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コジキジゲン

氷河期・・・氷高・日高・・・680年~748年の天候は?

2016-01-26 18:34:54 | 古事記字源

 昨日は風呂の水道が凍結で、寒い日だったが、ココは、お天気でハレだった・・・世界中も異常寒波であるらしい・・・物置小屋の内部の天井から溶けた雪が雨漏りしてツララなっていた。その床に置いていた灯油のポリタンクの表面が氷で「琺瑯(ホウロウ)焼き」のようになっていた・・・屋根の修繕しなくちゃぁ、と物置小屋の屋根に貼りついている氷をスコップで剥がそうと思ってガンバッてみたが、頑強に貼りついている氷は屋根の鉄板まで同時に剥がしそうなので途中で止めた・・・修繕は明日の天気次第・・・十八歳で即位した「氷高」と云う女性の天皇がいたが・・・「コオリ(氷)がタカイ(高)」って、漢字の名前は、単なる当て字とは思えないが?・・・

 元正天皇(ゲンショウテンコウ)・・・現象天候(転向)ならば、「氷高」は納得はする漢字ではあるカナ・・・
 「元正天皇(氷高)」と、弟の文武天皇(珂瑠皇子)、妹の「吉備内親王」の実母は、「元明天皇→(元名・言明・玄明・玄名?)」で、名は「阿閇(阿閉)→阿部?」内親王といい、天智天皇の第四皇女。「阿閇」内親王は皇太子の「草壁(日下部←久坂玄瑞?)」皇子の妃・・・であるが・・・?・・・
 天武×持統(天智の子)→子(草壁)
 草壁×元明(持統の妹)→子(元正=氷高・吉備・文武=珂瑠)
 文武×藤原宮子(光明子の異母姉)→子(首=聖武天皇)
 聖武×光明子→子(阿部=称徳、孝謙女帝)
ーーーーー
 元正天皇(ゲンショウてんのう)・・・現象天候
 天武天皇九年(680年)
 ~
 天平二十年四月二十一日(748年5月22日)
 第四十四代天皇
 女帝・・・独身で未婚・歴史上五人目の女帝
 在位
 霊亀元年九月二日(715年10月3日) ・・・十月三日?
 ~
 養老八年二月四日(724年3月3日)・・・・三月三日?
 名は
 氷高(ひだか・ヒョウコウ)=日高・・・・・氷が高い?
                     日高は
                     東北、北海道
  日本 根子 高 瑞 浄 足  姫 尊
 (やまとねこ たかみずきよたらしひめみこと)
  日本 根子 高 瑞 日清 足  姫  天皇
 (やまと ねこ たかみずひきよたらしひめのすめらみこと)
        高 瑞→高野瑞皐(ずいこう)=高野長英
            彼の明治大正昭和の血縁筋を視よ
           「後藤・鶴見・椎名・佐野」など・・・
  太上天皇(万葉集・巻八・巻十七)
    太上・・・・・「太(ふと)い上」の天皇?
            太=一+人+ゝ
              初めの人はテン、チョン
             「ゝ」は繰り返し符号(踊り字)
             「々・ヽ・ゝ」はクリカエし
  ↓↑
 母は元明天皇(阿閉)
 父は天智天皇(中大兄皇子)
 草壁皇子(岡宮天皇)の妃
  ↓↑
 草壁皇子(岡宮天皇)の
 父は天武天皇(大海皇子)
 母は持統天皇(鸕野讃良)・・・鸕=しまつ鳥
                  島つ鳥=鵜(う)の古名
                  始末とり→揣摩通帖?
                  司馬通訳理(採・取・録)
  ↓↑
 慶雲四年(707年)
 弟
 文武天皇が死亡(崩御)
 ↓
 彼の遺児の
 首皇子(聖武天皇)が幼かったため、
 母の
 元明天皇(阿閉)が即位
 ↓
 和銅三年(710年)
 平城京遷都
 和銅七年(714年)年正月二十日
 二品
 氷高内親王に
 食封一千戸が与えられ
 霊亀元年(715年)正月十日
 一品
 昇叙
 霊亀元年九月二日(715年10月3日)
 ↓
 甥の
 首皇子(聖武天皇)がまだ若いため、
 元明天皇(母・阿閉)から譲位、
 元正天皇(娘・氷高)が即位
 ↓
 養老元年(717年)
 藤原不比等らが
 養老律令編纂開始
 ↓
 養老四年(720年)
 日本書紀完成
 藤原不比等が死亡
 ↓
 養老五年(721年)
 長屋王が右大臣
 (元正天皇の従兄弟・元正天皇の妹の吉備内親王の夫)
 ↓
 養老七年(723年)
 三世一身法制定
 ↓
 養老八年=神亀元年(724年)二月四日
 聖武天皇に譲位し、上皇
 ↓
 天平十六年(744年)
 病弱な聖武天皇の上皇として
 難波京遷都の勅
ーーーーー
 氷高
 ↓↑
 氷河期
 南半球、北半球に氷床がある時期
 グリーンランドと南極に
 氷床が存在
 現在、氷河期中
 氷期と氷期の間の「間氷期」
 氷河期の中の寒い時期を
 氷期(glacial)・・・・・グレェィシャル・グラシィァル
              氷の時代→氷の女王・氷の女
              愚例重意写留・愚等示威有留?
 氷河期の中のかなり暖かい時期を
 間氷期(interglacial)・・・音他蛙具等写留?
               換表記・官表記・巻表記?
 大局的・長周期的には
 4回の大氷河期
 氷期には海岸線が極端に遠退き、
 陸上の大部分が氷に覆われ
 動植物も激減
 氷河期理論の起源
 氷河期の中で
 過去数十万年に起こった氷期
 24億年前~21億年前頃の
 原生代初期
 古生代(4億6千万年前~4億3千万年前)
 古生代(3億6千万年前~2億6千万年前)
 生物の大量絶滅・・・
 現在の氷河期
 4000万年前の南極の氷床の成長により始まり、
 300万年前から起きた北半球での氷床が拡大
 更新世
 氷床の拡大と後退の繰り返し
 4万年と10万年の周期
 最終氷期は約1万年前に終了
 氷期と
 間氷期
 氷河期と氷河期の間
 数百万年続く温暖な期間
 寒冷な時期、温暖な時期
 間氷期が1万2000年ほど続いている・・・
 寒い時期を亜氷期 (stadial)
 温い時期を亜間氷期 (interstadial)
ーーーーー
 ・・・地質学と気象学・・・氷高(ヒョウコウ)・・・氷高・・・氷柱と氷床の世界・・・

