渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

信頼=不動の安定性から生まれる

2020年11月28日 | open


1995年に友人から貰ったこのブローニング
にはかなり信頼を置いている。
信頼とは、ふわふわした不安定でコロコロ
と変わるものには置くことができない。
「不動の不朽性」のようなものを備えた
ナイフでないと信用はできない。
これは物だけでなく、人についてもそうで
あろう。


このナイフはこの人から貰った。


今でもちょくちょく連絡取り合う。
こん男は見た目もだが、中身が漢。
付き合うならば、人を絶対に裏切らない
こういう男でないとならない。


小汚い裏切りや裏や陰でのちょろちょろ
したネズミのような振る舞いで外道を働く
人倫にもとる下衆は近寄って来ても見切ら
ないとね。
見抜く一つの方法あるよ。
目を見てごらん。目が泳いでいるから。
心根が薄汚れていて後ろめたいことやって
いる自覚はあるのに嘘ぶっくらこいてるか
ら精神不安定で目が泳ぐんだよね。
その手の人間は信用してはいけません。
精神が不安定なので、いつどう転ぶかわか
らないからです。どんな時でも、自分のみ
を唯一絶対的な正義とするような族です。
米国の精神科医のモーガン・スコット・
ペックが著書『平気でうそをつく人たち』
で指摘した「邪悪な人たち」という精神
分類の人間ね。
ペックが著書を出版した頃は、呼称類別
が無かったので、説明のしようがなくて
そのような呼称で呼んだが、今では、その
「邪悪な人たち」は、精神病として認定
されている。
しかし、困りものでもある。
精神病だからと、実害のある犯罪を犯し
ても処罰されないのか、という社会的な
問題があるからだ。
精神病者は、どんなに人でなしのひどい
事をしても罪にならないのか。
そこなのである。

だが、事実としては、とんでもないひどい
こと(完全に犯罪)をやりながら、いけしゃ
あしゃあと生活してる野郎がいたりする。
目は泳ぎまくっているので、見れば即判
る。嘘も周囲につきまくっている。
注意されたし。



携帯刀掛け

2020年11月28日 | open



この自作携帯刀掛けは、何かと便利。
畳むとぺったんこになる。
ピコグリルの焚火台みたいなもん(笑)。


小説『大江戸釣客伝』

2020年11月28日 | open

過去にも紹介したけど、この小説が面白い
のよー。
今、再読してハマってます。

作者本人も釣りが好きなのだけど、一度
テレビ番組でフライフィッシングをやって
いて、釣れないからとルアーにその場で替
えた時は、「こらー!ちょっと待て!」と
思ったけどね。
そんな安易にやりたいなら誰でも釣れる
餌釣りか投網でも打っとけ、とね。
何が何でも釣る、そのために手段を選ば
ない、てのは釣り師でも釣り人でも釣り
好きでもないんだよね。それは釣りでは
なく漁労なの。

江戸期、享保年間に記された旗本津軽采女
による『何羨録(かせんろく)』は、日本の
『釣魚大全』ともいえる最古の釣り専門書
とされている。
江戸期の江戸が何が面白いって、多岐に
亘る各分野で超オタクの極め者たちのプロ
フェッショナルぶりが開花したことだ。
幕府はたびたび綱紀粛正を表看板に取締を
したが、為政者である武士からしていろん
な分野で極め者になっていた。それは広く
芸術的な分野にも及んだ。
釣りに関しては、日本海に面した庄内藩
などは武芸の一助として釣りを奨励して
いた。
釣りは、武士も町人も、食糧確保として
の目的だけでなく、釣ることそのものを
楽しむ「スポーツフィッシング」の思想
が既に江戸期には日本では発生していた。
釣りというのは、なかなか釣れないから
こそ面白い。どうにか釣ろうと人は工夫
をするから。
魚との勝負、みたいな面が釣りにはある。
というか、それがメインだ。

