渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

自覚領域

2021年08月03日 | open


やっべえ。
一升瓶の半分空いちまう。
こんな感じで飲んでたら、初日で一升瓶
空になる。
大切に飲もうっと(笑



五輪報道についての意見

2021年08月03日 | open





確かに。
しかし、日本人の在り方について正鵠を
射る発言を成すならば、剣道の面手拭い
はきちんと剣道作法に則って巻いてから
発言してほしいというのはある。
勉強してほしい。

日本酒 「花巴」

2021年08月03日 | open


うちの刀剣会の東京の仲間が、旅先で
珍しい酒めっけたからと送ってくれた。


これは奈良の酒で、剣菱の桶をやってい
た蔵元らしい。
蔵つき酵母がメチャ強くて、室町時代の
作り方を再現したりしている蔵元なのだ
そうだ。
蔵つき酵母が強くて、剣菱の9号酵母を
駆逐してしまったのだという。

届いてすぐに、早速頂く事にする。

うわ!
癖強い!
でも、うまい!
うーむ。これは面白い。
清酒なのに、なんだか濁り酒の味に通じ
るものがある。
味も戦国時代の古式なのだろうか。
これ、珍しい味。
こういうガツンとした強烈な個性っての
は、なんにしてもおいらは好きだよ。
スイーッと飲むより、グビリと飲む、と
いう感じの日本酒かな。
安座して日本刀を膝元に置いて、板の間
で飲みたくなる酒だ。
当然、灯りはろうそく。
髷は茶筅に限る(笑

つか、戦国時代はあまり好きではないん
だけどね。
戦国時代の日本刀は好きでも。
戦国時代は、武士が武士なのか?という
ほどに裏切りと権謀術数で暗躍していた
時代だから。
鎌倉時代から何百年も国内殺し合いの内戦
状態よ。好きではないなあ。
源平合戦の頃とはなんか違うもん。
やはり、いろいろ武士が武士ではなく官吏
に成り果てたとの批判はあれど、260年
平和な世の中をこしらえた徳川家康は、
歴史的偉人だとおいらは思うよ。

でも、そんな戦国時代でも、この酒はうま
い。
清酒なので、まんま室町時代の濁り酒の
作り方とは違うのだろうけど、よくお米
からこういう飲み物作れるよね。
日本には「日本酒」がある。
ただ、今フランス人に大人気の日本酒は
フルーティーなまるで白ワインのような
日本酒だ。
しかし、ほんとの日本酒というのは、この
酒のような古趣ある酒なのかも知れない。
野趣ありて品あり。
この酒は面白い。

味は甘い。やや酸味あり。空気に触れさ
るとまろやかさが増す。
だが、あましは甘しであり旨しと読むを
この酒にて見たり。
日本らしい、良い酒だ。一切媚びてい
ない。
ヘーコラぺこぺこ、忖度、パワハラ、
強制沈黙。
日本人のカッコ悪い姿を一蹴する骨の
ある味だ。
剣菱酵母を食いまくりですと?
おもしろいじゃないか。
侵略すること火の如く。
これがザ!「せ、戦国時代・・・」(薬師丸
ひろ子に槍で刺し殺された竜雷太ゴリさん)

侵略はいくないけどね。


オートバイ

2021年08月03日 | open


競技選手と職業ライダーはそうはいかない
が、オートバイなんてのは、乗れる時に
乗ればいいと思うよ。
誰だって、家庭や家族の状況、自分自身
の状況で乗れない時もある。どんなに
オートバイが好きでも。

ただ、オートバイに乗った人で、オート
バイの事を嫌いになった人を私は見た事
がない。
それでいいんじゃないかな。
ゆっくりと構えて、乗れる時に乗れば。


映画

2021年08月03日 | open


日本人は戦前から映画好きな国民だった。
戦後も娯楽の代表は映画館で観る映画だ
った。
しかし、昭和末期の一時期、ビデオの
爆発的な普及により、国民の映画館離れ
が異様に進んだ。
時は流れてあれから遥か未来の今。
人々は、また映画館に戻りつつある。
通信メディアが発達し、家庭で好きな時
に映画作品を観られるようになってから
この映画館リターン現象は起きた。
大スクリーンで観る事を欲する人々が
また戻って来たのだった。
世代的には熟年層と若い世代が多く劇場
に出向くようになっているようだ。
映画館で観る映画こそが映画鑑賞の原点
でもあるので、一映画ファンとしては、
家庭で観るのとは別な本格的な楽しみが
もたらされることを多くの方々が知って
くれたり、思い出してくれることはとても
嬉しい。

