渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

キャンプ

2021年07月07日 | open
 
結局、私が物心ついてからのキャンプへ
憧憬というのはこれなんだよね。
決して北欧系でも、ブリティシュな育ち
の良い寄宿校の教育キャンプでもない。
北米の西部開拓時代の牛追いの牧童たち
ウルトラ長距離走のやむにやまれぬ野営
なんだよ、憧れは。


でも、彼らは趣味でやっていたのではな
い。仕事だ。生きる為に働き、働く為に
生きていた。真面目な生き方だと思う。


仕事で、何千頭という牛を引き連れて、
何千キロという道のりを数ヶ月かけて
移動させる。それはキャトルドライブ
と呼ばれた。


牛追いのカウボーイに憧れた事も、西部
開拓団の農民たちにも憧れた事はない。
そうではなく、彼らのやってきた現実の
実績に言い知れない敬意を抱くのだ。
医者も病院も無い荒れ果てた荒野をずっ
と進んだんだよ。彼らは。
蛇に噛まれたらもうおしまい、骨折しても
それでサヨナラの世界で。
そこにそこ、我らせせこましい日本人に
は逆立ちしても理解できない、彼ら独自
の骨太の意気地がある。
そこに私は敬意を抱く。
キャトルドライブの牛追いのカウボーイ
にしろ、西部開拓団にしろ、何ヶ月もずっ
と野営を続けながら移動していたのだか
ら。
 
今の時代の日本でそれは真似しようにも
非現実的過ぎるが、せめて、その彼らの
心根に少しでも近づきたい、彼らの気持
ちを理解したい、てのが私の中にはある。 
だからこそ、私が求めるキャンプは、ワイ
ルド・ウエスト・エラの彼ら西部開拓
たちのキャンプの真髄に近寄ろうとする
ものになってくる。
当然、グランピングなどとは対極になって
くる。
一番近いのがブッシュクラフトという事に
なるのは、至極当然の帰結なんだよなあ。

それでも、日本では自由民権運動の時代に
北米では法治がまだいきとどいてなかった
のだから、日本のほうがずっと「先進国」
だった。実相としては。英米西欧の民主
主義を真似していた日本のほうが、実態
としては北米よりも進んでいた。
ただ、日本では自由民権運動の壮士たち
も、元をただせば士族であるので、一部
の人たちしかご政道の在り方について
社会意識を持ってはいなかった、という
「立ち遅れ」は日本にはあった。
米国などは、まがりなりにも「市民の
市民による市民の為の政治」を目指そう
としていた。そこらあたりが日本の自由
民権運動とは位相を異にする面がある。
日本では酒場で銃撃戦や、保安官が
町の牛囲いで一方的に対立者グループ
を有無を言わさず射殺(OKコラル)と
かは無かったが、自ら血を流して社会を
作る、という経験を日本人全体はやろう
とはしない。戊辰戦争も明治維新もあれ
は武士たちがやった事であって、欧米
のように自ら起ち上って克ち取った世の
中ではない、日本は。
そこなのよね。
米国人が野蛮なワイルドウエストの時代
があったにせよ、やるなぁと思うのは、
「自分たちで切り拓いて国を建設した」
という点だ。英国からの独立では、英国
相手に戦争して独立して国を作ったわけ
だし。
日本人の「大衆」は、いつの時代でも、
おんぶに抱っこだ。結局はご政道などは
他人事。
欧米とのこの自立独立自尊意識の違いは
かなり大きい。
日本にはいつまで経っても、真の民主主義
が育たない訳だよ。

てことで、とりあえず、火を焚く。
自分で焚く。自分だけてめえ勝手では
なく、仲間と共に使う為に焚く。
そこからだよな。大切な事を学ぶのは。

もしも

2021年07月07日 | open
 
あくまで、もしも、だが。
もしも、私が140年前のアメリカ合衆国
の西部に生きていたとしたら。
果たして、.45口径を選んでいただろうか。
多分だが、コルトSAAは、44-40弾のフロ
ンティア・シッス・シューターを選んで
いたのではなかろうか。
理由は一つ。
ウィンチェスターM1873と同一カートリッ
ヂだからだ。
拳銃とライフルが同じ弾薬であるという
ことは、どれだけ便利だった事か。
 