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羊(ひつじ・未・日辻)たちの沈黙・・・

2016-01-24 17:28:21 | 古事記字源

 ・・・「乙未(丁・乙・己)」年の「羊の歳」は二月の節分で終わるが・・・「(子)羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」・・・ナニに「沈黙」しているのだろう・・・「羊刃=陽刃」ってコトバが「占い」であるが・・・「羊の刃」とは「羊を、屠畜する道具(刃物)」であろう・・・ヒツジにとっては、文字通りの「めいわく=目意和句・迷惑・目異惑」でもあるが・・・「用心」しようにも家畜である・・・家畜は食糧であり、皮(かわ)、革(あらためる)、皮革(ヒカク)の材料でもある・・・「、屠畜」の場面をみたら、とても「肉食」などはできなくなるだろう・・・「甲午・癸酉・庚辰(魁罡=北斗七星の形状と動き)」・・・「会合、邂逅、開講、開闔、歌意考、化意向、過移行、仮遺稿」・・・「蟹甲、蟹行」・・・「甲斐行・蝦夷行」・・・将来、未来をカタって、「現行の善悪」に徒党を組むのは人間でもあるカナ・・・「国家」の借金、負債、罪悪を抱えて、子供達に恩着せがましく未来の法螺を吹く・・・子供たちは「他人の善行為、悪行為」に感激もし、驚嘆もし、恐怖を抱く・・・ゲームは正義のヒローを操作してだが「殺人・暴力・破壊」の結末、TVのドラマ、映画も、結果の殆んどは「勧善懲悪」だが、プロセスは「嘘と罠、殺人、殺傷・暴力・破壊・掠奪・強奪」・・・感動、興奮は「商品」である・・・
 「アトム大使(手塚治虫)」の宇宙人の食糧は「機械で生産された空気中から取り込んだ窒素化合物の蛋白質」だったが、宇宙人は地球人に御馳走されたモノが、「、屠畜」された動物の肉の調理、料理であるコトを調理室でみて、ビックリ仰天、食べたモノを吐きだしてしまった・・・だが、地球人の肉食は宇宙人に広まっていった・・・そして、天馬博士の赤シャツ隊の宇宙人の「縮小作戦」・・・「宇宙戦争」勃発・・・ロボットのアトムが地球人の大使となって調停・・・「労働市場」はロボットで解決されるのか・・・「商品市場」はどうなる・・・ロボットにも怒りと感激、感動する日がやってくる・・・「完全なロボットとは善悪、愛憎の心を持つ存在だ」と、スカンク・草井は、うそぶく(嘯く=鷽の鳴き声の真似・口笛を吹く・とぼける・ごまかす・豪語する・平然とする)・・・TTP担当大臣の大臣室での釈明・・・
 利益はダレかの損失・・・鉄火場の博打場は「国会の議員室」、同元は「国民のダレか」らしい・・・
 明治文明開化は肉食を薦めた・・・廃棄されるべきカツ肉を横流しで儲けていたのは産廃代行業者ですか。モッタイナイし、トサツされた豚にも牛にも申し訳ない。貧困の独裁国家では問題ない商品だったかも。だが一部の大陸中国人レベル感覚であるが、秋田の資料会社や、愛知の産業用の輸入外米を売っていた米屋・・・それ以前に有害微粒プラスチックが海洋に満杯浮遊して食物連鎖で人間の口に入っているらしい。チョッと前は水銀汚染のマグロだった・・・
 蛋白質、明治以前の一般仏教徒は殺生を嫌い、原則、植物性タンパク質や、魚類からの摂取であった・・・
 食糧改善で寿命は延びたが、人間の生産が間に合わない?・・・一銭五厘の赤紙召集(徴集)令状・・・明日は無いと云う実存的危機感がないと「セックス」には励まないカモ・・・将来的には「養殖人間」の大量生産かも・・・
 「国力」とは「人口の増減」ではないだろう・・・老人の年金、医療負担を子供の将来的な「労働人口の数」で考えるのは間違ってはいないか・・・日本飽食の時代に「楢山節考」でもあるまいに、しかも、子供が3食を食べさせてもらえないって・・・どうやら「コクリョク」とは「兵卒の数」、「女性の労働力」・・・イザと云う時の「国家忠誠」の安い値段の命を売買できる予備システム・・・時代錯誤的な「新富国強兵策」であるらしい・・・貧困は「国家忠誠ドリーム」の必要条件で、受け皿であるらしい・・・
 「人間人口の新陳代謝(世代交代)」は、一般動物を含めた「自然の時間的プロセスの生命の摂理」であるが・・・「人間社会」は「タダ物社会」ではないハズ・・・「社会的人間」と云う「基本・基準」がアイマイなのである・・・
 「ファシスト(ムッソリーニ)」は「個々の人間は一過性の実存存在(限界寿命、生命)である」とした・・・「個々人の実存的な命の賭け」と云う「ロマン」を「国家枠内の利益統合への忠誠」と云う思想に加味した・・・それは「地球規模の人間の協働、公平分配で共存」していくコトを拒否した排外、掠奪、弾圧の思想だったが・・・「アナキスト・アーチスト・ナショナリスト」が「国家サンディカリスム・国家コーポラティズム」に接ぎ木された・・・
 漢字表記の「全体主義」は人間の「身体(肉体器官)の各機能(部分)」と、「脳ミソの認識、思惟、思考、判断、命令機能」に置き換えて譬えられているが、「脳ミソ(肉体器官の部分)」だけが「特殊個別の存在」として独立して「身体全体を維持」しているワケではない。医学的には人間の「最終的な死」は「脳死」とはなっているが、脳死以前的に他の各器官の機能がないとは言えない。臓器移植は器官機能を有しているコトが前提である。将来的には脳ミソの移植手術が可能であるだろう・・・「脳ミソ」が「エリート」として特別な地位で存在しているわけではない。肉体全体は個別的肉体の相互関係でこそ存在しうる。個別的に、部分的に機能しなくなっていくのも自然ではあるが、カミやツメ、ヒゲは切り取っても、他の部分は機能しなくても「壊死」や「癌」で無い限り、残しておくだろう・・・そして「健常者」ではない人びとも部分的に失った部分はあれ、残ったソレ自身を駆使しながら、生きていく。身体維持のバランスには苦労は有れ、実存者として、寿命を全うすべく、彼等自身が個的社会人として、あるべく「身体的全体」で生きて行く・・・
