・・・「支配」と言う「漢字」の「支=十+又」・・・ナゼ、「ささえる=支える」と訓むんだか?・・・象形又は「又(右手)」で木の枝をもつ様。「枝」、「肢」の原字。「えだわかれする」の意で「岐」等と同系。対義字は「干」、「幹」、「肝」など。「枝をつっかい棒」などに用いることから「ささえる」の意・・・
活きている「木々の枝」は「葉と花、果実」を支えているモノだろう・・・成長過程からは「種→根っ子→芽→葉」、結果、「根っ子」は「幹」、「幹」は「枝」、「枝」は「葉→花→果実」を支えるである・・・
枝葉末節・・・主要でない部分。些細ささいな部分。本質からはずれた些末さまつなこと
子葉末端・・・?・・・枝葉の末端
↓
支離滅裂
支とは
ばらばらでまとまりがなく、
筋道が立っていないさま
「支離」=バラバラなさま
「支」とは「枝」なのか「12支」か?
支合は支冲に邪魔され
支合は支害に害される
子→支合←丑
↑\ / ↑
支冲 支害 支冲
↓/ \↓
午→支合←未
「滅裂」=きれぎれ、離ればなれ
引き裂かれて滅する
本支百世
「本枝百世」とも
一族が長く栄えること
本支は本家とそこから分かれた分家の意
百世のまで繁栄すること
「詩経」の「大雅・文王」に記録
「本支」とは家系の根源で「系図の源」だろう
一木難支
ひとたび崩壊しかかると、
一人の力ではどうすることもできない意
一族がバラバラに分解されるコトだろう
↓
支配
支度(したく・仕度)
・・・準備だが「一支の度数は15度」である
準備とは「木星・龍」の停泊・停宿である
支援=
支持=
支柱=物を支えるために用いる柱
つっかい棒
生活や組織の支えとなる重要な存在、人
支点=
支える=つかえる=支障
支障=さしさわり=邪魔・妨害
十二支
干支
↓
支干=干支
支幹
支管
支給
支払い
支局
支店
支系
雨支度
旅支度
差支え(差し支え)=物事の進行を妨げるような事情
支え状
支え柱
支へ言
支へ口
支援金
支持線
支持率
収支
移転収支
栄誉支払
↓
各務支考(人名?)・・・各夢相→郭務悰?
各務 支考(かがみ しこう)
寛文五年(1665年)
~
享保十六年二月七日(1731年3月14日)
江戸時代前期の俳諧師
蕉門十哲の一人
村瀬吉三郎の子
別号に
東華房、
西華房、
獅子庵など
↓↑
「各務支考」の
別号
↓
盤子
野盤子
見龍
東華坊
西華坊
蓮二
蓮二坊
十一庵
獅子庵
獅子房
獅子老人
渡辺ノ狂
白狂
羚羊子
是仏房
瑟々庵
万寸
饅丁
華表人
羶乙子
表蝶子
博望士
烏有仙
黄山老人
坊主仁平
佐渡入道
霊乙
橘尼子
桃花仙
松尊者竹羅漢
卉名連
・・・ナゼもこんなに「別号」が?・・・アッて不思議じゃないケレど・・・「ナゾの示唆」かも・・・
↓↑
美濃国
山県郡
北野村
西山(岐阜市)出身
幼少より俳才を発揮し、
元禄のころに
松尾芭蕉の門下に入る。
森川許六とともに論客と知られたが、
性格は
利己主義的だとして悪評
後年、
美濃派の育成に努めた。
著書は
『笈日記』・・・・竹が及ぶ
『俳諧十論』・・・徘徊・放浪・彷徨
『葛の松原』(処女作)・・・くず・屑・九図
『芭蕉翁追善之日記』
『梟日記』・・・ふくろう
『続五論』・・・触語論
『西華集』・・・西の花の州
『東華集』・・・東の花の州
『帰花』・・・・帰化
『そこの花』・・・
『東西夜話』(元禄14年)
『玉まつり』・・・
『草刈笛』・・・牧童と共編・・・日下理・久坂理
『霜のひかり』編・・・
『夜話くるひ』・・・
『白陀羅尼』・・・
『三疋猿』・・・
『俳諧一巻伝』・・・
『国の花』・・・菊か?桜か?橘か?・・・葵?