ただ、一つ、昭和時代とは現代は大きく
異なる事がある。
それは、大劇場が無いので、圧倒的な大
スクリーンで観る機会が今は消滅した事
だ。
あの昔のフルスクリーンを劇場で観る時
の迫力といったら例えようがなかった。
スクリーンの端から端まで観るには、テ
ニスのラリーを観戦するように首を真右
から真左に振るような大きさだったのだ。
今の劇場はこじんまりとしている。
それでも、映画は映画館がいい。



2021年08月03日 | open


昔から雨の日そのものも、雨の日に走る
事も嫌いではない。
ただ、「あたし、雨おんなあ〜」とか
「俺、雨男」とか言ってる奴らが嫌いな
だけだ。
オテント様とお前がなんの関係があるの
か、思い上がるなこのたわけ、と。
そういう妙な自意識過剰の勘違いしてると、
天候を「提供」だとかわっけわからぬ事を
平気で口にするはめになる。

台風9号発生の見込み

2021年08月03日 | open




げひょ~~ん!
しかもこの進路!
日本列島縦断。

お盆連休、晴れる要素なし。




阿蘇行き

2021年08月03日 | open
乗り屋仲間はタイヤを履き替え、オイル
を換えた。
私はタイヤを履き替え、オイルを換え、
プラグを替えた。
他の者たちも各自がそれぞれ、いろいろ
やっているだろう。
銃にアモをリロードするように。

んだがぁ、すぃかすぃ!
阿蘇はこうだと予想できる。

ぬぁ〜んにも見えません状態。

どうも、九州行きは天候に祟られるなあ。
全国結集走行会も突然の降って湧いたよう
な台風で中止になったし。
まあ、台風は降って湧くんですけどね。
九州の宿泊施設の方は残念がっていた。
九州では小雨程度だったから。
でも、近畿にドデカ台風直撃上陸で、関東
組が大阪港から乗る船が欠航になったのよ
ね。やむなし。

その後、「阿蘇行って来たけど、これ」と
読者さんが送ってくれた写真では、上の
画像のように雨と霧の阿蘇だった。
もう、20メートル先は何も見えない、と
も言っていた。
今回はそれになりそう。

行くと企画者が決めたら、雨だろうと行
く。暴風雨以外なら。
景色が見られないのは残念だけど、温泉
にでも浸かって、仲間たちと歓談して来
るのさ。3メートル離れてマスクして(笑
てか、ワクチン接種済者ばかりなんだけ
さ。

そういや、一昨年の山梨行きも、途中は
かなりの大雨だった。現地に着いても
土砂降り。
翌日はあら不思議、カランと晴天になっ
ていた。
まあ、天候は人は「提供」できませんから。
そんな超人的離れ業を口にできるのは、
日本のオリンピック招致委員会のみ。

エアガン

2021年08月03日 | open

シリンダーヘッドのスパークプラグ孔が
深い車種は、これがないとプラグの交換
ができない。
プラグ周辺の粉塵、小石を飛ばさないと、
プラグを抜いた時に小石等の異物がエン
ジン内に入ると大ごとだからだ。
なので、ブシューーッ!ピュッ!と強力な
風を吐き出せるエアガンが絶対に必要。
狭過ぎて布では拭えません。

これじゃないっすよ〜。


川にチヌ(クロダイ)

2021年08月03日 | open

三原城は海上に作られた。
ゆえに河川を人造したが、潮位はいじれ
ないので、満潮時には海水が川を逆流する。

市内の西野川。
左が江戸期の城下。右は明治以降に海を
埋め立てた農地。現在一大住宅街。
地名は宮浦という。宮は城下西端の西宮
八幡宮の事で、それの前の海という意味
だ。浅瀬のため、江戸期にはデルタ地帯
のようになっていて、所々に水上に小島
があった。