 蜂(bee・Apis=アピス)や蟻(螘・ant=アント・emmet・pismire・Formicidae)は「社会生活をしている」と云われるが、観察していると「特殊、個別的に機能別なポジションを堅持しながら協業」で「全体」を維持している・・・「組織化された群に生きる社会性昆虫」・・・これは「階級社会」なのか?・・・だが、女王蜂や、女王蟻に「特権」や、「私有財産」に浸っての「個的に自由な生活」をしているとは思われない。「女王アリ、働きアリ・兵隊アリ・雄アリ・処女女王アリ」は巣全体維持の中での分担生活である。だが、外敵の襲撃がある・・・
 不本意な襲撃に対しては反撃をするのは当然。侵略されたからには「防衛戦争」になるが、その各々の「アリ」は防衛のために進化させた毒針や毒液その身体に備え、防衛のための「兵隊アリ」を専門職として分業化させた・・・元々アリは「1億2500万年前、スズメバチ(Vespidae)の祖先から分化」し、「蜂の化石」は中新世(約2,300万年前~約500万年前)に発見され、アリ科とハチ科は昆虫分類では別らしい・・・
 「スズメ蜂」は「蜜蜂」を襲い、「サムライ蟻・アカヤマ蟻・トゲ蟻」は他種の「黒アリ」を侵略、捕獲し「奴隷社会」を形成する。「軍隊アリ」は異種間の「蟻同士」どころろではない・・・
 蜜蜂の天敵は「ダニ(蟎)」や「甲虫類のスモールハイブビートル(Small hive beetle=学名 Aethina tumida)の幼虫」でもあるらしい。この「幼虫は蜜蜂の巣に産み落とされ、巣を蝕む」が。「黒い甲虫に成虫したモノは無害」となって蟻の巣を出て行くらしい・・・これは「内部に寄生する天敵」である・・・郭公(鳥)の「托卵」とか、駝鳥(ダチョウ)、鯰(なまず)、ある種の亀も鰐(わに)の巣に「托卵」するらしい・・・
 「自然界」の食物連鎖、弱肉強食は「自然」であるが、その生命生活の維持に「自由」はない。寿命も短い。女王蜂は1~3年(最長8年)、働き蜂が最盛期で15~38日、中間期は30~60日、越冬期が140日、雄蜂は21~32日であるらしい・・・
 そしてアメリカ、「アメリカンドリーム」は「自由の象徴」だが、「自由な拝金主義」である。それを煽ったのが「ハリウッド」であった。貧乏芸人だったチャップリンは大富豪になったが、政治家にはなれなかった。彼個人の「自由」は大衆の映画入場券で支えられていたが、資本家同士のイガミ合いでハジカレてしまった・・・映画の中には幻想としての「自由」があり、映画産業としてのスターは、映画資本家と共に「億万長者」になった。
 ジョン・ウェインは俳優仲間が義勇兵と戦争に参加していくのを横目で見ながら、悩んだ末に戦争参加を拒否し、非国民のレッテルを貼られていたが、戦後は自分の莫大な金を注ぎこんで「アラモ(テキサス分離独立派とメキシコの戦争)」を制作した。彼の真意を訊いてみたい・・・スポーツ選手も見世物の中で「億万長者」となって「自由(?)」になっていたが、「愛国者」として戦争に参加していった・・・彼らは「自由のタメ」だったのか・・・多分、成金にはなったが「非国民」にはなりたくはなかった・・・
 日系二世のアメリカ人はヨーロッパ戦線で殆んどが戦死した・・・家族は全財産を没収され、マンナザ沙漠の強制収容所の捕虜であった・・・戦後、生き残ってアメリカに帰還した日系二世はアメリカ国家の勲章を貰い、農業を始めたが、暴力や、放火で「善良なアメリカ人(?)」に迫害され、アメリカの新聞に告発広告記事を掲載した・・・
ーーーーー
 羊刃=陽刃・・・羊頭架刃=頭凶猛暴躁的公羊
 羊刃格
 羊刃者
 是指
 五陽日干見月令旺支
 如
 甲日は卯月
 丙、戊日は午月
 庚日は酉月
 壬日は子月
 等
 其の中
 甲庚壬の
 三干の旺月で用いる
 因
 地支所藏純
 沒有疑義
 名は「月刃格」とする
 丙日生は午月の因火に當旺
 雖
 有
 己土を洩氣し火勢が強大になる
 亦
 有取して「羊刃格」とする
 戊日生の午月生まれ
 火旺當令
 天干に透出する
 丙丁
 或
 地支に年月日時に會合(巳午未・寅午戌)
 火局
 則
 以
 印論
 不以「羊刃」視之
 若
 己が透
 而
 丁
 不透
 土の勢大
 亦
 可視「羊刃格」となす
 至
 五陰の干が旺支であっても
 除論
 劫財外
 通常
 不視「陰刃」と
 所謂
 「羊刃」者
 乃
 指
 日干が月令之の旺氣に合って
 是以
 「羊刃格」
 四柱(年月日時)に
 官殺
 食傷
 財
 剋洩交
 加之力大
 於
 日干者
 以外
 通常
 均可
 作旺論
ーーーーー
 不倶戴天
 同じ天の下には一緒にはいない、
 同じ天の下には生かしておかない意
 恨みや憎しみの深いこと
 もとは父の仇(かたき)
 「倶(とも)には天戴(いただかず)」
 「礼記」曲礼の
 「父の讐(あだ)は
  倶(とも)に
  天を戴(いただ)かず」
 「この世に生きられない、
  生かしてはおけないと思う恨み怒り」
 「不倶戴天の敵」
 「不倶戴天・不退転」
 「不倶戴天(フグタイテン)」
 「不倶」は共存することができないこと
 「戴天」は同じ世界にいること
 「同じ世界に生かしてはおかない」
 「共に世にいることができない間柄
 生かしてはおけないほどの深い憎しみ」
 「出典は
  礼(禮・ライ)記の
  曲礼・上の
  復讐の法に登場」
ーーーーー
 ・・・ここでは、「漢字の研究」+「にほんゴの妄想」であるから、漢字自体がその個々人の実体に重なるモノとは考えていないが、だからこそ、デアル・・・意味も行為もカンガエルべき・・・みんな、時間的なプロセスの人生は個々別々にして「波乱、葉乱」で、「特殊」デある・・・場所的、時間的に同じ経験枠、経験域で過ごした人びとは「善」にも、「悪」にもキズナが強くなるの当り前だが、「絆」とは「利害勘定の理屈」ではあまり繋がらない、殆んどが、その時、その場での「恩」としての行為に対する「相互感情」である・・・だが、これには「理屈」が必要なのだ・・・思い込みは一方的な「主観」でもあるから・・・相手の思惑は視えないコトが多い・・・
 「おめぇッ、利用されてんじゃネェのッ」・・・「それでもイイから・・・・」・・・

