二輪乗りたちが最近好んで無
自覚に使う用語の「ご安全に」
という言葉は、本来日本語に
は無い。言語学的にも日常的
な用語、用法としても正しい
日本語として、それは存在し
ない。
「故障中」と同じで、無い。
「何気に」と同じで、「ご安
全に」は文法上も正しい日本
語ではない。「おめー、きめ
ーんだよ」と同レベルの創作
造語言語だ。正式な日本語に
は存在しないし、物理性を骨
子とする文法上も、そのよう
なおかしな使い方は存在しな
い。
正式な挨拶の場で「チョリース」
と言って挨拶をした気になっ
ているのと全く同じだ。
だが、無いものをあるかのよ
うに日常的に振舞う人々によ
って、母国語たる日本語は崩
壊し、変節して行く。
それはこれまで繰り返されて
来たことだ。
無思慮で無頓着な人々によっ
て、母国の言葉が消滅して行
く。国の文化が破壊され無く
なって行く。
当然、そうした母国語に無関
心な人々には憂国の情なども
一切無い。
母国語などを大事に思う感性
とは無関係な無秩序な惰性で
ただ日々を生きているだけ。
大抵それらは「良市民」ぶる。
ニッポン崩壊。
でも、仕方ない。
総理大臣でさえ、国会の場で
「未曾有⇒みぞうゆう」(麻生
総理)とか「云々⇒でんでん」
(安倍総理)とか言って分別顔
している位だから。
彼らは日本人なのだろうか?
真の日本の人士なのだろうか。
結論的には、そういう事。
彼ら両名が極めて非日本的で
あり、母国愛など持ち合わせ
ていない存在である事を自ら
国会の場で証明してくれたの
である。
だが、人に良かれと思って
「ご安全に」と声をかけて
親切にしたとか、気遣いをし
たとか思っている連中は、
実は大変無礼で失礼で恥ず
かしい事をやっているのだ。
しかし、恥ずかしい事である
という自覚は無い。麻生や
安倍と同じく。
その種族たちは、自問して
自分の在り方を検証する事
などはしないからだ。
そこからして、すでに恥ずか
しい事であるし、全く日本人
らしくない。
だから、言葉が自堕落になる。
言葉が自堕落という事は、人
間が自堕落であるという事だ。