渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

土曜夜市 〜吉備の国広島県三原の祭り〜

2023年07月22日 | open



本日、土曜夜市。
城脇の旧山陽道の道路を封鎖して
商店街が露店を出してのお祭り。
メインは本町(ほんまち)商店街
だが、旧城内の現港町の帝人通
り商店街も路上に露店やオープン
カフェ風に椅子とテーブルを出し
て人で賑わっていた。
人が集う振興と親睦目的の新し
い祭りだ。

JR三原駅横の帝人通りは昔の城
の濠を埋め立てた通りで、その
通りの左右が昔の城内本丸と西
の築出になる。私の大昔の江戸
期の家はその通りの西側の酉之
御門(現在消滅)の内側の門の真
向かいにあった。江戸湾のお台
のような洋上の埋め立て人口
島の櫓に囲まれた住宅地。長崎
の出島のような造りだった。
三原市の駅周辺は江戸期の城の
中なので、現在の駅前ビルも
商店街も、江戸時代にはすべて
城であり、城内の武家地だった。

三原で築城以来何百年も続いて
いる祭りは二つある。
一つは城前の本丸濠北な旧山陽
道を東町の外れのクランクまで
を露店で埋め尽くす神明市だ。
全国から露天商が集まる。
達磨祭り、植木市なのだが、
地元の人々は「しんめいさん」
と呼んでとても親しんでいる。
子どもたちは、現在も非常に楽
しみにしている。

二大祭りのもう一つは、やっさ
祭りで、築城を祝って町人たち
が踊りまくったカーニバルが現
在でも残っている。
この三原のやっさ祭りが徳島の
阿波踊りの原型になったらしい。
しんめいさんは神事であり、
やっさ祭りは民衆カーニバルだ。
日本の「祭り」にはふた種類あ
る。
全国に残る山車や神輿の祭りは
神事で、もう一つはやっさ祭り
や阿波踊りのような民衆カーニ
バルだ。

もう一つ、広島県三原市には
旧城下町地区に限って奇祭が
残っている。
それは節分の日に子どもたち
が城周辺の各戸をまわってお
菓子を貰う「鬼の豆ちょうだ
い」という風習だ。
昔は節をつけて歌いながら
まわった。昭和40年頃までは
歌いながらの訪問者が残って
いた。
「おーにのまーめ、
つーかーしゃー。
くーれるうちはしんしょう。
くーれんうちはびんぼう」
と子どもたちが歌いながら家
を訪問する。
現代語訳では「鬼の豆をくだ
さいな。
くれる家は金持ち。くれない
家は貧乏」となる。
現代も残っているが、標準語
で「鬼の豆ください」と言う
ように変化した。歌も歌わない。
これ、正式には解明されてい
ないが、東京のふいご祭りで
子どもたちが「鍛冶屋の貧乏」
と囃し立てて鍛冶屋に押しかけ、
鍛冶屋が菓子や蜜柑を投げ与え
て追い払う、という風習に酷似
している。
そもそも節分の豆まきで鬼を
祓うその鬼とは、古来からの産
鉄民の事であり、節分の方式は
新興産鉄民と古来産鉄民の確執
拮抗の社会図として始まった事
が民俗学的には認容できる。
まくのは豆ではなく、餅鉄もし
くは小さな玉石のような玉鉄だ
った事だろう。
「福は内」のフクとはマガネ吹く
の吹くが転じたものだっただろ
う。
そもそも「鬼」とは、ヤマトよ
りも先行的に在地勢力として
産鉄技術を以て地方を統治して
いた先住産鉄民だった。
それを征服した後に「鬼」とし
て排除差別排外対象とした。
ヤマトの手法は、それは鬼だけ
でなく、鹿(しし)にしたり、
大蛇(オロチ)にしたり、ダイダラ
ボッチにしたりした。出雲国風
土記などが好例だ。
秋田のナマハゲもその類だろう。
それらを「悪」と仕立て上げる
事によって、ヤマトの全国征圧
を正義とする情報宣伝と武力の
実行を為した。
その典型が吉備に残る桃太郎
伝説で、あれは産鉄在地勢力
を武力征服した歴史事実を
モノガタリにしたものだろう。

