【果実は別名「有りの実」、古代から食用とされた貴重な果樹】
バラ科の落葉果樹。4月頃、枝先に純白の5弁の花を5~8輪ほど付ける。古くから食用とされきた。弥生時代の登呂遺跡(静岡市)からは炭化した種子が見つかっている。日本書紀の持統紀には飢饉に備えてナシやクリなどの栽培を奨励する記述もある。万葉集にはナシを詠み込んだ歌も。「もみち葉のにほひは繁し然れども妻梨の木を手折りかざさむ」(作者不詳)。さらに平安初期の延喜式には甲斐の国などからナシが朝廷に献上されたと記録されている。
ナシは大別すると和ナシ、洋ナシ、中国ナシに分類される。和ナシのうち二十世紀梨は主産地の鳥取県の〝県花〟になっており、倉吉市にはナシのテーマパーク「鳥取二十世紀梨記念館」(愛称「なしっこ館」もある。ただし最初に実生苗が見つかった二十世紀梨の発祥地は千葉県松戸市で、市内には今も「二十世紀が丘」という地名が残る。1900年代半ばまでその二十世紀と長十郎の時代が長く続いた。しかし、その後は三水(新水・幸水・豊水)をはじめ新高、新興、新世紀、晩三吉などの新品種が栽培され、かつての2大品種のウエートは低下している。
ナシの語源には諸説ある。果実の中心が酸っぱいことから「中酸(なす)」からの転訛▽白い果肉を表す「中白(なかしろ)」の略▽風があると実がならないから「風なし」から……。ナシは忌み言葉「無し」に通じるからと、果実は逆に「有りの実」とも呼ばれてきた。全国各地には樹齢200~300年といわれる野生種ヤマナシの巨樹がある。「月潟の類産ナシ」(新潟県)は国指定の天然記念物、「稲田のヤマナシ」(群馬県東吾妻町)や「鉢伏のなしのき」(富山県城端町)は県指定の天然記念物になっている。ちなみに歌舞伎界を指す言葉「梨園」は中国・唐の宮廷音楽家養成所の庭にナシの木が多く植えられていたとの故事から。「梨棚の跳ねたる枝も花盛り」(松本たかし)