「遠延」は病気の内ですが、あのサリンの様な劇物ではなく、現在、手術の時に用いられている軽い麻酔薬の様なものだったのです。大熊が己の体から吐きだしたのでしょうか。それを吸ったのでしょうが、神武の一行全員が気を失い倒れてしまいます。
このような現象が古代の社会では度々起きていることが「日本書紀」に書かれております。吉備の国では、2度も、その事例が記されております。それをご紹介します。
まず初めは、景行天皇の時の話として、
日本武尊(母は吉備武彦の女播磨稲日大郎媛)が熊襲<クマソ>を平らげて倭に凱旋し帰国している時、吉備の穴済神<アナノワタリノカミ>達が
“有害心以放毒気。令苦路人”
「害(すが)しき心ありて、毒(あ)しき気を放ち、路行く人を苦ましむ」
と出でいます。
この時代、まだ、ジンムたちを襲った「遠延<オエ>」と同じような毒気を持って、旅人を悩ませていたものが沢山いたと記されております。
これは、私の小さい時の話で、少々話の筋が違いますがすが、こんな話を古老から聞かされていました。
「それはなあ・・・・」と、冬でもハッピ姿で腕を丸出しに「つらでえ」の竹籠を作る爺さんがいたのですが、その人が面白く可笑しく話をよくしてくれておりました。その人の話の中によく出てくるのが
「みさき」
という得体の知れない怪物なのです。次の様によく話して聞かせてくれました。さて、この爺さんのしてくれたの話、分かりますかな???読んでみてください!!!
「おめえらみてえな こんめえもんが 川や池のそばあ とおりょうたらなあ、その「みさき」がなあ おめえらの あしゅう にぎってなあ かわんなけえ ひっぱりこむんじゃど。わしらみてえな おおきゃあもんでも どっけをふっかけてきてえ、すぐのうなせるんじゃど。 ぼっけえ きょうてえもんじゃど。 きいつけんと おえりゃあせんど。」
このような現象が古代の社会では度々起きていることが「日本書紀」に書かれております。吉備の国では、2度も、その事例が記されております。それをご紹介します。
まず初めは、景行天皇の時の話として、
日本武尊(母は吉備武彦の女播磨稲日大郎媛)が熊襲<クマソ>を平らげて倭に凱旋し帰国している時、吉備の穴済神<アナノワタリノカミ>達が
“有害心以放毒気。令苦路人”
「害(すが)しき心ありて、毒(あ)しき気を放ち、路行く人を苦ましむ」
と出でいます。
この時代、まだ、ジンムたちを襲った「遠延<オエ>」と同じような毒気を持って、旅人を悩ませていたものが沢山いたと記されております。
これは、私の小さい時の話で、少々話の筋が違いますがすが、こんな話を古老から聞かされていました。
「それはなあ・・・・」と、冬でもハッピ姿で腕を丸出しに「つらでえ」の竹籠を作る爺さんがいたのですが、その人が面白く可笑しく話をよくしてくれておりました。その人の話の中によく出てくるのが
「みさき」
という得体の知れない怪物なのです。次の様によく話して聞かせてくれました。さて、この爺さんのしてくれたの話、分かりますかな???読んでみてください!!!
「おめえらみてえな こんめえもんが 川や池のそばあ とおりょうたらなあ、その「みさき」がなあ おめえらの あしゅう にぎってなあ かわんなけえ ひっぱりこむんじゃど。わしらみてえな おおきゃあもんでも どっけをふっかけてきてえ、すぐのうなせるんじゃど。 ぼっけえ きょうてえもんじゃど。 きいつけんと おえりゃあせんど。」