渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

スーパーカブ(2019年記事再掲)

2023年12月21日 | open



私が生まれて初めてオート
バイに乗ったのは2歳の頃だ。
ヤマハYDS-1。
私の家は母方の親族も父方の
親族も、1950年代から1960
年代にかけてオートバイに乗
る者がかなり多かった。
初めて乗ったオートバイでは
タンクに跨り、目の前の突
起物を必死に掴んでいた。
そこはダメと別場所を握り
直されたが。
近所を一周して帰って来た
時、まだ幼すぎる私を乗せ
て大叔父がバイクで走行し
てきた事に母が仰天して私
を下ろそうとしたら泣き出す。
そしてまたタンクに乗せる
とキャッキャと喜ぶ。
そして、エンジンを切ると
泣き出す。
再度エンジンをかけると声出
して手を叩いて喜ぶ。
私はその時の記憶が鮮明に
残っている。
私の様々な記憶は1歳頃から
あるが、その時の大叔父の
セリフも覚えている。
「ほれ。泣き止むじゃろ?
おかしな子じゃのう」
私の子は1才半の時にはごく
普通に言葉を話し、普通に会話
していたが、母によると私もそ
の年齢頃には普通に会話をして
いたらしい。
ただ、セリフが鮮明に記憶に
刻まれているのであるから、
言語は理解していたのは確かだ
ろう。

私のその生まれて初めての
原体験は、タンクを運転者
の股の前面に備えた「オート
バイ」であるから可能だった
ことだろうと思う。
これがスーパーカブであった
なら、不可能であったことだ
ろう。

しかし、生まれて初めて自分
自身の一人だけの力で二輪車
を走らせたのは、ホンダのス
ーパーカブだった。
中1になる年の正月、父の広島
県の実家に行った。
国鉄駅からは歩いても行ける
が、荷物があったのでタクシ
ーで向かった。
すると、敷地がライトで照ら
されたら、必死にバイクをキッ
クしている人がいる。
一つ学年が上の東京のイトコ
だった。
タクシーから降りて、「なに
やってるのー?」と訊くと、
親戚の氷屋のおっちゃんのカブ
を勝手に敷地内で乗り回して
いるのだという。
面白そうだから、私も早速、操
作の仕方を教えて貰って乗って
みた。
衝撃的だった。
なんだこれ?
アクセルひねったらいくらでも
前に進むぞ。
ギアはロータリーなので、さら
に上があるかと間違えてトップ
からローにループ戻し入れして
しまいギャンギャンと後輪が鳴
いた。
「違うよー」とイトコの兄貴が
言う。「こうだよ」と手本を見
せてくれた。
上手かった。
そのうち、母屋のほうから「ご
飯だよー」と伯母と叔母の声が
する。はーいと返事して家に
入った。

翌朝はイトコと二人で敷地内で
カブを乗り回した。
所有者の叔父も「よう乗るん
か?(ちゃんと運転できるのか)」
と言うだけで、「外に出たら
いけんでー」と言いながら自由
にカブを乗らせてくれた。
昨夜の短い時間よりもたっぷり
と乗り、充分に楽しめた。
すると、外の道路を走ってる
バイク警官が敷地に入って来た。
「免許証」と言う。
はあ?とか思っていたら「免許
証!免許証を見せなさい!」と
再度言う。
「免許?んなもんないっすよー」
と答えると「歳は?」と問う。
「じゅーに」と言ったら向こ
うが「はあ?」
と言った。
まあ、私は中1の終わりから今
の身長だったので、その時も
高校生くらいに見えたのだろう。
それに言葉が地の言葉でないの
で不審に思ったらしく、まじま
じと私のことを上から下まで眺
めてる。
その時、母屋から東京の叔母が
出て来て、「敷地内で乗ってる
んですから。ほら、あんたたち
は家の中に入ってなさい」と取
り繕ってくれた。
本当は、塀で囲まれた敷地内で
ないと自動車の運転は私有地内
でも禁止ではあるが、生垣のあ
る敷地内に勝手に入ってくるオ
マワリもオマワリだ。一族もオ
マワリと先公揃いだが、どうも
好きじゃねえよ、サツは。
明治時代は、サツと薩摩をかけ
て、おいコラ官憲が多かった薩
摩っぽを揶揄してマッポと言う
のが警官に対する揶揄言葉とし
て新東京では成立した。明治の
壮士絢爛の頃は。
マッポという言い方は、私の少
年時代にもごく普通にオマワリ
を揶揄する時に使っていた。

