終業後に釣り仲間が6人ほど職場に
集まって釣り談義をしていた。
「最近はイワシがまったく釣れなく
なった」
という話で持ち切りだった。
真鯛は腐るほどいるのに、イワシ
がいない。
15~20センチくらいのイワシは
とても美味しい。
尤も、海の魚で食えたもんじゃない
という魚種は存外少ない。てか、
ほとんどない。
サメでさえ、料理法によっては
臭みを除いて美味しく食べられる。
淡水魚では、ウグイなどは関西
では「猫またぎ」と呼ばれて、
まずくて猫さえもまたいでよける
と言われている。
だが、それとて、東北などでは
カンバヤという寒い時期のウグイ
は食用に狙って釣られている。
ただ、生食は非常に危険なので、
酢ジメもだめ。郷土料理でハヤ寿司
が存在する地方もあるが、菌による
致死性の高い食中毒を起こす可能性
が学会でも指摘されているので、
やめておいたほうがいい。生食など
は寄生虫だらけでまったく✖だ。
そもそも、天然魚は海魚も川魚も
あまり刺身は推奨できない。
イワナも海魚も刺身は美味いのだ
が、刺身ばかり食べていると、
大抵は寄生虫が人体内にも寄生
する。魚は火を通したほうが〇。
真鯛などでも、焼きあがって身を
箸で開くと、身の間に黒い糸の
ような筋があるでしょ?
あれ、寄生虫の死骸ですから(笑)。
イワシって、結局はニシン目や
ニシン亜目ニシン科の魚の事なん
ですけどね。
つまり、ニシンとほぼ同じ。
回遊地域が違う。ニシンは北。
春を告げる魚だ。
ごめ(海猫)が鳴くからニシンが
来ると赤い筒袖(ツッポ)のやん
衆(流れ雇いの季節漁業労働者)
が騒ぐ、というあれね。
イワシは本州山陽地区と四国東部
北部沿岸の間にある瀬戸内海にも
いる。
しかし、確かにイワシは少なく
なった。
私などはコイワシ(ジャコ)以外
は釣ったことがない。
20センチのイワシなどはついぞ
お目にかかった事がない。
そもそも、あまり海釣りはしない
のではあるが。
渓流毛鉤釣りは「お前は阿呆か」
という程してきた。海はサッパリ。
イワシが希少種になったのは
市場相場でも判る。
魚屋に並ぶイワシは高級魚のよう
な値段になってしまったりして
いるもの。
イワシ。
ウェブサイトは2001年から。
ウェブ日記は2002年から。
そして、さるさる日記からこのgoo
に変更してから10年目。
gooになって10年でgooのカウント
がこの数。
なんだか、尋常ではないように思え
る。
秋風は芳しさにおいて薫風よりは
出でずとも、その清涼さには遅れ
無し。
我が剣は秋風の如き涼やかな風で
ありたい。
剣は小野派。
だが、父の兄二人の代で潰えた。
私は縁あって、土佐御流儀を学ぶ。
元々は砲術の家ではあるが、剣も
また子息らは代々必修だった。
私の子さえも五歳から剣の道を学
んできた。
剣の真諦。
それは、刀法には流派の垣根無し。
刀理は万流に通じている。
喩えるならば、どの流であろうと、
真っ向は真っ向、袈裟は袈裟なりし
や、と。
そしてまた、士が帯びる剣に違い
無し。
利鈍、強靭脆弱の差はあれど、士が
腰間にあるは全て剣なり。砲や槍は
腰には帯びず。
目に見えて大きな違いが生じるのは、
それを帯びる者の質性の違いが現出
しているからだ。
全ては人による。
そして、士は己の差料を厳しく選ぶ。
士の剣は魂であるからだ。
幕末、さる剣聖は言った。
剣は心なり。
心正しからずんば、剣また正し
からず。
けだし名言である。
この尾道北高から明大に行った
インテリの漫画家さんは、こう
いう事を時々やらかす。
初期作品『軍歌の響き』では、
マガジンを入れてない64式小銃
を自衛隊員が構えたりとか、いろ
いろ。
この画は、ある意味あの有名な
「ちょろいもんだぜ」よりも遥か
にキテレツだ。
何故ならば、「ちょろいもんだぜ」
は、あまりにもプロ離れしたド
素人構えなのに「伝説のスナイ
パー」としたからだ。(その後、
マガジン入れ忘れの図もあり)
あれは、ド素人フォームだが、
あれで撃てない事はない。構えが
並外れて変、というだけ。
しかし、この上図は、絶対に現実
ではあり得ない。
こんなマガジンだと、実弾の雷管
を叩けないからだ。
それどころか、実弾が下に下がら
ないから、遊底を後ろに引く事も
できなければ、遊底を引いた状態
で弾倉を装填して遊底を前進させ
たとしても途中で止まる。
実銃はもとより、モデルガンでも
エアソフトガンでもこれはあり得
ない。
物理的な事を丸無視した画であり、
「これはひどい」という図の典型。
同作品では、戦艦大和の中で山本
五十六がアメリカンプールビリヤ
ードを楽しんでいたり(作者はポケ
ットビリヤード好き)と、荒唐無稽
が過ぎるのだが、作品のテーマ自体
は面白い。だからこそ大ヒットした。
しかし、どう転んでも、この図は
果てしなくいけない。
空想活劇としてもあり得ない事だか
らだ。ノコギリの刃をトンカチ代わ
りに釘を打つ以上にあり得ない。
タイヤがないバイクで走るみたいな
もの。
こんな弾倉で、どうやって銃の撃針
が雷管を叩くの?
根幹に関わる事であり、これ、あか
んやつ。
いくらマンガでも、ダメすね。こう
いう類の表現は。
大林監督と赤軍派塩見議長の後輩の
漫画家先生、「おっどりゃー、なん
しょんなら(備後弁。江戸弁町人
翻訳:おめぇ、なにやってやがんでぃ
/江戸武士翻訳:そこもとの仕儀は
いかがなものか)」と言われぬように
頑張ってほすぃい。
「もっとみしっとしたらかっぺやー」
(水戸派)てなもんで。