ABURAYAの前の交差点でカワサキを
そっといだくコオ。
「映像の冒険者(アドベンチャー)」。
ダッサ。
1986年当時でも、1970年チックな
その台詞回しやコピーがダサ過ぎ
という感覚はタイムリーにあった。
本作品に流れるテイストは、これは
『不良番長』シリーズの感覚だ。
1986年当時でも、時流からあまり
にかけ離れた映像感覚にかなりの
違和感を感じた。
これは、大林監督だけでなく、角川
春樹自身の感覚がそれだった。
『野生の証明』は非常に良かった。
近未来の軍事国家への変転を予感さ
せる見事な作り込みとなっていた。
しかし、角川春樹が初めてメガホン
を取った『汚れた英雄』(1982年)で
は、全日本選手権ロードレースにお
いて、まるでパレードのようにとっ
つぁんハーレーたちをSUGOのコー
スで行進させた。
あり得ない。ロードレースの場に
あのとっつぁんハーレー軍団。
その「バイクならハーレー」という
角川の前時代的なズレた感覚は、
1982年当時のバイクブームの始ま
りの頃にはあまりにも当時の時
代感覚とかけ離れていた。
そして、そのライオンズクラブ的
発想の表現描写は、エキストラで
参加した各レーシングチームから
も物笑いとなっていた様子や表情
が映像に映ってしまっている。
角川春樹はオートバイにさえ乗れ
ないのに、500ccの2ストGPマシン
に乗せろとわがままを言い出した。
製作者なので絶対君主だ。映画の
世界はそう。ヤマハもやむなく貸
し出した。
そして、腕あるライダーでさえ専門
のレーシングライダーでないと直線
さえまともに走らせられないモンス
ターと呼ばれるGP500マシンで走り
出した。
1コーナー手前で死亡事故寸前に
なる程にすっ転んだ。マシンは
もんどりうって大破で廃車。ワー
クスマシンだったならば、5億円が
パァというような事故だった。
後日、全身包帯だらけの角川春樹
は記者からの取材を受け、これ程
本気で撮った映画なのだとアピール
してた。
レースの世界を舐めすぎ。
主人公北野晶夫の吹き替え走行は
まだプライベーターで成長著しい
平忠彦選手が演じた。
しかし、バイクに乗れる草刈正雄
も実際にTZ500を走らせて、カメラ
をフロントに搭載して顔のアップ
を撮影している。
速度は激遅だが、草刈正雄の走行
シーンは本編でも使われていて、
編集により、平選手との違和感が
ないように仕立てられていた。
映画『彼のオートバイ.彼女の島』の
ブルーレイには、ボーナストラック
は劇場版の予告編しか入っていない。
これはですね、大林監督が亡くなる
前に撮影秘話を話しているインタ
ビューが収録されているDVD版の
ほうがお得。
またもや、くっそダセえキャッチ
コピー!
「僕のバイクグラフティ」だって。
これ、この1986年の時代に「う〜ん、
マンダム」がカッコいいと思う
くらいダサいぞ。
ここでも、映画の原題が変更に
なっている。ドット無し表記だ。
つまり、結構テケトン。
この岩子島小学校は現在は廃校だ。
この撮影場所の坂の先にあった寺
も現在は廃寺となっている。
ここは橋本コオの住むアパートの
前の坂。
コオはいつしかミーヨと同棲する
ようになっていた。
しかし、限定解除(当時はナナハン
免許と呼ばれていた)を取りたい
ミーヨだったが、コオはなかなか
認めない。
そんな中、コオが不在の時にミーヨ
がコオのカワサキW650を勝手に
乗ってしまった。
無免許運転、ではなく条件違反だ。
ミーヨは自動二輪免許は持っている。
1975年から1996年までの二輪の免
許区分は、原付、小型二輪、自動
二輪だ。
自動二輪には400cc以下の限定付と
限定無しの二種類だった。限定付
のいわゆる中型免許(そういう正式
名称は無い)でナナハンを乗るのは
無免許運転ではなく、条件違反で
違反点数は2点加点だった。
1996年以後は普通二輪免許と大型
二輪免許は別な種類の免許なので、
普通二輪取得者が大型二輪を運転
したら無免許運転となる。96年以
前は中型も大型も同じ自動二輪免
許だった。
現在のような免許種別でマウント
を取る史上最低の低脳人間などは
自動二輪免許時代には存在しなか
った。限定解除者は難関を突破し
た者であり、彼らは限定付自動
二輪免許保持者を見下したりは
絶対にしなかったし、今もしない。
金で買える大型免許が登場してか
ら、大型免許を持っていれば偉い
かのようなドカンチの連中が登場
した。
トラック免許持ってたら普通四輪
免許者を馬鹿にする?しないで
しょうよ、トラックドライバーは。
二輪に乗ってる現代人は、やはり
頭がよくないのが雨後の筍のよう
に増えているという事なのだろう。
たぶんだが、大型二輪免許保持者
で普通二輪免許保持者を見下し
てるような層は「新参者」か
と思われる。
なぜなら、限定解除者たちは一切
見下さないからだ。これは今でも。
やたら人を見下して優越感に浸り
たいのが今の二輪乗りには多いよ
うだが、それは実は何らかのコン
プレックスの裏返しであり、「お
里が知れる」というやつなの
かもしれない。
昨今の世の中の傾向。
陰湿で性格が悪い奴らがやたらと
目立って来た。
スカッと爽やかな連中が少ない。
特に、いつまでも過去記事をほじ
くり返してネットに貼り付け
て人を揶揄中傷して喜んでる
奴、そこに群れて騒いでる奴、
全員クズだ。
しかも、それが犯罪であるとかい
う意識さえ無い。
つまり、根っから人的質性が下劣
なわけ。
場所柄にもよるのだろうけどね。
しかし、全国的にカスが非常に多
くなってきた。
カスの存在を認める世の中なんだ
ろね。犯罪者野放し、というような。
竹内力は当時自動二輪免許を持って
ただけに、さすがに乗り方も上
手い。
本編でも吹き替え無しだ。
ミーヨ役の新人原田貴和子は原付
しか持っていないので、ほぼ全編
吹き替え。たぶん堀ヒロコさん
の吹き替え。乗り方の癖を見て
いる限りそうだ。私と同い年の
小沼賀代子ではない。(小沼は
FISCOでは私より速かった)
この作品、撮影は1985年ですね。
設定は写真年月では1986年4月に
なっている。
公開は1986年4月ゴールデンウィー
クだった。
タイムリーに公開当時の「今」が
設定となっているが、これにはパ
ラドックスがある。
なぜならば、主人公のコオが昔を
回想するナレーションで構成され
ているからだ。
もう何十年も昔の事を思い出すか
のような設定で。
つまり、1986年の公開当時を描い
ているのだが、それはまだ見ぬ未
来から見た過去の1986年として描
写されているのである。
多分、そのナレーションで語る
「僕」の時代は、21世紀の今頃
なのではなかろうか。35年後
のちょうど今頃。
タイムスリップの隠し味。
作品技法としての大林節だろう。