江戸期の江戸湾。
洲浜が多く、魚の宝庫だった。


キスなんてのは、江戸湾の定番だ。
今、この洲浜は全て埋め立てられた。
西本願寺の隣にはうちの藩の浜屋敷があっ
た。いわば、藩の私設港湾施設であり、
海上輸送の物品の上陸拠点でもあった。
藩邸という呼称は明治以降の呼び名で、
江戸期には「藩」は正式名称ではないた
め、「藩邸」は存在しない。上屋敷、中
屋敷、下屋敷、抱屋敷、蔵屋敷、浜屋敷
などだ。
広島藩の上屋敷は現在の警察庁隣りの
国交省(旧運輸省、食堂の飯が他省より
美味かった)の場所で、中屋敷は国会議事
堂と赤坂サカスで、下屋敷が原宿表参道
一帯だ。
備後安芸広島浅野家は大藩だったので、
屋敷も多くあった。当然、江戸詰めの広島
藩士=家中も多かった。江戸生まれ育ちの
浅野の家中も多く、おのぼりさんとはちと
違っていた。
非番の日には、浅野の家中も藩士仲間たち
江戸湾で釣りしたに違えねえ。と思う。
上屋敷は江戸城に面した公邸なので、謡曲
鳴り物は禁止だが、中屋敷以下では禁止さ
れてはいなかった。家中の士は詩吟を吟じ
たりもしたことだろう。
飛び道具の稽古は江戸の府内では禁止だ。
手裏剣なども禁止。
しかし、最後の将軍は手裏剣の名人だった
ので、一橋時代に習得したと思われるが、
一体どこで御法度である飛び道具を学んだ
のか(笑)。
手裏剣さえ禁止なので、鉄砲などは江戸で
は厳禁だ。よって、江戸屋敷で砲術稽古は
できない。「入り鉄砲に出女」は学校でも
小6の時に習った事だろう。
自然と江戸では剣術が流行る。

広島藩浅野家中屋敷の跡地。港区赤坂。




広島藩中屋敷跡地。千代田区国会議事堂。


広島藩下屋敷跡地。渋谷区原宿。


本日のレインボー 2

2020年11月28日 | open


先ほどの三原港。
こいつぁ朝からいいあんべえだぜ。

本日のレインボー

2020年11月28日 | open



本日の瀬戸内レインボー。
天地真理の歌を思い出す。
もしくは、ドラマ『サインはV』。
古い。古過ぎるぞ、昭和ウルトラマン
世代。

サインはVはジュン・サンダースが入って
からの立木大和がドラマの佳境なのだが、
あたしゃ最初のメンバーが好き。


岡田可愛さんて奥居香に何となく似てた
のよ。半世紀以上前(笑)。


日本刀の見た目は研ぎ次第

2020年11月28日 | open


これは日本刀ではない。全鋼の肥後守だ。
地肌の熱変態の様子が克明に肉眼で確認
できるように、日本刀研磨と同じ手法で
私が研ぎ上げた。


たとえ日本刀であろうとも、日本刀専門
の研磨を成さずにナイフのような研ぎを
してしまうと、刀身は洋式ナイフのよう
になってしまう。
日本刀は日本刀専門の研磨を施さないと
日本刀の本来の姿を見ることは出来ない。

(備中国水田住山城大掾源國重/研田村慧氏)


この親友の日本刀は、ツンツルテンの模擬
刀のような無惨な表面だったので私が肌を
起こした。
同時によれよれだった鎬ラインをビシッと
正確に研ぎで出し、ツルツル丸坊主だった
鋩子もきっかりとナルメて、消滅していた
横手もきっちりと私が出した。
なかごまでを総合的に判断して、三原派
尾道辰房の作と私は鑑した。


肌を起こしたら、ビリーバットが現れた。



小林康宏師匠は刀工であると同時に研師
でもあるのだが、鍛冶押し以外は今は自
身研ぎはしない。鍛冶押しも昔のように
サッと押せばパッと刃が付くまで押さず
に、かなり打ち下ろしに近いので、研師
が今は苦労している。
ただし、刀身の出来栄えは、全盛期と謳
われた1990年代よりも確実に今のほうが
出来が良い。今の康宏作にはほぼ全作に
映りが出ている。直刃調小乱れで頼むと
康宏本来の本領発揮の刀剣が出来る。
斬鉄剣にして極めて優美。雅なる剣。
それが小林康宏刀だ。


