ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭、廬山温泉、合歓山(登山)等へ向かう拠点になる町≪埔里≫で生活する日本人オーナーの個人日記。

(名所案内):西遊記

2011年04月12日 | 名所案内
埔里には面白いものがたくさんあります。本日ご紹介するのはあの有名な物語、中国四大奇書の一つ『西遊記』の絵です。
面白かったので繋げてみました。では、始まりです。(文章はウィキペディアからの引用です)


花果山の仙石から天地の霊気を纏った石猿が誕生する。

猿は途轍もない度胸の持ち主で、山奥の滝壺にて洞天福地・水簾洞(すいれんどう)を発見した功により、花果山の周辺の猿を従えて王となり、美猴王と名乗る。

ある時、美猴王はこの世の森羅万象について考えていくうち、生きとし生ける物の生死に悲観し、不老不死を願うようになり、西牛貨洲霊台方寸山まで仙術を身につけに行く。

師匠・菩提祖師から孫悟空という法名を授かり、七十二般の術を身につけるがまだ満たされず、とうとう四大竜王の竜宮ひいては天界にまで殴り込みに行き、天界を統べる玉帝より弼馬温(ひつばおん)の位を授かる。当初悟空は弼馬温の実態も知らず喜んでいたが、後に弼馬温が只の馬飼いと知るや否や忽ち激怒し、自ら斉天大聖と名乗り大暴れする。

遂には釈迦如来と「俺は地の果てまでも飛んでいってみせる」と賭けをする。地の果てらしき場所に立っていた5本の柱に到達したしるしとして悟空は一筆書き、柱に小便を引っかけて得意となって戻ってくるものの、実は釈迦の両手のなかをぐるりと周回しただけであった。釈迦が示した手に自分の署名を見て呆然とした悟空はその場を逃げようとしたものの、あっという間に五行山の下敷きにされてしまった。
悟空が五行山の下敷きにされてから五百年の時が流れた。

所変わって天界では観世音菩薩が下界へ降り立ち、悟空を含む諸々の罪人達にある取り引きをした。天界にて罪を犯していたのは悟空だけではなかった。その罪人達とは、天の川の水軍を統べる天蓬元帥であったが月の女神・嫦娥を誑かした為に天界を追われ妖仙と化して深山にて暴れていた猪八戒、天界の軍人であった捲簾大将が天界の宝である玻璃の器を壊して天界を追われ流沙河にて人を喰らう妖仙となった沙悟浄、そして父竜王の竜宮で宝珠を焼き死罪を言い渡されその間中空に逆さ吊りにされて苦しんでいた西海竜王敖閨の子・玉龍である。観音は銘々にいつか現れる取経の僧と共に天竺へ参り、贖罪を果たすことを約束させる。功によっては彼らを仏にしてもいいということを条件に・・・。その取経の僧こそがあらゆる経典を学び、人徳に優れ、多くの人々から聖僧と敬われていた玄奘三蔵であった。彼もまたかつて釈迦の二番弟子(金蝉子)であったのにも拘らず、釈迦の説法を侮った故に罰として下界に転生させられていた。やがて三蔵は太宗と菩薩の命で天竺へ行くことを決意し、菩薩から教えられた己に従いし弟子達を探して旅立った。最初に三蔵は五行山にて悟空を助け出し、続いて鷹愁澗にて玉龍を導き、更に高老荘にて八戒を、最後に流沙河にて悟浄を弟子にしたのだった。



贖罪の旅をする三蔵一行は天界が用意した八十一の難と対峙する。

三蔵が釈迦如来を刺した蠍の精に誘惑される、火焔山で悟空が紅孩児の母・羅刹女に芭蕉扇で吹き飛ばされる、その夫にして紅孩児の父・牛魔王と対決する、・・・など数多の苦難が一行を待っていた。


旅の終盤、とうとう天竺に辿り着いた一行。遂に五人は罪を許され、三蔵は旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)、悟空は闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)、八戒は浄壇使者(じょうだんししゃ)、悟浄は金身羅漢(こんしんらかん)、玉龍は八部天竜(はちぶてんりゅう)と成る。悟空の頭からはいつの間にか緊箍の輪が消えていた。

(めでたしめでたし!)です。


で、この他にもいろいろ描いてあります。興味のある人は是非見に行ってみては。




コメント (3)
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