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珠鶏・・・あかどり・朱鳥・朱雀・ホロホロ鳥?

2016-01-22 23:48:10 | 古事記字源

 ・・・「ホロホロ」と鳴く鳥は「珠鶏・Guinea fowl・Numida meleagris)・鳥綱・キジ(雉)目・ホロホロ-チョウ(鳥)科・ホロホロ-チョウ(鳥)属に分類される鳥(とり)」・・・?・・・「聴講(チョウコウ)・生地目(木地茂区=キジモク=記事摸句)・補賂保呂調掛(ホロホロチョウカ)・補賂保呂重続(ホロホロチョウゾク)」・・・コレラ片仮名の同音異字漢字は複数あるけれど・・・「珠鶏(たまとり・アカダマのニワトリ。朱球鶏=シュキュウケイ・・・ヅケイ)」・・・「朱鳥(あかどり・シュチョウ)」は、「朱雀(スザク・シュジャク)」で、南方の鳥である・・・
 「長岡京や平安京でも同じ名を冠した門を宮城正門とし、朝廷の正庁たる朝堂院の正門で あった応天門などと並んで最重要視されたが、大内裏の衰微に従い次第に荒廃し、ついには鬼や盗賊が住むといわれるほどに荒れ果てたという」
 「平城京、平安京大内裏の南面中央にある正門。朱雀大路から宮城への入口にあり、さらに北行すると八省院の入口である応天門に通じる。瓦ぶき2層閣の門。唐の都、長安の南面の皇城門を朱雀門と呼んだ」
 「南門、大伴門」と呼ばれていて「714年=和銅七年・甲寅年・(中国唐王朝は開元二年)」に「朱雀門」と呼ばれるようになった・・・難問、大伴文(万葉集)・・・デス・・・
 「714年6月21日(和銅七年五月一日)」に「大伴安麻呂」が死亡しているが「太安万侶」ではない・・・壬申の乱(672年)の「大伴吹負」の一族であるらしいが、この「大伴吹負(ふけい)」はナゼ「吹負(ふけい・スイフ)」なのか?・・・「負けを鼓吹(コスイ)、吹聴(ふいチョウ)」とは?・・・
 「大伴吹負(おほとものふけひ)
  名は
  男吹負
  小吹負(おふけい・をふけひ)
  姓(かばね・セイ)は
  連(むらじ・レン)・・・村治・村司・・・無等字?
  父は大伴咋(かむ・くう・くらう・くい・たちまち
        サ・サク・シャ・シャク)
  兄に
  長徳
  馬来田(うまきた・まきた)・・・?
  子に
  牛養(うしかい)・・・・・・・・?
  祖父麻呂(おおじまろ)=邑治麻呂
       彼の男子は
       大伴古慈斐(こじひ?・695~777)
         コジヒ・・・古い慈(ジ)の斐(あや・ヒ)
                      斐=非+文
                 慈斐≠慈悲
       大伴像見(かたみ?)」
 ・・・名前の「示唆」は何か?・・・そして「大伴安麻呂」とは?・・・
 「天武天皇十二年(684年)二月二十八8日
  広瀬王と大伴安麻呂(位階は小錦中)が、
  判官、録事、陰陽師、工匠を引き連れ
  畿内を回り、都の候補地を探した
  天武天皇十三年十二月二日
  大伴連など五十氏が
  宿禰の姓を与えられる
  ↓↑
 朱鳥元年(686年)一月
 新羅の使者
 金智祥を接待するために、
 川内王、
 大伴安麻呂、
 藤原大島、
 境部鯯魚、
 穂積虫麻呂
 が筑紫に派遣
 大伴宿禰安麻呂の階位は、直広参
  ↓↑
 九月九日
 天武天皇死亡で、
 二十八日に
 殯宮で
 直広参の
 大伴宿禰安麻呂が
 大蔵のことを
 誄(しのびごと)・・・?
 した
 持統天皇二年(688年)八月十日
 天武天皇の殯宮で、
 嘗して慟哭儀式
 大伴宿禰安麻呂が
 誅(とがめる)・・・?
 を述べた」
 ・・・「誄(しのひこと・ルイ)」と「誅(ころす・せめる・咎めて殺す・討伐で殺す・チュウ)」は異なる漢字であるが・・・ここはブログ記事の「誤字」なのか?・・・「護持」であるかな・・・
ーーーーー
 ・・・ギリシャ神話の「ほろほろ鳥」・・・
   ↓↑
 「メレアグロス・・・瑪例蛙具賂守・眼例蛙具魯?
  は
  アイトーリア・・・亜意訳於理蛙
  の
  カリュドーン王・・・狩人(猟人)・借理得訳音
  オイネウス・・・・・嗚意音有珠・尾意音得諏
  と
  王妃
  アルタイアー・・・・會留他意蛙阿
  の子だが、
  実の父は
  アレース・・・・・・・有礼重素(稗田阿礼)
            森有礼=森有禮
            弘化四年七月十三日
           (1847年8月23日)
            ~
            明治二十二年
           (1889年2月12日)
            薩摩藩士・外交官
            初代文部大臣
            一橋大学を創設
            明六社会長
     (軍神
      マース
      火星
      アマゾン族の祖神
      聖獣=猪・狼
      聖鳥=啄木
      聖木=トネリコ=戸に塗る木=ト-ニ-ヌル-キ
              木犀=もくせい
      破滅・呪い(ara)
      トラキア生まれ)・・・?・・・虎記蛙(かえる)
   ↓↑
  アルタイアー(母)
  は
  メレアグロス(息子)
  が兄弟たちを殺したと知り、
  メレアグロス(息子)
  の寿命を護っていた
  薪(まき)・・・・・・・薪=艸+新→まき
                巻(数)=古事記上下巻
                播(州)
                蒔(艸時→久坂無理時)
                撒(手偏散
                弖散→弓一散
                氐散→氏一散)
  を燃えさかる炉に投げ入れ、
  メレアグロス(息子)は、
  薪が燃え尽きたときに・・・・「禁門・蛤御門」の変
                「元治甲子」の変
                 元治元年(1864年)
  敵に殺された。
  アルタイアー(母)
  と
  クレオパトラー(娘)
  は首を吊って自死し、
  メレアグロス(息子)の
  姉妹たちは
  声を上げて
  嘆き悲しんでいたのを
  アルテミス女神は
  ホロホロ鳥の姿に変えてしまった。
  このとき、
  ディオニューソスは
  アルテミスに対し、
  ヘーラクレースの
  3(2?)番目の妻
  デーイアネイラ(Deianira・Dejanira
          デーイヤニーラは
          オイオネウス(父)
          と
          アルタイアー(母)
          の娘
          汝の夫を殺めし者の意)
  は自分(ディオニューソス)と
  アルタイアーの子であると告げ、
  彼女と仲のよい
  ゴルゲーの二人だけは
  ホロホロ鳥にされなかった」
ーーーーー
 ・・・ギリシャ神話は人間と神々の関係が複雑である・・・
 ・・・「ホロホロ鳥の和名は江戸時代にオランダ船により持ち込まれたときの名称、ポルポラートが由来」・・・らしい・・・
 ・・・「ホロホロ」にコダワルってみる・・・
   ↓↑
 「幌(ほろ)=巾+晃(あきら・コウ・オウ)→日+光」・・・「ハバは日光・ハバはアキラ」?・・・
 「日光ひのき木製の足付スノコ2枚巾 (ヒノキ・檜・桧)・足付きスノコ・縁台」、
 「幅木・巾木・はばき」
 「床と壁の継ぎ目で
  壁の最下部に取り付ける細長い横板
  壁と床の取り合い部に設ける部材
  高さがが6cm~100cm程度の長い横板で、
  洋室や廊下など部屋の中の
  出入り口を除いた部分の
  壁下をぐるりと回って取り付ける」、
 「見切り縁(みきりぶち)」の一種。
  天井の「回り縁(まわりぶち)」、
 「和室の
  畳寄せ
  と呼ばれる
  見切り縁
  で
  畳の上げ下げ(取り出して干す)
  などに壁を守る
  幅木と同じ機能・・・「葉場(婆・馬)記」?・・・
 「すのこ(簀子・簀の子)は
  太い木の角材の上に
  薄い木の板を
  直角に打ち付けたもの
  外見が似ているが、
  資材や荷物を
  移動、運搬する際に
  使用される
  木製の台は
  パレット・スノコとは別のモノ」、
 「三重県の一部地方では
  さな板」、
 「愛知県などでは
  ざら板(いた)」、
 「滋賀県では
  みざら」
 と呼ぶ・・・
 「滑りを防止するために
  風呂場の床に敷いたり、
  湿気による収納物の
  カビ(黴)の
  発生を予防するために
  押入れの床部に敷いて使用」・・・
ーーーーー
 ・・・