刀が見える、見えないという事

2020年11月28日 | open



友人が素晴らしい刀の情報を教えてくれ
た。上代刀になろうか。奈良平安か。
肌が頗る綺麗だ。
焼き刃が眠くなって来て不明瞭に感じるの
は、経年変化によるマルテンサイトのオー
ステナイト化によるものだろう。
だが、確実に焼刃も刃文も存在する。




日本刀の場合、刃文とは焼刃頭と地の境界
のラインの事を指す。相州伝系などはその
境界ラインが光に透かさないと判然としな
い。備前伝のように拭いをかけただけでも
はっきりと境界=刃文が出てくる変態とは
異なる様相が刀身上に現出する。
そのため、相州伝では研師が白くこすっ
て、さもそこに刃がありますよというよう
に刀身に描く。
この研師の白描きの部分を焼刃だとか刃文
だとか勘違いしている人が世の中とても多
い。困ったことに、日本刀を扱う武道関係
者でもきちんとした正確な日本刀の見識を
有している人は多くはない。

刀身の焼刃はべたっと白くはならない。
マルテンサイト変態している部分なので、
光の屈折反射度合いが地とは変わり、明る
くなるのだ。あるいは光の反射によっては
刃の部分のみが暗く見える。

このように新刀(慶長以降の日本刀)のよう
な地と刃の境目がはっきりとしている系統
ではない古刀の場合、きっちりと地と刃の
熱変態の様子を刀身から正確に読み取らな
いと日本刀は見えない。


例えばこれは日本刀の材料で折り返し鍛錬
をして作った小柄小刀であるが、研ぎによ
る白い刃取りは施していない。刃艶と地艶
のみの段階で停めている小刀だ。

表は小柄小刀の規矩を守り、鑢の一本突き
を施した。銘は切っていない。

裏が刀剣としての表になる。ここは太刀、
刀のような鍛え肌と焼刃を見せるように
ある程度表面研磨してある。打ちっぱな
し、削りっぱなしではない。



光の関係で明暗が逆転している。
このほうが熱変態がよく見えるので、この
ままの拭いっぱなしの差し込みのままに
してある。

どこが焼刃でどこが刃文か判るだろうか。
棒のような直刃はこの世に存在せず、この
ように小丁子が均んだ焼刃頭の連続とな
る。
研師の白描きをここに施すと、本物の焼刃
と刃文が見えなくなる。

(小柄小刀/平成7年康清作/私の作品)

こちらは天正8年(1580年)の安芸国大山
住仁宗重の作。
地肌が見えるような撮影のため、焼刃は
見えない。これも小乱れの直刃調だ。
(撮影町井勲氏)

この私の刀の全身等身大写真は、旧山陽道
の大山鍛冶の住居跡地に歴史解説看板とし
て設置表示されている。
中国新聞でも取材記事が掲載されたが、
広島県の歴史的な文化遺産提示により、
郷土の歴史解説に積極的に協力できたこと
は、私としても嬉しく思う。

こちらは私の差料小林康宏作。平成4年作。
研ぎは鎌倉の田村慧氏。
白く刃取りした中に本当の焼刃と刃文が
見える。小乱れ直刃調だ。
地肌の小杢目といい、焼刃といい、まる
で粟田口か来(らい)のような雰囲気を出し
ている。


この明瞭ではない画像からでも、画像拡大
で地肌の景色が見えることだろう。
(こういう時、PCよりもスマホが便利だ)

日本刀を見る、ということは、刀身に現れ
ている物理的な現象をそのまま丸ごと正確
に見る、ということだ。
予断も偏見も思い込みも私的思い入れも、
何もかも一切無い。
ただひたすら心を無垢にして、透き通った
心で日本刀を見る。
そして、ありのままを素直な心で見る。
そうしないと、日本刀というものは絶対に
見えない。見えて来ない。
「刀を見る」ということは、見る人の在り
方次第で真実にどれほど近づけるか、と
いう人にとってのかなり大切な部分に接触
するのである。
心が曇っていると目が曇るので、真実は
見えない。
これは、なにも日本刀の事だけでなく、人
の世の定理に通じる。
しかし、その重要な事を日本刀は人に教え
てくれるのである。

