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コジキジゲン

お膳部・柏手・拍手・・・

2014-12-14 00:17:08 | 古事記字源

 ・・・韋駄天(イダテン)・・・御馳走(ゴチソウ)・・・17時のTV・「爆笑問題・ぶっちゃけ寺」・・・「韋駄天」が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来して「ごちそう(御馳走)」という言葉が出来た」・・・韋駄天は「いだてん」と読み、サンスクリットは「スカンダ(Skanda)」。韋陀、韋天将軍とも・・・馳走=走り回ること。奔走・・・師走・・・禅宗の料理人が客人のために山野をかけめぐって新鮮な食材を集めたというところから来ている・・・これはボクの妄想からすれば「全部・前部」の「お膳部」である・・・古代天皇の「お膳係」と言えば「高橋」であり、「磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと・日本料理の神)=磐鹿六鴈=伊波我牟都加利命」を祖とする古代氏族の一で、「膳部(かしわで)」氏・・・同僚の「安曇(あずみ)」氏と衝突・・・「磐鹿六鴈」は第八代孝元天皇皇子の大彦命の孫、比古伊那許志別命(大稲腰命)の子・・・「高橋氏文(789年奏上・逸文?)」を奏上・・・528年11月11日、磐井軍と「物部麁鹿火(もののべあらかひ)」率いるヤマト王権軍が、筑紫三井郡(福岡県小郡市・三井郡付近)で交戦、磐井軍は敗北。・・・そして「韋駄天(イダテン)」とは「伊達」である・・・
 韋駄天
 インド神話では「スカンダ」(シヴァ神の子、ガネーシャ神の弟)
 仏教に入って仏法の守護神となり、特に伽藍を守る神とされている。
 食料調達に長けているとされ、禅宗寺院の庫裏に祀られることも多い。
 また小児の病魔を除く神
 四天王の増長天の従えている八将軍の主領
 三十二天中の首位を占める天部神
 釈迦如来が入滅した後、
 捷疾鬼が仏舎利の一部を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻した
ーーーーー
 韋駄天
 バラモン教の神で仏教に取り入れられ、仏法の守護神となったものである。
 仏舎利を盗んで逃げた
 捷疾鬼(しょうしつき)を追いかけて取り戻したことから、韋駄天は足の速い神とされる。
  ↓
 韋駄天
 (Skanda、音写=塞建陀・私建陀、
     別表記=違駄天)
 仏教の仏(天部)の神
 韋陀、韋天将軍とも
 増長天の八将の一神で、
 四天王下の
 三十二将中の首位を占める天部の仏神
 伽藍を守る護法神
  ↓
 増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神。特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋尊ととも山門や本堂前によく祀られる[1]。日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られる。また小児の病魔を除く神ともいわれる。密教の曼荼羅では護世二十天の一尊として西方位に配される。
 「Skanda」を
 音写して
 塞建陀天
 私建陀天と漢訳された・・・?
 建駄天とも略記
 金光明経
 鬼神品
 第十三中の
 誤写によって
 建駄天が違駄天となり、
 さらには
 道教の
 韋将軍信仰と
 習合して
 「韋駄天」と称されるようになった
 元来はスカンダに由来するため、
 六面十二臂の
 少年神で
 孔雀に乗る
 六面の由来は、
 「大自在天(シヴァ)」の
 次男だが
 六人の乳母に育てられたため・・・
ーーーーー
 言い訳とか、取り繕いとか・・・辻褄合わせとか・・・「大変」である・・・「大自在天(シヴァ)」は「変幻自在」だから・・・
 「八面六臂」
 仏像などで
 八つの顔と
 六本の腕を持っていること
 多才で,一人で何人分もの活躍をするたとえ
 あらゆる方面にめざましい働きを示すこと
 多芸多能・多芸多才
 六面八臂像が常暁将来の像
 「資弁捷疾」
 「資弁」は生まれつき弁舌が達者、
 「捷疾」は速いや素早いことから、
 生まれつき弁舌が達者で、行動が素早いこと
 中国古代の殷の紂王を評した故事が由来
  ↓
 夜叉(やしゃ・yakṣa・yakkhaの音写
    意訳=暴悪・捷疾鬼・威徳)
 古代インド神話の鬼神
 「薬叉(やくしゃ)」とも・・・
 仏教に取り入れられ護法善神の一尊となった
 夜叉には男と女があり、
 男はヤクシャ(Yaksa)、
 女はヤクシーもしくはヤクシニー
 財宝の神クベーラ(毘沙門天)の眷属
 人を食らう鬼神の性格
 ヤクシャは鬼神である反面、
 人間に恩恵をもたらす存在
 森林に棲む神霊であり、樹木に関係する
 水との関係もあり、
 「水を崇拝する(yasy-)」といわれたので、
 「ヤクシャ(yaksya)」と
 名づけられたという語源説もある・・・
 インド神話における夜叉は仏教に包括され、
 仏法を守護する
 八部衆の一つとして、また
 毘沙門天の眷属として
 羅刹と共に
 北方を守護する
 また夜叉には、
 天夜叉
 地夜叉
 虚空夜叉
 の三種があり、
 地夜叉以外は飛行する・・・
 大乗仏典では
 薬師如来の十二神将や、
 般若経典を守護する
 十六善神などが夜叉・・・
  ↓
 「捷(ショウ・セフ・かつ・はやい・さとし・など」
 戦いに勝つ・勝ちいくさ
 「捷報・戦捷・大捷」
 動きが速い・すばやい
 「軽捷・敏捷」
 ちかみち=「捷径」
 戦いや狩りなどがうまくいくこと
 動きがはやい
 気転がきく
ーーーーー
 舞台での変幻自在の「歌舞伎役者」って「俳優」・・・辞書とにらめっこの「訳者」って「翻訳家」・・・