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「真秀」→霧隠才蔵→紀(記)理隠れ差異(歳・載・採)句等

2016-01-21 13:25:12 | 古事記字源

 ・・・「やまとはくにのマホロバ(まほろば)たたなづくあおがきやまごもれるやまとしうるはし」・・・「まほろば」とはナニか?・・・一般的に漢字としては「真秀ろば」が当てられて訓まれているが・・・「ま-ほ-ろ-ば」で、「ま-ほろ=秀ろ-ば」・・・?・・・「真秀=マシュウ・まほ・まさひで・シンシュウ」・・・「信州・神州」・・・「眞周」・・・本当に「日本国」は「真秀ろば」なのか・・・?
 ↓↑
 「秀(すぐれる・ほ・しょう・ひいでる・ひで・ひでし
    シュウ・シュ)
    =禾(のぎ・カ)+乃」
 「禾(のぎ・カ)」・・・乃木・野木・能義・野儀・能木・埜木
             芒・鯁・能城・野城・能伎
 「乃(の・すなわち・なんじ・もし
    ダイ・ナイ・アイ・エ)」
  乃=丂(コウ)+丿(ヘツ・ヘチ)
    丂=曲がった釘(刀)の形
    丿=ひく・はらう・ヘツ・ヒツ・エイ
      撆(ヘツ)=㡀攵手
            敝=やぶれる・おおう
              敗衣・衣の敗れ
              巾にほつれ
              膝かけの破れ    
      撆=略也、引也
      掠(かする・かすめる・リャク・リョウ
        ムチ(笞・鞭)でたたく(叩・敲)
        奪う・かすめる
           掠取・掠奪・寇掠
           侵掠
           掠笞 (リョウチ)
 「乃」=なんぢ(汝)・これ(是)
     かれ(彼)・その(其)
     それがし・なにがし(某)
     乃者
     むかし(乃昔)
     をさむ(治)
 ブログ辞典では・・・
 ↓↑
 「禾(穀物の穂)と
  乃(なよなよする様の穀物の
  若い芽が伸びる様子、
  穀物が穂を出していることを意味
  禾が穂を出した様相から、
  ひいでる・すぐれる」
 という意、
 「後漢-光武帝-劉秀の諱であり、
  説文解字には、
  避諱から
  秀の記事(記録)はない」
 ですか?・・・
 ↓↑
 「乃木希典(のぎ まれすけ
  嘉永二年十一月十一日
  1849年12月25日
   ~
  1912年
  大正元年九月十三日
 ↓↑
 「秀」の名前を有する人物・・・豊臣秀吉・徳川秀忠
 熟語は
  秀才・秀逸・秀偉・秀伟・秀出
  秀穗・秀拔・秀美・作秀・選秀・选秀・優秀
 ・・・「禾(のぎ)+乃(すなわち→砂和地・洲名和地)」・・・
 「乃(すなわち・曽・曾・迺・即)」が
 「すなわち=輙・輒=チョウ(テフ)・チョウ(テフ)
       耳たぶ
       車の両脇につける薄いもたれ木
       わきぎ(脇木)
       輒筋穴(チョウキンケツ)は
       23番目の経穴(つぼ)の部位で
       前鋸筋、肋間筋が薄い耳たぶ状になっている
       武道・武術では脇下穴
       たやすい」
 ↓↑
 ・・・砂の窪(くぼ・ワ=穴+洼)の地なら「砂漠、砂丘」の「穴の 水たまり・牛の蹄の跡のたまり水・へこむ・深い池・澄んだ水」、「説文解字の本字は漥で(説文・巻十一)に、清水。窊(くぼみ)」で・・・沙漠のオアシス(oasis)の中のテント(tent・雨や風、日除け守る天幕、幌)、あるいはオアシス(oasis)向かう「馬車」に「幌」をかけたモノである・・・
 北海道ならむかしは「馬糞風」が飛び散っていた場所は
 「札幌=乾いた大きな川」
 「サッ・ポロ・ペツ
  アイヌ語のサリ・ ポロ・ペッ(葦原が・広大な・川)」
 「サツ=乾いた・ポロ=大きい・ベツ=かわ」
 ↓↑
 ・・・「乾いた」とは石、礫の川原か、砂の川原だろう・・・コトバを拡大すれば「沙漠」の水の乾上がった石川、砂川・・・石川啄木?・・・「砂川」市は「轢逃げ事件」のあった北海道空知郡の地名だが・・・
 ???
 砂川(すながわ→素名臥話)・・・砂川事件・・・1957年7月8日、当時の東京都北多摩郡砂川町(立川市)でアメリカ軍立川基地拡張反対運動で起きた事件・・・
 最高裁判所(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)
 1957年12月16日
 「憲法第9条は日本が主権国として持つ
  固有の自衛権を否定しておらず、
  同条が禁止する戦力とは
  日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、
  外国の軍隊は戦力にあたらない。
  したがって、
  アメリカ軍の駐留は
  憲法及び前文の趣旨に反しない。
  他方で、
  日米安全保障条約のように
  高度な政治性をもつ条約については、
  一見してきわめて
  明白に
  違憲無効と認められない限り、
  その内容について
