渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

二輪高速料金

2023年07月23日 | open


二輪車は四輪車と道路損耗度
合いが異なるのだから、二輪
専用の料金が出来てしかるべ
き。
だからこそ、1983年に原告団
を組織して1984年に1万6千人
の原告団で行政訴訟に我々が
打って出た。
結果、二輪専用料金は実現しな
かったが、それまで29人乗りの
マイクロバスと同額だった二輪
料金が見直されて軽自動車・
輪枠が新たに新設された。
行政訴訟の奇跡と呼ばれた。
今ある二輪枠の料金体系は、
私たちライダーの多くが声を
結集して、実際に社会運動と
して、1983年〜1989年の間
真剣に取り組んだから存在し
ている。
よく1万6千もの行動に移す
ライダーがいたものだと思う。
実際に高速を走って、領収証
を添付して免許証のコピーと
訴訟費用1000円で原告とな
れた。署名ではない。現実に
国と公団を相手に訴える裁判
の当事者となるのだ。
実に多くの芸能人やミュージ
シャンたちも賛同して参加し
た。
私たちライダーが自らの手で
1980年代に世の中を変えたの
が二輪高速道路料金訴訟だった。
連日マスコミの取材を受け、
何度もニュースに取り上げられ
ていた。
私が原告団の連絡会の組織の
書記長をやっていた。
訴訟書面は弁護士の弁護団が
作るが、運営組織の発行文書は
全て私の文責としてあった。
日本の歴史上初の500台による
バイクデモも私たちが組織して
実行した。(当然、合法申請)
集会とデモ出発地点は明治公園
だった。
通常のデモのように機動隊では
なく、警視庁白バイ隊が並走規
制で横を走った。
50台ずつの梯団に分けられたが、
私は一つの梯団の先頭指揮走行
を任じた。各梯団も連絡会の
事務局中心メンバーが引率した。
かなり綿密に各人分担任務割り
と各個と全体の動きを計画した。
緻密な組織的行動として日本初
のバイクデモは実行された。


本来、高速道路は償還の終えた
路線から無料にする約束事だっ
たが、公団が勝手にルールをねじ
曲げてプール制なるものを作った。
ゆえに日本の高速道路は、当初の
国民への約束を反故にして、いつ
までも有料道路のままになった。
裁判ではそこも争点にした。
現在では、無料区間も増えている。

本日も往復使ったが、高速道路利
用で二輪でETCを使うと非常に
便利だ。
これは私は1984年段階の高速
道路料金訴訟原告団の冊子の論
述文でそのシステムの重要性を
述べたが、40年近く経ってよう
やく実現した。
私の論は夢物語の空論のように
も一部で思われたようだったが、
現代の21世紀のモーターリゼー
ションシーンを予見したもの
だった。
それは料金所の自動化だ。
ロンドンでは地下鉄の切符の
自動改札が登場し始めていた
ので、技術的には可能だった
筈だ。

ETCを利用してオートバイで
ゲートを通過すると、まるで
フリーな道路かと錯覚する。
あとでしっかり請求引き落とし
が来るのだが(笑
だが、高速で料金徴収などして
いるのは日本と日本の真似をし
た韓国くらいなものだ。
あとは全世界、どの国もフリー。
橋などの特別な道でない限り、
道路を通るのに金は取られない。

今ある状態が当たり前、だとか
思っていたら、大間違いです。
本来、道を通るのに金は取られ
ない。
これが世界の常識。
日本だけが異常なんです。
バイクの高速料金半額化|高速道路の料金所がすべてETC専用化で一般レーン廃止

バイクの高速料金半額化|高速道路の料金所がすべてETC専用化で一般レーン廃止

  新たに始まるバイクの高速道路 料金半額化「二輪車定率割引」は嬉しいニュースだけれど、適用条件が厳しく使い勝手はあまり良い ...

motorip

 



ジャンプドローショット

2023年07月23日 | open


 



上の動画のブレイク後の黄色1番
から青2番への取り出しの手玉移
動は、単なるキューの冴えだけで
出す
玉筋。
真っ直ぐに手玉と1番が並んで

いるので、シュートの狙いは穴
の右端。
それにより穴の幅で振りのアン
グルを作って、手玉をシュート後
に左横に出してから直引きドロー
の動きで手前短クッションに密接
している青2番のシュート位置まで
手玉を引き戻す。
このジャンプドローという撞き方
は結構得意
だ。
よくやる。
そして、ほぼ決めて手玉を任意
場所まで戻して出す。一か八かで
はなく、ほぼ成功する。

