渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

自転車本 原動機付

2021年07月19日 | open


わははは!
学生時代の友人が言うように、読んでて
面白えや。懐かしい。
てか、資料としてもこりゃ保存版だ。
内容もいい!

カワサキのAR50はコンセプトとしては、
スズキガンマ250よりも先に出たレーサー
レプリカだった。史上初のレーサーイメー
ジモデル。





うーむ。懐かしい。
これは名古屋。セカンドバイクでこれを
買ったその足で横浜から広島まで走った。
川崎のバイク屋からの直行。
広島まで行って、数日滞在して、グリーン
ラインとかそこらの峠を毎日走り回って
横浜に帰還。


こちらは、スクーターが斜陽化する中、
80年代に2スト消滅にストップをかけて
ヤマハがRZを出してバイクブームを作った
のと同じ二発目の復活ルネッサンス二輪。
このヤマハビーノのレトロスタイルの登場
によって、消えかけていたスクーター人気
を再燃させた。1997年登場。
ヤマハはやる。

今でも現役という強靭な心臓を持つ。
吸気周りのゴム製品やサス等は新品に交換
してある。クランクはまだ生きている。


聖子ちゃんでさえ原付乗って撮影したり
してたのが80年代。原付の普及こそが、
80年代バイクブームの市場の下支えをし
た。
キョンキョンなんて、プライベートでも
赤いスクーター乗ってたもんなあ。原宿
あたりで。


今、原付50と原付2種の黄色ナンバー二輪
が死滅しかけている。
随時、電気駆動車に替わるのだろう。

モータースポーツ 〜ロードレース〜

2021年07月19日 | open


モーターサイクルロードレース界において
最も偉大な二人。
ジャコモ・アゴスティーニとバレンティー
ノ・ロッシ。いずれもイタリア人。
アゴスティーニは世界選手権で15度世界
チャンピオンを獲得、通算優勝回数は122
回。
その内訳は350ccクラスで優勝54回の世界
チャンピオン7回。500ccクラスで優勝68
回の世界チャンピオン8回。
ロッシは現在のところ、地球上で唯一、
全クラスのチャンピオンになった人間だ。
125ccクラスで優勝12回の世界チャンピ
オン1回、250ccクラスで優勝14回の世界
チャンピオン1回、500ccクラスで優勝13
回の世界チャンピオン1回、MotoGPクラス
で優勝89回の世界チャンピオン6回の記録
を持つ。

ロッシは優勝回数は不世出の王者アゴス
ティーニの122回を抜く128回だ。
だが、アゴスティーニの世界チャンピオン
15回に対しロッシは9回の世界チャンピオ
ン獲得にとどまっている。
これはダブルエントリーが認められなく
なったレギュレーションの変更も大きく
影響している。
ダブルエントリーが認められていた時代に
は、片山敬済が350で世界チャンピオンに
なり250で世界2位の時もあった。米国人
のフレディ・スペンサーなどは記録最後
250と500でのダブル世界チャンピオン
1985年に決めている。今はルール上、
不能となった。
1985年の特に250でのフレディの速さは
圧倒的で、レース開始後1周目で後続を突
き放して単独走行でゴールという展開が
目立った。混戦バトルが常であった250
クラスでそれであり、なんだかフレディの
準ワークスマシンだけ350ccなのではと
思える程の超速だった。

ロッシとアゴスティーニのチャンピオン
数の違いをどう見るか。
アゴの時代は、85年の250のスペンサー
のように「アゴスティーニとその他大勢」
というレース内容だった事が窺える。
つまり、「圧倒的」であったのだ。
プロ野球選手が小学生草野球と対戦する
程以上に。
プロ野球でも、昔と今は運用方法が違う
ので、かつてのような20勝投手が何人も
いるという状況は現代では存在しなくな
った。金田正一のような400勝記録など
はもう生まれない。

ジャコモ・アゴスティーニとバレンティー
ノ・ロッシ。
この二人の偉業は、おいそれと誰でも真似
できるものではない。
彼らの業績は、どう転んで見ても、超人的
なのだ。
偉大なるスポーツマンの二人なのである。

スポーツは記録こそが大切だ。
記録よりも記憶に残る試合を、などという
ファンタジーは存在できない。
スポーツは記録こそ全て、記録があれば
こそ人々の歴史に記憶が刻まれるのだ。
記録は別名レコードという。
世に残るレコードは、音楽レコードのよう
に量産はできない。一品物だ。
それを誂える体現者になる事を全てのアス
リートたるスポーツ選手は目指している。
もはや、それは遊びではない。
「巨人の星」や「アタックナンバーワン」
のように、本気で命をかけてやっている。
アスリートとしてのスポーツ選手は全員
がそれだ。
本気で真剣に身命を賭してやる。
だからそれを観る観客にも感動を呼ぶ。
おざなりの歌詠みや蹴鞠や物見遊山の行楽
では人は感涙を流さない。
自らが血と汗と涙にまみれるスポーツだ
からこそ、観る人は心が揺さぶられる。
こればかりは、どんなに時代が変わろうと
も、絶対不動だ。
それがスポーツ。

