終戦の日が8月15日であったから、「夏こそは戦争の悲劇を思い出し、考える時期」であるのは当然といえば、当然です。僕にとっても、そうでした。
しかし、暑い夏が過ぎるからといって、「もう、いいか」ではないのですよね。
事実上の開戦の日、あの大戦のきっかけになった、日本軍によるハワイ真珠湾攻撃は、(1941年)12月8日に決行されています。民間人が10万人も殺された東京大空襲は(1945年)3月10日(なんと本土を守るため、と硫黄島で沢山の人が戦っていた最中、とは皮肉です)、と5月25日です。無論、これだけではありません。いたるところに戦争の傷跡は残されているのです。今も戦争の後遺症で苦しんでいる方、戦争で愛する人を失った沢山の方々にとって、一年中、戦争を忘れる日はないのでしょう。雛祭りや、クリスマスといった、一過性の記念日などとは、根本的に質がちがうのです。
先日、世間的にもとても有名な(きっと皆さんもよく知っている)先輩ミュージシャンであるXさんから、一通のメールを頂きました(勝手ながら、引用させていただきます)。
「8月15日のブログ、読みました。『硫黄島』に関しては、中学時にドキュメンタリーを観て以来ショックを受けてずっと心に在ったものです。元々、父が予科練におり出発を待たず終戦になったということもあり戦争には幼い頃から並々ならぬ感心を持っておりました。川村クンがこういった文章で表現をしたことは私は素晴らしいと思っています。誰かが伝えて、そして感じていかないと・・・。」
素直に、ありがたいという気持ちになりました、しかし、よくよく読んでみて、ドキリとしました。
「予科練」「出発を待たずに終戦」、これはつまり、Xさんのお父上は特攻隊だった、と解釈できます。つまり、もしあの戦争があと少しでも長引いていたら、お父上は・・・。そして、勿論それは、Xさんがこの世に存在しなかった、ということに繋がるのです。
そして、Xさんがこの世にいなかったら、・・・ぼくは、少なくとも今こうして皆さんに向けてブログを書いてることはなかったでしょう。今のようなかたちで皆さんとライブ会場でお会いすることもなかったでしょう。ぼくはXさんがいなかったら、今の仕事を職業として選んでいたとは、思えないからです。その位、Xさんは僕の人生にとって重要な人なのです。戦争の終結、Xさんのお父上の生還は、Xさんの生そのもの、そして僕の人生にも大きく影響しているのです。
よく考えてみれば、当たり前のこと。僕にしても、戦争に行った僕の祖父が戦死していたら、僕の母もこの世に生まれることはなかった。つまり、今僕はこの世に居なかったのです。みなさんは、どうでしょう。
話を広げてみます。ちょっとパラドックスみたいな話になりますが、本来、今この世に居るはずだった誰かは、その親や祖父、祖母が戦争で命を奪われたから、今この世に存在できていない、ということでもあるです。その人は、もしかしたらいまだ誰も聴いたことが無いような素晴らしい曲を創る天才的ミュージシャンだったかもしれない、今のエネルギー問題を一度に解決する大発明をする科学者だったかもしれない、世界に真の平和をもたらす大政治家だったかもしれない。もしかしたら、・・・僕やあなたの良き友人、いや、愛すべき家族になるべき人だったかもしれない。
戦争は誰かの愛する人を奪い、愛する土地(=地球)を破壊するだけでなく、一見関係無さそうな沢山の人の今や、未来すらも奪うのです。
Xさんから、今インターネット放送のGYAOで戦争に関する特集が見れます、と教えていただき、時間を見つけて少しずつ見ています。知れば知るほど、「愚か」という言葉が頭を駆け巡ります。そして、知れば知るほど、「平和」へ欲求と、感謝の気持ちが湧いてきます。
昨夜は、やはりこのGYAOで原爆の悲劇を描いた、作者の実体験を元にしたアニメ「はだしのゲン」を観ました。B29から落ちてゆく原爆を、出来ることならパソコンの画面に手を伸ばして掴み取りたい気持ちにかられ、「ヤメロ」と、ただただ涙が止まりませんでした。僕はこれを機会に、原作を手に入れて読んでみることにしたいと思います。
少し風が変わってきたと感じましたが、まだまだ暑い日が続くようですから、皆さん、くれぐれも油断などして体調をくずされませんよう。
ではー。