渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映像と真実の違い ~時代劇のミス~

2024年07月27日 | open

映画『雨あがる』
(製作1999年、公開2000年)


無外流というよりも、二天一
「さっせん」の業を繰り出
す時
の構え、もしくは新陰流
「無形
の位(むぎょうのくらい)」
にて
構える三沢伊兵衛(寺尾聡)。

余談ですが、
平成初頭、ある
連盟主催の試斬
大会にて、自
由業の部の際に、
私がこの構
えから全く起こりを
見せずスッ
と畳表を突いてから、
返しで
パッと首を刎ねる(畳表の
瞬息
切断)剣技を演武したら、「そ
な気合の入っていない業な
ど無
い」と大会関係者から評
された。

私の術技に理解が及んだのは、
物切りだけやっている人たち
ではなく、古流剣術に精通し
た方々のみだった。
抜刀道や物切りだけをやって
いる人のほとんどは、本式の
古流剣術や居合を知らず、道
統の遠祖から続く古流剣法の
流儀
を学んだ事も無い人が圧
倒的
に多い。
きちんと師について学んだり、
古流剣術や居合を学習修練し
ていないから、真剣日本刀の
抜刀や納刀さ
えもままならず、
ただ刀を抜
いて、叩きつけて
物を切断(本当
は大抵は刃筋
狂いでまともには切れてはい
ない)する事のみに躍起になっ
ている。
それらは、日本武術である本
物の日本剣法とは全く無縁
だ。


これなんですけどね。
三沢伊兵衛が殿様との試合で
殿様の槍を抱えて殿様を池に
押し倒した時。
槍の穂先が折れてただの棒に
なってしまっています。
これはまず絶対に近い程あり
得ません。
なぜならば、槍というのは穂
先が折れないように焼きの入
っていない中心(なかご)がとん
でもない長さで柄の中に埋め
込まれているからです。
なので、時代劇などで槍の柄
を穂のすぐ下から刀でスパッ
と切り落とすのも大嘘。切れ
ません。できるのは古今東西
冥府魔道に生きる拝一刀く

いなもので(笑
あと、不二子ちゅわんに最初

惚れていた石川五エ門とか。
この『雨あがる』では、穂先
の下のナカゴが極度に短い
影用の木製槍身を使ってい

のでこのような大ミス映像

なってしまったのでしょう。

黒澤明の脚本のままで、ワン
カットの長回しも多用したよ
い写真
を撮っているのに、実
に惜し
い。

本作の中では、私が一番好き
なシーンは、殿が伊兵衛の差
料の刀を鑑賞するシーン。
これも本当は刀身を前にペラ
ペラしゃべる武士はいません
が、創作物としても、なかな
か良い爽やかなシーンでした。
無外流開祖辻月丹から伊兵衛
頂いた無銘直刃(すぐは)の刀。

そのシーンの英語字幕部分に
ついて、日本刀
探究者である
私が考察してみ
ました。
よろしかったらどうぞ。↓

英文にみる日本刀の観賞表現 - 渓流詩人の徒然日記

英文にみる日本刀の観賞表現 - 渓流詩人の徒然日記

『雨あがる』(1999年東宝)という黒澤明脚本を映画化した良作映画がある。これは『道場破り』(1964年松竹)という映画のリメイクであり、原作は山本周五郎の小説『雨あがる...

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