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ダイナマイト・・・代名毎渡

2014-12-12 20:30:50 | 古事記字源

 ・・・さすが「物理学者」・・・中村修二教授(60)の「メダル」を「ただの金属」・・・メダルよりも「賞金、計800万クローナ(約1億2000万円)÷3=4000万円」・・・「殺傷ダイナマイト(ニトログリセリン主剤の爆薬)基金」・・・
ーーーーー
 アルフレッド・ノーベル
 珪藻土にニトログリセリンが吸収されるコトを偶然発見
 1866年
 珪藻土にしみ込ませ安全化
 雷管を発明して爆発のコントロールに成功
 1875年
 ニトログリセリンと、爆薬である
 低硝化綿薬(弱綿薬)を混合してゲル状とした
 ブラスチングゼラチンを発明
 爆薬の威力を高め、事業化
 「ダイナマイト(Dynamite)」は
 ギリシア語のdunamis(ちから)に由来
 日本では明治に輸入されたダイナマイトで
 琵琶湖疏水の工事などで使用
 日露戦争で始めて大量のダイナマイトが使用
 旅順攻防戦で行われた坑道戦で、
 東鶏冠山北堡塁を
 2,300kgものダイナマイトで爆破
 国産ダイナマイトの製造
 群馬県
 岩鼻村(高崎市)に、
 東京砲兵工廠
 岩鼻火薬製造所が作られた
 明治三十八年から製造開始
 ノーベルは、
 ダイナマイトのような
 破壊力の大きな兵器が使われる事で、
 それが
 戦争抑止力として働く事を期待した・・・?
 ・・・「原水爆」の所有の論理と同類であるな・・・さかのぼれば「火の使用目的」も同じ論理だった・・・「プロメテウスの火」・・・
 「火」・・・「燃焼によって解放されたエネルギーのために、燃焼している物体(や気体)は発光する」・・・ペチカのマキは11月1日から燃やし続けてきたが、多分、あと、二日間、12月の13、14日で燃え尽きる・・・兎に角「燃焼現象」は化学反応(物質同士の緒関係)の結果である・・・
 「紙巻きたばこ」は吸い込んでいないときは外側で「400℃」、内側で「585℃」、吸い込んでいるときは内側で「700℃」・・・ニコチンよりも「温度」の害が大かも・・・
 「伊予万手」・・・「イオマンテ=イヨマンテ」という場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。
 本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、
 一部の地域では
 「シマフクロウ」のイオマンテを重視する。
 また
 「シャチ」を対象とするイオマンテもある。
  ↓
 飼育したヒグマを対象とする儀式は
 イオマンテ、
 狩猟によって捕殺した野生の
 ヒグマを対象とする儀式は
 「カムイ・ホプニレ (kamuy hopunire) 」
 と呼んで区別することがある・・・
 「イオマンテ」とは
 「カムイを行かせる儀式」の意・・・多分、簡単に言えば「はんさい(燔祭)・・・「生け贄(いけにえ)」の動物を祭壇上で焼き、神にささげた「燔祭・晩祭」であり、「火祭り」・・・
 「ヒグマ=羆=罒+ム+月+ヒ+ヒ+灬(カ・ヒョウ)」
        罒=網
        ム=私
        月=肉・月・舟
        ヒ=匙・匕首・牝・七
        ヒ=匙・匕首・牝・七
        灬=(烈火・燃える火・レンガ)
 「灬」は「四足」の象徴ではないらしい・・・鳥・馬・魚・・・
  ↓
  点 照 然 熱 無
  為 烈 無 焦 然
  照 煮 熟 熱 熊
  烏 燕 煕 爲
ーーーーー
 ヒグマ(羆、緋熊、樋熊、学名:Ursus arctos)
 ネコ目(食肉目)クマ科に属する哺乳類
  ↓
 「大熊座・小熊座」・・・「オス(雄・牡・♂)」である野生の白熊、黒い羆(ヒグマ)には、野生のオス狼のような「父性愛」が無いようである。時には成長したオスグマは母子の熊を襲い子熊を殺してしまうコトがあるらしい・・・ツガイで子熊を育てず、クマは母のみで子熊を育て、そしてオスも群れずに孤立して生活する存在である。子供の熊がある程度成長すると「オス(雄・牡・♂)」も「メス(雌・牝・♀)」も母グマから離れて独立して生活していく・・・成長した「オス熊」がナゼ、母子の子熊を襲って殺してしまうのか・・・子熊への「嫉妬」か、あるいはメス熊への「性」が目的か・・・「大熊座(北斗七星)・小熊座」は「ギリシャ神話」では母子の悲劇のモノガタリである・・・いずれも浮気者のオス(ゼウス・ユピテル・ユノウ)のegoが原因・・・
ーーーーー
 大熊座(北斗七星・ベータβ星とアルファα星とを結んだ方向へ約五倍延ばした所に北極星)
 学名=Ursa Major・・・得る差 魔女
 北の空を回る「周極星」
 杓子星
 6つの2等星、熊の胴体部分の星は、全て3等星以下
 北斗七星の7星のうち、
 δ星(3等星)以外は全て2等星
 α星=ドゥーベ
 β星=メラク・・・・女楽・目落・目絡
 γ星=フェクダ
 δ星=メグレズ(北斗七星で唯一の3等星)
 ε星=アリオト・・・亜理音
 ζ星=ミザール・・・見ざる
 η星=ベネトナシュ
  ↓
 Z星=半規則型・・・・「Z」は漢字字形の「乙」
       脈動変光星・・・視訳変更成・未訳偏向性
  ↓
 ラランド21185=太陽系から
         8.21光年の距離にある
         鯨(くじら座UV型)の爆発変光星
 SN 2011fe=M101に出現
      Ia型超新星
  ↓
 森のニンフ、「アルカディア」王の娘「カリストー」と「ゼウス」の間に「アルカス」という男の子が生まれ、ゼウスの妻の女神「ヘーラー」が嫉妬し、「カリストー」を熊に変えてしまった。
 一説にはカリストーは女神アルテミスの侍女(乙女・処女)で、純潔を破ったため、アルテミスに熊に変えられ、アルテミスはカリストに「犬」をけしかけ、カリストーは山の中を逃げ、ゼウスによって命は助けられ「アルカス」を出産・・・
 「アルカス」は、アルカディアのキュレーネー山に住む
 「アトラス」の娘、
 「マイア」に育てられた
 青年に成長した「アルカス」が弓を引いた相手は熊にされた自分の母親「カリストー」だった。ゼウスは矢がカリストーを射殺す前に、2人とも天にあげて星座とした。
 母親カリストーが「おおぐま座」、
 息子アルカスが「こぐま座」
 母熊は子熊の周囲を回転するようになった・・・
ーーーーー
 ・・・