英国スタンダード

2021年07月07日 | open


乗り屋仲間は、ぼっこしといける奴と、
まるで飲まない奴の二つにきっぱり分か
れる。
飲まない奴は、元々受け付けない体質の
人と、べらぼうに飲んでたのに自分に律
を課して一切飲まない奴に分かれる。

で、ぼっこし飲む奴がさっき言ってた。
これが最近気に入ってる、と。
英国で一番飲まれてるスコッチらしい。
松竹梅みたいなもんか?
でも、最近、日本酒は大メーカーの量産
日本酒ではなく、マイナー銘柄が流行り
らしくて、大きな蔵元のはあまり常飲で
は見かけない。
昔は花見などではワンカップ大関とか、
定番だったけどなあ。

酒というのは不思議なもので、金額関係
ない。
酒好き(ドランカーではなく)で、金額の
高低で種類を選ぶ馬鹿はいない。
ウマいから飲む。
たまたま高かったり、安かったりするだけ
で、本当の酒好きは、金額の高低では酒を
選ばない。
お馬鹿な夜の街スーホト系や赤坂のちゃん
ねーボトル入ります系じゃないんだから。

日本には日本酒という文化モノがある。
これ、結構、世界文化の中では重要で、
国の名前が付く酒の種類があるというの
は、それは長い酒造の歴史があるという
ことを示している。
英国圏はスコッチだし、ヨーロッパなら
ワインだ。
米国はとうもろこしからウイスキーを
発明したし、葡萄酒でブランデーなんて
もんを作った西洋人もいる。
そうした、その国独自の酒造の文化という
のは、人類史の中でやはり特筆ものだと
思う。
酒は良い。地球上、全世界にあるから。

ただ、飲めない人は飲んではならない。
そもそも、酒などは生物には不要な物だ。
生物には酒などを飲める機能は本来無い。
異物を排除する酵素の分泌が盛んな人類
のみが酒を飲めるのであって、酒が飲め
ないいわゆる下戸は、生物として極めて
まっとうなのだ。
飲める連中のほうがイレギュラーであるの
に、人間てのは馬鹿もんだから、酒が飲め
る人間は何か偉いかのような勘違いをして
いる文化が万国にある。
それ、違うから。
酒飲む生物がおかしいのであってね。
たとえ聖書に酒が出て来ていたとしても。
あれ、イェスが下戸だったら、酒は悪魔の
飲み物として、他の宗教のように忌避され
ていたと思うよ。

で、日本。
もうこれはロシア程でないにせよ、超古代
から酒好きな種族だ。
多分、稲作が発生した頃から列島の倭人
たちは酒を作って飲んでいた。
(渡来説には私は否定的。稲作は倭人文化
が原初的発祥に関与しているのではと思っ
ている。稲作は渡来した物ではなく、この
列島から本格的稲作の技法が半島大陸に
伝播したのではと)
神話を何らかの事実の神格化伝承譚とみる
ならば、天の岩戸でのヒャッハー乳出し
踊りの時も、あれは果たして飲酒無しで
やったのだろうか、と思う。