で、その時から、原動機付二輪
車の自己運転の楽しさを知った。
その後は、免許がないので一般
公道は走れなかったが、ヤマハ
の2スト5速車でオフコースを走
り回った。
困ったのは、バイクの乗り方を
リターンギヤで身体が覚え込ん
でしまったので、16才で初めて
教習所に行って自動二輪免許の
実車走行の1限目にロータリー
式に乗せられた時、変速をかな
り逆に間違えて教習中止になっ
た事だ。
教習所のベンチで見ていたクラ
スメートたちは大笑いしてる。
「おめー、だっせーなー。無免
でコースで乗ってる時のほうが
上手いじゃん」と。
教習時間内ラストで申し入れて
リターン式に乗せて貰った。
教官驚いていた。「どこで乗っ
てたんだ?」と。
教習車はヤマハRD350だった。
2ストの丸タンクの古い型式の。
ホンダCBもあったが、RDのほう
が私にはしっくりきた。
当時、教習車は自分で選べた。
指定割り当てではなく、教習前
に「きょうは私はこれ」と選べ
た。
私はRDばかりを選んでいたが、
先に他の人に取られてしまう
こともあった。
それに、そのRDは整備バッチ
リで絶好調の吹け上がりだった
のだ。CBはもったりしていて、
好きになれなかった。

私の初体験は2歳頃のヤマハで
あり、自主運転はホンダのカブ
だった。
だが、私が自分で開花したマシ
ン一体化の感性の萌芽はヤマハ
GTの2ストマシンによる。
ミニトレ、世界最高!なんて思
っていた。
そして、晴れて公道を走れる免
許を得る教習所においても、ヤ
マハRD350の鬼吹けマシンが
一番好きだった。
免許取得後に初めて所有した
バイクは、例のイトコ兄がくれた
カワサキの2ストマシンだった。
イトコ兄はスズキのGT380=サン
パチにも乗っていた。モスグリ
ーンの渋いバカっぱやバイクだっ
た。
私はそのカワサキが盗まれてし
まって後(警察からの通報で発見
したが)、高校時代にはホンダの
4ストを2台乗ったが、やはり2スト
が好きだった。これは感性のマッ
チングの問題だ。カワサキの2スト
が好きだった。

スーパーカブは、ギネスにも載る
程にやはり名車だと思う。
ただ、私はカブは好きだし認めて
いても、私自身がカブを所有して
乗ろうとはあまり思わない。
吹け上がりがもったりしすぎてい
てたるいからだ。
もちろん、それもカブの味なのだ
けど。まるで農耕馬のようなタフ
ネスさも。
だが、私自身は、クォーターホー
スやサラブレッドのような馬に乗
りたいというのがある。
農耕馬は否定しないが、乗って
走りたいのはそれではない。私
自身は。

それでもカブは名車である。
こんなタフネス実用車は他に無い。


カブの真似っこバイクで、スズキ
が2ストのバーディーというのを
出していた。
昔てのはいい加減なもんで、中学
の数学教師が乗っていて、それを
よく先生と仲良し生徒たち(全員
ツッパリくん)が先生公認で校庭
で乗らせて貰っていた(笑)。
私はよく両輪ドリフトをやって
イェイ!と喝采を受けていた。
先生は「おい!壊すなよー!」と
叫んでいる。
その先生は、僕らが高校生になっ
てからも、宿直の日に中学に遊び
に行くと歓迎してくれた。
みんなツッパリ君だったけど、な
んだかグレてはいなかったように
思える。
教師たちもいい男が多かった。

私の人生、バイクあり。そして
人あり。
今も、バイクと人と共に生きて
いる。


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