この川に、潮が満ちるとチヌ(クロダイ)
がバンバン遡上してくる。




このチヌを遊魚で釣れないだろうかと考え
ている。橋の上から。
ただ、想起できる問題が三つある。
それは、まず、三原の人はクロダイなどは
海で釣っても外道として持ち帰らない。
真鯛しか食わない。
そして、この河川に上るチヌは更に臭くて
誰も食わない、と聞く。食べた人がいる
のだろう、きっと。でないとそれを断言
はできまい。
しかし、これは、私はキャッチ&リリース
スポーツフィッシングに徹するので問題
クリアだ。
二番目の問題は、この汽水域の漁業権が
どうなっているか、という事だ。
違法釣魚はしたくはない。
汽水域は、内水面と外水面の漁業規則の
区分けがきっちりなされているので、釣る
前にはそれを調べて遊漁券の有無を確認
する必要がある。世の中、魚がいれば
どこでも勝手に釣っていい訳ではない。
人には法の縛りがある。
第三は、この橋の上からの釣りが禁止され
ていないかどうかという問題がある。
公道上からの釣魚は禁止されている場合
が多い。漁業組合の決まりよりも、この
行政の規制が一番の問題となる。

球磨川の例。


漁業規則があるからには、漁業権も存する
ことが推測できる。
この河川域の場所は、釣りが法的に可能
である可能性が高い。


戦国時代に海に陸地を作って出来た三原
は、河川の下流部は実質上海である。
もう、見た目も海。
この夜景も市街地東部の河川の河口エリア
だ。



野呂山(のろさん)

2021年08月03日 | open


広島県の瀬戸内海に面した呉市内の場所
に野呂山(のろさん)と呼ばれる山がある。
標高839メートル。
正式には善棚山(ぜんたなやま)と弘法寺山
を結ぶ東西2キロの高原地帯の事を指す。
野呂山という山は無い。瀬戸内海国立公園
指定エリア。

野呂山の下には黒瀬川という河川がある。
三面護岸がされていない美しい天然河川
部もあるのだが、里川なので鱒族は棲息
していない。
時代劇のロケ地のように美しい。
野呂山下の周辺の景色は、実見すると、
しばしの感動に包まれる。

広域の高原エリアを野呂山と呼ぶ。






瀬戸内海から見た野呂山。


野呂山の展望台から見た瀬戸内海。


野呂山は標高が高く、気温が下界とは
まるで違う。
二輪車などでは、メッシュのジャケット
だけだと真夏のカンカン照りの日でも峠
は肌寒さを感じる。

春には遅咲きの桜が見事な場所だ。


路面状態は非常に荒れているが、コース
レイアウトは素晴らしい。
福山の後山スカイライン・グリーンライ
に路面状態とコースレイアウトが似て
る。


野呂山についてよくまとめられている
ウェブサイト。
 ↓

ベスト工具

2021年08月03日 | open





アパート

2021年08月03日 | open


自動広告で「賃貸2.5万」という物件が
あったので、「今時2.5万?俺の学生時代
の賃料かよ」と見たら網走だった(笑
しかも、築年は1980年で、映画『彼の
オートバイ.彼女の島』(1986)に出てきた
主人公コオが住んでいたアパートに造作が
ソックリ(笑
70年代はこの手の作りのアパートがとて
も多かった。
それが1980年代末期のバブルの頃から、
アパートとは称さずに「ハイム」と称した
住宅メーカー仕様のこじゃれたアパート
が増えてきた。ロフトがついたりとかして。
ドイツ語使って格調が高そうぶったり
た不動産屋の演出だろう。
日本の住宅関係のカタカナ呼称は超テケ
トンで、とかく大衆の中流意識や上流志向
を扇情する下世話な手法を取る。
日本語の「マンション」などは英語では
通じない。英語のマンションは、まるで
ペンタゴンのような巨大建物で1戸口で
部屋が何十部屋もあるような大豪邸の事
だからだ。日本で呼んでいるマンション
は、英語ではアパートメントという。もし
くはコンドミニアム。
だが、日本人はアパートというと、上掲
画像のような賃貸共同住宅の事を想起す
るので、マンションなどという和製英語
で国民をして錯誤せしめる手口を不動産
屋は用いる。少しでも自分は高級な所に
住んでいます感を得たいという潜在欲求
をくすぐるのが不動産屋の手口だ。
雀荘の荘でいいじゃんねえ。いしいひさ
いちのバイト君たち住んでいたような。
あれは荘ではなくクソと書かれていたが(笑
アパートでなけりゃ長屋とかさ。
とにかく、日本人のザーマス根性をくす
ぐる手口を建築業界はよく使う。ハイソ
でオサレざます、とそれに殆どの人間が
乗せられる。多分、てめえの女房の事を
人に「奥さん」とか言ってても疑問を感
じないようなうすらトンチキや、「家族
サービス」とか口にして恥ずかしくない
層がそれらにまんまと乗せられるのだろ
なあ。