あの天の岩戸のくだりは、つい近年まで
の東京限定の春の花見のシーンだ。
とにかく、東京の花見は機動隊が出るほど
の乱痴気騒ぎをする。
私は20年ちょい前に広島県に転住して、
地元の人たちに花見に誘われて参加して
ぶったまげた。
まるで、平安歌詠み会のような清楚な桜
の花見だったのだ。
な、なにこれ?と仰天した。
聴くと、毎年そうなのだという。
ええーー!!!
だった。
東京では、上野公園も、洗足池公園も、
芝公園も、飛鳥山も、そこらぢゅうで
大騒ぎだ。あちこちで殴り合いも始まる。
洗足池などは隣りの自衛官のグループが
洗足池入り口のウルトラマンの2メートル
程ある像を失敬して来て、自分らの縄張り
のとこに立てていた。
隣りなので仲良くなって、一緒に大騒ぎ
だ。
そして、俺にいちゃもんつけて来た同じ
大学の奴はその場でスボコ血だるまにし
た。
そんなもんだ。
芝公園での花見でも、うちの上司の弁護士
にアヤつけて来たどっかのおっさんをスボ
コにした。
そんなもんだ。
当時、その頃、どっかの医師だったかが
ラジオで言ってた。
桜の色は人を常人から逸脱させる効力が
あり、それは、猿の尻の赤化と密接な関係
があると思われる、と。
それは知らないが、とにかく、東京の花見
はあちこちで殴り合いの喧嘩が起きてい
た。
江戸時代から、江戸では火事と喧嘩が江戸
の花であり、江戸者は、とかくやたらと
喧嘩した。
八方丸く収まるなんてのは江戸っ子は金輪
際ごめんこうむりましょうよ、そいつは。
そんなのぁ勘弁してくれろ、てやつだ。
この「勘弁してくれろ」は江戸特有の言い
回しの感覚なのだが、カッペはこれを
「ひれ伏した」とか勝手に勘違いする。
江戸っ子の「勘弁」は「まっぴらごめん
だ、このスットコドッコイめ」という意味
なのだ。誰がおめえに許しなんぞ乞うか
よ、このまぬけ!というやつなのだ。
江戸の勘弁は勘弁ではない。さらさらごめ
んなこったい、という意味だ。

ところが。
東京の花見が変質した。数年前。
鳴り物禁止。騒ぐの禁止となった。
目黒の碑文谷公園で花見が禁止になった
のは、うちの会社の東京生まれ育ちの取
締役たちが裸踊りをやったからだが、まあ
そうした江戸時代からのきっぷはもう否定
されるようなコンプライアンス世の中にな
ってしまった。
海の家でさえ音楽を流さないという実に
たわけた事をやらされている。
隣りのザーマスみたいな連中が日本を牛耳
りはじめた。うちの子に限ってとか、宅は
そうざます、みたいな連中に日本人がみん
ななろうとしている。

くそくらえなんだよ、そんなのは。
ろくすっぽ食事作法や日本人としての行儀
作法、礼法さえまともにできないナチャッ
の連中がこぞってそうしたコンプライ
ンスにっぽんを作ろうとしている。

くだらねえー。
花見で人殴りはよくはないが、今の日本
人、多くがみんななんだか檻の中の囚人
みたいだど。いや、まじで。
みんな、首の後ろに国家管理のバーコード
でも埋め込みたいの?
そのうち、そうなるだろうけど。

ヘブンヒルズのヘブンヒル

2021年07月07日 | open


カワサキカラーにほだされて買ってはみた
が。








なんじゃこりゃ。
うっす!ウスウス〜。
バーボンの水割り飲んでるみたい。
こりゃまるで西部開拓時代のサルーンの
安酒だ。
飲んだ事ないけど

ヘブンヒルズだからJ.T.S.ブラウンとボト
ルは一緒だけど、てんで違う。
なんてのか、やっぱ樽が違うと違うねえ。
落雷で火事になって、J.T.S.の原酒と樽
無くなっちまった。
嗚呼無常。

それでも、こいつが似合いそうな味では
ある。
マイ・フォーティファイヴ。


サーフィン

2021年07月07日 | open


湘南のサーファー。

ばりくそかっこいい。
実は私はサーフィンをまともにやった
がない。遊びでチョイノリした程度。
本気で本格的にやってみたことがない。
うちのMCメンバーにはバリものほんの
サーファーがいるのだが、真冬の2月だ
ろうと海に入る。ひょえ~(笑)。
それさぁ、1千キロ弾丸走行よりも根性
いるんじゃね?
でも、海の中のほうが温かいとか言って
た。なるほどそういうことなのね。

