【石舞台で舞楽と法要を交互に約4時間にわたって】
大阪市の四天王寺で22日、聖徳太子の命日に因む「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が営まれた。御霊を慰めるために舞楽と法要が混然一体となって執り行われるもので、四天王寺にとっては年間行事の中で最も重要とされる儀式。地元で「おしょうらいさん」と親しまれているこの舞楽大法要は約1400年の歴史があるとされ、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。
舞楽大法要のステージは六時堂前の〝亀の池〟に架かる石舞台。正面の六時堂には華やかな五色幕が飾られ、石舞台の四隅には仏教で〝天の花〟とされる曼珠沙華をかたどった色鮮やかな赤い球状の紙花。ツバメのような鳥が何羽も吊り下げられ風に揺れていた。大法要は午後零時半から始まった。舞楽や雅楽の演奏を担当するのは「天王寺楽所雅亮会」のメンバー。舞楽は東側の左方と西側の右方に分かれ、それぞれ赤と緑の衣装を身に着けて交互に舞う。雅楽も同様に左右の楽舎に分かれて演奏する。
舞楽の幕開けは「振鉾(えんぶ)」。御祓いの舞といわれ、この舞だけは左右の舞人各1人が一緒になって鉾を手に舞う。この後、右舞の「蘇利古(そりこ)」、左舞の「賀殿(かてん)」と続いた。演奏のたび観客の耳目を集めたのが楽舎の両脇に置かれた左右一対の鼉太鼓(だだいこ)。奈良の春日大社に伝わる鼉太鼓と並ぶ国内最大規模の太鼓で、腹に響くような大音響が境内に響き渡った。演目や法要の節目には合図を告げる行事鐘も打ち鳴らされた。
舞楽と舞楽の間には願文の読み上げ、伝供(でんぐ)、祭文の奏上、散華といった儀式が組み込まれ、僧侶による声明が唱えられた。伝供はお供え物を石舞台から六時堂内へ次々と手渡ししながら送るもので、最後は童舞(わらべまい)の装束を身に着けた子どもたちがお堂の階段を昇って渡していた。伝供の後は「菩薩」と「獅子」。これらの演目はいずれも舞が失伝してしまったため、菩薩面を着けた2人と獅子2頭がそれぞれ舞台上で輪を描き交錯しながら往復した。この所作は「大輪小輪(おおわこわ)」と呼ばれるそうだ。
この後、舞楽を再開。まず左舞「迦陵頻(かりょうびん)」が女児ら4人によって演じられた。背中には極楽にすむという霊鳥に因んで極彩色の鳥の羽根を模した飾り物。両手に持った銅調子を打ちながら舞台を飛び交った。次いで番舞(つがいまい)とされる右舞「胡蝶」。蝶の羽根を付けた女児ら5人が黄色い山吹の花を持って舞を披露した。そしていよいよ終盤に。「登天楽」(右舞)の後に勇壮な「太平楽」(左舞)が続いた。午後5時前、まだ明るいのに「太平楽」の最中に石舞台四隅で篝火が焚かれた。聖霊会でかつて暗くなるまで舞楽が演じられていた頃の名残という。雅な舞楽・雅楽の演奏と厳粛な法要の数々。仏教寺院での壮大な時代絵巻を堪能することができた一日だった。