今日、2015年10月11日は、息子の4回目の誕生日でした。
お陰様で、転んだり、ぶつけたりなども、人様並みにありながらも、
こうしてまた無事に、笑顔で「おめでとう」と言える今日という日を迎えられたことに、心から感謝です。
本当に、どうもありがとうございます。
生まれたとき、一歳、二歳、三歳
なかなかできなかったピースサインも、ようやく、もう片方の手のお手伝い無しで作れるようになりまして、
「ねえ、じゃんけんをしようか」、と始めると
「もっとやるー!」「もいっかいやるー!」
と、ニコニコしながら、エンドレスで続けたがります。
グー、チョキ、パー。
もう、どれとどれだと、どっちが勝ちで・・・、でも、どれにだと負けか、もわかってきたようです。
ただ、時々、これが入ってきます・・・。
食べちゃうぞー。
僕は今、人生で、父親として、初めての子育てをしています。
・・・が、僕はそれ以外にも、あとふたつの視点から、今の時間を過ごしているように思っています。
それは、こんなことなのです。
僕の父は、僕が2歳3か月の冬の日に、誰も予期していなかった突然の病で、亡くなってしまいました。
つまり僕は、僕の父が見ることができなかったであろう、大きくなる子どもの姿を、父に代わって、初めて見ているのです。
変な話ですが、僕の父が、今、僕の目を通して、ようやく、初めて、息子の成長の日々、というものを見ている。
僕自身だけでなく、父の代わりにも、父親というものをやっている。
そんな気が、しているのです。
そして、もう一つ。
僕には、2歳3か月のその日以来、残念なことに「パパ!」と呼べる人がいなくなってしまったのです。
もちろん、物心つく前ですから、今は何も覚えておりませんし、小さかったおかげで、それを特別なことだと思った事もありませんでした。
母や叔母、祖母や祖父たちのおかげもありまして、父親がいないことを、寂しいと思ったことも、一度もありませんでした。
最初からそういうものだと、思って、ずっと過ごしていたのです。
でも今。
「パパ!おかえりー!!」
「ねえねえ!パパ!パパ!今ね」
「パパ!見てて!見ててー!」
と、ニコニコしながら大きな声で僕を呼ぶ息子は、
・・・僕ができなかったことを、今、僕の代わりにしてくれている、
40数年前の・・・僕の姿、でもあるのです。
僕は、「僕」として、「僕の父親」として、そして、「子ども側からの僕」として、
初めての、素晴らしい時間を過ごしている。
そんな風に思うのです。
といいつつ、ずいぶんと忙しさにかまけて、
なかなかゆっくりと一緒に過ごす時間が取れないのですが、
その分、
いつも、息子のそばにいてくれて、いろいろと支えてくれている妻にも、本当に感謝です。
どうもありがとうね。
4歳というのは、もう
「いいんだよ、だって、まだ3歳だからねー」
という免罪符(笑)が使えなくなってしまうような気がして、
なんだか、少し寂しくも感じます。
・・・前にも書きましたが、もう、このまま、ずっと小さくてかわいいままでいいと、いつも思ってしまうんです。
「ねえねえ、これ、なんて書いてあーるか」
「これ?これ?うーん。・・・まだ、よめないの。なんてかいてある?」
って、困った顔で見上げてくれていて、いいんです。
・・・というわけにも、いかないのですよね。とほほ(笑)。
まあ、読めたら読めたで、「やった、やった!」と喜ぶのでしょうね。
うらはらなものですね。
また1年、ただただ、健康で過ごしてほしいです。
来年のこの日を、これを読んで下さっている皆様、お一人おひとりと、また元気に迎えられることを、
心から祈っております。
どうか皆様も、お元気で、よき毎日をお過ごしくださいね。
ではー。
P.S.的に・・・。
本日、六土さんから、小包が届きました。息子宛ての誕生日プレゼントでした。
勿論、親しくさせて頂いてはおりますが、あの「安全地帯の六土さん」が、僕の息子のために、
わざわざプレゼントを買いに足を運んで下さり、「これにしよう」選んで下さって、
「プレゼント用に」と包んでもらっている姿などをを想像してしまいますと、なんだか信じられないですし、ありがたくて、涙がでる思いです。
本当に、ありがとうござました。