『すの字』・・・「ス」の「ジ」
『三日歌仙』・・・
『東山万句』・・・
『家見舞』・・・
『南無俳諧』・・・
『越の名残』・・・
『夏衣』・・・カイ
『白扇集』・・・
『東山墨なをし』・・・
『山中三笑』・・・
『阿誰話』・・・あダレのハナシ
『つれづれの讃』・・・讃岐・・・讃良
『碑銘秘註』・・・碑の銘の秘の註
卑 弥 呼
『発願文』・・・・発言・発現
『本朝文鑑』・・・本庁(調)の文をミル
『新撰大和詞』・・・やまとコトバ
『伊勢新百韻』・・・意施の新たな秘訳の音
韻=立つ日の口、目の人
岩田涼菟・中川乙由共編
『三千化』・・・
『蓮の葉風』・・・日下に連なる言葉の封
『桃の首途』・・・・百(腿・股・モモ)の首の賭
『芭蕉庵三日月日記』・・・
『野盤子考』・・・野蛮の子を考える(思考)
『梅十論』・・・梅を拾う論
『和漢文操』・・・和漢文操
『俳諧金花伝』・・・徘徊筋化の傳
『潅頂伝』・・・カンチョウの傳
『三鳥伝』・・・山頂の傳・纂調の傳
『白馬伝』・・・アオ馬の傳
『茶話禅』・・・「佐波・佐和」媛の前
『一字録』・・・一の字(宀の子)の録
『六一経』・・・陸位置の経度
『和漢百花賦』・・・
『俳諧古今抄』・・・
『難陳二百韻』・・・
『口状(露川責)』・・・
『十論為弁抄』・・・
『削りかけの返事』・・・
『論語先後鈔』・・・
『芭蕉翁廿五箇条』・・・
『古今集俳諧歌解』・・・
など多数
↓↑
大智寺に生前、自ら建てた墓に葬られ
墓碑銘は
「梅花佛」・・・?
桑名の名産、
「時雨蛤(しぐれ蛤→はまぐり=文蛤)」
の名付け親・・・?
↓
帰り支度
共同支配
空知支庁
経常収支
現物支給
後志支庁
北海道支庁
↓
支那(しな)=大陸中国の略
↓
一支国(いきこく、一支國)
「魏志倭人伝」では
「一大國」
とされ
他の史書では
「一支國」と記される・・・壱岐の島
ーーーーー
支配→「12支を配する」・・・天体、方位に
↓ 「配」=「酉(とり・ユウ)の己(キ)」
↓ 「酉」は酒壺・酒樽・壺状の器
↓ 「酉」=兀(ゴツ・ゴチ)+日
↓ 「兀」=「人の上に一在るに從ふ」
↓ 儿(人)の上に一を置く
↓ 地形のこと・・・ならば
↓ 「一+儿」=「天(壱)の麓」だろう
↓ 「兀兀(こつこつ)」=地道に働くコト
↓ 「兀」=高くそびえているさま
↓ 「兀突骨 (ごつとつこつ)
↓ 『三国志演義』に登場する架空の人物
↓ 南蛮にある
↓ 烏戈国(烏滸族)の王
↓ 身の丈十二尺の大男
↓ 体が鱗で覆われ
↓ 生きた蛇(巳)や獣を主食として
↓ 野菜は一切食べない」
↓ 「兀」=ギリシャ語の第16番目の
↓ アルファベットの
↓ パイ(π・Π)
↓ 円周率=3.1415926535・・・∞
支配
英語に訳すと
管理=control
統治=superintendence
rule・government
運営=sway
management
指揮=direction
↓
rule
govern
dominate
direct
manage
control
↓
be at the mercy of one's circumstances
be subject to the laws of nature
be (put) under the control
rule] of…
be ruled(controlled)by…
keep (bring, place)
somebody (something)
under one's control(rule)
法支配・・・「束縛・強制」文
・・・「暴力的」実行、執行
↓
特定秘密の保護に関する法律
日本の安全保障に関する事項のうち
「特に秘匿を要するもの」について
行政機関における
「特定秘密の指定」、
「特定秘密の取扱いの業務を行う者」に対する
「適性評価の実施」、
「特定秘密の提供」が可能な場合の規定、
「特定秘密の漏えい等に対する罰則」
等について定め、それにより
「その漏えいの防止」を図り、
「国及び国民の安全の確保に資する」
趣旨である・・・
↓
漏えいと取得行為に対する罰則
「特定秘密を取り扱うことを業務とする者」
と
「公益上の必要により特定秘密の提供を受け、これを知得した者」による漏えいだけでなく、
特定の「取得行為」
およびその
未遂、共謀、教唆、煽動をも処罰対象とする。
処罰の対象となる取得行為
1.人を欺き、人に暴行を加え、又は脅迫する行為
2.財物の窃取
3.施設への侵入
4.不正アクセス行為
5.2、3、4以外の
特定秘密の保有者の管理を侵害する行為
上記の取得行為の
未遂、共謀、教唆、煽動
↓↑
漏えいした場合
最高で懲役10年の罰則を科す。
共謀したり、
そそのかしたりした場合も
懲役5年以下が科される
ーーーーー
12月=師走=子月・・・?
