ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




どうにもまだ信じられない気持ちでおりますが、

大好きな落語家の、立川談志さんが、亡くなったという。

 

調べてみたら93年だったので、もう18年ほど前になるのですが、

落語のピン(らくごのピン)」という深夜番組をたまたま見つけまして、一度見たら、もう、大はまりしまして。

毎週、VHSに録画しては、夜な夜な、お酒の友として繰り返し見ておりました。

この番組で知った、立川一門の、立川志の輔さん、立川志らくさん、立川談春さん達をはじめ、今をときめく春風亭昇太さんたちの落語も本当に面白くて、夢中になって観ておりました。

談志さんの解説も、「こいつは話はいいんだが、声が悪いんだよ」とか、「まだまだですが」なんてはっきりものを言いながらも、どこかで愛情を持ったコメントを付けているのも、とてもストレートに心に入ってきましたし、とにかく面白かったものです。

ちなみに、「声が悪いんだよ」といわれていたのは、志の輔さん。いまや「ためしてガッテン」やCM、ラジオなどで、その声を聴かない日は無いほどですが、いまもで、談志さんのコメントを思い出してしまいます。勿論、僕は、声が悪いなんて、全然思わないんですけどね(笑)

 

そして、楽しみだったのが、何と言っても談志さんの落語。

これが、もう、本当に面白くて。

まくら(本題の噺に入る前の、世間話とか、いわゆる前フリのようなものですね)が飛び切り冴えていて、嘘がなくて、だから毒舌で。テレビなのに、めっちゃめちゃなことまで、平気で言う。

「あー、今日は喋るのやなんだよな」「もう、帰っちゃおうかな」「ったく、めんどくせえなあ・・・」「ちくしょう、いまいちだった」

 

以来、落語が大好きになり、今でもテレビの「日本の話芸」も楽しみですし、飛行機の機内放送などでも、よく落語を聴いています。

でも、談志さんの落語を超えるものは、僕には無いんですよね。

 

談志さんの初期の名著、「現代落語論」(昔のハードカバーのやつでした)も、これまた夢中で読みました。

日曜日夕方の国民的番組「笑点」は、談志さんが作ったものだと知り、そして、裏話なども面白かった。

体制に嫌気がさし落語協会と対立して、飛び出して、一匹狼になった話も、興味深かった。

最後まで、毒舌と言われましたが、

 

間違ったことなんて、一度も言ってなかった。(と僕は思います。)

誰もが本当は思っていることを、ズバッと言葉にしてくれていた。

ただ、切り口、目先は、とんでもなく冴えていて、いつだって「ほー、そういう見方があるのか」と感心するばかりでした。

 

長男、長女さんとの一問一答がニュースサイトに上がっておりました。

談志さん自分で戒名/長男長女一問一答

 

「(戒名は)本人がつけたのですが、立川雲黒斎家元勝手居士(たちかわうんこくさいいえもとかってこじ)」(・・・最高すぎ。)

 

「穴の隙間から漏れた声で最後にしゃべったのは『私の名前は立川談志。どうしてこうなったの?』と。」

 

手術語、声を失った。最初の筆談は、

 

「しゃべれるのか。声は出るのか」

 

病院で食べた食事に関して。

「最後は牛乳、ヨーグルト、バナナで『チンパンジー食か』と嫌がってましたが。」

そして、

「食欲がなくなってきていましたが、気管切開後にステーキを細かく切って出しました。『オレも食べたい』と言って食べましたが、死にそうになりました。」

 

(棺には)「かわいがっていたぬいぐるみをお供させました」

 

密葬でかかっていた曲、「ザッツ・プレンティ」(これで満足、という意味ですとのこと)

That's A Plenty - Benny Goodman clarinet solo, 1928

 

そのテレビ番組、らくごのピンで聞いた、談志さんの「紺屋高尾」。

・・・ボロボロ泣きました。

落語に“人情噺”というジャンルがあることも、この番組で知ったのですが、

僕にとって、最初にして最高の人情噺は、この「紺屋高尾」です。

 

ああ、もう一度見たいなあ・・・。

 

立川談志師匠のご冥福を、心よりお祈りします。

あの24歳の僕の心に、明かりをともしてくださった、感謝を込めて。

 

ではー。

 

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・・・なんと、談志師匠の「紺屋高尾」、Youtubeにありました。

 

あの頃と同じお酒作って見ます

麦焼酎のお茶割りですが・・・。

 

ではー。



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