人間のクズ

2020年11月28日 | open


いつまでもしつけえなあ。

愛しのピーチパイ

2020年11月28日 | open


個人的には政界進出なんて絶対嫌だなあ。
この康宏刀所持者。
「これで大根切れるかなあ」と言ってた
くらいの桃ちゃんがいいよ。
眉間に皺寄せおばさんにはなってほしく
ない。
ポリティカルよりポライトな君らしい君
がいい。
御政道などという伏魔殿の住人にはなら
ず、ガッコのセンセしてたほうがいいよ。

警戒エリア

2020年11月28日 | open


仲間内情報で、別な市内で友人はやたらと
パンダに張り付かれる事が急増していると
いう。
そこのエリアを走る時のみ、まるでこちら
を走らせないかのように張り付くという。
白二輪も複数で張り付くのだそうだ。
何があるのかは知らないが、そこは要注意
エリアだ。東広島市内。

ウイスキー

2020年11月27日 | open


名品のウイスキーが次々と終売になると
いうのは、寂しいものがあるね。

酢ばす

2020年11月27日 | open


私は酢ばすが好きだが、上手く作れない。



玉子焼き

2020年11月27日 | open


玉子焼きのキモは、まず溶き方だ。
溶き過ぎはよくないのよ。
それと火。中火〜強火だね。弱火は❌。

うちは玉子焼きに砂糖は使わない。
使わずとも甘い玉子焼きができる。
菜箸を使って、溶き過ぎさせずにやれば
甘くてふわふわの玉子焼きができる。

ドラマ『深夜食堂』でも玉子焼きはよく
出て来る。マスターは客の希望で砂糖を
入れたり入れなかったりしているようだ。
新宿「古茶(こちゃ)」の玉子焼きは砂糖は
使っていなかった。
『深夜食堂』の店内に貼ってある「酒は
三杯まで」という張り紙は、古茶にあった
張り紙をモデルにしたのだろう。
実は、古茶では、今だから言うが、私は
ビール3本以上、日本酒3本以上、焼酎3杯
以上飲ませて貰っていた。他の人は知ら
い。
最初の頃は「それでおしまい」とおばちゃ
んは張り紙以上飲ませてくれなかったが、
いつからかいくらでも飲ませてくれるよう
になっていた。

うちは玉子焼きだけでなく料理に白砂糖
は一切使わない。
まあ、お汁粉の時くらいだね。
一般的料理では白砂糖はまず使用しない。
あれは毒だから。
毒というより舌が馬鹿になるオマケ付き
だからそれがよくない。砂糖づけは馬鹿
舌になる。
料理の甘味は白砂糖ではなく、食材の持つ
甘味を引き出すような調理のやり方にして
いる。
これは、私の家だけでなく、本式和食板前
なども白砂糖は使わないようだ。

白砂糖を使わない料理を30年ほど食べ続け
ると、白砂糖を使った料理はすぐに判る。
味がベタベタしているのだ。
そして、素材の甘味=旨味はぼやかされ、
砂糖味が前面に出てくる。
いくら誤魔化そうとしても出てくる。
正味のところ、それは美味くないを通り
越して、不味い。
しかし、砂糖ヅケの甘さが美味いものだと
する大きな誤認は戦中戦後直後派には多
い。戦争がもたらした一つの味覚感覚の
妄想奇形の変種といえるだろう。
特に和食において白砂糖を使い過ぎてベタ
ベタの砂糖菓子のような作り物などを美味
いと思い込むのは、味覚が貧しいからで、
そのような貧しい味覚に追いやられた歴史
があったからだろうと思う。
飴玉は美味しいもんね。
でも、飴玉ってのは、白砂糖まみれだから
甘いのではないんだよね。そこ大事。

玉子焼きは、
・菜箸でゆっくり溶く
・溶き過ぎない。黄身と白身が混ざる程度
・弱火焼き厳禁
が三大鉄則だ。
よく溶いたほうがふわふわになるかという
と、それは逆なんだよね。