「支=十+又」・・・「右手(又)に十字架」・・・ドミノ・・・ドミナント=dominant (支配的な) ・・・
domino
ドミノゲームをする際に使われる
小さな長方形のブロック
domino
仮面舞踏会の服装の一部として
半仮面とともに着用する、
ゆったりしたフード付きの外套
・・・12月の異名は
おうとう(黄冬)
おとづき(弟月)
おやこづき(親子月)
かぎりのつき(限月)
くれこづき(暮来月)
けんちゅうげつ(建丑月)
ごくげつ(極月)
はるまちつき(春待月)
ばんとう(晩冬)
ひょうげつ(氷月)
ぼさい(暮歳)
ろうげつ(臘月)
「December(ディセンバー)」は、
「十番目の月」の意
ラテン語で「第10の」という意味の
「decem」の語に由来・・・出銭(デセン)、弟(乙)撰・・・
???・・・残念です・・・
ボクは実験現場に存在しない、
「情報のみ」での部外者だが、
未だに「彼女を信じる気持ち」が尾を引いて、払拭されない・・・
ナンでも「鵜呑みにしてはイケない」のが「信条」だったのに・・・
自分自身の「五感と認識、思惟の埒外」にあるモノを
「アル」と判断してしまった・・・
「アルに違いない」との「可能性の判断」から逸脱していたカモ
「科学は宗教」ではないのは百も千も萬も承知だが・・・
「科学」には「宗教的確信」ではなく、
「科学的確信」の前に
「哲学的な疑う心」が必要だ・・・
「可能性=不可能性」の「懐疑の心」
そして、
今回の
「この報道」にも
「哲学的な疑う心」が必要だ・・・
理屈、理論、
「常識」と考えていたモノでも
「大実験」、
やってみないと「わからない」・・・
・・・「権原・權原」、「権力・權力」、「権限・權限」の「権=權」の漢字「権=木+𠂉+隹(スイ・とり・フル鳥)」・・・「鳥=白+丂+灬」、「權=木+雚(カン・こうの・おぎ)=木+サ(廾・艸→丱)」・・・ナゼ、「権=權」・・・「木の雚(𠂉隹)」なんだろう・・・?
↓
「雚」
「草」+「隹(鳥)」+「口口・口々)
草むらで、鳥がカンカンと鳴くさま
部首の意味は
しきりに・熱心に・心をこめて
雚→𠂉+隹・・・「𠂉」=「サ+口+口」
瞿=おそれ・ク・グ=目+目+隹
=おそれ=懼れ・怖れ・惧れ・恐れ・畏れ・虞
易経・・・風地雚(風地観)=静かなか細い鳴き声
雚(鸛)=鵠の鳥=こうのとり
・・・赤ん坊を運んでくる
=鵠(くぐい)・白鳥の古称
鴻(くくい)・・・九九意・区々意・句々意
無用之鵠鳥=
刻鵠不成尚類鶩=後漢書・馬援伝
子産(シサン?~紀元前522年)
春秋時代の鄭に仕えた政治家
姓は姫
氏は国
諱は僑
字は子産
「公孫僑」とも
祖父は鄭の穆公
父は子国(公子発)
子は国参(子思)
紀元前536年、
人類史上初めて
成文法を制定・・・?
「参辟」・・・・夏、商、周の三代的刑法
という法律を定めて
鼎(青銅器)に鋳込んだ(春秋左氏伝)
↓
「参・參・三(サン・シン)」・・・参加・参道
→ム+ム+ム+㐱
㐱=髮の稠(しげ)るなり、
彡に従ひ、人に従ふ、
詩に曰く、㐱髮雲の如し、と
→ム+ム+ム+𠆢(∧)+彡
「∧ 」・・・?
↓
合接、及び、かつ
連言記号
論理積
しゅうごう・および
「辟・僻・避(ヘキ・ヒャク)」・・・辟易
居るのが辛い
我慢ならん
うんざり
僻(ひがむ)
避(さける)
→尸+口+立+十
屍の口に立てる十
↓
「子産(シサン)」・・・「12月産まれの子(ねずみ・鼠)」・・・「イエス・キリスト=移鼠」・・・「シサン=四×三=十二・試算・私産・資産・四散」・・・「史纂・私纂・使(徒)纂」の「死(後)産」か・・・「バイブル(新約)の詐欺・詐偽・虚偽」・・・「こうのとり」って「鷺・かささぎ」・・・「コウのトリ」の「談話?」なんだ・・・
ーーーーー
↓
権力(power・フランス語 pouvoir・ドイツ語 Macht)
ある主体が相手に望まない行動を強制する能力
政治理論における権力
相手に
自発的に服従させる
公式的な形態の能力である権威(authority)
相手の行動を統制する
非公式の形態の能力である影響力(influence)
相手に
嫌悪的な刺激を与える能力である暴力(violence)
↓
他人を強制し服従させる力
国家や政府などがもつ、国民に対する強制力
↓
政治権力
政府あるいは国家において明示される
人間の人間に対する支配力ないし影響力
↓
権力(power)
政治権力のように
他者に何らかの行動や罰則(ペナルティ)を
無理矢理にでも強制できる力
↓
政治権力
社会の政治的機能を遂行するための権力
国家権力
国家がその存立・維持のために
成員に対してもつ
物理的強制力
そのような権力をもつ国家機構
↓
権力とは、すなわち秩序
↓↑
権(權)
ケン(漢音)・ゴン(呉音)
訓読=はかり・はかる・はかりごと
はかりのおもり・「権衡」
事の成否をはかり考える・「権謀」
他を従わせる力や勢い・
「権威・権限・権力・強権・執権」
ごん=権
定員のほかに仮に任じた官位
官位を表す語の上に付けて用いる・「権官」
