1962年の新宿淀橋浄水場と
国電新宿駅。
私が東急東横線中目黒駅そ
ばに住んでいた頃の国電新
宿西口はこんな感じだった。
右上の緑地帯は新宿御苑。
私は新宿御苑で生まれて初
めて二足歩行をした。
今もそうだが、この62年の
写真を見ても判る通り、新
宿区は駅周辺に繁華街とビ
ジネスビル群があるだけで、
あとは全域びっしりと住宅
街だ。区政は昔から都内随
一の開明的な面を持ってお
り、児童福祉にも手厚い。
新宿区はとても住みやすい
非常によい町だ。
唯一の欠点は地価が異常に
高い事だ。山手線内の旧江
戸地区は特に土地が高い。
大学や専門学校や高校の数
も多く、文京エリアでもあ
るのだが、それゆえアパー
トメントと銭湯も多いのが
新宿区だ。それと杉並区と
並んで山の手では寺が異様
に多い区。丘陵地帯なので
坂もとても多い。
目黒区同様、地形は起伏に
富んだ住宅街に道が伸びる
景観も良い町だ。
人々の暮らしの息吹が感じ
られる町。それが新宿だ。
今はこう。ビルの向こうの
緑地帯が新宿御苑。元は信
州高遠藩内藤家の下屋敷が
あった場所だ。
ビル群以外は今もびっしり
と住宅街。
駅西側のこちら側も、歩い
てみると分かるが、町の感
じがとても良い。さらに江
戸時代に近藤勇さん、土方
歳三さんの試衛館があった
柳町や神楽坂周辺などは、
今でも江戸の町の気配を感
じられる閑静なとても雰囲
気が良い街だ。
そうした新旧の空気が交差
する区が新宿区だ。
都心部のオアシス新宿御苑。
背景の超高層ビルができた
以外、景色は何十年経とう
と変わらない。最近では狸
も棲息しているようだ。
淀橋浄水場跡地に新宿西口
超高層ビル群が登場したの
が1970年代中期だ。
私が文京区の高校に通って
いた頃にバンバン建った。
池袋のサンシャインビルが
建設されたのも1973年から
で、1977年にはよく学校帰
りに池袋ぶらんでーと東武
デパートの屋上に上がって、
彼女と池袋の夜景を眺めな
がら「きょうはサンシャイ
ンは何階までできたね」と
言ったりしていた。
池袋サンシャイン60が完成
したのは1978年の春、私が
高3になった時だった。
その頃、新宿西口は超高層
ビル群がすでに乱立し始め
ていた。
ビジネスビルだが、エレベー
ターには自由に乗れたので、
学校帰りに寄って最上階まで
登ったりしていた。今のよう
な超高速エレベーターでは
なく、結構時間がかかった。
但し、現在の都庁のような
展望室は無かったので、単
に超高層ビルのエレベーター
乗りの探検にしかならなか
った。
1970年代中期頃、新宿は新
たな冠名称で「副都心」と
呼ばれた。まだ都庁は丸の
内にあった。
都庁が移転したのは1990年
だが、建設開始はバブル絶
頂期の1988年だ。
建築過程も毎日のように見
ていたが、あの超高層建築
を2年強で完成させてしまっ
た。基礎以降、ビルを作り
始めてからはアッという間
にどんどん建物が日々高く
なっていった。
建築途中に目の前で見たら
「なんだこりゃ。バベルの
塔か?」みたいに思った。
不思議な二連建物だったか
ら尚更異形を放っていた。
今は副都心という名称は湾
岸部を埋め立てて造った地
面の場所=お台場周辺の事
を臨海副都心と呼ぶらしい。
新宿のほうが副都心ではなく
都庁機能が移転して本当の
都心になってしまったから
だろう。国会や首相官邸等
はまだ千代田区にあるが。
臨海副都心
新宿副都心
東京から首都機能を大阪へ
移転させようとしたがる政
治勢力もいるようだが、実
質的には無理があるし、メ
リットも無いように思える。
我田引水的な地元誘致意識
だけで日本の首都移転を主
張されても、国民たちは困
るようにも思えるのだが。
政治屋というのは、その多
くが国民生活の事などはど
うでもよく、自派の思惑を
実現させるのが第一義だか
ら。特にこの国は。
それは、土建屋政治が根付
いた頃から政治屋の鉄板と
して君臨している。
政治屋たちは国家権力と蜜
月に結び合って。
それでも地球一の我儘暴れ
者の北の某半島国やツンド
ラがある心寒い国や俺様大
将世界の憲兵ぶってるジャ
イアン国や侵略好きの狡猾
な赤い似非人民大陸帝国よ
りはずっと日本は良い国だよ。
これ、ほんと。