だが、岡山にも奇祭がある。
ヤマトに征服されて殺された
在地産鉄政権であった吉備の
為政者のウラを讃え祀る祭り
があるのだ。
その名も「ウラじゃ」という。
標準語では「ウラなのである」
いう意味。魂の抵抗レジス
タンスの祭りである。
ヤマトを盲目的に全て正義と
する全国的な神事の祭りとは
対局にある「敗者の祭り」と
して、民俗学的には非常に興
味深い。巨大権力には屈服し
ない土性骨を見せる祭りとし
てとても活気がある。
集団で、かなり戦闘的なダンス
をするのだ。

実は、三原城下に残る「鬼の
豆ちょうだい」も、そうした
ウラじゃや江戸のふいご祭り
と同じような歴史背景がある
事だろう。
三原市西方の旧古墳エリアに
残る「ちんこんかん」という
赤鬼と青鬼が登場する祭りも、
五穀豊穣の祈念祭りなどでは
なく、大元の開始はその祭り
の名の音の表現の如く、古
在地産鉄民と稲作を主とする
民=オホミタカラ=ヤマト派
民衆の対立の歴史背景があっ
た事だろう。図式としては
出雲国の故事神話と同じく。
チンコンカンは明らかに製鉄
と鍛治仕事の音を暗示してい
る。

現在も日本に残る多くの祭りの
うち、新設フェスティバル以外
の古い歴史を持つものは、神事
であればあるほど、血塗られた
代史の歴史的事実譚を反映し
ている。
そのあたりは民俗学的見地から
古代史と日本各地の祭りにメス
を入れた沢史生の『鬼の日本史』
に詳しい。

暑中お見舞い申し上げます

2023年07月22日 | open









日差し

2023年07月22日 | open



きょうは一段と日差しが強い。


しっかり撞く人

2023年07月22日 | open


私が奥田玲生(たまみ)プロの
ファンであるのは、しっかり
と玉を「撞く」人だからだ。
チョン突き転がしはしない。
奥田プロのその撞き方と手玉
の玉筋というプレースタイル
が好きなのである。
例え短距離を優しく撞く時も、
手玉が生きている。転がして
はいない。「玉撞き」をして
いる。
トラディショナルなスタイル。
人柄の良さは配信動画から窺い
知れる。

ノーグローブ選手である。
これもトラディショナル。
ますますいい。
流行に左右されない、玄人好み
の、流行り廃りに惑わされず、
軸のぶれないどっしりとした
道スタイル。
キューは良く切れる選手。
これもまた、オールドスタイル
なのではなく、ど真ん中ストレー
トの伝統的なスタイルだ。
性別も年齢も関係ない一つの不
朽性を体現している若き選手。


できる人

2023年07月22日 | open



大型ロードスポーツを綺麗
巧みに乗りこなして駆ける
性を見た。
暫くピタリと走行ラインに付
けてみた。
実に上手い。
背は高くない。むしろ低身長。
だが、上体は突っ張らずに背骨
を脱力させてごく自然に曲げ、
そして下半身でマシンをホール
ドしてぐいぐいと旋回する。
特にS字での快速切り返しなど
は芸術的だった。身体の使い方
が。
かなり乗る。完全に手足のよう
にマシンを操縦していた。

停めて降りた時に話をすると、
ニコニコとした笑顔で二輪が好
きで堪らないといった感じだっ
た。「良い笑顔」とはこの人の
ような人の笑顔の事をいうのだ
な、と感じた。

世の中、できる人の技法を観る
のは、観ているだけでとても
幸福感が生まれる。
女性ライダーはお尻突き出しの
背中そっくり返りや背骨に板
入れたような硬直直立、腕は
伸ばして突っ張って顎を出して
上半身ガチガチという人たちが
かなり多い。というかほぼそれ。
それは1980年代にも多かった
が、男ではそれはいなかった。
だが、現代では、運動身体機能
を無視する人が何故か多く、男
でもガチガチの地蔵のような塊
載りが多い。背骨伸ばし、腕突
っ張り、顎出しの三点セット。
下半身では乗らないので、足は
ステップに載せるだけで、ホール
ド操作などしない。
足の爪先はだらしなく外を向い
て、ドテッと足をステップに載
せている。ロードスポーツモデル
も。

