二輪車は四輪車と道路損耗度
合いが異なるのだから、二輪
専用の料金が出来てしかるべ
き。
だからこそ、1983年に原告団
を組織して1984年に1万6千人
の原告団で行政訴訟に我々が
打って出た。
結果、二輪専用料金は実現しな
かったが、それまで29人乗りの
マイクロバスと同額だった二輪
料金が見直されて軽自動車・
二輪枠が新たに新設された。
行政訴訟の奇跡と呼ばれた。
今ある二輪枠の料金体系は、
私たちライダーの多くが声を
結集して、実際に社会運動と
して、1983年〜1989年の間
真剣に取り組んだから存在し
ている。
よく1万6千もの行動に移す
ライダーがいたものだと思う。
実際に高速を走って、領収証
を添付して免許証のコピーと
訴訟費用1000円で原告とな
れた。署名ではない。現実に
国と公団を相手に訴える裁判
の当事者となるのだ。
実に多くの芸能人やミュージ
シャンたちも賛同して参加し
た。
私たちライダーが自らの手で
1980年代に世の中を変えたの
が二輪高速道路料金訴訟だった。
連日マスコミの取材を受け、
何度もニュースに取り上げられ
ていた。
私が原告団の連絡会の組織の
書記長をやっていた。
訴訟書面は弁護士の弁護団が
作るが、運営組織の発行文書は
全て私の文責としてあった。
日本の歴史上初の500台による
バイクデモも私たちが組織して
実行した。(当然、合法申請)
集会とデモ出発地点は明治公園
だった。
通常のデモのように機動隊では
なく、警視庁白バイ隊が並走規
制で横を走った。
50台ずつの梯団に分けられたが、
私は一つの梯団の先頭指揮走行
を任じた。各梯団も連絡会の
事務局中心メンバーが引率した。
かなり綿密に各人分担任務割り
と各個と全体の動きを計画した。
緻密な組織的行動として日本初
のバイクデモは実行された。
本来、高速道路は償還の終えた
路線から無料にする約束事だっ
たが、公団が勝手にルールをねじ
曲げてプール制なるものを作った。
ゆえに日本の高速道路は、当初の
国民への約束を反故にして、いつ
までも有料道路のままになった。
裁判ではそこも争点にした。
現在では、無料区間も増えている。
本日も往復使ったが、高速道路利
用で二輪でETCを使うと非常に
便利だ。
これは私は1984年段階の高速
道路料金訴訟原告団の冊子の論
述文でそのシステムの重要性を
述べたが、40年近く経ってよう
やく実現した。
私の論は夢物語の空論のように
も一部で思われたようだったが、
現代の21世紀のモーターリゼー
ションシーンを予見したもの
だった。
それは料金所の自動化だ。
ロンドンでは地下鉄の切符の
自動改札が登場し始めていた
ので、技術的には可能だった
筈だ。
ETCを利用してオートバイで
ゲートを通過すると、まるで
フリーな道路かと錯覚する。
あとでしっかり請求引き落とし
が来るのだが(笑
だが、高速で料金徴収などして
いるのは日本と日本の真似をし
た韓国くらいなものだ。
あとは全世界、どの国もフリー。
橋などの特別な道でない限り、
道路を通るのに金は取られない。
今ある状態が当たり前、だとか
思っていたら、大間違いです。
本来、道を通るのに金は取られ
ない。
これが世界の常識。
日本だけが異常なんです。