物理現象としては、確かに60年代〜70年
代様式のアパートが様変わりしたのが80
年代中期からだった。
プラザ合意の頃から。

この網走の物件、広いっ!


学生の頃、都下の大学の奴の部屋に遊び
に行った時、このように広くて驚いた。
それで家賃は新宿区と同じ程度だった。
新宿区では6畳ひと間、風呂無し。
一般大学生はほぼ全員がアパートに住ん
でいた。マンション住まいの奴なんて
まずいない。皆、四輪も持ってない程で。
ある用事で医大に行った時、大学の駐車
場が外車展示場みたいなので驚いた。
医は算術なり。当時で私大医学部6年間
で学費だけで5千万円程したので、金持
ちの家の子しか医学部には進めなかった。
俺らの頃の一般文系私大は4年間で160万
円程だった。今は500万円位だろうか。

音大生コオのアパートのロケ場所、どこ
なのだろう。
原作小説は70年代中期以前の設定だが、
映画撮影は1985年だ。
・背後に寺
・細い路地
・窓の外は墓地
・二階建て
・鉄の階段
・切り通しのような高台の土地
・向かいは民家

なのだが、あの路地の幅員だと法規制で
建て直しができないから、まだ残ってい
と読んでるのだが、なかなかロケ地が
つからない。
比定できたら、ロケ地探訪で行ってみる
つもりだ。オートバイで。

週間天気 ~阿蘇~

2021年08月03日 | open



週末土日の阿蘇は雨みたい。
へろ~ん。


論文試験(2011年記事再掲)

2021年08月03日 | open

かつて、論文ではない作文という日記
において民主主義が云々と述べたが、
民主主義についての見識は高等学校
に進学した者は、高校時代において
すでにある程度明瞭な思惟を有して
おく必要がある。

元駿台予備校講師で中大ブント叛旗派
だった神津陽氏のサイトで以前、
「論文問題解法と解答例比較法」という

頁があり、「2001年国立大入試成績
開示の意義と論文指導の新段階」との
という興味深い項があった。

その中で、東大文Ⅰの後期論文試験の
問題「論文Ⅱ(文Ⅰ)<150分・200点
>
が引用されている。

「第1問 下の文章を参考にして『戦後
日本の』民主主義について考えるところ
を1200字以内にまとめなさい。(句読点
も1字として数える。)

一九四五年,敗戦日本を占領した連合国
は,日本の政治制度について(憲法改正
を頂点とする)全面転換を進行させると
ともに,政治原理として「文明と民主
主義」の理想を宣布した。知識人・文化
人と学校体系が解説普及する「民主主義」
は,現人神天皇制を放棄した後の「精神
的空白」を埋める世俗宗教として,数多く
の(とくに青少年を中心とする)信徒を
集めた。
これに対して,堅気の生活者は民主主義
を「みんなで仲よく」という秩序原理
として理解し,秩序意識の伝統のなかに
組入れた。ここで,「みんなで仲よく」
とは前に説明した「内側の秩序」の秩序
原理であり.第一に「集団一体」(勤め
先集合体の正統性の承認),第二に「全員
参加」〔参加の民主主義),第三に「全員
一致」(採決の回避と全員の拒否権の承
認),第四に「全員均霑」(分配の政治)
を意味する。
したがって,この世間常識のなかで具体化
された民主主義の運用が「村内安全,現世
安穏」という伝統的な信仰と結合し,
「書きこまれたくない」平和主義と合流
したのは当然のことである。そして,民主
主義のこうした運用は,洋式政論として
の民主主義が指令する内容,すなわち,個性
の奨励と自由の保障.人権の確保と平等の
尊重,国民自治と国民連帯の推進といった
内容とは必ずしも一致しなかった。
(京極純一「日本の政治」より)


