本日、土曜夜市。
城脇の旧山陽道の道路を封鎖して
商店街が露店を出してのお祭り。
メインは本町(ほんまち)商店街
だが、旧城内の現港町の帝人通
り商店街も路上に露店やオープン
カフェ風に椅子とテーブルを出し
て人で賑わっていた。
人が集う振興と親睦目的の新し
い祭りだ。
JR三原駅横の帝人通りは昔の城
の濠を埋め立てた通りで、その
通りの左右が昔の城内本丸と西
の築出になる。私の大昔の江戸
期の家はその通りの西側の酉之
御門(現在消滅)の内側の門の真
向かいにあった。江戸湾のお台
場のような洋上の埋め立て人口
島の櫓に囲まれた住宅地。長崎
の出島のような造りだった。
三原市の駅周辺は江戸期の城の
中なので、現在の駅前ビルも
商店街も、江戸時代にはすべて
城であり、城内の武家地だった。
三原で築城以来何百年も続いて
いる祭りは二つある。
一つは城前の本丸濠北な旧山陽
道を東町の外れのクランクまで
を露店で埋め尽くす神明市だ。
全国から露天商が集まる。
達磨祭り、植木市なのだが、
地元の人々は「しんめいさん」
と呼んでとても親しんでいる。
子どもたちは、現在も非常に楽
しみにしている。
二大祭りのもう一つは、やっさ
祭りで、築城を祝って町人たち
が踊りまくったカーニバルが現
在でも残っている。
この三原のやっさ祭りが徳島の
阿波踊りの原型になったらしい。
しんめいさんは神事であり、
やっさ祭りは民衆カーニバルだ。
日本の「祭り」にはふた種類あ
る。
全国に残る山車や神輿の祭りは
神事で、もう一つはやっさ祭り
や阿波踊りのような民衆カーニ
バルだ。
もう一つ、広島県三原市には
旧城下町地区に限って奇祭が
残っている。
それは節分の日に子どもたち
が城周辺の各戸をまわってお
菓子を貰う「鬼の豆ちょうだ
い」という風習だ。
昔は節をつけて歌いながら
まわった。昭和40年頃までは
歌いながらの訪問者が残って
いた。
「おーにのまーめ、
つーかーしゃー。
くーれるうちはしんしょう。
くーれんうちはびんぼう」
と子どもたちが歌いながら家
を訪問する。
現代語訳では「鬼の豆をくだ
さいな。
くれる家は金持ち。くれない
家は貧乏」となる。
現代も残っているが、標準語
で「鬼の豆ください」と言う
ように変化した。歌も歌わない。
これ、正式には解明されてい
ないが、東京のふいご祭りで
子どもたちが「鍛冶屋の貧乏」
と囃し立てて鍛冶屋に押しかけ、
鍛冶屋が菓子や蜜柑を投げ与え
て追い払う、という風習に酷似
している。
そもそも節分の豆まきで鬼を
祓うその鬼とは、古来からの産
鉄民の事であり、節分の方式は
新興産鉄民と古来産鉄民の確執
拮抗の社会図として始まった事
が民俗学的には認容できる。
まくのは豆ではなく、餅鉄もし
くは小さな玉石のような玉鉄だ
った事だろう。
「福は内」のフクとはマガネ吹く
の吹くが転じたものだっただろ
う。
そもそも「鬼」とは、ヤマトよ
りも先行的に在地勢力として
産鉄技術を以て地方を統治して
いた先住産鉄民だった。
それを征服した後に「鬼」とし
て排除差別排外対象とした。
ヤマトの手法は、それは鬼だけ
でなく、鹿(しし)にしたり、
大蛇(オロチ)にしたり、ダイダラ
ボッチにしたりした。出雲国風
土記などが好例だ。
秋田のナマハゲもその類だろう。
それらを「悪」と仕立て上げる
事によって、ヤマトの全国征圧
を正義とする情報宣伝と武力の
実行を為した。
その典型が吉備に残る桃太郎
伝説で、あれは産鉄在地勢力
を武力征服した歴史事実を
モノガタリにしたものだろう。
だが、岡山にも奇祭がある。
ヤマトに征服されて殺された
在地産鉄政権であった吉備の
為政者のウラを讃え祀る祭り
があるのだ。
その名も「ウラじゃ」という。
標準語では「ウラなのである」
という意味。魂の抵抗レジス
タンスの祭りである。
ヤマトを盲目的に全て正義と
する全国的な神事の祭りとは
対局にある「敗者の祭り」と
して、民俗学的には非常に興
味深い。巨大権力には屈服し
ない土性骨を見せる祭りとし
てとても活気がある。
集団で、かなり戦闘的なダンス
をするのだ。
実は、三原城下に残る「鬼の
豆ちょうだい」も、そうした
ウラじゃや江戸のふいご祭り
と同じような歴史背景がある
事だろう。
三原市西方の旧古墳エリアに
残る「ちんこんかん」という
赤鬼と青鬼が登場する祭りも、
五穀豊穣の祈念祭りなどでは
なく、大元の開始はその祭り
の名の音の表現の如く、古代
在地産鉄民と稲作を主とする
民=オホミタカラ=ヤマト派
民衆の対立の歴史背景があっ
た事だろう。図式としては
出雲国の故事神話と同じく。
チンコンカンは明らかに製鉄
と鍛治仕事の音を暗示してい
る。
現在も日本に残る多くの祭りの
うち、新設フェスティバル以外
の古い歴史を持つものは、神事
であればあるほど、血塗られた
古代史の歴史的事実譚を反映し
ている。
そのあたりは民俗学的見地から
古代史と日本各地の祭りにメス
を入れた沢史生の『鬼の日本史』
に詳しい。