「権大納言」
最上位の次の地位。副(そえ)
「権僧正」
集団的自衛権
憲法解釈の変更
意匠権
知的財産権の一
物のデザイン(意匠)を独占的に所有できる権利
物品の形、模様、色彩、
またはこれらの組み合わせで定義
著作権
創作物の利用を支配することを目的とする権利
知的財産権の一
知的財産権の一種
思想や感情を創作的に表現した者が
その表現の利用を独占できる権利
日本では著作物を創作した時点で自然に発生し、
作者の死後50年後まで認められる
特許権
産業財産権の一
特許法により特許を受けた発明を業として
排他的独占的に実施できる権利
管轄権
海洋基本計画用語
国家がその国内法を
一定の範囲内にある
人、
物などに対して具体的に適用し行使する権利
ーーーーー
・・・「こうのとり」って、「赤ん坊」を宅配する業者・・・その前に「赤ん坊」を生産しなくちゃぁ・・・「雚(鸛・鴻)=鵠の鳥=こうのとり」は「私生児」を何処に運ぶんだろう・・・「牛(丑)口のトリ」・・・
・・・「12月」は毎年、肉体的にも精神的にも調子がワルイなッ。「水をオトシタ」のに水道が凍結である・・・「いきばがない」って、「イキ場」ない?・・・息をして生きている限り、その場所自体が「いきば」である・・・水が凍ってしまえば溶けるのを待つしかない。いずれ、水となって蛇口から押し出される。台所のシンク、いずれは下水道に・・・トイレの水洗凍結にはウンの行き場もない・・・
「干支暦の月」の「12月の支」の漢字は各「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」月の「子月」で、「10干」の各「甲・乙・丙・丁・戊・己・壬・癸+(甲・乙)」で、「干支」月の組み合わせは、「子」月と「甲」月の順序の組み合わせの「甲子」は「60ヶ月」、「60÷12=5年」に一回である。
干支の「干」は10進法でアラビア数字では「(0)・1・2・3・4・5・6・7・8・9」で、インド起源であるらしい「0→10」は「1~9」の全部の「数字」が含まれていると言う意味である。そして「支」は12進法で「(0)・1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12」である。「0→12」は「1~11」の全部の「数字」が含まれていると言う意味である
↓
2014年12月16日火曜日
2014年 干支31 甲午(丙・ ・丁)年
12 月 干支13 丙子(壬・ ・癸)月
16 日 干支58 辛酉(庚・ ・辛)日
↓
クリスマス
Xマス・Christmas・Xmas・X-mas
Χριστοσ=キリストのミサ(missa・mass)
キリスト降誕祭
↓
2014年12月25日木曜日
25 日 干支07 庚午(丙・ ・丁)日
↓
「Xmas=X-mas」は「X=未知数・ラテン文字(アルファベット)の24番目の文字・ギリシア文字のΧ(キー/ヒ/カイ)に由来・ラテン文字の発音はksがギリシア西方方言でΧと書かれた・標準ギリシャ語のΧの音写にはchやkhが用いられる・ギリシア文字のΞ(クシー)の音写にXが使われることがある。キリル文字のХと同系」
の
「マス」である・・・
「サケ=鮭」が「Salmon(サーモン)」、
「マス=鱒」が「Trout(トラウト)」である。
そして「枡・桝・升・舛」で、「マス(mass)」は「集まり・集団・群衆」で、「質量」で、
「一升」とは「米の1升の重さは約1.5Kg」で
「一升瓶」は「1.8リットル(ℓ・l・L→乙の略字・乚はイン)」、
「乚=別源異体字. かくす・「隠」の古字。 (部首)「乙」の異体」。 「毫(ゴウ・わずか)」の略体」・・・「乚」の呉音は「オツ,オチ,イン,ゴウ」、漢音は「オツ,オチ,イン,ゴウ」、訓読みは「かくれる」・・・隠すである・・・
「masturbation」って、自己満足の快楽・・・「自慰(ジイ)」って、あたかも不道徳、不倫理の行為で翻訳漢字がそぐわない・・・同音異字は「ジイ=次位・示威・辞意・侍医・爺・字意」である・・・「自慰行為」はサルもネコもイヌもスル・・・
「X」の「マス」とはパズルの「升字空白=スペルのXの?」である・・・
今月の「12月=丙子月」・・・ここでは「干支」月の組み合わせではなく、「甲子(園)」は「甲=1」で、「子」が「12」番目の月だが、「子支」の読みの順序は「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」で「1番目」である。古くは「1月=正月」は「子月」で、数字で言えば「子=1」であった。そして、「12月」は「亥月」であった。「丑月=正月=1月」になって各「支」月がズレ、「子」は「12」になったのである。だが「子支」の読みの順序、記録の順序も「一番目」で変わらなかった。マス目がズレたのだ・・・12月25日頃は「冬至=とうじ=当時」である・・・
