渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

イタリアの涼風

2023年07月29日 | open



暑い国イタリアの涼しげな
新型ベスパがとても可愛い。


阪神対広島

2023年07月29日 | open



甲子園に観に行きてぇなぁ。


パイロットヘルメット

2023年07月29日 | open



パイヘルはカッチョいい。

猫餌

2023年07月29日 | open



いやあ。
物価高騰の折、先々週まで800円
だった猫餌が1200円台に値上
がりした。
市内の他の店もリサーチしてみよ。
アマゾンの送料無料での販売価格
のほうが安いならば、これからは
通販だ。

うちの子たちはふたりして大食
らい。


大いなる西部

2023年07月29日 | open


西部劇はどれも名曲揃いだ。
その曲を聴けばすぐに作品が
思い浮かぶ。
そして、本当に名曲揃い。
そうした西部劇の中でも、私
が抜群の曲と感じているのが、
1958年の「大いなる西部」の
テーマ曲だ。
楽曲としても曲調の展開として
素晴らしい。
また、この心広い主人公の作品
に曲がぴったりなのだ。
物語としては、東部の都会から
西部のテキサスに結婚の為に
やって来た青年が、俺様ルール
の野蛮な西部の土地柄で苦労し
尽くすという物語。
やがて、テキサスの我儘な牧場
主の娘の婚約者ではなく、本当
に人の愛を知る、というお話。
西部劇だが、派手なアクション
映画ではなく、人間社会ドラマ
だ。
開拓時代の西部の特にテキサス
は土地は広いが人の心が果てし
なく狭く野蛮だ。俺様が法律、
という土地柄と人柄。
そして、それは暴力で他者を
屈服させる事を正義とする土
地でもあった。
主人公はそうした土地にやって
来て、心底苦労しながらも生
きて行こうとする。
ただし、テキサンたちとは最後
まで打ち解ける事はなかった。
しかし、そんな土地にも聖なる
心を持つ女性もたった一人だけ
いたのだった。




昔の曲

2023年07月29日 | open



部屋を整理していたら、昔の
ノートが出てきた。
自作曲の初書きの時の物だ。





譜面に落としていたの全く記憶
に無い(笑
私の場合、自作曲は歌詞と曲が
同時に浮かぶ。
それを整理して組み立てるのだ
が、基本的に曲と詞は同時に浮
かぶ。
その詩は最初はバラバラなので
1番から2、3と振り分けて行く。
流れに不整合がないように。

「敷石」も「けやき通り」も、
両曲とも30分位で完成した曲だ
った。どちらも実話がベースに
なっている。
曲を作り始めたのは中1の時から
だった。
でも、プロではないので、極めて
寡作。

敷石 〜shikiishi〜

けやき通り


古いライター

2023年07月29日 | open



部屋を整理していたら、大学
時代に愛用していたライター
が出て来た。
何とも趣味的(笑
70sの残影。


可変の手の内

2023年07月29日 | open

1番:穴振り、穴の右側狙い。手玉
  横出し止め狙い。
2番:引き1クッション入れて逆
  ヒネリを利かせた殺し止め
  での狙い場所への手玉出し。
3番:割れない押し玉、球勢制御。






3球とも全て異なる手の内を使っ
いる。
ビリヤードでのキューの出しは
本刀や槍のように小指を絞め
事もあるが、小指絞りによる
右方向への得物の回転現象を
ぐ為に「小指を抜く」事も多
する。
それは日本刀での手の内と逆で
あり、むしろフェンシングの指
使いに近い。
二輪車のスロットルの場合も、
日本刀型とフェンシング型の
両方をシチュエーションによ
り併用する。
二輪の場合は特にブレーキと
の関係で。
二輪車のスポーティー走法では
「ブレーキングしながら」何か
をするという動作が必要になる
からだ。
人差し指と中指でブレーキレバー
を操作しながらのブリッピング
などは日本刀の剣技系。人差し
指と親指でOKサインの輪っかを
作って中指以降でブレーキレバー
を操作する時はフェンシング系
の指使いになる。

大切な事は、固定的に考えない
事。
得たい目的によってやり方を
変えるのである。
ビリヤードでも、スタンショット
の手玉出しとドロウとフォロー
で同じ手の内、同じ指使いという
事は物理的にあり得ない。
それは、球体を動作させる運動
動作が異なるからだ。
野球の投球で、速球ストレートと
カーブやフォークが球の握り方が
違うのと同じ。

手を使う物事では可変の手の内が
とても大切。

包丁の形

2023年07月29日 | open



現在の日本の包丁の形は地球上
の万国のスタンダードとなって
いる。
世界中の包丁が日本をお手本に
して日本が世界を牽引している
訳だが、この現在の日本の包丁
の形状が成立したのは幕末の
文化文政年間のことだ。
それまでの日本の包丁は正倉院
に残っているような、いわば
日本刀の小刀や短刀形状の物を
料理包丁として使っていた。
つまり、柄の延長線上に刀身が
ある物だった。これは江戸期
中期頃まで続いた。(例外あり)

(正倉院に残る古代の包丁)


(江戸期の包丁。この形が
幕末まで一般的だった)

初ガツオをさばく女性
『十二月の内 卯月初時鳥』
(豊国作/国立国会図書館蔵)

現在の包丁は、平和な世になり、
堺の鉄砲鍛冶が鉄砲製造の仕事
が激減したため包丁鍛冶に転じ
たことを嚆矢として、各地の刀
鍛冶も包丁鍛冶に転じたりした
ことにより一気に発達した。

『日本山海名物図絵 巻之三 堺包丁』
(平瀬徹斎著/長谷川光信画/
宝暦四年-1754年)

