く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「動物園の文化史 ひとと動物の5000年」

2014年10月07日 | BOOK

【溝井裕一著、勉誠出版発行】

 筆者の溝井氏は1979年神戸市生まれの文学博士。関西大学文学部准教授で、専門はドイツ民間伝承研究、西洋文化史、ひとと動物の関係史。数年前「ひとと自然の共生」をテーマに講義しているうちにネタがなくなり、新しい話を探すうちに注目したのが「動物園」だった。「もともと動物好きだったこともあって、このテーマにとりつかれてしまった」そうだ。

   

 「『動物コレクション』の起源」「飼いならされた『自然』」「近代動物園の誕生」など、最終章も含めて8つの章で構成する。ヨーロッパの動物園に焦点を当て、その歴史をたどりながら西洋人と動物・自然との関係性を明らかにしていく。「動物園の歴史をふりかえってみると、ひとははるか昔から、自然から切りはなされていくプロセスと並行して、動物コレクションを充実させていったことがわかる」。

 支配階級にとって動物コレクションは「権威と富を誇示する」役割を担い、「外来の珍しい動物をもつことで、他文明との政治的なつながりを宣伝することもできた」。イギリスのヘンリー3世は1254年、フランスのルイ9世から十字軍のお土産としてゾウを贈られた。ロンドン塔には14世紀以降「ライオン塔」という施設があり、力の象徴であるライオンが好んで飼われていたという。

 17世紀に入るとフランスのヴェルサイユ宮殿の庭園内に動物の飼育舎が放射状に広がる「メナジェリー」と呼ぶ展示施設が造られる。その後、オーストリアのシェーンブルン宮殿に造られたメナジェリーは1778年、女帝マリア・テレジアによる宮殿内の公開で「メナジェリーが特権的な施設から、人びとに公開された近代的な動物園へ移行するきっかけをつくった」。

 動物園では外来の動物だけでなく人も展示された。第6章ではドイツの動物商カール・ハーゲンベック(1844~1913)が行った「民族展」を取り上げている。世界の僻地から珍しい民族を連れてきて見世物にする試みは大きな反響を呼び「ヨーロッパの植民地政策を支持するものとして、しばしば称賛された」。民族展が行われた背景として、筆者は①異民族が欧州人より「野生に近いもの」とみなされていた②主催者側が強調する学術的な民族展が研究・教育目的で造られた動物園の趣旨と合致した③主催者と動物園の間に利潤の獲得という共通した目的があった――などを挙げる。

 日本人で初めてヨーロッパの動物園を見たのは1862年の遣欧使節団。ロンドンやベルリンなどの動物園を見て回ったが、「彼らが草履、陣笠、羽織袴に刀をさすといういでたちだったので、ヨーロッパ人は動物よりもこちらをおもしろがって見物していた」そうだ。随行員の1人、福沢諭吉が動物飼育施設を初めて「動物園」と呼んで日本に紹介したという。その後、上野をはじめ国内各地に動物園が造られたが、日本では飼育法や施設の不備などで動物がすぐに死ぬことも多く、「動物園ではなく成仏園」と揶揄された時期もあったそうだ。

 筆者は最終章で動物園の存在意義についてこう記す。「教育や自然の再生といった建前がなくても、わたしたちは動物園を必要とするのではないだろうか。拡大するいっぽうの都市のなかで、野生動物を見る機会が失われていくかぎり、動物園は、わたしたちに自然との結びつきを思い起こさせてくれる、大切な『よすが』なのである」。

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