80歳で死亡したらしい「仏陀(ブッダ・BC)」は「基督(キリスト・AD)」より遥か以前に誕生し、死没した・・・各仏教学者の推測の巾を採れば「紀元前624年~紀元前383年」だが、キリストの大先輩である。
「景教」での「イエス・キリスト」の記録漢字は「移鼠」で「移動するネズミ」である・・・支では「子(シ)」を「ね・ねずみ」と訓読みし、漢字では「鼠(ソ)」である。
「三蔵法師」は有名だが
その生存期間はたかだか
「602年~664年3月7日)」の人物である。
「玄奘(げんじょう)」
唐代の中国の訳経僧
玄奘は戒名
俗名は陳褘(チンイ)
諡は大遍覚
尊称は法師、三蔵
鳩摩羅什と共に
二大訳聖
あるいは
真諦と
不空金剛を含めて
四大訳経家とも呼ばれる・・・
・・・ギリシャ神話、そしてキリスト教と仏教はどちらが日本に伝承されたかのか?・・・記録上の問題ではなく、人間の交易、出会いでの相互関係として可能性としての推理、推測である・・・
ーーーーー
中国地域への仏教の伝来
1世紀頃と推定
後漢の永平10年(67年)の
明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話
『後漢書』に、
楚王英伝に仏教信仰に関する記録
仏教
紀元前三世紀頃、
阿育王が出現して仏教興隆のために尽力
中国に仏教が伝来したのは、後漢の
明帝が永平十年(紀元六七)
仏 教 伝 来
中国に仏教が伝来
後漢の明帝が永平十年(紀元六七)、
インドの迦葉摩騰と竺法蘭を
洛陽(河南省)に迎え、
白馬寺において経典を訳
中国の人々に認識されるようになったのは、
後漢の桓帝(146~167在位)
インドの
安息国の皇太子であった
安世高が出家して沙門となり、
その後中国で、
約二十年間にわたって
主に小乗経典の漢訳に従事
霊帝(168~189在位)のとき、
大月氏国の沙門であった
支婁迦讖が中国で
大乗経典を翻訳
魏・呉・蜀の
三国時代を経て盛んになった・・・
↓
魏の国は、蜀の国を滅ぼし
「晋」を建国し(265年)、
さらに
呉の国を統合して(280年)
三国を統一
晋の建国から約五十年間を
西晋(晋)時代
仏教僧に
竺法護(231~308)
経典の翻訳に約四十年間にわたって従事
「正法華経」「光讃般若経」等、
三百巻を超える経典を訳出
竺法雅
や
康法朗などの仏教僧は、
儒教や老子・荘子の思想を利用して、
仏教の教理を説明し布教
これを
「格義仏教」という・・・
仏教本来の教義が歪められた・・・
↓
五胡十六国時代
四世紀
北方の騎馬民族や
西方の民族の五胡
(匈奴・鮮卑・羯・氐=成(前蜀、のちの漢)・羌)
二趙(前趙・後趙)、
三秦(前秦・後秦・西秦)、
四燕(前燕・後燕・南燕・北燕)、
五涼(前涼・後涼・西涼・南涼・北涼)、
夏・成
の十六の国
仏教は隆昌し、
特に後趙・前秦・後秦・北涼
の各国では盛ん
前秦の
道安(312~385)は、
経典を整理し
「総理衆経目録・(道安録)」を作成
後秦の時代
羅什三蔵(344~413)=鳩摩羅什
は
亀茲国(中国ウイグル自治区)に生まれ、
七歳で出家し、
九歳のときに
大月氏国に渡って
槃頭達多に
小乗経を学んで、再び帰国
亀茲国が滅亡後、
涼州に留まり、
弘始三年(401)
後秦二代の
王・姚興に迎えられて長安に入った
三百八十四巻ほどの経論を翻訳
『妙法蓮華経』
『大品般若経』
『維摩経』、
及び
『大智度論』
『中論』
『十二門論』
『百論』
『十住毘婆沙論』
↓
南北朝時代
「法華経」
五~六世紀
東晋の流れを継続した南朝
五胡の流れを汲む北朝
とが対立
南朝
四二〇年に成立した
宋に続いて
斉・梁・陳の国々の興亡
北朝
四三九年に北魏が華北を統一
内部分裂で、
北周に亡ぼされ
五八一年に
随によって併合
隋はさらに
南朝の陳をも滅ぼし
五八九年に全国統一
この南北朝の仏教では、
経典に対する
教相判釈の研究が活発化
揚子江を境にして
南に三師三派、
北に七師七派の
南三北七の十派が各々の義を立てた
義は、細部の違いはあっても
大綱は共通し、
華厳経第一、
涅槃経第二、
法華経第三
南朝最後の陳の時代
天台大師は、
これら南三北七の義を打ち破って
法華を宣揚
↓
天台大師(智�瘉・チズイ)
天台大師(五三八~五九七)
中国天台宗の開祖
陳・随両時代の
法華経の第一人者
梁武帝の
大同四年(538)
荊州に生まれた
十八歳のとき、
果願寺の法緒のもとで出家し、
法華三部経等を研鑽
二十三歳で
大蘇山(河南省南部)の
慧師(南岳大師)に師事し、
法華三昧の行に入り、
法華経『薬王品第二十三』の、
「是真精進。是名真法。供養如来
(是れ真の精進なり。
是を真の法をもって
如来を供養すと名づく)」
の句によって悟りを開く・・・
これを
「大蘇開悟」といい、
天台は
薬王菩薩の後身といわれている
三十二歳のとき、
金陵(南京)の
瓦官寺で法華経を開講
その後、六年を経て隠遁を決意
天台山(浙江省東部)に入り、
頭陀を行じて
円頓止観を悟り、
四十七歳のときに
陳王の請いに応じて
天台山を下り、後に
金陵・光宅寺において