めしや

2020年11月27日 | open


ドラマ『深夜食堂』のめしやは店から路地
からすべて巨大倉庫の中に作られたセット
である。実店舗でのロケではない。

私の今一番の希望は「めしや」のような店
を見つけることだ。
そりゃあ東京新宿に行けばあるだろう。
新宿でなくとも、池袋や五反田、新橋界隈
でもあるかも知れない。
だが、現在住んでいる場所の近所で似た
ような店が無いか探してみたいのである。
尾道にはある。
しかし、うちから19kmも離れている。
新宿から19kmも離れてしまっては、埼玉県
や神奈川県に入ってしまう。
新宿区役所から埼玉県川口市までが16km、
神奈川県川崎市高津区溝の口までが16km
だ。
地方は駅二つ向こうで19キロ。東京は駅
二つの間は数百メートルしかない。虎ノ門
から銀座の四丁目のワコーまで歩いたとし
て、駅はいくつもパスするが、距離はたか
だか2kmだ。
地方は広い。しかし、地方の街は狭い。

バーは良い所をみつけた。
東京でずっと暮らした人が元俳優が店の
オーナーでありマスターだ。
気持ちはいい。
しかし、「めしや」のようなめし処を
探したい。
そちらは無理かもなあ。
『深夜食堂』のめしやのマスターも常連
客たちも、あれはもろに東京人そのもの
だから。
絵空事ではなく、あのドラマで描かれて
いる事は現実に東京の新宿では現実とし
て起きているし、あそこに出てくる人たち
が典型的な東京人だ。
だから、「めしや」の代わりは東京にしか
ないかも知れない。

「めしや」って、救世主の意味かけてる
だろ、もしかすっと。

検査を複数回受けて陰性なら問題ないだろうに 〜田舎人の心根〜

2020年11月27日 | open






「周囲の目」ってどんな目?
まあ、村八分にあうという事だろね。
田舎なんてのはそんなもん。
完全陰性確認してから帰省したとしても、
爪弾きにするのだろう。
田舎もんは何も田舎に住んでるから田舎
もんなのではない。その己の閉鎖性、心
の極度な狭さがイナカモン丸出しなのだ。

なんなのだろうと考えてみるが、よく理解
できない。
保身なのかしらね、自分だけの利益しか
頭にない。
そういうのが集団で集住してるんだろう
なあ。
田舎の人は田舎の世界が価値観の全てなの
で田舎で一生終えても何の問題もないだろ
うが、開明的で人と人の適切で平等な繋が
りを経験した都会の人は田舎では暮らせや
しない。田舎は全てが陰に向かう閉塞性に
満たされているからだ。
それって、『下町ロケット』で地元新潟に
帰った殿村さんも苦渋を経験させられたよ
ね。地元ジモチーによる嫌がらせを。
広島県の三原市でも商工会でそういうのが
あるよ。東京から転住して飲食店を出した
人をジモチーたちがいじめ抜いてた、みた
いなの。
店主は私が東京人だと知っていろいろ苦労
の20年の歴史を語っていたが、こうも言っ
てた。
「言葉も通じない外国にずっと暮らしてい
て、やっと日本人に出会った感じが今して
います」(ママ)と。
親御さんが危篤で東京に急遽家族と共に
帰ったが、三原とは完全に縁を絶ったよ
うだ。
その気持ち、よく分かる。東京人などが
ずっと死ぬまで住む土地ではない。県外者
で、しかも東京や大阪の人間が受容れられ
る事は田舎ではあり得ない。

完全なる検査をしても世間の目があるから
帰省を拒否されるとしたら気の毒だ。
それが当たり前であるかのように言われる
なんて、田舎ってのはねえ。相変わらずだ。
「殺す気か?」ですか。へー。
田舎の人って、性格宜しくないのばかりな
の?
おしんの姑みたいに。
よくそんな事を息子のお嫁さんに言うよな
あ。
心無い心根だが、本人は「それが何か?」
だろう。イナカモンはそんなもんだ。
俺が亭主ならば、そんな事を子どもの配偶
者に言う奴を一喝するけどね。
しかし、人的質性良くないなあ。

でも、そういうのがわんさかごちゃまんと
いる。田舎というのは。
なんなのだろうね。