“今自天遣八咫烏”
「今より高天原から八咫烏を遣わす。」と、古事記では高木神がジンムに伝えます。
その教え通りにジンムは八咫烏の後に従って“幸行<イデマス>”進みますと
“吉野河之河尻”
に到着されます。
話が違うますが、ジンムが高千穂を出発されて「吉備」に到着されて兵力を増強されますが、その地もやはり「吉」という字の付く土地です。この二つの地とも「幸先の良い」前触れが感じられるように、これも稗田阿礼独特の思いから綴られたものではないかと思っております。
ちなみに、日本書紀には、「頭八咫烏<ヤタカラス>」に従って到った処は
“莵田下縣<ウダノシモツアガタ>”
です。「吉野河之河尻」ではありません。しかし、ジンムはこの烏が来たことは
“自叶祥夢<オノズカラ ヨキユメニ カナヘリ>”
と言っております。「吉」と「祥」の字の違いだけで、幸先の良い事を暗に告げているのです。なお、日本書紀には、次の様な言葉も使っております。
“大哉、赫矣”
「大きなるかも。赫(さかり)なるかも」です。『祥』と合わせて、古事記にある『吉』をくわしく説明しております。
「今より高天原から八咫烏を遣わす。」と、古事記では高木神がジンムに伝えます。
その教え通りにジンムは八咫烏の後に従って“幸行<イデマス>”進みますと
“吉野河之河尻”
に到着されます。
話が違うますが、ジンムが高千穂を出発されて「吉備」に到着されて兵力を増強されますが、その地もやはり「吉」という字の付く土地です。この二つの地とも「幸先の良い」前触れが感じられるように、これも稗田阿礼独特の思いから綴られたものではないかと思っております。
ちなみに、日本書紀には、「頭八咫烏<ヤタカラス>」に従って到った処は
“莵田下縣<ウダノシモツアガタ>”
です。「吉野河之河尻」ではありません。しかし、ジンムはこの烏が来たことは
“自叶祥夢<オノズカラ ヨキユメニ カナヘリ>”
と言っております。「吉」と「祥」の字の違いだけで、幸先の良い事を暗に告げているのです。なお、日本書紀には、次の様な言葉も使っております。
“大哉、赫矣”
「大きなるかも。赫(さかり)なるかも」です。『祥』と合わせて、古事記にある『吉』をくわしく説明しております。