『法華文句』を講じた
陳が滅び、隋が天下を統一すると、
天台は
隋の晋王広(煬帝)に招かれ、
開皇十一年(591)
晋王広に
菩薩戒を授け、
「智者大師」の号を贈られた
翌年、天台は故郷の
荊州に玉泉寺を建立
『法華玄義』を説き、
開皇十四年(594)
『摩訶止観』を講説
一念三千の法義を明らかにして
法華経が
最高の教法であることを示した
南三北七の十師たちが唱える
邪義に対して、
天台は
五時八教判をもって批判
開皇十七年(597)
天台山で六十歳で入寂
↓
天台法華宗
天台大師入寂後、
弟子の
章安(灌頂・561~632)が
天台宗の基礎
章安は、
天台の
『法華文句』
『法華玄義』
『摩訶止観』の講義を筆録・整理して
三大部を完成
章安以後、天台宗は唐代に入って
智威・慧威・玄朗と継承
禅宗・真言宗・華厳宗・法相宗
等に勢いを押されてたが
唐代の中頃に、
玄朗の弟子である
天台宗
第六祖の
妙楽(荊渓大師湛然・711~782)が出て、
天台の
一念三千の法義を明確にし、宗勢を復興
妙楽の著作
三大部を注釈した
『法華玄義釈籖』
『法華文句記』
『摩訶止観輔行伝弘決』
妙楽のあとを継いだのが弟子の
道邃と
行満であり、
この二人から天台法門を学び、
道邃から
円頓止観を授けられたのが、
日本の
伝教大師=最澄(さいちょう)の諡号
↓
弘法大師=空海
↓
キリスト教分派
(異端?キリストは神性を具へた一個の人間)
の
ネストリウス派(景教)
大秦景教流行中国碑
(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)
1623年、西安(長安)で土中より発掘
明末に
長安の
崇聖寺の境内で発掘された古碑
ネストリウス派(景教・ネストル教)の教義や中国への伝来などを刻す。
唐代781年(建中二年)に
伊斯(イザドブジド Izadbuzid ?)が建立・・・
↓
碑文内容
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4707_9678.html
↓
「唐の太宗の時、
阿羅本が景教の經像を齎らして長安に來朝したこと、太宗は之を容れ、長安の義寧坊に大秦寺を建てて、僧二十一人を度せしこと、次の高宗は天下の諸地方に景教の寺院を増置したこと、則天武后時代から睿宗時代にかけて、景教の法運やや不振に陷つたこと、玄宗時代に景教は再び唐室の保護を受けて、法運振興したこと、次の肅宗・代宗・徳宗三代を通じて、法運の益々隆昌したことを記した
この記念碑建設の費用を喜捨した、
伊斯の徳行を敍した」
「ミシア(Missiah 救世主の意味)教」・・・
↓
「彌尸訶(貞元新定釋教目録)」、
「彌施訶(大秦景教流行中國碑)=彌失訶」・・・
碑文は
景浄=アダム(Adam)
中国へは、
唐の太宗の時代に
ペルシア人司祭
「阿羅本(アラボン、オロボン、アロペン等複数の説がある)」らによって伝えられ、景教と呼ばれた。
景教とは中国語で「光の信仰」という意味であり、
景教教会を唐の時代、
大秦寺という名称で建造された
セメド(Semedo)といふ宣教師の作つた
『支那通史』に石碑頂部先端は
ピラミッド形
1625年(明の天啓五年)に発掘記録
唐代末期、
武宗に弾圧され消滅・・・
「元」の時代に一時的に中国本土で復活
秦氏によって日本にも景教が伝わった・・・
中国では
ダビデを漢訳して
「大闢」と書くが、
秦氏は
西日本の日本海各地に
「大避神社」と号する神社を建立し、
また京都の
広隆寺の隣に
秦始皇帝を祭神の1つとして建立した
大酒神社も、
昔は大辟、
さらにさかのぼると
大闢と号していた・・・
ーーーーー
・・・なぜ、「ブッダ」は「佛=仏=イ+ム(私・よこしま→邪)」になったのか・・・横の島・・・
緯度33度・・・横島→阿蘇山→横島・・・
・・・深夜映画で菅原文太の映画をやっていた・・・「夜桜銀次?」・・・チラッと見たが、出入り前、仏壇に線香をあげた後、タンスにシマっていた着物を取り出して広げ、パラパラと「ナフタリン」を払い、着込んで帯を締め、「白鞘の刀」を持って出かけていく場面があった・・・ボクにとっての妄想は「ナフタリン」は「ナフたりん=名符足りん」で、「白鞘の刀」は「さや」である・・・
白象・・・「白書う・貼くしょう・伯昌・白勝」、「ショウ」と「ヒョウ」の発音がアイマイなボクには「薄氷・白豹」、「白票(無効票)」とも聴こえる・・・「しらぎ・シンラ」・・・「神羅・森羅・新羅」・・・「新覶・新覶」の「親等」・・・
「新羅(しらぎ)の官職名・十七階官位中の十四位・新羅吉士の金」、「吉志、難波忌寸同祖、大彦命之後也」・・・「武蔵国派遣の壬生吉士」、「調吉士伊企儺」、「吉士 キシ 吉志、吉師、貴志、岸」・・・「北山抄・大嘗会事条に、新羅の服属儀礼を芸能化した吉士舞あり、これに安倍氏、難波吉士等が供奉す。多くは摂津国難波に居住して難波吉士と称し、安倍氏の配下となり、安倍氏後裔を称す」・・・「吉師舞、吉士舞」の面倒みたのはアベ・・・?
