仏通寺(ぶっつうじ)の「大番
のぶどう」をもろた。
これ、うまいんだよなあ。
仏通寺というのは、三原市に
ある古刹で、古代山陽道(中世
近世の山陽道とは違います)の
山の中にある臨済宗の禅寺だ。
1397年(応永4年)に開かれた。
日本刀好きなら誰でも知って
いるのが応永年間だ。
刀剣界では「応永以後に刀
無し」とまで言われる程に、
応永以前の日本刀は鉄の質性
が良かった。
日本刀の鉄の質が最良だった
一つの頂点は源平合戦の頃
の平安時代末期から鎌倉
時代初期あたりだ。
そして、応永以降はピークを
過ぎて、膨大な需要に応える
量産工法が工夫されて徐々
にそれが全国に普及して行く。
なるべく貴重な鋼を使わない
ように刀身の中にたい焼きの
ようにアンコを入れる工夫や、
予め炭素量毎に板材にして分
けて材料をストックしておい
て、それを組み合わせて、
底質な鉄を使用していても
武器としての強度を保つ量
産工法が生み出された。
戦国時代に入ってからはそれ
が一般的に全国普及し、江戸
期に入るともうその量産工法
こそが日本刀の製造方法かの
ようになった。
それゆえ、慶長年間以前の日
本刀を旧工法がまだ存在した
がゆえに「古刀」と呼び、慶
長以降を「新刀(しんとう/あ
らみ)」と呼ぶ区別が当事発生
した。
だが江戸期中期に本来の日本
刀の製造方法はもとより、
戦国期発生の量産工法さえ
もが完全に失伝した。あっ
という間だった。
世の中の失伝は大体20年で完
全失伝する。今の日本人が鉛
筆を削れない、マッチのすり
方を知らない、二輪車の乗り
方を知らない、というのと同
じく、凡そ20年乃至30年で人
の世から消滅する。
あっ!という間に正統な技術
等は失伝する。
広島カープが何年か前に優勝
した時、地元百貨店が優勝記
念セールをやろうとしたが、
「前回の優勝が、あまりも
昔の事(ママ)なので、セー
ルのやり方が分からない」
という間抜けな事態が報道
されていた。
たった四半世紀前の事が皆
目分かりません、なのだそ
うだ。大工がトンカチでは
釘は僕は打てません、と恥
ずかしげもなく言っている
ようなもんだ。
歴史に学ばす目先の事だけが
全てであり、それが良いと思
っているから商業人にありな
がらそのような失笑を買う顛
末になってしまう。売るのが
仕事なのに自分らが失笑を買
ってどうする。
歴史に学ばず、今しか知らな
い自分たちの目先優先のやり
方が正しいと言い張るのなら、
ガッチガチのその石頭の凝り
固まりで商戦やって、激しく
前輪からでもすっ転んで顔
面ブレーキでもやってみれ
ばいいのに、それもやらな
い。ネチネチと文句と泣き
言を言うだけ。
知っている者たちは、はあ?
知らんがな、自分の事は自分
でしいな、となる。
失伝がもたらすものは、そう
したものだ。温故知新は名実
ともに死語になっているのは、
江戸時代にすでにそうだった。
人間は、存外頭が悪く、学習
能力が無い。シュッとしてない。
なお、現代の日本刀の「現代
美術刀」の製法は、幕末に戦
国時代の製造方法を復元し
た水心子正秀という刀鍛
冶のやり方を「古式工法」
と定義づけてやっている。
「古式」とはいえない事は歴
史上明らかだが、この復元
「たたら鋼」による日本刀製
造はとても意味がある。
何故ならば、それを潰したら、
その江戸幕末工法さえも失伝
するし、なによりも、もう二
度と日本国内でたたら吹きは
復元されない。完全に地球上
からたたら吹きによる製鋼法
とその鋼を用いての鍛造作刀
法が失伝するからだ。
これは人類史的な損失となる。
現在の現代刀工で、出雲のた
たら吹きを全否定する刀工は
一人もいない。
古刀製造法に準拠する方法の
鋼作りではないが、見紛うこ
となき「日本刀の為の鋼作り
の方法」の一つである事は否
定のしようがないからだ。
アルミやガラスや現代特殊金
属の合金からは日本刀は造
れない。形は似せられても
日本刀ではなくなる。
日刀保たたらの消滅や失伝は
避けなければならない。
ただ、「これこそが唯一の日
本刀の作り方、これのみが材
料」となると、それは日本の
歴史の真実と照らし合わせる
と嘘になるので、そういう宣
伝はよくない事ですね、と
いう話だ。
仏通寺は、バイクで行くとし
たら、
周囲のロードはアドベンチ
ャーバイクで行くような
所にある。
仏通寺から北は四輪車では離
合できない古代山陽道が通っ
ている。
そのロード、プチ冒険探検の
ようで、なかなか面白い。
夏の仏通寺。