高校生が読み説いて(「例文を参考にし
て」)、1200字で自己の論を展開しな
ければならない問題である。
これについての解答例と解説が展開され
ているが、大いに論理的読解力の道筋を
得るための参考になる。塾の先生の説明
だから当たり前だが。
ただし、解法を読む前には、その前段で
示されている以下の部分を熟考する必要
がある。

く論文の基本解法の確認〉
 高校まで正規の論文授業はないが,入試に
論文試験がある以上は論文解答を書かねばな
らない。論文は大学内でのテスト・就職試験・
資格試験の柱だが,驚くことに日本の大学に
は欧米のコンポジションに相当する論文構成
法の授業がないのだ。〈論文とは何か・設問に
対してどのように解答するか・解答のどこを
どう評価するか〉を明示せず論文入試を課す
怠慢に大学教員の傲慢は極まるが,論文試験
を受けて入学を希望する以上は受験生は自力
で論文解法を体得せねばならない。
 まず確認すペきは国語で扱う作文・感想文
と論文の違いである。感想文は資料文を読ん
で感じたことをまとめ.作文は示されたテー
マについて思い付いたことを並べる。だが
「感じ」や「思い付き」は千差万別で評価
には採点者の主観が加わるため,感想文や
作文で可能な一般的評価は文章の巧拙に集中
する。採点者の主観に左右される作文や感想文
では資格試験や入学試験の客観性は確保出来
ない。だが論文は特定問題に対して,自分の
考え(=筈)を示し,第三者に説明する客観
評価可能な文章なのだ。
 個人の考えの表明を求める論文試験は,学科
試験と異なり唯一の正解がない。だが論文試験
では(問題→解答→説明)の問題解法は誰にも
共通で,解答内容の説明の筋道は誰にも分かる。
論文試験の客観性は特定問題に対する解答成否
と内容良否の比較評価可能性に担保されている。
論文には唯一の正解がないが評価を主観に委ね
る訳ではなく,客観評価が可能だからこそ世界
の試験制度の主流に位置しているのだ。その意味
では論文学習の王道は論文構造の理解→設問別
解法の習得→過去問等での答案作成訓練に尽きる。
論文構成法には雄弁術→レトリック→コンポジ
ションの伝統があり論文解法を外しての知識量
や美文作成技術は論文試験突破には役立たない。
 (間→答→説明)の論文構造は相互批判や議論
や合意や国際交渉の共通土俵であり談合・根回
しの日本的問題処理を打破する最良の解決法で
ある。
だが論文とは何かを教えず論文試験を課す大学
の姿勢は,教員間の相互批判を嫌い論文の客観
評価を避け程度に依拠する大学の情けない現状
の反映とも言える。戦後民主主義評価や社会的
公平を出題する問題意識は科学的な論文解法と
評価法を明示してこそ,大学内の開明的な相互
関係に貫流し得るのではないか。論文入試は
大学を国民に開き,実社会における能力評価の
基準や国際社会における相互理解の糧となり
得る知恵の宝庫の筈なのだ。」