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述べる症・・・能辺(べ=邉・邊・罐・俳・排・唄)留証

2014-12-10 23:47:52 | 古事記字源

 ・・・「マララ」さんの苗字「ユスフザイ」は、「パシュトゥーン人」の「旧約聖書のヨセフ(Joseph)の息子たち」を意味しているらしい・・・ならば「ヨセフ(Joseph)の娘」と云う事か・・・だが「ヨセフ」は「ヤコブの子で、母はヤコブの後妻のラケル。同母弟にベニヤミン、異母兄にルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェルが、異母姉にディナ」がい、「ヤコブの十一(11・拾壱)男」で、「ヨセフの妻アセナト(アセナテ)との間にエフライムとマナセの二人の男子」が存在するが、「娘の記録」はない・・・ヨセフの予言は「七頭の雌牛の夢と同じで七年間の大豊作と大飢饉」だった・・・新約聖書のナザレの大工「ヨセフ(イオシフ)」はマリアの夫で、キリストの「養父?」であった・・・ヨセフの同名者は他にも大勢。「黙示録(The Apocalypse)」の十二使徒の名は「ヨハネ」だが。「ユダヤ戦記・七巻」の「フラウィウス・ヨセフス」・・・マリアも大勢「マグダレネと呼ばれるマリア」・・・「マグ、ダレね」と呼ばれる「マリア」・・・娘は「サラ」・・・「マララ」さんは、「パシュトゥーン人」の「マリア」の訛りかも・・・チナミに「Mara」は「アルゼンチンのパンパスにすむノウサギ(野兎・野兔・野菟)のような齧歯動物(hare-like rodent of the pampas of Argentina)・ヒンズー教の死神」・・・
 ・・・北海道の「斜里川のヤマメ(山女魚、山女)」・・・「ヤマオンナのマナ・サンジョの真名」・・・ならば「オオヤマツミ(大山積神・大山津見神・大山祇神)の娘」とは?・・・「木花咲耶姫・木花之佐久夜毘売・木花開耶姫」と表記され、別名が「神阿多都比売(カムアタツヒメ)」で、姉が「イワナガヒメ(石長比売・磐長姫)」である・・・アリガタイのは「石長比売、磐長姫」か、「木花之佐久夜毘売」か?・・・クルシミマス・・・
  ↓
 「やまめ・やまべ=ヤマメ(学名:Oncorhynchus masou、山女魚、山女)・サケ目サケ科に属する魚であるサクラマスのうち、降海せずに、一生を河川で過ごす河川残留型(陸封型)の個体」・・・
 体の側面に上下に長い
 「木の葉・小判状」の
 斑紋模様(パーマーク)があるのが特徴
 「下北半島の大畑川には
  スギノコと呼ばれる普通のヤマメと比較すると、
  体色が濃くて
  青緑色を帯びており、
  パーマークがやや小さいヤマメが生息」
 「ヤマメの生息域に
  アマゴ、あるいは
  アマゴの生息域に
  ヤマメが放流されたために
  ヤマメとアマゴが置き換わってしまったり
  ヤマメとアマゴが交雑し
  アマゴとヤマメの
  中間的な魚が生まれ
  雑種が生息している地域がある」
 「カワサバ
  学名
  イワナとヤマメの交雑種で
  ヤマメの特徴であるパーマークがあるが、
  背中の斑点が
  イワナの特徴である流れる傾向がみられ
  斑紋が海の魚の
  サバのように見える事から
  カワサバと呼ばれるようになった」
 ・・・「さくらます=サクラマス(桜鱒、 O. masou )は、サケ目サケ科に属する魚。ヤマメ、アマゴは、それぞれサクラマス、サツキマスの河川残留型(陸封型)に対する呼称」・・・
 「シャリガワ」・・・「葦の生えた湿原の川」の意・・・「シャリ=舎利・射利・沙里・伺去(長野県長野市伺去)」の「川=セン=選・撰・専・線・仙・宣・泉」・・・「伺去神社(しゃりじんじゃ)」の「本社祭神名は、「猿田彦太神」・・・