海のサーフィンでなく、雪のスノボの
ボーダーはうちのメンツでも結構いる。
イストラクタークラス(てか資格持ち)
で。
共通項は、バイクに乗るのが彼らは上手い。
あれ、バランス感覚なんでしょうかね。
驚いたのが、バランスボールの上に片足
上げて立っていられる奴がうちのメンバー
にいた事だ。
現役レーシングライダーなんだけどね(笑)。

サーフィンってのは、ハマると抜けられない
大きな魅力があるのだろうなぁ。
高校時代のクラスメートで、同じレーシング
チームにいて、国際Aになったあとにマン島
を走ってメディアのビデオを出してた奴が
いた。そいつはレースやめてからサーファー
になってる。かなり本格的な。
何年か前、久しぶりに電話で話した時、
「今なにやってんんの?」と尋ねたら、
「今サーファー」と答えていた。
いや、仕事は何してんのかと訊いたつもり
だったんだけどさ(笑)。
「あ、そう」とそのまま話をしたけど。

サーフィンはやるととても楽しそうだけど、
観てても楽しい。
瀬戸内海は素晴らしい海だが、唯一欠点が
ある。
それは本物のサーフィンができない事だ。
波が無いから。
ウィンドサーフィンはできるけど、波乗り
というサーフィンは瀬戸内海ではできない。

関東では茨城がメッカだが、湘南も交通の
便がいいのに良い波も来るので、湘南サー
フィンは盛んだ。
サーファーたちってね、ボード抱えて電車
でも通ったりしてるの。
湘南ならではかと思う。


七夕

2021年07月07日 | open



きょうは七夕じゃんかよっ。
神奈川県の湘南エリアで私は育った。
湘南藤沢と横浜市が子ども時分に
住んでいた場所で、まあ一番故郷
感が強いのが神奈川県だ。
その後、大学の時も社会人になって
からも横浜に住んでいたので、神奈川
県への思い入れは強い。
後年、生まれ故郷の都内に転住した
時も、
剣技関係は神奈川県の連盟に
所属して
いた。

神奈川ってね、海あり山あり鱒いる

川あり大都会あり国際港ありで、
結構面白いとこだよ。日本初の武家
政権の幕府が
開かれた場所でもあるし。
神奈川は大昔からなにかと活発な土地。

大昔はカンナガワだったのよね。今の
横浜北部あたりの川と地名で。
それが
訛ってカナガワになった。
戦国末期は小田原が一つの攻防の焦点
だったけど、でも神奈川で一番古いのは

やはり鎌倉だろうなぁ。
鎌倉政権こそが日本のその後の一千年
の方向性を決めた。

私が神奈川に抱いているイメージは、

固着硬直していなくて、常に歴史の中
で躍動している土地、という印象がある。
新旧についても固定概念で決めつけは

せずに、柔軟な発想で受け容れる性質を
持っている。
なので、遠隔地は田舎であるのに、イナカ

モン感は神奈川県人には希薄だ。
先頃話題になった「おめえ横浜に喧嘩

売ってんのかよ」と怒鳴ってたばっちい
ちゃんねーカップルは、あれぜってー
ハマのジモチーではない。多分よそもんの
流れて来た奴がハマぶってるだけ。
そういうニワカやナンチャッテが多いけど
ジモチーはあんな感じ
ではない。これは
俺自身がものほんジモチーだから
よく判る。
広島県中国地区では私はいつまでも異邦人

だが、東京神奈川はもろジモチーだ。
これはどこに何年住もうとそれはたまたま
の「転住」でしかなく、「生まれて育った
場所が自分の地元」という人からは拭い
去れない特性ということに規定されている。
今のヤサがどこであろうと、「てめえ生国