  違憲かどうかの法的判断を下すことはできない
 (最高裁大法廷判決昭和34.12.16
  最高裁判所刑事判例集13・13・3225)」
  差戻し審と確定判決
  1961年3月27日
  再度審理の東京地裁(裁判長・岸盛一)
  罰金2000円の有罪判決
  上告を受けた最高裁は
  1963年12月7日
  上告棄却を決定
  有罪判決が確定
 ・・・???
 ↓↑
 砂川捨丸(1890年、明治23年12月27日~1971年10月12日)
 本名、池上捨吉
 兄の砂川千丸の
 江州音頭一座をへて、万歳師
 串本節も取り入れ全国に広めた
 最後の相方は
 春代(1923年大正十二癸亥年正月コンビを組む)=中村春代
 ↓    ↓↑
 ↓ (大正12年・5月北一輝(日本改造法案大綱)
         6月18日エトナ火山噴火
         9月1日関東大震災発生
         9月4日~5日亀戸事件
         9月16日甘粕事件
            憲兵大尉
 ↓          甘粕正彦が
            大杉栄、伊藤野枝らを殺害
         11月8日ミュンヘン一揆
            アドルフ・ヒトラー
            国家社会主義ドイツ労働者党
 ↓       12月27日虎ノ門事件
             警視庁警務部長
             正力松太郎が懲戒免官
             難波大助の父で衆議院議員の
             難波作之進
 ↓          (庚申倶楽部所属)は
             辞表提出し、蟄居し、餓死
             大助の長兄は鉱業会社を退職
             難波作之進の選挙地盤は
             松岡洋右が引き継ぐ
             戦後は
             岸信介
             佐藤栄作に引き継がれた)
   (モンゴル国の元号
 ↓  共戴12年11月15日~共戴13年11月24日)・・・共戴?
 ↓
 出囃子(でハヤシ)は
 「岩見」・・・「岩見沢」は北海道空知郡の支庁?
 大阪府三島郡
 味舌(ました)村(摂津市)の生まれ
 1971年9月
 神戸松竹座が最後の舞台
 演題は「舞い込み」
 同年11月
 角座で引退興行を予定していたが、
 10月12日急死
 祖父は糸桜、
 父は駒嵐という名の
 大阪相撲の力士
 アメリカ巡業に3ヶ月公演に渡り、
 アメリカ空港税関で調べられ、
 鼓や帯、袴など係員に質問され
 捨丸は「ジャパン・チャップリン」と答え、
 税関をパスし
 これが元で捨丸は
 「和製チャップリン」の異名をとった
 ・・・???
 ↓↑
 北海道(蝦夷地)の他の「幌」が付く地名
 ↓↑
 「幌向=アイヌ語のポロ=大きな・モ=澱んだ・イ=ところ」、
 「幌別=ポロ・ペツ(大きい川)
     明治二年に太政官布告により
     仙台藩
     白石城主の
     片倉小十郎邦憲が
     幌別郡の支配を命ぜられる
     明治三年に幌別鉱山の開発
     金、銀、胴、硫黄の採掘
     硫黄は大正五年~大正八年
     日本一の産出量」
 ↓↑
 の「幌(ほろ)」で、西部劇の幌馬車である・・・黄砂の「ゴビ(戈壁・瀚海・戈壁滩・大漠・Govi)=モンゴル語で沙漠、乾燥地、礫の広がる草原)砂漠・沙漠」、「エジプト(埃及)カイロ(改羅・開羅・該禄)」、「サハラ(アラビア語で砂漠)沙漠」の「幌駱駝(らくだ)車」か、「幌-驢馬(ろば)車」の引き車でもある・・・
 「語備(ゴビ)、作(佐)葉等」を「捌(さば)く・佐波句・鯖句」と「勤皇佐幕」である・・・「尊王攘夷」の「幌(ほろ→補賂)」でもあるカナ?・・・ここでは「夷人」は「外国人」のみならず、「蝦夷・甲斐・會(津)」の意味でもある・・・
 以下は「ウイッキペデア」や他のブログ記事を参照、参考にし、少々改作して添付・・・
ーーーーー
 幌(ホロ)
 風雨や砂ぼこりなどを防ぐ
 車両などに取り付けた覆い
 トラック、オープンカー、
 鉄道車両、乳母車、馬車などに用いられ、
 取り付けた馬車は幌馬車
 ↓↑
 母衣(ほろ)
 日本の武具、旗指物の一種
 「幌・保侶・保呂・母蘆」とも
 甲冑の補助武具
 兜や鎧の背に
 巾広の布つけて膨らませ、
 流れ矢や石などを避けるために使用
 母衣は武士の「七つ道具」の一
 甲冑着用の際に、
 縦に縫い合わせた
 長い布を背中につけたもの
 馬で駆けると
 風をはらんでふくらみ、
 背後に長く引いて
 背面からの流れ矢を防ぐ役割を果たし、
 大鎧とともに馬を駆り
 弓を主武器とする武士の戦闘法
 騎馬戦闘が廃れた室町時代の頃からは、
 内部に鯨のひげや竹などで作った
 骨を入れ常にふくらんだ形状を維持した
 背負う装飾具に変化
 差物(さしもの)の一種となった
 「母衣」という表記
 形状と用途から妊婦の胞衣になぞらえた
 存在を示す標識
 防寒のためとする説もある・・・
 ↓↑ 
 「日本三代実録・貞観十二年(870年)三月十六日の条」