・・・「新羅の服属儀礼」の根拠はナニか?・・・亡国「百済(百濟)」が「倭国政権」に巣食っていたならば、「新羅の服属儀礼」と記録するだろうが、戦勝国「新羅」が「倭国政権」に巣食っていたならば、「新羅の戦勝儀礼の吉士舞」だろう・・・
「大羅(ラ)で大ノ国(百済)を称す。単に浦は古訓でカラ(韓)の意味もある。三国史記に韓半島南部の国名に浦上八国を記す。上は城(さし)で国の意味」・・・
ならば「大羅(タイラ)」は「平(たいら)」。「源氏は新羅太郎」で、「源義家」は、「伊予守の源頼義」の長男で、別称、「八幡太郎義家」、兄弟に「高麗次郎義網」、「三男に新羅太郎義光(近江の新羅明神で元服)」である・・・
天喜五年(1057年)十一月
前九年の役
「鎮守府将軍、陸奥守に任ぜられた父の源頼義が安倍氏と戦って大敗(黄海の戦い)」
「奥州(東北地方)を支配し、朝廷に反逆していた安倍一族等を、清原と組んで、亡ぼした(陸奥国守となった時、清原氏(藤原3代に繋がる家系)の内紛に介入して
永保三年(1083年)
後三年の役
陸奥守となり、清原氏の内紛に介入
寛治元年(1087年)七月九日
「奥州合戦停止」
寛治元年十一月
義家は
出羽
金沢柵にて
清原武衡・清原家衡を破った
だが
朝廷はこれを認めず、「私戦」とした
寛治二年(1088年)正月
陸奥守を罷免
承徳二年(1098年)四月
小除目で正四位下に昇進
十月に院昇殿の許可
・・・「源頼朝」は義家の孫にあたる源義朝の子で曾孫
で、鎌倉幕府を開く・・・「曾孫」・・・
室町幕府を開いた
足利尊氏(源尊氏)は、
源義家の
三男の
源義国の
次男の
足利義康(源義康)の子孫。
南朝方の
新田義貞(源義貞)は、
源義国の
長男の
新田義重(源義重)の子孫。
・・・徳川家康は、征夷大将軍職を得るために新田氏の分家である「得川」氏の後裔を自称・・・「得川」である・・・
ーーーーー
↓
「鞘(さや・ショウ・セウ・ショウ・ソウ )」
刃物の身の部分を包む覆いで、刃が周りを傷つけないように隔離し、保管や携行中の安全を確保するモノ。
「刀剣類」の刀身の部分を納めておく筒・刀室(とうしつ)
「筆や鉛筆」などの先端を保護するためにかぶせる筒
キャップ
「堂・蔵・牢(ろう)」などの外囲い・・・
「値段や利率の差・開き・売り値と買い値との差や、
ある銘柄の相場間の値段の開きなど」
・・・「利鞘(りざや)」・・・「鞘を取る」・・・「売買の仲介をして、価格の差の一部を利益として取る・鞘を稼ぐ・鞘を抜く」・・・類字は「悄・逍・銷・鞘・蛸・鮹・梢・稍」・・・なるほど
「坪内逍遥(つぼうちしょうよう・1859年・安政六年)~1935年(昭和十年)・評論家 翻訳家 劇作家 作家」
明治十八年(1885年)に『小説神髄』、そして『当世書生気質』を発表」・・・「尾張藩領だった美濃国加茂郡太田宿(岐阜県美濃加茂市)の生まれ。父は尾張藩士で太田代官所の手代をつとめていたが、明治維新とともに一家で実家のある名古屋の笹島村へ戻った。父から漢学書類を読まされた他に、母の影響を受け、名古屋での11歳頃から貸本屋に通い読本・草双紙などの江戸戯作や俳諧、和歌に親しみ、ことに滝沢馬琴に心酔した・・・早稲田大学の前身である東京専門学校の講師となり、のちに早大教授・・・「妻・センは根津遊廓の大八幡楼の娼妓・花紫で、1886年(明治十九年)に結婚したが二人には子がなく、逍遙は兄・義衛の三男・士行を7歳のときに養子に迎えたが、後年士行の女性問題が原因で養子縁組を解消・・・写真家・能笛家の鹿嶋清兵衛とその後妻・ゑつの間にできた長女・くにを6歳のときに養女に迎えている」・・・
↓
「鞘堂」は「覆堂(ふくどう、おおいどう、さやどう)」とも・・・「鞘堂(さやどう)」、「覆屋(おおいや)」・・・「平泉中尊寺. 金色堂旧覆堂」・・・覆堂、鞘堂で、「伊達藩」である・・・
以上も、以下も、ウイッキペデアなどが参考、参照の原文・・・
ーーーーー
↓
「白鞘(休め鞘)=しらさや」
刀の保存用の鞘
材料は自然乾燥させた「朴(ほお)」の木
白鞘は「拵(こしらえ)の鞘」に比べて太く作られる
「拵の鞘」も白鞘に塗りを施したもの
保存に
竹光を
「拵の鞘」に入れ飾り、
本身の刀は「白鞘」はしまっておく
「入れ子鞘(いれこざや)」と言う、
「拵の塗りの鞘」が
二重になっている物もある
ーーーーー
「ナフタレン