 「12月31日(越年祭)・1月初旬日曜日(新年祭)・4月上旬日曜日(春祭)・8月最終日曜日(御射山祭・火の輪くぐりあり)・9月24日(秋祭・9月23日)」
 「由緒は古来より小出にあり、社宮司社と称し
  祭神は
  宇気持命で
  大同3年ぬに勤請すとある。
  慶安年間、村田検地ありて、
  変三斗の地を賜うとあり
  現在の神社西側に移転する。(慶安三年寅1650年)
  文化六年、
  諏訪社と
  山之山両社を合社し、
  伺去神社と称し現在に至る」・・・
  ・・・「伺(うかがって)去(さる)」・・・「シャリ」って「ご飯・白飯」だけれど・・・ゴハン・・・
ーーーーー
 斜里川(しゃりがわ)は、北海道斜里郡清里町および斜里町を流れオホーツク海に注ぐ二級河川。斜里川水系の本流である。水量と水温が比較的安定しているため、サケ類の生息に適しており遡上量も多い。イトウも確認されている。落差2.5メートルの「さくらの滝」がある。
 斜里川支流
 四の沢川
 三の沢川
 二の沢川
 ・・・「一の沢川」が無い?・・・
 ホロ-カ-サル川=ポロ=大きい・大きくなる
 ユク-リ-イオ-ロマ-ナイ川=ユク=鹿
 タ-テクン-ナイ川=
      タテ=肩のような形のところ
   テクン=ニホンザリガニ(ざりがに)
   テクン-ペコルべ、テクン-ペクルカムイ
   テクン-ペコロ-カムイ(手袋・を持つ・神)
   他のザリガニの異称
   ベーカルコヘ
   ホルカレイエップ
   ホルカアムシぺ
   タピシズンべ
   コルベ
 アタック-チャ川=?チェプ=魚
 札弦川=札弦(さっつる)=札鶴川
     アイヌ語で「夏の道」
     アイヌ語の「サク・ル」=葦の湿原
 オサ-ウシ川・・・オサウシ=オサ草の沢
   オ=乗る、舟を漕ぐ
     入っている、(~に)ある
     入れる、置く
     ~の「尻、末端、川尻、沢尻、陰茎」
     呼びかけの言葉の
     ほら、そら、それ、はい
     二つ以上、多い、
     群生する、群在する、生じる
   サ=浜、前
     姉
     サイ=サイへ
     ひとくくりの物を数える言葉
     ひと束、一群、一連
     魚、鳥や虫の群れ 
   オサ=オシ・・・さけ(メス)・後で
           中、後、尻・後を追う
   ウシ=~する所(決められた場所の意味)
   ウシ=(靴など)をはく・・・?
   ウシ=~につく
      ~に生える
      ~についている
 ペーメン川=?ぺゥ-メン?
       アイヌ語で
       pewrephurayep
      「ぺウレプ=小熊」
      「ぺゥレ-ペ(フ)ラァィェぺ?」は
      「仔熊・を洗う・もの」
      「エペレ=小熊」
      「キムン(山)・カムイ(神)=熊」
        ↓
       ベーメン王(ボヘミア王)
       ベーメン・メーレン保護領
      (ボヘミア・モラヴィア保護領、            ナチス・ドイツが
       ボへミアとモラヴィアの
       主要部分に設置した
       チェコ人の保護領)
 エトンビ(江鳶)川
 猿間(サルマ)川
  ↓
 北海道オホーツク総合振興局管内の東部に位置する
 斜里岳の南山麓に源を発し
 標津(シベツ)岳との間を
 南西に流れ、
 時計回りに
 北東に流れを転じ、
 斜里郡斜里町市街地の
 東側を貫流して
 斜里漁港付近の
 オホーツク海に注ぐ
 サケ科の魚(サケ・カラフトマス・サクラマス)の生息に適し、毎年たくさんの魚が遡上
ーーーーー
 ・・・
 