 小野春風が
 甲冑の薄さを補うために
 大量の「保侶」を朝廷に乞うたという記事
 「中右記・永久元年(1113年)」
 源重時の郎従が
 甲冑の上に流れ矢を防ぐための
 保侶という布をまとい、
 これを一族の風として習い、
 源重武の郎従達も
 久安三年(1147年)の合戦で
 身にまとい、人目を驚かせた
 12世紀中頃では、
 武士甲冑による集団(一門)が揃って
 保侶を身にまとうという行為は、珍しかった
 「吾妻鑑第18巻・建仁三年(1203年)九月九日」
 実朝公が初めて鎧を着し給わりし時
 甲冑は
 母廬
 等を着する次第故事をさづけ奉った」
 の記述・・・
 ↓↑
 文永の役
 紅の母衣をかけた
 肥後国の大将
 菊池二郎武房が
 蒙古人の首ふたつを
 太刀と長刀(なぎなた)の先に
 刺して持っていたという記録
 ↓↑
 15世紀末前後成立の
 『鴉鷺合戦物語・第八
  母衣次第、正素嫡子七郎折檻、鵠越後守上洛之事」
 の条には
 母衣について詳しい記述
 本式は紅
 赤白の色もあり
 陰陽の2色
 白は老武者
 「五幅五尺」の布を5枚縫合わせたもの
 「五大五仏」を表し、
 他に
 「八幅八尺・十幅一丈(一丈は10尺)」のものもあると記し、
 縫う糸についても口伝あり
 陣中でかける母衣、
 合戦時にかける母衣、
 勝戦にかける母衣、
 歩立(かちだち)のかける母衣、
 討死が確定した状況でかける母衣と、
 状況によって使用する
 母衣は異なるとしている・・・
 『鴉鷺物語』が記述された
 15世紀時点では、
 紅・赤・白以外の色の記述は見られない。
 ↓↑
 上泉信綱伝の『訓閲集』(大江氏の兵法書を改良)の巻十「実検」には、
 母衣をかけた武者の首は獄門にかけてはならず、
 仏法で母衣武者の首を何の配慮もなしに獄門にすれば、
 その首は成仏できないとの理由から
 扱いに気をつけるようにといった内容の記述があり、
 あえて討死にする際は母衣をつけたともあり、
 母衣で首を包むのが決まりとなっていた。
 つまり
 母衣を身に付けているのといないのでは、
 首の扱いに待遇差があった・・・
ーーーーー
 ↓↑
やまとは・・・・・・耶混訳葉
くにの・・・・・・・・句似埜
まほろば・・・・・・眞補賂場(馬補驢馬)・・・馬幌場・間保呂羽
                    母衣(ほろ)
                    幌
                    保侶・保呂・母蘆
たたなづく・・・・多々名通句
あおがき・・・・・・蛙尾臥記
やまごもれる・・埜万語摸例留
やまとし・・・・・・耶摩訳詞(史)
うるはし・・・・・・得留葉詞(史)
↓↑
夜麻登波(やまとハ)
  ↓↑
    久爾能(クニの)
     ↓↑
       麻本呂婆(まほロバ)・・・マ本賂葉
         ↓↑     婆=波+女→名視音名
           多多(タタ・おほい・おおい)
           ↓↑
             那豆久(名づく)
              ↓↑
                阿袁(あお)
                  加岐(下記・書・柿・牡蠣)
                  ↓↑
                   夜麻(やま)
                     碁母(ごも)
                       禮流(れる)
                       ↓↑
                     夜麻登
                      志(シ)
                      宇流(うる)
                      波斯(話詞)
↓↑
やまとは
   くにの
     まほろば
        たた
         なづく
           青がき
             山ごもれる
                 大和し
                   うるはし
↓↑
やまと・・・・・・邪馬台・邪魔拿意・耶摩問・山門→纂文・纂訳
はくにの・・・・葉句似埜
まほ・・・・・・・・馬補・万補・磨補
ろば・・・・・・・・驢馬・賂場
たた・・・・・・・・多々・他太・太田・田太
なづく・・・・・・名通句
あおがき・・・・蛙尾臥記・阿嗚画記
やまご・・・・・・埜万語
もれる・・・・・・洩れる・漏れる・盛れる・守れる・灤
やまとし・・・・大和詞・大和史
うるはし・・・・有留和史
↓↑
大和は 国 の
    真秀ろば
    畳 なづく
    青垣 
    山籠 れる
大和し
    うるはし
↓↑
倭(やまと)は
国の真秀(まほ)ろば
たたなづく青垣(あをかき)
山籠(やまごも)れる
倭(やまと)し
麗(うるは)し
↓↑
大和(やまと)は 国(くに)の真秀(まほ)ろば
畳(たた)なづく青垣(あをかき)
山籠(やまご)もれる 大和(やまと)し
美(うるは)し
↓↑
日本書紀
十七年春三月戊戌朔己酉、
幸子湯縣、
遊于丹裳小野、


