
爽やかな快作である。享保年間(1719-1736)の一人の
浪人と妻の物語。
まるで黒澤映画のような作品。
原作山本周五郎、脚本黒澤明、
監督小泉堯史。
小泉監督は、今は風貌も黒澤明
にそっくりになって来ている。
これは1999年に撮影された黒澤
が暖めていた脚本だ。
撮りの手法、カメラワーク、演
出はクロサワ作品そのものの如
き仕上がりになっていて見応え
がある。
主人公の浪人三澤伊兵衛は無外
流の開祖辻月丹(1648-1728)
の高弟だった。
辻月丹。

伊兵衛は師辻月丹から無銘なが
ら直刃(すぐは)の良刀を貰い、
それを差料にしている。
江戸の無外流剣術は土佐藩に
伝わり、土佐藩では無外流を
第一流儀とした。
月丹の養子は土佐藩に仕え、
のちに士分に取り立てられて
石高は他の藩の徒士並みに低い
が、その子孫は役は馬廻役まで
出世した。
なお、剣術指南番や槍術指南番
はどの藩でも「芸者」と呼ばれ、
石高は高くはなかった。
辻月丹の養子の子孫も土佐藩か
らの禄高はアップしても最終的
には27石だった。
27石は現代価値計算で729万円。
四公六民なので知行取り武士の
27石の実収入は年間約292万円
に相当する。50石取りで実年収
がようやく540万円だ。
圧倒的大多数の武士は極貧に
喘いでいたのが江戸期だった。
それでも、武士としての体面と
品位を保つ為に身だしなみは
恥ずかしくない着物を着なけ
ればならないし、盆暮れの
上司への付け届け等の諸雑費が
かさむ。
禄高が上がれば、それなりに
家臣を雇用して武役の際の出
動員数も定められていた。
その家臣に支払う禄は自分が
殿様から貰う禄のうちからまか
なわなければならない。
下級武士でも家の使用人を置
いた。武役の時の荷役の小物
としてだけでなく、中間とし
ても、また、家の諸事雑務も
こなす作男としても働いた。
幕府も各藩も、ほんの一部の
上級武士以外は武士は内職を
しないと暮らせない程に極貧
だった。
それが武士の実像だ。
上級武士とて、藩まるごと高利
貸しからの借り入れで大借金ま
みれ、どの藩も内情は火の車だ
ったのが江戸初期以降の侍の世
界だった。
そして、命令により、パッとそ
の場で死ななければならない。
それが武士だった。
重んじられるのは、家の名誉と
個人の誉のみ。超ブラック業界
だ。
一番、幸せに暮らしていたのは、
江戸や大阪や京都の町の町人た
ちではなかったろうか。
だが、封建時代とは理不尽な
世の中で、武士は生まれた時か
ら武士である。決められている。
好き好んで武士になったのでは
ない。生まれる家など自分では
選べないからだ。
なりたくなくても、武士は武士
として生まれて来る。
生まれながらに抗えない階級と
してオギャアの時から武士とい
う烙印を押される。
家の存続の為には己個人の意思
などは武家では無視される。
そして、そうした因習は昭和
時代になってもずっと旧武家
の家では続けられていた。
居住地も自分ではなく「家」が
決める。
21世紀の現代、てんでナンセン
スだ。
日本の世の中、国民全て「家」
などに縛られない自由な核家族
になればいい。各家庭によるだ
ろうが、親と同居しても「家」
と同居するのではない。
家庭の中で互いに敬意を払う長
幼の序はあれど、親も子も孫も
同列の一人の人間として共に暮
らせる世の中が良い。
家庭の中に「権力者」がいては
ならない。
共生とは共に生きる事。
旧態然とした「家」などは死滅
させるに限る。
理由は一つ。
人間疎外を旨とする体制だから
だ。
封建時代の武家社会とは、まさ
にそれであった。
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