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ユ留す・ユル差ざる・ユル施る・ユル左内

2014-12-09 22:46:41 | 古事記字源

 ・・・「許す・許可する・許認可・許諾・許容・茲許・許婚(いいなずけ、いいなづけ)」・・・
 「もと(許・下)」
 「本(もと)」と同語源
 物の下の部分。また、そのあたり
 その人のところ。そば
 その規則や支配力の及ぶところ
 「かあり(処在)」の転
 人を表す名詞または代名詞に付き
 「…の所へ」、「…の許(もと)に」の意
  「聞き入れる、引き受ける、婚約する、かくの、この、進む」の意
 「許」=「言」+「午」→「うま=馬(め)・宇摩」
       ↓
      司「馬」遷の言(亠+二+口)
      言=亠(トウ・ズ・鍋蓋)+二+口
        ↓
        二の口にのる鍋の蓋(の冠)
 「許」→「水滸伝」→「滸=氵+言+午(𠂉+十)
           𠂉(かみさし)+十
           ↓
           簪・かんざし・櫛
           髪飾り・小串
           阿毎→アベ・あまい
            毎=𠂉+毌(カン・貫く)
           毋(ブ・ム・ない・なかれ)
           母(ボ・ム・はは)
           毌(カン・つらぬく)
 おこがましい=痴がましい・烏滸がましい
 をこがま・し
 身の程をわきまえない
 差し出がましい
 ふとどきな
 なまいきだ
 いかにもばかばかしい
 ばかげている
 分不相応である
 さしでがましい
 出過ぎたこと
 ・・・語源は不明?・・・
 「滸」
  ↓
 コ・ほとり・みぎわ
 岸辺の平地
 「烏滸(おこ)」
 愚かなこと(人)・ばかげたこと(人)
  「烏滸の沙汰(ばかばかしいこと)」
  ↓
 「尾籠・・・尾張の籠(加護・過誤・歌語)
  嗚呼・・・素戔男尊、素戔嗚尊(日本書紀)
       建速須佐之男命
         須佐乃袁尊(古事記)
        神須佐能袁命(出雲国風土記)
  痴」
 とも記される
 「烏滸(おこ)がましい」
 おこがましい・ばかげている
 みっともない
 「烏滸(おこ)」とは、
 馬鹿げていて、
 滑稽で人の笑いを誘う有様
 を指す
 南北朝・室町時代には
 「気楽な、
  屈託のない、
  常軌を逸した、
  行儀の悪い、
  横柄な」
 「日葡辞書辞書」などの説明?
 「烏滸」とは
  ばかげていること・愚かなさま
  ふとどきなさま・不敵なさま
  