まともに運転できる道理が無い。
理由は、それはその種目の適切
な身体用法とは無縁だから。
野球の打者がバットを持つ時に
両手を離して「俺はこれが好き
だからこうやる。誰にも迷惑か
けてないからいいだろう。俺が
楽しんでるのだから」と言うよ
うなもの。技法的なその道の道
理さえ無視する。
そして、それは二輪では危険だ。

素晴らしいものを観たほうが、
遥かに心が豊かになるし為にな
る。
映画でも、駄作よりは名作を観
たい。

乗れてる人は、男女は関係なく
ストリートロードでも観ていて
気持ちいい。
かつて30年以上前はやたら乗れ
てる人は多かったが、近年は稀
だ。
尚更、できる人のその走りは輝
いている。


ゴルフウエア

2023年07月22日 | open



こんなに脚を露出する必要ある
のだろうか、とは思うが、きっと
あるのだろう。テニスウエアの
ように。
男子もゴルフはピチピチではなく
ゆったり目のパンツが多い。
それぞれのスポーツ種目のウエア
のデザインにはいろいろ意味が
ある。

オートバイのレーシングウエア
などは一見ピチピチに見えるが、
実はある程度ゆとりがないと動
けない。二輪上でずっとヒンズ
ースクワットをやっているよう
な動きになるからだ。
二輪のコース走行はかなり体力
を使う。相当使う。特に足腰と
背筋と腕の筋肉。指も筋肉痛に
なる程使う。腕の筋肉は指の
筋肉を動かすのに酷使する。
サーキットの練習のスポーツ
行が30分区切り単位なのも、
無理なき時間の長さを考慮し
ての事だろう。
二輪モータースポーツは、明ら
にスポーツだ。レジャーでは
ない。

二輪の街乗りや峠のストリートは、
スポーティーライディングは可能
であるが、競技場ではないので、
あくまで「的」であってスポーツ
ではない。
ただし、「スポーツモデル」と
銘打っている車種は走りそのも
を楽しむ為の開発コンセプト
なっている。
スポーティーに走るのが楽しい
し、それが本来の乗り方だ。
スポーティーライドでは脚は露
出する。イン側の脚を開いて(笑
教習所や一発試験では大減点さ
れる乗り方。
だが、公道のスポーティー走行
では、サーキットに準じた身体
使いを行使する。免許試験では
ないからだ。
白バイも完全にハングオフして
いるがイン側の膝は不自然に
閉じてニーグリップをしている。
サーキットや公道ツイスティロ
ードでは、身体構造から自然の
姿勢としてのバランスを取るた
めにイン側の膝は開く。
マシンホールドは外側の足と脚
でホールドしているので、旋回
中は極めて安定する。
何が何でもリーンウイズで膝
締めというのは、教習所と免許
試験と白バイのみの限定方法だ。

しかし、白バイ隊員たちは、ブ
レーキの4本がけなどはしない。
2本がけで行なっている。
出来る、大会上位入賞者程それ
をやっている。
教習所では大減点となるやり方
だ。
これは昔と大違いの最近の進化
だ。
昔は警察は「カウル付オートバイ
は前しか照らさないから危険」と
か時代錯誤どころか的外れな頓珍
漢を高圧的に放言していた。
今は、サーキットテクニックから
流用した操作方法も採り入れて
いる。

旋回中はインの脚も両肘もぶーら
ぶら、というのが正解。
ただし、外脚と外足とくるぶし
付近の踵は存分にマシンホールド
をしている。
これはロードだからできる事。
オフロードはまた別な技法があ
る。
オフロードで旋回するのにハング
オフなどはしない。

オートバイの場合、頭部だけで
なく、重要な保護部は膝、肘、
手、そして胸部だ。
膝と胸部保護はかなり大切。
春秋冬は革パン履いているだけ
でかなり膝の防護的には違う。


夏この頃

2023年07月22日 | open


「夏この頃」 かぐや姫 - 渓流詩人の徒然日記

「夏この頃」 かぐや姫 - 渓流詩人の徒然日記

夏この頃かぐや姫作詞:伊勢正三作曲:山田つぐと編曲:瀬尾一三1974シングルレコード「妹」B面曲私が中2の5月に発売されたシングルのB面。この当時のレコードはB面に結構名...

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