と発しまするは」というものは人は動かない。

実際に、そののんびりした風景とは裏腹
に、神奈川県は活発な土地柄だ。場所も
人の性格も。キビキビしゃきしゃきして
いるのが神奈川県民の今でも特徴となって
いる。ちょいと江戸っ子に近いが、江戸
もんほど短気な瞬間湯沸かし器ではない。

このおねーちゃんはなんだかとても

神奈川っぽい。
松嶋菜々子さんもたしか横浜かどっか
神奈川県の人
だったでしょ。
こんな雰囲気。神奈川県の女の子は。


神奈川県の相模湾(太平洋)の真ん中
あたりから東側を「湘南」と呼ぶ。
サザンオールスターズのサザンとは
湘南の意味だ。
そのド湘南の地区に平塚という海に
面した町がある。茅ヶ崎平塚あたりは
サーフィンのメッカでもあり、同じ
湘南でも江ノ島あたりのどぶ川のよう
な汚い海ではなく、とても美しい海が
広がるのが平塚茅ヶ崎あたりだ。
地引網で白子・ジャコを獲るのも盛ん
で、神奈川県の海沿いの市に住んでいる
幼稚園児たちはほぼ全員が遠足で地引
網を引いてジャコを獲る経験をして
いる。


その神奈川県平塚では、いつからかは
よく知らないが「七夕まつり」が盛大
に行なわれる。かなり派手。
非常に大きな江戸火消のまといのような
ものを振りかざして市内を人々が練り
歩く。
もう初詣の明治神宮状態、朝の通勤
山手線状態のすし詰めになる。
子ども時分には、平塚まで湘南電車で
出かけて七夕まつりを見に行くのが
楽しみだった。
なんての?
京都の人にとっての祇園祭みたいな
もんでしょうかね。
知らんけど。

湘南ひらつか七夕まつり2021

 

[公式]湘南ひらつか七夕まつり

 

 


同一砥石で違う結果を得られる事

2021年07月07日 | open


砥石は天然であろうと人造であろうと、
研ぎ汁の状態と押圧の力加減によって
同一番手ではない別番手の砥石の効果
と、さらに別種の研ぎ結果を与える事
ができる。
研ぎの決め手は砥石の如何が最大に大き
な要素だが、研ぎ手の腕によってもその
砥石の特性を熟知して砥石の持ち味の幅
に振幅をつける「引き出す」技法を駆使
できるケースがある。
要するに、研ぎとは、物理的な側面では
砥石如何が最大要素を持っているが、
研ぎの如何そのものは研ぎ手の腕の如何、
抽斗の多さ如何に依る、というもので
あるのだ。

研ぎにはいろいろな研ぎ方がある。
唯一存在しないのは「しゃくって研ぐ」
という事だ。
それとて例外はある。日本刀研磨でタツ
に突く時に地肌を起こしたり伏せたり
するためには立て研ぎのタツでしゃくり
研ぎをする。
そのしゃくり如何で内曇りを引いた時に
地肌がどうなるかが方向づけられる。

但し、一般的な刃物においては、しゃくり
研ぎなどは一切存在しない。存在する要素
が無い。
アングルの決めは一般刃物研ぎでは極めて
重要な絶対条項なのだ。
 
研ぎに通じると、単なる炭素鋼の
肥後守であっても、無数の銀河が
散らばる宇宙の姿を引き出す事が
出来る。これは日本刀研磨の知識
と技術に通じていないと実現不能。
 
実用刃物である肥後守に対して、
このような美術刀剣研磨のような
研ぎをくれてしまうのはナンセンス
と言えばそれまでなんですけどね(笑)。
まあ、ひとつの研ぎの技法の実証
としてのサンプル的モデルケースです。 