 「嗚呼・烏滸(おこ)」とは
 古くはヲコ,ウコとも
 おろか、愚鈍の意味
 人を笑わせようとするような行為や
 常軌を逸した行為など
ーーーーー
  ↓
 許(キョ)
 中国河南省にある都市
 許昌の異称・略称
 中国春秋時代の諸侯の一つ
 中国
 隋代末期(618年~619年)
 に
 宇文化及
 が建てた政権=許(ホ)
  ↓
 許されざる者 (1960年の映画)
 アラン・ルメイの原作小説を映画化
 ジョン・ヒューストン監督
 バート・ランカスター、
 オードリー・ヘプバーン
 主演のアメリカ合衆国の西部劇
 ・・・美化された「人種差別」問題だなッ・・・
  ↓
 許 靖(キョセイ・? ~222年)
 ・・・「靖」国神社を許す人物か?・・・
  ↓
 中国後漢末期から三国時代の政治家
 当初は
 後漢の官僚であったが、
 晩年は
 蜀漢に仕えた
 字は文休
 豫州汝南郡平輿県の人
 従兄は許湯
 従弟は許虔(許子政)・許劭(許子将)
 子は許欽
 孫は許游
 ・・・孫が「許游」って、 「およ(游)ぎ遊ぶのを許す」・・・「游=川の流れ・下游(下流)・上游(上流)」・・・「あそぶ・ぶらぶらする・あちこち歩く」・・・「游士・游民」・・・遊説・・・「遊」を代用字とする・・・ならば、「有税・憂税」を説く政治屋の「游説」か・・・キョ(嘘)・・・?

 

