「おうぃ、水遊び、お兄ちゃんも混ぜてくれー」
と、声をかけたら「えー、おじちゃんでしょー。」なんて言われたらどうしよう、と怖くなったので声はかけないで、代わりに写真だけでも。
いやー、本当に暑いですね。さすがの僕も少々ぐったりしてるのか、今日の夕ご飯は、餃子二人前と唐揚げに大盛りご飯だけしか食べられませんでした。
母親が働いていたので、僕は保育園でした。登園初日には、入り口の下駄箱にしがみつき、「わしはこんな所には入りたくない!」とまるでホームを毛嫌いする老人のようなことを言って、ついでにちょっとだけ、もしかしたらわんわん泣いて母親を困らせたのを覚えていますが(3歳でしたか)、入ってみたらとびきり美人の先生が二人も居たせいか、一週間もしないうちには「早く!早く!」と母親の手を引く様にして通ったのを覚えています。ちなみにどのらいの美人だったのかは、特別後から、写真では確認しておりません。思い出は美しいままそっとしておいたほうが良いのです。なんてね(笑)。でも、二人とも本当にとても優しくて、大好きな先生でした。
小学校では、たまたまずっと美人の女の先生に受け持ってもらっていたのですが(同様の理由で確認はしておりません。しつこいか(笑))、6年生の時の担任が、他所から赴任してきたばかりの男のM先生で、この先生がそれまでから一転して、男の教育!だったのです。
普段はとっても優しいのですが、怒るとえらく怖い。ある日、顔を真っ赤にして怒って教室に入ってくるやいなや、僕はものすごい平手打ちをくらい、教室の端から端まですっ飛ばされました。本当に身体が数メートル、ふわっと飛んだ記憶があります。人体飛行経験です。ろくでもないイタズラがばれたのか、もっととんでもなく重大なことをしでかしたのか、理由は全く覚えていません(僕は自分に極端に都合の悪いことは記憶に残らない脳みそを持っているのです)。でも、不思議と痛かった覚えはないんです。ただ頬に当たった、先生の大きな手の温かみだけは今でもはっきり覚えています。それから、叱られながら「だよな。」と、妙に納得したことも。
良く言えば(失礼。)中○雅俊さんのような甘いマスクのM先生は、冗談が大好きで、授業もいつも面白いので、僕は「なんだ勉強って楽しいのもあるんじゃん」、ってことを教わりました。休みの日には何人かで家にも招待してくれました。僕はこの先生に憧れて、バンドを始めるまで「将来は学校の先生になりたいNE」と思っていたくらい好きな先生でした。
中学3年生の時、美術のKという先生が担任になりました。美術の先生とは言っても、これまたもの凄く男っぽい先生で、やっぱり怒るともの凄ーく怖い(笑)。何度平手打ちやゲンコツをくらったことか。目から火花が出るというのは本当だな、と毎回思っていました。そんなに何を悪いことばっかりしてたんだ、と思われるかもしれませんが、・・・まぁまぁそこはノータッチで(笑)。
ただ、このK先生にも凄く可愛がってもらって、よく休み時間などに、油絵の匂いの漂う美術準備室で麦茶などをご馳走になりながら、絵や音楽や、家族のこと、友達との事など、色々とお話をしてもらいました。僕のつまらない話もいろいろと聞いてくれて、「おまえ、変わってるなぁ」よく笑ってくれて(笑われて?(笑))ました。夏休みには、僕を含めたクラスの有志4人を、さいたま県にある「原爆の図 丸木美術館」に連れて行ってくれました(ページ内、原爆の図というリンクから絵も見れます)。
目の前に広がる、原爆で焼かれた死体、死体、死体。これぞ、まさに地獄絵図。しかし当時はまだ、今ほどすらの原爆に対する予備知識がありませんから、ただただ「うわー、なんだこれー。」程度にしか思っていなかったかもしれません。でもその後、川原でバーベキューをしてくれて、そこで「川村は戦争ってどう思う」などと聞かれたのは覚えています。バーベキューは絶対に美味しかったんだと思うけれど、結局今でも一番記憶に残っているのは、現実の血と灰で書かれたような、暗い色彩の重たい絵の印象です。
教えておきたい事は学校の外まで連れ出して教えてくれる。そして時に度を過ぎれば、ちゃんと叩いてくれて、「絶対にしちゃいけないことがあるのだ!ゴツンッ!」って身をもって教えてくれる。今は体罰にとても過敏だとニュースなどでは見聞きしますが、実際はどうなんでしょうね。僕は先生が皆、「今叩いたら、あとでPTAが・・・」なんて言って手をこまねいてるとしたら、それはそれでちょっと寂しい気もするんですけどね。子供も、寂しいかも。
叩かれる痛みを知らないで育った子供は、叩く痛みも、やっぱり知らないまま大人になる・・・そんな単純なことじゃないかもしれませんが、でも、やっぱり叱って、いざとなったら殴ってくれる先生の方が信頼できそうな気もします。といって、軍隊主義みたいなことを薦めているわけではないですよ、勿論ね。まぁ、現場では、難しいところなのでしょうけれどね。
私は先生に平手で叩かれるほど悪いことなんてしなかったから、という立派な生徒だった方もいらっしゃるかと思いますので、気付けば、なんだかお恥ずかしい話をしましたが(笑)。僕、バケツ持って廊下に立たされた時には、上っ面は神妙な顔をしてましたが、内心では「おお、マンガみたいだな、これ。」とちょっと喜んでいたのを覚えています。・・・こんなだからまた叱られるんですよねー(笑)。
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昨日のブログ、読んでくださった方、また貴重なコメントを寄せてくださった方、ありがとうございました。僕も、まだまだ知るべきなのに知らないことが山ほどあることを痛感しています。僕のブログなどほんの小さなものですが、こういった機会をきっかけに、同じ日本人として、世界人として、また一緒に色々と考えていただけてたら、とても嬉しく思います。
ではー。