稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.25(昭和61年2月6日)一歩十歩ということ

2018年10月01日 | 長井長正範士の遺文


○一歩十歩ということ(吉田誠宏先生よりご指導頂く)
これは本当の切り返しはこうでなければならないと言うことを一歩十歩で示された。

実施の大要

元太刀)正面を打たす。
仕太刀)一足一刀の間合から正面を打って出る。

元太刀)約十歩あとへさがる。
仕太刀)仕太刀の竹刀のもの打ちが、元太刀の頭上にあるよう、元太刀のさがる度合いに応じて前に進む(この際、自分の調子で進み過ぎ、元太刀に接触したり腰がひけ、もたれぬように)

元太刀)そこから前に進み乍ら切り返しを受ける。
仕太刀)後へさがり乍ら右から(元太刀の左面から)九本切り返しを行う。

元太刀)九本うけて正眼に構え、正面を打たせ、又十歩後へさがる。
仕太刀)一歩引いて正眼に構え、一足一刀の正面打ちをし、最初と同様前に進む。

以下同然、これを繰り返す。          

○これを一歩十歩と言う。

留意事項

1.元太刀があとへ十歩さがるのだから、仕太刀を道場の中央よりあとへさがらし、自分も前の方へ進んで構え、後ろを充分あけるようにする(狭い道場では余計間積りを考えてやること)

2.切り返しは後ろへさがり乍ら行うところに意義がある。打ち込みげいことは反対である。その目的とするところは全然違うのであって、これを混同してはならない。(打ち込みとは前へ前へとどんどん打ち入り込むの意味で、あとへさがって打たないのである)即ち切り返しは、後へさがって(左腰からさがり=左右伴う)左右面を切り返し打つのである。(手と足とが一致すること)このように左腰を鍛えるためにやるのが重要なポイントであることを忘れてはならない。勿論、切り返しの習得のねらいは、構え(姿勢)、刃筋、手の内、間合のとり方、呼吸法をおぼえ、又旺盛なる気力、体力を養い、「気剣体一致」打ちにあることは言うまでもない。

3.次に重要な仕太刀の動作において忘れてならないのが肩は上下、手(手の内)は左右の運動をするのであると言うことである。即ち竹刀を振りかぶった時は肩はあがるが、打った時は肩を下げなければならない。肩があがったまま打つのは、肩に力が入って本当の打ちが出来ないのである。この肩の上下運動と手の(手の内)左右の運動を同時に行うところに切り返しの大切さがある。特に左手握りは己の中心をはずさぬように手首のかえりを重要視している。(剣道で左足と左手は自分を守る大切な手足であるからである。)

4.尚、元太刀の受け方は正眼の構えから竹刀を稍々(やや)立てて、左の鎬、右の鎬と受けるのであるが、相手の力量の度合に応じて呼吸を合わせ、浮けた瞬間の力を竹刀を通じ、わが手の内に感じとり応じてやる、所謂二八の十、五五の十の教えの通り、或いは切って返す相手の竹刀を返しやすいように稍々すりあげ気味に受けるとか、稍々切り落とす手の内で受ける等、すべて相手に応ずる気持ちが大切である。

尚、元太刀が受ける場合、左拳は絶対自分の中心より左右にはずさぬように。
これが最も大切なことである。
理由:剣道で人間形成を重きにおいているなら元太刀と雖(いえど)も己の修養を忘れてはならない。教えてやる、受けてやると言ったような考えでは修養にならない。この時こそ左手を中心にして受けることを天から与えられた好機会と感謝し、これを実行し体得する心構えこそ人間形成への道ではなかろうか。

この項終り

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【粕井注記】

一歩十歩の切り返しは、言ってみれば、大きな面への打ち込み(一歩)と、
その距離に応じた、下がりながらの左右面(十歩)と考えられます。
残念ながら、私が長正館に入館した平成10年には行われていませんでした。

昔は道場ごとに切り返しの方法が違っていましたが、時代の流れで
全剣連の統一した切り返しに従うようになったと推測する次第です。

しかしながら「左拳は絶対自分の中心より左右にはずさぬように」という
長井長正先生の教えは長正館の伝統として守っていこうと思っております。


以下、参考記事

切り返しを受ける際の足捌きについての考察(2018年7月27日)
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20180728
コメント
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