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ハ、は、はぁ、ッ・・・ハがイタイ・・・

2014-12-08 18:08:43 | 古事記字源

・・・右の上歯がイタイ・・・熱さににも冷たさにも、甘いモノにも、モノを噛むチョトした圧迫にもイタサの衝撃・・・アイツ等も「ムシバ」になったらイキているコトに「ナキ」だすだろう・・・ハの琺瑯、カルシュウム破壊のカシをバラまいたらどうか・・・
 「尚歯(ショウシ)会」は「天保の大飢饉」の情報を交換する「対策会」・・・紀州藩儒・「遠藤勝助」が、救荒作物や海防について知識交換などを目的とした「尚歯会」を創設・・・「崋山・長英・三英」などが参加・・・尚歯は「尚」は「とうとぶ」。「尙(繁体字, 旧字体・ジョウ・ジャゥ・ショウ(シャゥ)常用漢字表内の訓読みはない?
 「尚=尙=小(八|)+冂(ケイ・キョウ・けいがまえ・まきがまえ・まき・囲む境界)+口」は・・・「たっとぶ・とうとぶ・なお・さね・たか・たかし・なか・なり・ひさし・まさ・まし・ます・よし・より・おもんじる」・・・「尚=尙=小(八+|or亅)+冂+口」の漢字「」は「コン・シ・ぼう(棒)・縦棒」、「ギリシャ文字イオタ」、漢字の「亅(亅)」は「ケツ・かぎ(鉤・鈎)・吊り鈎」、「J・j(Jは、ラテン文字、アルファベットの十番目の文字)」に類字・・・釣り針(フック)の形・・・濁点があれば「ブック」であるカナ、ッ・・・
  ↓
 英語=ジェイ (jay) [dʒeɪ]
 ドイツ語=ヨット [jɔt]
 イタリア語=イルンガ(長い I)
 オランダ語=イェー
 フランス語=ジ [ʒi]
 スペイン語=ホタ
 ポルトガル語=ジョッタ
 エスペラント=ヨー
 インドネシア語=ジェー
 ・・・「ジェ、じぇ、じぇィ」である・・・
  ↓
 「尚」の意味は「以前の状態の継続・相変わらず・いぜん(依然・已然)として・引き続き・元のまま」・・・
  ↓
 尚=尙
  ↓
 ・・・琉球国の王家の姓、
 尚 泰久王(しょう たいきゅうおう)
 1415~1460年
 琉球王国の
 第一尚氏王統・第六代国王
 在位1453~1460年
 神号は
 那之志与茂伊(なのしよもい)、
 または
 大世主(おほよのぬし)
 第一尚氏王統第五代・尚金福王の弟
  ↓
 尚円王(しょうえんおう)=尚圓王
 永楽十三年(1415年)
  ~
 成化十二年(1476年)
 琉球王国
 第二尚氏王統の初代国王
 在位1469~1476年)
 即位以前の名は
 金丸(かなまる)
 童名は
 思徳金(うみとくがね)
 神号は
 金丸按司添末續之王仁子
  ↓
 三の丸
 尚蔵館は
 皇室に代々受け継がれた
 絵画・書・工芸品などの
 美術品類に加え,
 秩父宮妃のご遺贈品
 香淳皇后のご遺品
 高松宮妃のご遺贈品
 三笠宮家のご寄贈品
 などの美術品類を収蔵
  ↓
 「歯」は、「年歯・年齢(齢=歯+令)→ハのレイ→言葉の例(霊・lei?→ハワイで首にかける花輪・礼・零)」、老人をタイセツにし、ウヤマウこと、敬老(ケイロウ)・・・
 「高野長英=通称は悦三郎、諱は譲(ゆずる)」、号は「瑞皐(ずいこう)」だけが「イキルこと」に執着した・・・
 「齢=歯+令(レイ)」の「レイ」・・・
 レウ(leu、通貨単位)の複数形
 ルーマニア語でライオンを意味
 レーイ - イタリアの自治体
 レイ=rae
 レイ - ヨーロッパの女性名
 レイチェルの愛称
 レイ=ray
 光線
 放射線
 半直線
 エイ(鱏、鰩)など軟骨魚綱の魚の一群
 クレーターの光条
 レイ=rey
 スペイン語で「王」の意味
 イランのテヘランの南方にあった、
 テヘランが栄える以前の中央イランの中心地
 レイ=rei
 ポルトガル語で「王」の意味
  ↓
 「尚歯(ショウシ)会」・・・「証シ(詞・史)の∞
のカイ(解)」・・のスベテの文字だろう・・・
ーーーーー
 以下の原文は「ウイッキペデア」・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%9A%E6%AD%AF%E4%BC%9A
  ↓
 「元慶元年三月
  大納言
  南淵年名
  設二
  尚歯会宴一(皇年代略記、陽成)」、
 「尚歯会
  陽成二年丁酉(貞観十九・877年)三月
  南淵年名設(濫觴抄、下)」
 との記録があるらしい・・・
 「尚歯会」は、最高齢の主人を含む七人の高齢者が招かれ、集まり、詩賦、和歌を作る、音楽歌舞の遊宴会
 七人は「七叟」と、その他は「垣下」といって相伴。
 元々、
 845(八四五)年、
 中国(唐)で
 白居易が催した故事が起源の宮中のサロン・・・
  ↓
 その後、
 安和二年(969年)3月13日
 藤原在衡によって
