渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

小粒でピリリと辛い

2024年12月26日 | open
 


銃も刀も二輪もちびっこい
が好きだ。
ガラは小さいがビシッとした
実力を持つやつ。
そういうのがいい。
二輪でも、コンパクトで軽く、
走りは極めて鋭く、俊
のマ
ンが良い。
これは人間でも。
図体ばかりでかくて鈍重な
抜けはいただけない。
小柄でもキビキビしてちゃっ
ちゃと動いて人一倍の能力を
見せるのがいい。人も物も。
小さなSAAの一番小さな4.75
inバレルでも.45ロングコルト
でドカン一発ノックダウン、
みたいな。
元来大昔から日本のヒーロー
はそういうパターンだった。
柔をよく剛を制す、という
姿三四郎パターンのような。
劇画「子連れ狼」の原作は
一刀の胴太貫(どうたぬき。
在の同田貫=どうだぬき
別物)は脇差だからね。
実写化では長い大刀にされ
しまったけど、本来は短
頑丈無比な斬鉄剣が拝一刀
胴太貫だ。

なんでも柄がでかいのが偉
うにするジャイアン指向が世
の中の頭空っぽの馬鹿どもに
好まれるようになったのは
く最近の事だ。
というか、バカたちがでか
顔をするようになった。
そういう傾向は、デザート
ーグルを最強拳銃と妄想して
好んだり、極太長大刀を好
でドヤ顔してたりする頭が空
き缶のような空っぽ連中で、
それらが日本に登場してドヤ
ってる現象。
交通社会では二輪では排気
マウントしたり、四輪では大
柄ミニバンに好んで乗って他
車を煽りまくっているジャイ
アン脳のやつらの登場。
それはごく最近の事だ。

二輪車でも大排気量マウン
という魔訶不識な連中が大型
二輪簡易免許制度施行以降に
突如として跋扈し始めた(ド
勘違い野郎たち)が、そうい
うのは現実には峠で125にぶ
抜かれたりしている(笑
走行実力がないゆえに大型を
選んでドヤって自分の非力を
覆い隠してふんぞり返ろうと
している。
現実に、ほんとそれ。

くっそダサの極みだ。
アルファードなどの煽り野
も、後ろでブイブイ煽ってい
ながら、TON-UP遥か超で
ちぎると全くついて来ない。
くっそダサ。
能ある鷹は爪を見せないの
が、オラオラ連中は見せる
のは馬鹿を丸出しで見せ
る。

そもそも、二輪での大排気
量オラオラや四輪のバンで
の煽り腐れ頭の連中は世の
中の人間社会でも不
思議な
現象で、連中の脳内背景に
は何か屈折し
たコンプレッ
クスがあって、それの裏返
しで虚構の大柄物を得る事
で反社会的な優越嗜好性を
見せるのだろう。
でけえ車が偉いとか思い込
んでるならてめえは
ダンプ
でも乗ってろ、
という感じ
なのだが、大き
な車に乗る
と自分が王様に
でもなった
歪んだ不健全で正常ではな
い異常な精神性を帯びた錯
覚を持つのだろう。
じゃあおめえ、ラーメンは
味で勝負ではなく、大盛り
や3杯ラーメンが偉いのか
よ、てな感じ。デカモノを
偉くなったと勘違いしてる
連中は根本的に頭がおかし
く、価値基準が著しく貧
い。
それは刀にしてもそうで、
通常の日本刀の体配を大き
く逸脱した巨大刃物を持っ
てドヤっている頭空っぽ人
が偉そうに剣の遣い手を自
認して調子こいてるという
噴飯ものの実例もある。
厳密に解析すると精神病な

のだが、それを置いておい
ても、人間自体がちっこす
ぎて話にならない。
柄が小さくと
もバリ突出能
力の真逆の存
在。存在自体
がくそダサの
極み。
思わず映画『少年メリケン
サック』の佐藤浩市の台詞
を言いたくなってしまう。



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