を
阻害するからだ。真剣刀法では、
そのような手は使わない。刀の縁
金具が指で擦れて色ハゲになる事
もない。
は差料を一瞥すれば即判る。金
具がテカっているようなのは手
の内ガチガチである事は確実な
ので、立ち合いの剣戟での戦闘
になってもまず遅れは取らない。
て即判る。
同門の道場の後輩の斬鉄剣康宏。
昨日、岡山県倉敷市の人から地元の
土地の呼び方を教わった。
たとえば、倉敷市玉島などでは「玉島」
と呼び、「倉敷」とは言わないらしい。
「水島」もそうで、その小エリアの
呼称で呼ぶのだという。
「倉敷」というのは倉敷駅周辺のごく
狭いエリアのことを指すのだそうだ。
岡山県は「~島」という地名が多いが、
これは読んで字のごとく、かつて江戸期
以前には海だった場所だからだ。現在も
実に島地名が多く残っている。
地名の小エリア呼びの風習は広島県三原
市にも残存している。
「三原」というのは狭義においては
三原城下町のみを指す。
つい先年の平成の大合併まで三原市本郷町
などは郡部だったので「三原」という感覚
は今でも地元の人たちには希薄な事が三原
に住んでいるとよく解る。また、三原市の
農村地帯である「納所(のうそ)」という
地区は三原市内であってもやはり「三原」
とは地元の人たちは捉えていない。ノウソ
と呼ぶ。
これは小エリアごとの呼称での識別化の
意識の表れだろう。
なんとな~くだが、こうした呼称の小エリア
分けの感覚はわかるような気がする。
新宿区内でも「新宿に帰る」とは呼ばない。
馬場町に帰るとか、早稲田に戻るとか、
落合まで行くとか言う。
そりゃ考えたらそうだ。そうしたピンポイント
的に場所を限定して指して言う。
「お前さんどこの生まれ?」と尋ねられて
「目黒」とは言わない。中目とか上目(かみめ)
とか言う。「おれ、むさこ(武蔵小山)」と
かさ(笑)。むさこというのは川崎市の武蔵
小杉もそう呼ぶのでややこしいけど。
ただ、大別すると都内は「下町と山の手」と
いうような分け方しか特性を表象するもの
は無い。二つのみ。気質も江戸朱引内と
江戸圏外の在のど田舎(世田谷・杉並・
板橋・練馬等)ではまるで異なる。
また、本来の山の手は新宿区四谷あたり
や文京区のあたりの旗本屋敷街を言った
のだが、現在では山手線外の在の区部を
指して呼称している。
なので世田谷あたりの在の住人が勘違い
して「たくはハイソな山の手ざぁます」
とか唐変木をやらかしている。
こいつぁ、葛飾柴又の生まれが江戸っ子
ぶるくらいに珍妙なこった。
しかし、地方のほうは、小エリアごとの
コミュニティでそれぞれ独自性というか
独立した土地柄が明らかに存在している
事が地方に住むとよく判る。これはもう
明確に。
その小エリアの特性と各々の異質性が極端
になると、同じ町内でも丁目で異なると
いうような現象が現実にある。
丁ごとでそれなのだから、もう町(市町村
制度の町ではなく市内の町)となると
まるで土地柄や人柄が異なる、という現象
が地方には確実に存在している。
そして地方では差別意識も根強い。
「あれはどこどこ町のもんじゃけえ」と
言って格下に見下したりを多くやって
いる現象を非常に多方面で散見する。
これは東京から転住してその現実にかなり
驚いた。
ただ、そうしたことが存在するのは事実で
あるので、その事実は否定のしようがない。
大切なのは、その事実を真正面から捉えて
「ではどうしたほうが人の世としては
いいの?」と自問する事だ。
存在する現実から目を逸らして、手前味噌
の自己美化、地元贔屓意識を発動させて
いる限り、そうした地域的な差別意識は
絶対に消滅しない。
ところで、最近の道路事情の傾向としては、
旧来の古い国道が名称変更してけた数が
多い新国道ナンバーに変更になっている
事が多い。
三原市内だと国道2号線が国道185号線と
なり、人が歩けない国道バイパスが国道
2号線となった。
岡山県倉敷市玉島付近でも同様の事象が
見られ、国道2号線がなんだか国道429号
などというとんでもないでけえ数字の
国道になってしまった。
学生の時に原付で延々と横浜から三原まで
走ったのは国道1号線と2号線だが、玉島
付近は多少様変わりしたとはいえ、景色
の雰囲気は覚えている。景観は変われど
景色の色は変わらない。場が醸し出す空気
は変わらない。
この玉島のあたりは、走っていて爽快
だった。真夜中だったけど。
その頃、なんかまだ国道2号と看板が出て
いたような記憶があるよ。
ハマから三原まで原付下道で23時間だった。
まあ、なんてのか検挙されたら免許12点
加点コースの巡行速度。
そんなことばっかやってから免許無くなる
んだけどさ。
もう40年程前の事だ。
そういえば、倉敷バイパスが完成したのが
1981年とのことだ。出たばかりのRZ350を
買った年だ。
通過するだけだったが、生まれて初めて
岡山県の道路に足を踏み入れたがその頃
だった。
その後、岡山県に電車から下りて生まれて
初めて足で歩いたのは1997年だった。
私は37才の時に初めて岡山県の地を踏んだ
事になる。
生まれて初めて岡山県に行ったその日に
仕事で車で移動したが、備中国分寺界隈
の風景がまるで絵葉書のようで心が奪わ
れた。うわぁ!となった。
その後仕事でも通り、今でも時々プライ
ベートでも通るが、あのあたりの景色は
春先が最高よ。菜の花が咲く頃。
中国地区は風光明媚な場所が沢山あるが、
備中国分寺のあたりは中国地区で一番
美しい場所のように感じた。
なんというか奈良の明日香斑鳩(いかるが)
に雰囲気が似ているのよね。
私の日記を読んだ大工さんの友人が
連絡くれた。
床は地べたと隙間を設けないとだめ
よ、と。床材が腐るそうだ。
いろんなやり方や材料を教えてくれた。
今ちょうど学校の床張り仕事をして
いるらしい(笑)。
数聞いて驚いた。私立大附属の学校の
校舎だから半端ない床面積。
大変だよな、そりゃあ。