 粟田山荘で(日本紀略、本朝文粋)、
 天承元年(1131年)3月(20日or22日)
 藤原宗忠によって
 白河山荘で(百練抄、長秋記、今鏡、古今著聞集)、
  ↓
 承安二年(1172年)3月19日
 藤原清輔によって
 白河の
 宝荘厳院において催された
 和歌の
 尚歯会の最初(百練抄、愚昧記)。
  ↓
 養和二年(1182年)
 賀茂茂重もまたこれを襲い(古今著聞集)、
 これ以後、
 尚歯会は
 詩賦と
 和歌との
 二つに分かれた。
  ↓
 江戸時代
 年賀の席で兼ねて行なわれ、また
 連歌、俳諧を交えても行なわれた。
 「風のしがらみ」によれば、
 宝永四年(1707年)12月11日
 中院通茂が
 七十七歳のとき
 尚歯会を催して、
 「よには また あらしと いひし
  むしろにも けふの まとゐは
  とし そ かすそふ」
 と・・・
  ↓
 宝永五年(1708年)12月
 谷中感応寺のとなりの草庵で、
 渡辺幸庵の尚歯会
 渡辺は
 127歳で上座し、
 「長生殿裏春秋富」
 「不老門前日月遅」の
 二句を書いて壁に掛けた(渡辺幸庵対話)
  ↓
 「翁草」によれば
 正徳五年(1715年)3月
 江戸で、
 生島幽軒の
 八十の賀に、
 老人七人の集会(翁草)があった
 榊原越中守家来 初名金五郎 志賀瑞翁(167歳)、
 医師 小林勘斉(136歳)、
 松平肥後守内 佐治宗見(107歳)、
 旗本 初名権左衛門 石寺宗寿(97歳)、
 医師 谷口一雲(93歳)、
 旗本 下条長兵衛(93歳)、
 浪人 岡本半之烝(83歳)、
 旗本 初名山田市之烝、
 亭主 生島幽軒(81歳)
  ↓↑
 ・・・「100+67=167」歳・・・現代から観て、いくらなんでも「長生き」のしすぎである・・・
  ↓
 「翁草」によれば
 享保八年(1723年)3月1日
 霊元法皇の御所から高寿の人を召され、
 尚歯会に准られ、料理を下された
  ↓
 「武江年表」によれば
 享保十一年(1726年)11月18日
 「大道寺友山翁尚歯会、
  志賀随翁、
  其余六人の翁会すると云、姓名未詳」
 という
  ↓
 「視聴草」によれば
 明和六年(1769年)
 奥医師
 武田長春院の
 尚歯会が
 仙台河岸の別荘であった
  ↓
 「尾張名所図絵」によれば
 安永十年(1781年)3月9日
 内藤閑水の催しで
 府下高齢者
 9人が
 金剛山
 長栄寺に集会し尚歯会があり
  ↓
 天明六年(1786年)3月7日
 徳川家の
 浚明院(家治)
 五十初度の
 尚歯会があった
 若年寄の
 酒井石見守忠休、
 加納遠江守久堅、
 御側の
 佐野右兵衛尉茂承、
 松平因幡守康卿
 が宴に列して、
 八丈縞を賜わり、
 紅裏のついた
 衣服の着用を許された(天明尚歯会)
 ・・・
ーーーーー
 以下は
 日経新聞
 FT(Financial Times(翻訳))
 「イスラム国」戦士、
  西側の菓子やめられない
   2014/12/8 7:00
 からの抜粋部分の添付・・・
  ↓
 「イスラム國」の商売?
 ・・・「最善の戦略は、戦闘員たちを嫌いながらも、彼らの嗜好に応じて商売すること」・・・
 ポテトチップス、チョコレート、エネルギー飲料、そしてノンアルコールビールは、シリアとイラクの広大な地域に勢力を拡大した過激派武装組織「イラク・シリアのイスラム国(『イスラム国』)」のために戦う多くの外国人に好まれるおやつ・・・
 ・・・「イスラム国」の宗教的布告と外国人戦闘員の嗜好は、「イスラム国」の支配地域の地元経済を一変させている。アルコールを売る店が廃業する一方で、ジャンクフードの売店や洋品店――特にミリタリー風の衣料品を扱う店――、携帯電話の販売店は多少の利益を上げている。
 ・・・シリア東部の農村地帯では、多くの店主は、「イスラム国」の外国人戦闘員がやって来るまで、レッドブルのようなエネルギー飲料など聞いたこともなかった。また、東部の都市デリゾールの業者は、「スニッカーズ」や「バウンティ」――欧州や湾岸諸国出身の過激派に人気のチョコレートバーのブランド――を売るなどと考えたこともなかった。
 「こうしたお菓子は知られていなかったか、私たちには買えないぜいたく品だった。でも、戦闘員たちに頼まれたときに質問なんかしませんでしたよ。仕入れ先に駆け込んで、発注しました」。
 身の安全のためにナシムという仮名を使うある店主はこう話す。
 「プリングルズとスニッカーズ?連中は戦線で分け合うために箱ごと買っていきます」
ーーーーー
 ・・・「ハ・は」がイタイ・・・貯古齢糖(chocolate)・・・(珈琲・和蘭豆)とチョコレートは大好きだけれど・・・

 

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