この堺の包丁には、出刃包丁と
刺身包丁等が図示されている。
さらに「まな箸」と「たばこ包丁」
も名物として紹介されている。
幅が広い菜切も見える。
ただし、これらは、1754年時点
でまだ「名物」であるので、一般
的に全国的に普及するのは1800
年代に入ってからであるとする
のは、各種文献等や江戸期から
続く現代包丁のメーカーの論に
蓋然性があるし首肯できる。
現代に続く日本の包丁の形状が
ほぼ確立されるのは、幕末に入
ってからというのがどうやら
歴史事実のようだ。

私個人は、それまで一千年以上

続いた日本の短刀形の包丁が、
なぜ幕末に一気に現在の形状に

なったのかという疑問がある。

短刀はこのような太刀・刀の

ごとき使い方はしない。


短刀も包丁も片手で使うが、
包丁は幕末期に現在のような
柄の延長線から下方に身と刃が
伸びた形状になった。




私はふと思いついたが、これは
包丁を造る鍛冶職人が、それ
までの刀とは別形状の物を考
案して、物理的に使い勝手の
よいことを思いついて新規導
入した結果、現在まで続く形
状になったのではなかろうか。
そして、その形状は何からヒント
を得たかというと、鍛冶職自身
が使うこれだ。






通常の玄翁(トンカチ)とは
異なり、鍛冶職が使用する鎚=
ハンマーは効率良く力が伝達
できるようにするため、長年
の経験から柄部分よりも下方
向に本体の身が伸びた形状に
なっている。
この鍛冶が使う手槌の形を刃物
に置き換えたのが江戸幕末~
現代の日本包丁の形状だったの
ではなかろうか。

それまでの包丁はいってみれば
ナイフと同じで、このようなシ
ルエットとなる。


あるいはこちら。(上側が刃。

これは片刃小刀)


このような形状は、ゴボウの

ような物を手に持って削るに
はよいが、まな板を使って食
材を切断したり、細かい加工を
するのにはかなり不便である
ことが現代包丁(江戸幕末に
発明された形の包丁)を使用し
てみるとよくわかる。

(現代包丁)


私は思うのだ。
この幕末に考案された堺の鉄砲

鍛冶から始まり、各地刀鍛冶が
その流れに合流して形成されて

きた日本の包丁の形状は、鍛冶
職が使用する鎚を見て、ある時

どこかのだれかの鍛冶が「これだ」
と思いついて実行し、それが世

に広まったのではと。
そして、その包丁は日本の常識

となり、21世紀の現在、地球上
でのスタンダードとなっていっ
たのでは、と。
だとするならば、最初に「あ、

これは・・・」と思いついた
鍛冶職は歴史的足跡を残した。

(この形からコミのあるアゴ

の出た包丁の形状を思いつい
たのでは)


今の日本の包丁というのは、

本当に実に使いやすい刃物だ。
まな板の上で作る料理に最適な

形をしている。


この包丁の形状の劇的な変化

(緩やかな変化ではなく革命
的とも呼べる一挙的な変化)の
現象は、鉄砲鍛冶、刀鍛冶職
が転職を余儀なくされた時代
背景、大衆食文化の絢爛化、
まな板の普及発達、といった
社会背景の大きな転換点に
発生している。
現行に繋がる日本文化のほとん

どが江戸中期~幕末期に形成さ
れたが(着物なども江戸初期の
物ではなく、中期以降幕末期の
物が現代まで継続している)、

やはり幕末に大きな転換が日本
社会の各方面に見られる。
包丁の変化も、その社会現象と

リンクする文化史の側面を形成
する一現象のように捉えること
ができると私は思うのである。

そうした大局から俯瞰すると、

「包丁はなぜあの形になった
のか」ということも薄っすらと
おぼろげながらシルエットが
見えてくる。
もっと早い時期(例えば南北

朝時代とか)に現行の包丁の
形状になってもよかったとは
思いがちだが、江戸期に平和
産業へ転じた武器鍛冶の存在、
時代の大きな変化と要請という
ものがなければ、現行の包丁の
カタチというものは登場しな
かったのではなかろうか。

その日本の包丁が現在世界各国

の包丁に影響を与えている。
三徳と呼ばれる包丁の形状は 

SANTOKU という固有名詞と
なって、KIMONO のように

日本文化の定番として海外では
認識されるに至った。
文化包丁と呼ばれる、文化年間

に確立した今ではどこにでも見
られる一般的な家庭用料理包丁
がいわゆるそれである。
現在、日本の料理文化=包丁文

化が世界を席巻し、世界中に影
響を与えて世界の食文化に利便
性を提供している。
社会情勢の変化が背景にあった

とはいえ、もし、今の包丁の
カタチを思いついて考案したの
が名もない一鍛冶職だったと
すると、その鍛冶職は、とてつ
もないことをやってのけた人だ
と私は思う。

ただし、日本刀型短刀系の旧

包丁の形状に近い包丁も現代
には存在する。
それは精肉を作る際に使用す

る「骨スキ」と呼ばれる包丁
だ。
刀身に微妙な反りもあり、反り

により現行狩猟用洋式ナイフの
スキナーの役目も果たし、さら
に柄の延長線上に刃があること
で肉の削ぎ落しや解体に便利な
力を加えやすい形状となって
いると見受けられる。
しかし、大型家畜である牛や豚

の精肉業が大規模に始まるのは
明治以降であるので、これが
旧和包丁の短刀型形状を継承し
た物であるか否かは私は知らな
い。

(骨スキ包丁。肉塊解体専用の包丁)