マッセもそうだが、立てキューは
さほど不得手ではない。
ラシャは絶対に破かない。キュー

先を撞き下ろし直後に上に逃がし
ているので、ラシャになどタップ
は接触しないか
らだ。
当然、練習撞きだけでなく、試合
でもバンバン使っていた。

距離はロングから短距離まで。
撞き方は使い分ける。
刀法と同じく、ひとつのキュー

のさばきに属する技法。
解説などはできない。
技法の内実は習得者にしか理解
できない中身だからだ。
あえて言葉にするならば、キュー

の自重を利用してポンと撞くだけ。
日本刀の操刀と同じく、手の内の
冴えが無いと不可能。



夏の午前

2023年07月23日 | open
 


真夏である。






4年ぶりに、峠で知り合いに偶然
会ったので、一緒にヤードまで
上使ってTON-UP弾丸で茶しば
いて来た。

円を切らない 〜ライディングとビリヤードと武術等々〜

2023年07月23日 | open
 




オートバイのライディングと
玉撞きは似ている点がありま
す。
それは、リズム。
自分の中の独特なテンポに乗
せる、という事。
ガチャガチャした乱雑なのは
ダメなんです。
二輪でのスロットル操作も、
ミリ単位の体重移動も指の
作も、撞球での見切り
からア
プローチ、撞き前の
動作や撞い
た後も、はたまた
撞球でチョー
ク一つ取る時の
身の所作も。
流れるような優雅とも思える
引っかかりの無い仕草、動き
でこなすんです。
まるで、緩やかな傾斜に傾く
葉の上の滴がよどみなく流れ
るような滑らかな動き。
 
イメージでいうなら、たとえば
行って戻るような動きの時、
V字ではなく、U字で動く。
しかも極めて頂点が小さなR
往復がタイトな。まるで、
フライ
キャスティングでタ
イトループ
を作るような。
これ、武術でも全くその動きで
す。VターンやIターンは無い。
極めて狭いUターンをするんで
す。流れるように。
 
円を切らない。
これは身体を使う運動やスポーツ
や武術のキモです。
そして、それは楽器演奏でもそう。
ピアノやギターを弾く人たちは、
指の動きでIターン、Vターンは
存在しません。すべて狭いUター
ンで円運動させている。
オーケストラの指揮者の指揮棒
も直線反復運動ではなく円を
繋げて軽やかに動かしている。
それゆえ、次の動作に滑らかに
素早く繋がる。
あれなんです。
 
円を切らない。
これ、身体用法の秘訣です。
オートバイも円を切らない身体
使いを覚えると、走りが激変し
ます。ガラリと変わる。
また、玉撞きも然り。
そして、日本刀を使った剣技も。
知ると知らぬでは、中身がまる
で別物。
指揮棒や手を振ってその動きを
体感すると、直線反復ではない
タイトな円でターンして次の動
きに繋げる勘所が判ります。
小学校の音楽の時間で習った
拍子の指揮棒の動きをやって
みるとよく判ります。三角形
ではなくアルファベットの筆記
体のような円の動きになる。
そして、全ての動きに円滑性を
持たせるには、その身体用法が
活きる適切な使い方まで昇華さ
せる事。
これは自分自身のセンスと努力
によります。
でも、理解がまず最初で、次に
試す。さらに次には咀嚼しなが
考察しつつ試す。
すると何かが見えて来ます。
そして、その核心部分をモノに
して行く。
気づくと貴方の走りや撞きは
別物になっている。
お見事なお手前で、になってる。
これ、間違いないです。


ピストン

2023年07月23日 | open
 


街中の足。
スカってきたから、そろそろ
ピストンとリング換えたいな。
前後のハブベアリングとクラン
クベアリングも交換だね。
もう少し涼しくなってからに
しよう。
規制仕様のエキゾーストポート
を削り広げて、キャブのジェ
ット
も換えてみるか。
 

世界最速の250オートバイ

2023年07月23日 | open




1967年。
カワサキは世界最速の250を
作った。
モデル名はサムライ。
まだカワサキのメーカーカラー
が赤だった頃だ。
カワサキのカラーがライムグリ
ーンになるのは、世界戦に挑戦
し始めてからだ。
あえて、ヨーロッパでは「悪魔
の色」として嫌われていた色を
選択した。
「常にチャレンジャーである事
を肝に銘じる為」というのが
その理由だったという。
東洋の国などは格下に見下す
西欧というアウェイでの闘い。
カワサキの「漢カワサキ」は
そこから開始された。

カワサキの2ストマシンは実は
めちゃくちゃ良い。
公道市販車でもマッハは世界
最速をもぎ取るマシンだった。
そして、70年代後半からの
レーサーKR250と350は、怒涛
の進撃を実現し、圧倒的な速さ
で5年連続世界王者に君臨した。
500や750の2ストレーサーは
ヤマハやスズキに分があったが、
ミドルライトウエイトクラスの
250と350では突き抜けた速さ
を誇ったのがカワサキのKRだ
った。
しかし、1967年時点で、世界
最速のオートバイをメグロを
吸収したカワサキは実現させ
ていた。

カワサキの姿勢は発足当初から
荒々しい。
だが、数十年の間、日本の国産
4社の中では最低の人気だった。
しかし、実相は・・・。
カワサキのマシンは能力も最高
だったのである。

今、信じがたい現象が起きてい
る。日本の二輪メーカー4社の
中でカワサキが一番人気なの
だ。かつての時代には考えら
れない。
今、ようやくカワサキが陽の目
を見た。
それは、車作りに於いて「漢
カワサキ」を貫いていたから
だろう。