技法の先駆者

2021年07月19日 | open


日本の歴史の中で最高の天才ライダー
伊藤史朗(1939年-1991年)。
彼は50年代、浅間ロードレースに16才で
優勝し、その後、BMWの世界チャンピオン
マシンに乗るBMW専属ライダーとなった。
翌年1961年からヤマハワークスライダー
として世界グランプリに参戦し、優勝を
含む世界レベルの速さを見せて世界3位に
なった。

その伊藤史朗(ふみお)は、60年前の1960
年代初頭の時に、既にイン側の膝を開く
バランス取りのハングフォーム走法の原型
を見せている。
膝を路面に擦って走る走法を発明したの
はフィンランド人でヤマハワークスライ
ダーの1972年度250ccクラスチャンピオン
のヤーノ・サーリネンだ。
ハングスタイルでの膝擦りを完成させた
のは同じくヤマハワークスの世界チャン
ピオンのアメリカ人、ケニー・ロバーツ
である。ケニーはキングと呼ばれる程の
絶対不動の強さを見せた。

ヤマハだけでなくロードレースの三大偉人
はイタリアのジャコモ・アゴスティーニ、
ロバーツ、サーリネンだ。さらに英国人
のサーの称号を持つバリー・シーンがそ
れに加わるが、バリーも一時期はヤマハ
のワークスライダーだった。

そして、絶対に忘れてはいけない。
知らないならば、世界のモーターサイクル
の歴史を正しく認識するために、知らな
ればならない。
歴史上、世界最高峰の日本人ライダーは
伊藤史朗という男であった事を。

なんか、俺が子どもの頃、テッポ持って
て伊藤さん逮捕されてた。芸能人や相撲
取りたちがみんな一人一丁ピストルをと
いう流行りで拳銃を所持していた頃。
それまでは拳銃取り締まりはゆっるゆる
で、警視庁は映画撮影に実銃拳銃を映画
会社に貸し出しまでしていた。日活映画
では多くの実銃拳銃が使われている事が
作品映像に残っている。
銃刀法制定と日韓条約締結の頃から急激
に規制が厳しくなり、警察は掌返しで銃器
を厳重に取り締まるようになった。
結果、拳銃は地下物件となり、裏社会の
人間たちと国家権力だけの物となった。
戦前、日本では国民であれば誰でも自由に
銃砲店で拳銃は購入できた。
戦後の日本の拳銃狩りは敗戦国としての
武器狩りである。
ピストルは現在の麻薬のように悪魔の物品
のように扱われているので勘違いしやすい
が、銃器と刀剣は本来人民が所持して然る
べき物なのだ。
それらを独占しようとするには、その意図
がある。
武器自体は単なる物でしかない。また、
悪魔の持ち物でもない。ゴリアテを倒した
ダビデ(英語名デビッド)の石一つでも立派
な武器だ。
騙されてエセ平和主義者のような捉え違い
をしてはいけない。物ではない。問題は
人なのだ。洗脳されて騙されていると、
それが見えくなってくる。
最近では文房具のカッターナイフが危険
な武器としてフレームアップされて扱わ
れているようだ。
これらの趨勢を見れば、時代によりある
作為によって価値観がねつ造されて来た
事の積み重ねである事が明白になるだろ
う。
過去の歴史を正確に見るという事は、人々
暮らしの未来を見るという事に繋がる。
ただ、現行の法規は遵守する必要がある。

世界一速い二輪乗りの日本人伊藤史朗。
素行は健全ではなかった。
モーターレースがまだ健全なスポーツと
しては育ち切れていない未成熟な時代の
寵児だった。


いつ菅総理は太陽だったのか

2021年07月19日 | open












自民党の体たらくは周知の事実だから、
もうどうでもよい。
菅はいつ太陽だったんだ?
おバカな駄文を書く女だ。
最後の段に至っては、陳腐過ぎて茶を
噴いた。

猫の手

2021年07月19日 | open


人がトイレに入ると、必ず隙間から手を
出してもぞもぞするうちの猫。

猫の手を借りたい時はこれ。


ここんちにも可愛い猫がいる。
猫の行動範囲は半径500m程なので、敷地
から出ることはないのではなかろうか(笑

梅雨のない土地。
雪はしこたまある。
グリズリーもいる。


北のニンニク

2021年07月19日 | open


北の大地では、今、ニンニクが育っている
らしい。


このニンニク、どさんこトマトと同じで
すんげでげえの。
しかも、かなり美味い。



朝焼け

2021年07月19日 | open

朝4時48分。
朝焼けだ。
きょうの三原市の日の出は5時8分。

暁は暗き夜空から夜明けまでの頃。
東雲(しののめ)は東の空が明るくなる頃。
曙(あけぼの)は日の出の手前。
有明(ありあけ)は明け方全般。
朝朗け(あさぼらけ)はほのぼのとした夜明け。
朝朗けだけ価値観が入る表現だ。

さて今は?
広義には有明、あさぼらけ。
狭義には曙だろう。
曙強かったなあ。
ちなみにコニシキとは王の事(笑

瀬戸内海の曙。