ゴルフクラブのように使い分け
よう、ということで少し研いだ。
これは菜切である。
1979年、大学入学の時に高田
馬場の金物屋で購入した。時計
屋さんの近所の。
この包丁は学生の時によく使っ
たが、主として野菜のザク切り
や千切り用だ。
薄刃。
これも1979年の同時期に買った。
主として大根の桂剥きや細工など
に使っていた。
こちらはかなり研ぎ減った。
たあいのない安い包丁だが、44年
を過ぎた今でも使っている。
笑える事だが、1960年代末期〜
1970年代初期の小学生時代に
よくキャンプに持って行ってい
た包丁も今でも使っている。
小学校の家庭科の授業で、自分
の包丁持参OKの時に授業に持
って行ってた文化包丁(東京型)
だ。
包丁は鋼が無くなるまで使える。
金額の大小で物の良し悪しは決
まらない。値段が安くとも良い
物は多くある。
何が良い物かというと、それは
作った職人の真面目さが作に出
ている物だ。
そうした物は間違いがない。
そして、使い倒して身が細ろう
とも、持ち主が研ぎという手を
加える事で生命を宿し続ける。
うちが普段一番使うのは洋式
包丁の牛刀だ。それの短い昭和
生まれの三徳のような長さの物。
上は2011年に新潟県内で購入。
かなり研ぎ減って小さくなった。
下は1984年に東京大森駅そばの
西勘で購入。柄が朽ちたので、
私が黒檀削り出しでリペアした。
目釘はナイフメイキングのボルト
を使用した。
包丁は長く使える。
手を加えながら。
ビリヤードのキューも日本刀も
同じだ。
どうせ持つならば、良い物を。
それは金額で決定づけられない。
包丁、キュー、日本刀。
良い物とは何か。
それは作り手の顔が見える真面
目な作の事だ。
見つめていると、真面目な作か
たわけたたばかり物かは見えて
来る。
良い物には作り手の良い心が
投射されている。
たとえ量産品であろうと、一品
物の手作り品であろうとも。