夕焼け空を描きましょう、って言われたら、あなたは何色のクレヨンを持ちますか?
僕は、最初にオレンジ色に手を伸ばしてしまうような気がします。先入観、というか、イメージとしては、オレンジ色の空・・・。でも、実際はもっともっと、色んな色で出来てるんだな、とこの写真を撮って改めて思いました。木立の隙間から覗いた、赤い空。・・・とってもキレイで、あわてて一枚。ほんの数分後には、もう違う色になってました。
僕達の数分は、地球規模の時間で考えたら、ほんのわずかな一瞬ですよね。だから、実際あれは、もの凄い速度で色を変えてるんだなぁ、などと思って見とれてしまいました。
62年前の今日、広島の空はどんな色をしていたのでしょう。広島の人々の心は、どんな色をしていたのでしょう。今日は、広島原爆記念日ですね。
あの日、目の前で、3歳の弟を失ったという76歳のおじいさんが、「・・・泣きもせず、『はい。』と一言だけ言って、死んでゆきました。」
そうテレビのインタビューに答えていたおじいさんの時間は、きっとその瞬間に戻ったのでしょう。続けて、「ごめんね・・・助けてあげられなくて、ごめんね」と、唇を震わせて泣きました。
当時14歳のおじいさんは、幼い弟に、なんと問いかけたのでしょうか。「がんばれ。死ぬな。」でしょうか。「逃げるぞ。」でしょうか・・・。そして、「はい。」という返事を残して死んでいった弟を前に、14歳の少年はその後どうしたのでしょうか。テレビではそこまではわかりませんでした。ただ、そこで弟さんとの時間は、止まってしまった。そして今日まで62年間、その止まった時間を、ずっと背負って生きていらっしゃるんですよね。きっと止むことなど無い、やり場の無い悲しみ。62年経っても、ある人達の中では、まだ戦争は続いているんですよね。
前にイギリス人の若いミュージシャン達4人を、広島の平和記念資料館に連れて行ったことがあります。中で自由に見る事にして、出口で待ち合わせすることにしたですが、その中のギタリストのPだけが、いつまでたっても、一向に出てきませんでした。
「迷ってるのかもな」という話になり、僕は係りの方に事情を話して出口から入れてもらって、順路とは逆に歩いて彼を探しました。すると彼は、広い資料館の、まだほんの五分の一も進んでいない辺りで、実に熱心に資料に目をやっていたのです(英語の解説もあります)。
「どうした?大丈夫?」と声をかけると、Pは怯えたような、尋常でない目をしていました。今まで少し涙を浮かべていたようにも見えました。そして「・・・こんなことだったとは、知らなかったんだ。でも、知らなきゃいけないことだと思う。だから僕はこれを、どうしても全部読まないと気がすまない。」と言いました。しかしどうしても時間の都合があったので、あとの展示を半ば駆け足で見せることになってしまいました。それでも彼は何度も、「ケン、ちょっとだけ待ってくれ」と言い、足を止めては大きな目をさらに見開いて、「テラブル!テラブル・・・!」とつぶやいていました。
あの時、僕はそんな彼を急きたてながら、急がせて申し訳ない気持ちと、知ってくれようとしてありがたい、という気持ちで一杯になると同時に、日本人である僕自身が、実際彼ほどの熱心さを持って展示に(原爆に)向かっていなかったと悟り、とても恥ずかしく思いました。なので・・・必ず、また行きます。
降ってくるのは、雨と雪で十分です。美しい夕焼けに、平和な空と、核廃絶を願って。
一人一人の力は小さいけれど、皆で力を合わせて、ちゃんと過去から学んで、明るい未来を築きましょうね。
ではー。