1982年全日本ロードレースの
チャンピオンマシンに本人が
跨る。1949年生まれ。
デビュー当時からめちゃくちゃ
速い人だった。
レーシング(空吹かし)の巧さ
に惹かれる。
完璧にツキとスロットル開度
を同調させるやり方。
アクセレーションが最高に巧
く日本一、否世界一に並んだ
のは、スズキ→カワサキ→ホン
ダに移籍した阿部孝夫さんだ
った。世界一の開発ライダー。
1948年生まれで水谷さんの
ひとつ年上だ。
身長165で体重85kg。
だが、開発ライダーなのにテ
ストの為に1980年代に入って
も全日本にも時々ワークスと
して出場し、ポンとポールポ
ジションを取ったりする。
恐ろしいのは125から500から
TT-F1までどんな排気量に乗っ
ても阿部さんは速い。
多分だが、シャケさんと並ん
でオートバイを一番よく知っ
ていた世界有数の人だったと
思う。
カワサキの無敵王者のレーサー
KR250/350は阿部さんが開発し
た。
1980年代にはアベちゃんと呼
ばれてファンには親しまれて
いたが、阿部さんがウイリー
した写真を掲載した雑誌は
「ペンギン阿部」とちゃかし
たりしていた。
最高の二輪開発ライダーだっ
た。
水谷さん、阿部さん、片山さ
ん、平さん、木下さん、金谷
さん、河崎さん、高井さん、
浅見さん、木山さん、清原さ
ん、石川さんたちがいた頃が
ロードレースは一番面白かっ
た。
なんてのか、今みたいに人と
人、業界がドライではなかっ
たよ。WGPがコンチネンタル
サーカスと呼ばれた時代は日
本においても。
今は、業界人の関係性がずっと
ドライコンディション過ぎる。
ハイサイドになるぞ。
阿部孝夫さんは2007年の春、
残念ながら病没した。58才。
「日本の宝」が失われた。
オートバイを誰よりも深く知
る人が失われた。
水谷さんはずっと元気でいて
ほしい。
阿部孝夫さん。