望之
謂左右曰
「是國也
 直向
 於日出方」
故號其國曰
日向也。
是日、
陟野中大石、

京都
而歌之曰、
↓↑
波辭枳豫辭
(はじきよじ)
和藝幣能伽多由
(わぎへのかたゆ)
區毛位多知區暮
(くもいたちくも)
↓↑
夜摩苔波 區珥能摩倍邏摩
やまとは くにのまほらば
多々儺豆久 阿烏伽枳
たたなづく あおかき
夜摩許莽例屢 夜摩苔之于屢破試
やまこもれる やまとしうるはし

異能知能 摩曾祁務比苔破
(いのちの まかきむひたは)
多々瀰許莽 幣愚利能夜摩能
(たたみこも へぐりのやまの)
志邏伽之餓延塢 于受珥左勢
(しらかのげえを うづじさせ)
許能固
(このこ)
是謂思邦歌也。
(是を云う、国を思う歌也)
ーーーーー
 ・・・猿飛佐助(乍留訳備佐助)、霧隠才蔵(歳三・歳造・作意副胡)・・・
 真田十勇士・・・猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道 、穴山小介(穴山小助)、由利鎌之介(鎌之助)、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎 ・・・立川文庫デス・・・
ーーーーー

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禿(禾+儿)の山(やま・サン・ざん)・・・

2016-01-19 23:08:26 | 古事記字源

 ・・・「禿山(はげやま・トウサン・トクザン)」とはなにか?・・・陣地合戦(二〇三高地・1904年11月28日~12月5日)・・・硫黄島(硫黄島の戦い・Battle of Iwo Jima,摺鉢山の攻防・デタッチメント作戦 (Operation Detachment)・1945年2月19日~1945年3月26日)・・・丘を巡っての殺し合い・・・「モデスト(摸出素訳?)・ムソルグスキー(務蘇留具素記意?)」のピアノ組曲「展覧会の絵(1874年甲戌年)」、1860年頃に作曲されたピアノ曲は「禿山の一夜(聖ヨハネ祭前夜の禿山)」、そして「虱(しらみ)の歌」ではなく、「蚤(のみ)の歌」・・・1860年は「庚申(カノエのサル・コウシン)年」であった・・・当然、1920年も「庚申(カノエのサル・コウシン)年」・・・「ノミとり」は「猿の日常」でもあるが・・・「猿の毛繕い・グルーミング(grooming)」などとも呼ばれ、一般的な動物はすべからく「毛繕い・羽繕い・ノミ取り」などをし、その行為には理由があるハズだが・・・モモちゃんのグルーミングは、ボクのお仕事・・・
 ↓↑
ーーーーー
 1860年
 庚申年
 「安政六年十二月九日
  ~
 安政七年三月十七日・・・・・↓安政七年
  ~            ↓
 万延元年三月十八日・・・・・↓
  ~            ↓
 万延元年十一月二十日・・・「万延元年の蹴球」ではなく
               ↓
              「安政七年三月三日の闘球」の
              「桜田門外の変」であった
               水戸藩脱藩者十七名
               薩摩藩士一名
               が彦根藩の行列を襲撃
               大老
               井伊直弼を暗殺
 清国は
 咸豊九年十二月九日~咸豊十年十一月二十日
 李氏朝鮮は
 哲宗十一年
 ↓↑
 2月10日
 咸臨丸、太平洋横断航行
 3月17日、サンフランシスコ到着
 3月24日
 (安政七年三月三日)
 桜田門外の変
 大老
 井伊直弼が暗殺
 4月8日
 (万延元年三月十八日)
 元号が
 安政から万延に改元
 7月2日
 (ユリウス暦6月20日)
 ロシア帝国の輸送船
 「マンジュール号」が
 金角湾に到達
 湾の北岸に砦の建設を開始
 ウラジオストク開基
 11月6日
 エイブラハム・リンカーン
 アメリカ合衆国大統領当選
 12月
 アメリカ南部諸州が合衆国からの離脱宣言
 ↓
 誕生した人物
 1月29日
 アントン・チェーホフ、劇作家、小説家(~1904年)
 3月28日
 (安政七年三月七日)宮部金吾、植物学者(~1951年)
 4月4日
 (安政七年三月十四日)高田早苗、文部大臣(~1938年)
 5月9日
 ジェームス・マシュー・バリー
 童話、ピーター・パンの作者(~1937年)
 7月7日
 グスタフ・マーラー作曲家(~1911年)
 7月7日
 (万延元年五月十九日)三宅雪嶺、哲学者(~1945年)
 7月16日
 オットー・イェスペルセン、言語学者(~1943年)
 7月18日
 (万延元年六月一日)「森の石松」が殺される
 8月14日
 アーネスト・トンプソン・シートン
 博物学者(~1946年)
 10月28日
 フーゴー・プロイス、法学者(~1925年)
 11月23日
 ビリー・ザ・キッド
 西部開拓時代のガンマン・アウトロー(~1881年)
 12月9日
 (万延元年10月28日)嘉納治五郎、柔道家(~1938年)」
 ↓↑
 1860年
 庚申年
 ↓↑
 「禿山の一夜(メグデンの戯曲『魔女』に基づき構想されたオペラ『禿山』
 ↓↑
 1860年頃に作曲した
 ピアノ曲『聖ヨハネ祭前夜の禿山』で、
 聖ヨハネ祭前夜、
 禿山に地霊
 チェルノボグ(黒い悪魔・夜や闇、破壊と死、冥府の神)が現れ手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎをし、夜明けとともに消え去っていく・・・
 「蚤の歌(ゲーテの
    『ファウスト』を
    アレクサンドル・ストルゴフシチコフ
   (1808年~1878年)が
    ロシア語訳したモノを
    アルト歌手
    ダリヤ・ミハイロヴナ・レオノワ
    の為にピアノ伴奏曲として作曲
    元々はアウエルバッハの酒場での
    メフィストフェレスの歌
    ロシア語訳詞は
    王様が蚤に王子の様に
    黄金とビロードの着物を着せ、
    勲章をつけさせ、大臣にした)」
 と云うモノらしい・・・
 ↓↑
 1920年
 庚申年
 大正九年
 中華民国九年
 朝鮮
 主体九年
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 ・・・激戦の「はげやま」に登って侵略した平野を見下す時代は終わったと思っていたが・・・「はげやま」自体が蒸発し、消えてしまう時代・・・やまとくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし・・・

 

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