く~にゃん雑記帳

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<西都原古墳群> 丘陵地に大小の古墳が300基あまりも点在!

2016年11月09日 | 考古・歴史

【天孫ニニギや妃コノハナサクヤヒメの陵墓と伝わる巨大な古墳も】

 丘陵地の芝生の中に様々な大きさの古墳がまるでバッチワークのようにあっちにもこっちにも! ここは全国最大規模の古墳群として知られる宮崎県西都市の「西都原(さいとばる)古墳群」。国指定の特別史跡だ。東西2.6キロ、南北4.2キロの広い範囲に300基あまりの古墳が点在する。3世紀から7世紀前半にわたって築造されたもので、そのほとんどが円墳だが前方後円墳や方墳もある。他に南九州特有の地下式横穴墓も。ただ古墳の大部分はまだ発掘されておらず、この一帯になぜこれほど大規模な古墳群が形成されたのかなど謎も多い。  

 これまでに確認された古墳は円墳286、前方後円墳31、方墳2の計319基。円墳は小規模のものが大半を占めるが、「飯盛塚」は直径50m、高さも7mある。5世紀前半の築造とみられる「女狭穂塚(めさほづか)」は九州最大の前方後円墳で、長さ180m、高さ15m。その西側に方墳が接するように位置する。「女狭穂塚」の陪塚(ばいちょう)として同時期に築造されたとみられる。

 

 女狭穂塚の北側にあるのは「男狭穂塚(おさほづか)」。これは長さ175m、高さ19mで、帆立貝形古墳としては国内最大。その陪塚とみられるのが西都原最大の円墳「飯盛塚」だ。「男狭穂塚」は記紀の「日向神話」に登場する天孫ニニギノミコトの御陵と伝わる。ニニギは祖父の天照大神の命を受け、高天原から三種の神器を携えて高千穂に降臨した。隣接する「女狭穂塚」はニニギの妻、コノハナサクヤヒメ(木花開耶姫)のお墓といわれ、これら2つの古墳は陵墓参考地として宮内庁の管轄化にあり立ち入り禁止になっている。

 

 2つの古墳の南東側に位置する「鬼の窟(いわや)古墳」(上の写真)は6世紀後半の築造とみられ、横穴式の石室を持つ。その名は鬼が一夜にして造り上げたという伝承から。かつて石室入り口にクスノキが生え、その根によって崩壊の恐れが高まっていた。そのため壁面などの石を解体して根を除去したうえで元の姿に復元した。現在はその内部を自由に見学できる。両側の壁面が内側に緩く傾斜し、巨大な天上石が重しとなっている感じ。古墳の周囲は奈良県明日香村の石舞台古墳(被葬者蘇我馬子?)と同じように土塁でぐるっと囲まれている。この古墳の被葬者もこの地の有力な権力者だったに違いない。 

 

 古墳群の北側には多くの出土品を展示した「宮崎県立西都原考古博物館」がある。12年前の2004年に開館した。館内では2016年度国際交流展として「馬韓・百済と南九州」展も開かれていた(12月4日まで)。韓国南西部に位置する栄山江流域の古墳から出土した副葬品を中心に、南九州との交流をうかがわせる資料なども展示中。3階の展望テラスからは眼下に広がる西都原古墳群を一望することができた。(下の写真は㊧韓国三国時代=3世紀後半~7世紀中ごろ=の「金銅冠」レプリカ=原品は韓国国宝、㊨同じく三国時代の「三葉環頭大刀・刀子」) 

 

 

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