く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「生類供養と日本人」

2015年06月02日 | BOOK

【長野浩典著、弦書房発行】

 著者は大分市の私立大分東明高校の教諭で郷土史研究部の顧問。約10年前の2006年、学校のそばの神社に海亀の墓があることを知ったのを機に、生徒たちと大分県内に動物の墓が何種類あるのか調べ始めた。その成果を翌年の全国高等学校総合文化祭で発表し奨励賞を受賞。長野氏はその後も各地の動物の供養塔や墓を訪ね歩き資料収集を続けてきた。本書はその集大成である。

     

 取り上げた〝生類〟は猪、鯨、イナゴ、熊、海亀、魚、牛、カイコ、鶴、馬、鹿、犬の12種類。鯨は確認できただけで全国に80基以上の墓や供養塔があり、うち10基が大分県内にあった。臼杵市大泊集落にある「大鯨魚寶塔」は高さが2.5mもある。建立は明治4年(1871年)。当時の大泊村は港の修築で大きな借金を抱えていたが、港に迷い込んだ鯨を捕獲することで借金を返済することができた。塔はその報恩供養ために建てられた。地元の人たちは今でも「鯨さま」や「お鯨さま」と呼ぶそうだ。

 カイコに関する供養塔なども各地に分布する。天然繊維として最高級の生糸を作り出してくれるカイコも、所によっては「おカイコ様」と呼ばれ神聖視された。同じ臼杵市にある「蚕霊供養塔」(高さ約3m)は佐志生(さしう)村養蚕協同組合が人のために「悲惨タル炮烙ノ最期」(碑文)を遂げるカイコたちの霊を弔うため大正15年(1926年)に建てた。

 生類供養には地域性があるという。熊の供養塔や熊塚は圧倒的に九州に多く、馬は東日本が中心、鯨は太平洋側に多い。一方で虫塚やカイコの供養塔は全国に広く分布する。この地域性は「第一には生業、第二には動物の分布状況に大きく関わっている」。供養塔の多くは江戸時代中期以降になって建立され始め、明治以降、とりわけ戦後の高度経済成長以降、盛んになった。「大量生産と大量消費がさまざまな供養塔を生み出している」。

 動物供養の目的は「その生命を絶っていただくことについての罪悪感を消去することにある。と同時に生類の『タタリ』を恐れ、それを『鎮める』という意味合いも大きかった」。また「輪廻転生という、仏教的観念の精神への浸透も生類供養という習俗を拡散させた」。供養塔には日本人の宗教観や自然観が示されているというわけだ。

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