なんせ、手前の暖簾はこれなんで(笑)。


早月のさつきは皐月であり、陰暦の
五月の事。新暦ではちょうどきょう
の今頃の事だ。別名、雨月。仲夏とも
呼ぶ。
そのさつきの「さ」とは、日本の古代
神に捧げる稲の意味を表す「皐(さ)」
の文字がいつからか与えられた。
「五月」も「早月」も「皐月」も当て
字であり、元々は「さつき」だ。
稲作が日本に発生してからこのかた、
神聖な語「さ」を中心に捉える一年の
うちの月として弥生時代の古代より
日本人は捉えていた。

広島県三原市は五月に咲く花サツキを
市の花として制定している。
私が早月を名乗るのは、備州三原の事
を表しているためだ。

古刀三原。鎌倉時代末期~。
現在の三原城のある戦国末期に登場した
新しい場所ではなく、現三原市糸崎もし
くは現尾道市内、あるいは内陸部の広域
が「三原」と呼ばれた現時点で比定未定
の場所で作刀されたのだろう。

研ぎ易さ ~刃物の良し悪し~

2021年07月07日 | open



サッと刃が付く。
刃物の切れ味は大きくは二つの要因に
よる。

一つは刃の高硬度。
次にブレードの断面形状だ。

しかし、私は思うに、いくら硬度が高く
切れ味が鋭くとも、研ぎにくい刃物は
「良くない刃物」なのではと感じる。
特にアウトドアナイフなどは、戸外での
簡易な研ぎやタッチアップでサッと刃が
立つような靭性粘度と適度な硬度が非常
に重要で、上級者が入念に研がないと
刃が付かないような刃物は宜しくない。
つまり、日本刀の鋼や一般炭素鋼のような
高硬度に焼き入れされた鋼材の刃物は野外
刃物向きではないのではないか、という
一つの問題意識が私にはある。

それは炭素鋼の刃物の切れ味は素晴らしい。
だが、刃物というものはあくまで道具で
あるので、状況に応じ、適宜適所で適切
に使用する事が一番刃物を活かすことで
もあるのではという問題意識が私には
働くのである。
さして高硬度ではなくとも、せめてロック
ウエルで57も出ていれば刃物としては十分
だ。

ただし、炭素鋼であっても、木を切るのみ

であるならば、北欧ナイフのプーッコに
関しては世界最高の性能を有している。
プーッコもピンキリで、1万円以内から
7万円超の物まである。予算に応じて選択
するようなナイフになってしまった。日本
では。あくまで日本では。ブームで金額
変わるから。
元々はプーッコという優れた北欧ナイフは
道具であるのでそんなに何万円もするよう
なナイフではない。高額になったのには
別な日本の商業的な理由がある。

激安アウトドアナイフのデュラテックなの
だが、サッと任意の刃が付く。狙い通りの
思うような刃先をすぐに実現できる。
こういう質性の刃物は、使う側からすると
大きなプラス要因となる。


ただし、このデュラテックはフラットグラ

インドであるので切れ込み力が強すぎる
ため、薪割りには不向きだ。どんどん切れ
込んで行って、「割断する」という楔作用
が低いのだ。薪割りに適したナイフは鎬が
低い位置に存在するスカンジやセイバーが
まず第一で、次にハマグリ刃となる。
これは体感とか関係なく、物理現象として
そういうものなので、なんぴとたりとも
否定のしようがない。
日本刀などがとてつもない切断力、割断力
を発揮するのは、鎬という物の存在により
楔作用が発生して人体を「断ち切る」から
である。それゆえ日本の刀剣は「たち」と
いう言語が一番最初にヤマトの倭人によって
付与された。タチはのちに横刀という文字
が与えられ、さらに大刀と書いてタチと
なり、さらに太刀と書いてタチと読ませる
ように変遷した。
切断力は割断力を伴うか否かでかなり性格
が変化してくるのが刃物の特性だ。

刃物は、ブレードの冶金学的質性のみでの
選択肢は不十分であり、造形後の物理的な
作用がどうであるのか、それが使用金属の
特性とどのように有機的な結合をしている
のかを見ないと、その刃物の複合的な評価
は下せない。