卓見である。実に新左翼らしい視点
ではあるが。
確かに、談合・根回しを得意とし、
それを頑なに志向する前時代的村落
共同体意識の集団は、相互批判や議論
や合意や国際交渉の共通土俵である
論文構造の解法=論理的思考に疎い
ばかりか、殆ど思惟において国際的
共通項である論理性をも拒否すると
いう事実を現実社会の身の周りで嫌
という程痛感させられてきた。
末尾の大学構造論については観念的
すぎて突っ込みどころもあるが、ここ
では割愛する。
ただ、着眼点は鋭く、システマティ
ックな方法論は高校生に道筋を示す
ものとしては秀逸といえる。ブント
内で観念一派だった叛旗派とも思え
ない(苦笑)。
最近は三上氏と折り合いが悪いと耳に
するが、叛旗同士の方々の事だから私
は不知としよう。
さて、上記神津氏の記述は学習指導者
側の立場としての記述であるが、学ぶ
側も受験問題で論文問題が出題される
以上、このような思考基準というもの
は高校3年生の時期には既知の領域と
して得ていなければならないだろう。
例題は大学(東大文Ⅰ)の後期受験
問題だとはいえ、少なくとも大学を
受験するという人間には、大学入試前
段階での知的素地としてこうした問題
が解ける(読み解くという思考能力を
得ること)ことが必要になってくる

また、感想文と作文と論文の読解方法
が自己の中で弁別できずに混濁させて

いる「大卒(含む中退)」に限って人
の文章に難癖をつけて非難したりする。

その手法論調は稚拙な感情的領域を出
ず、全く論理的に破綻していることが
多い。

この試験問題の解法にあるような論理
的思考と読解力がないのは明白だが、
学業以外に
もっと大切なことを小学校
からやり直して来た方が良いと思われる。


かといって、私自身の高校時代はとも
かく、現在の高校生たちが大学受験に

際して論理的な読解力が学力として
備わっているかどうかというと甚だ
疑問である。

高1段階で現代国語の偏差値がたとい
全国模試で高偏差値であろうとも、
「論文を
読み解く」という学力を身に
つけるための授業が現行高校授業の
カリキュラムにどの
ように有機的に
採り入れられていてそれとどのように
生徒自身が連動して学習している

が不明だ。

私の時代の高校の講義ではこの神津氏
が示すような論文読解のシステマティ
ックな
授業は存在しなかった。解決策
としては徹底的に論説なり論文を乱読
するしかなかった。

とにかく量を読み倒すのだ。それも
高校3年までの間に。速読ではない。
咀嚼して熟読
するのである。すると
自ずと読解力は養われる。『シジフォ
スの神話』でも『嘔吐』本体
でもよいが、
パターンとしてはそれらについて書か
れた物を徹底的に読み倒すのだ。

しかし、私や私の周辺関係者のように、
高校時点において論文解法のみに時間
を割き、
他の科目が疎かになってしま
っては、無論国立大学の入試などおぼ
つかないどころか、
東大の滑り止めや
それより難易度の低い私立大学の入試
さえ突破できないことになる。

こういうのは正に本末転倒と言わざる
を得ない。東京大学の文Ⅰ試験に合格
する者は、
200点という重要な幹を占め
る論文試験以前に他の試験においても
高得点を得る基礎
学力が備わっている
のである。いかに学業において時間配分
を効率よくこなすことが
小中学生の段階
からできているかが窺い知れる。
現実的に東大文Ⅰの時代から知っている

人間と同職場で仕事をした経験があるが、
時間の使い方が実にうまい。本人は高校
時代は
ラグビーばかりに明け暮れていた
が、現役で東大文Ⅰに合格している。大学
ではラグビー
さながらの肉弾戦を別分野
で発揮というのは置いといて、私と私の
周辺部分のような
一極集中特化偏向型
ではなく、実にバランス配分がとれた
対処で学業に接していたこと
がその職場
同僚の友人と接していて理解ができた。
大学受験に関しては、一点突破の
全面
展開は通用しないのである。(大学時代
は別大学の為、学習会や会議以外で席を

共にしたことがないのでその友人のバラ
ンス面がよく判らなかった。ただし学生
時代には、
突出した奇抜性のある発想力
や機転は私の周囲では東大よりも私大の
人間の方が色が
鮮明であった。)
現在の高校の授業がどのようなもので
あるのかは私は知らない。

ただ、現在の高校生諸君には、論理的
思考がおぼつかないのに、論理的に記述
された文章を読み解けもしない
ままその
記述者に難癖をつけるような人間には
なってほしくないと願うばかりである。
(2011/12/18)