(ナフタリン=那夫塔林・naphthalene)」
2個のベンゼン環が1辺を共有した構造を持つ
「多環芳香族炭化水素」
無色で昇華性を持つ白色結晶
アセン類として最も単純な化合物
構造異性体として、
7員環と
5員環からなる
アズレンがある
1820年代初頭
コールタールの蒸留によって得られる
刺激臭のある白色固体について
2つの別々の報告がなされた。
1821年
ジョン・キッドはこれら2報の発表を引用し、この物質の性質の多くとその生産方法について記述した。キッドは、この物質が
「ナフサ」の一種から得られていたため、
「naphtaline」という名称を提案した
1826年に
「ナフタレンの化学式」は
マイケル・ファラデーによって決定
2つのベンゼン環が縮環した構造は
1866年に
エミール・エルレンマイヤーによって提唱
1869年に
カール・グレーベによって確認
ナフタレン分子は1組のベンゼン環が縮環したもの
ナフタレンは
ベンゼノイド多環芳香族炭化水素 (PAH) に分類
ナフタレンには2組の等価な水素原子がある
α位は1、4、5、8位であり、
β位は2、3、6、7位である
ベンゼンとは異なり、
ナフタレン中の炭素-炭素結合は全て同じ結合長ではない、
C1-C2、C3-C4、C5-C6、C7-C8
間の結合は約1.36 Å(136 pm)であるのに対して、
その他の炭素-炭素結合の長さは約1.42 Å (142 pm)
この差異は
3つの
共鳴構造を含むナフタレン中の結合の
原子価結合モデルと一致
C1-C2、C3-C4、C5-C6、C7-C8
間の結合は3つの共鳴構造のうち2つで
二重結合であるが、
その他の結合は1つのみで二重結合となる
ベンゼンのように、
ナフタレンは芳香族求電子置換反応を受ける
多くの芳香族求電子置換反応において、
ナフタレンはベンゼンよりも穏和な条件で反応
ナフタレンおよび塩素は
触媒がなくとも反応して
1-クロロナフタレンを形成
ベンゼンおよびナフタレンはともに
フリーデル=クラフツ反応によって
アルキル化されるが、
ナフタレンは
硫酸あるいはリン酸を
触媒とした
アルケンあるいは
アルコールとの反応によって
アルキル化する・・・?
ナフタレンは
パラジクロロベンゼンと同様に、
防虫剤として利用
また現像済みの
写真フィルムは
化学反応を起こして
退色・変色を起こすことがあるので、
ナフタレンを成分とする
防虫剤から離して保管する必要がある・・・
殺虫剤として
1954年1月25日、
忌避剤として
1954年8月2日に
農薬登録を受けたが、
殺虫剤としては
1957年1月25日、
忌避剤としては
1971年11月18日に
登録失効
ナフチル基
ナフタレンから
水素をひとつ取り去った1価の置換基は
ナフチル基 (naphthyl group) と呼ばれる
取り去られた
水素の位置により
1-ナフチル基と
2-ナフチル基がある
↓
ナフタレンにさらされると、
赤血球が破壊される
子供が誤ってナフタレンを含んだ
防虫剤や防臭剤を口に入れた場合
極端な疲労感、食欲不振、不眠、チアノーゼ
といった症状が現れる
大量のナフタレンに暴露されると、
吐き気、嘔吐、下痢、血尿、黄疸を引き起こす
万一、誤食があった場合は、病院に行くこと
有毒物質を飲んだとき
牛乳を飲ませる応急処置をするが、
ナフタレンの場合は牛乳を飲ませてはいけない
ナフタレンは
脂溶性のため体内に吸収され易く
危険である・・・
アメリカ合衆国
アメリカ国立衛生研究所(NTPの上部組織)は
2005年の
11回発癌性物質報告書
(11th Report on Carcinogens)から
ナフタリンを
「人間に対する発癌性物質と正当に予測される
(Reasonably anticipated to be a human carcinogen)」
物質としてリスト
国際癌研究機構 (IARC) は
2002年にナフタレンを
ヒトに対する発癌性の
疑いがある物質(Group2B)として位置づけ
同機構ではナフタレンに対する
急性暴露は、
ヒト、ラット、ウサギ、マウスにおいて
白内障の原因となること、
成体以外では
経口暴露、吸入暴露、胎児期の間接暴露により、
溶血性貧血が起こることを指摘
ーーーーー
・・・箪笥に大切に収納されている「おふくろのカタミの着物」・・・「ナフタリン臭い」・・・