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gooブログはじめました!キリヤ

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コジキジゲン

ジシン・・・

2017-11-17 07:24:17 | 古事記字源

 ・・・11月16日・木曜日・・・「16日14時29分頃地震(岩手県沖北緯40.4度、東経142.2度)」・・・昨日、同じ時間帯に「15日午後2:30頃(日本時間同)=丙午(丙・丁)日-乙未(丁・乙・己)時・、韓国 南東部の慶尚北道-浦項(ポハン・北緯36度1分8.4秒 東経129度20分36.5秒)付近でマグニチュード(M)5.4の地震」、緯度は「白村江戸=錦江」の場所と云われている「群山市(クンサンシ)、大韓民国全羅北道北西部(北緯35度59分 東経126度43分)」と東西の緯度は、ほぼ同じ・・・南北の経度は「豊渓里(プンゲリ)核実験場(北緯41度16分41秒 東経129度05分15秒)」とほぼ同じ・・・「浦項(ポハンの地震」は「原水爆実験の余波」だろう・・・双方、二分国家の政治屋トップが「共食い民族主義者?」で、彼らに煽られている「本国地域居住民」も「在日居住民」も、万が一には「イキバ」のないコトは重々承知なのに・・・
 利用する人間も、利用される人間も、中国、半島、島国の倭国、「西暦660年」代の昔からズゥ~と同じような暴力の繰り返し・・・当時は存在していなかったが、今現在は「アメリカ」、「ロシア」のボス連中と追従者達がノサバッて、チョッカイを仕掛けてきているトコロが異なっているが・・・いずれも「精神性」に於いては「マングース」以下の度し難い「プチブル根性至上主義者」の縄張り争い・・・
 何世代もだが、この「西暦2017年の人間社会」も・・・そりゃぁ「不都合な人間」がワンサカで、「暴力抑制の暴力は必要」だって、か・・・ボクも、ソウ、思う・・・神にとっても、宇宙、自然にとっても「不都合な人間」どもだが、中々、しぶとく「文明文化」で、代を重ね、生き伸びてきているが、滅びたとしても、責任転嫁先は「プロメーテウス」の罪にしてしまっている・・・
 タシカにカシコイのは「人間の専門分野の一部」では存在するが、ほとんどのヤカラは「エゴの塊り」であることを自覚せず、自己賛美と自(己)惚れの存在として生きている・・・「死んでもランクとしての天国・地獄がアル」と妄想する存在らしいから、「人間=a human being・a human・people・いつかは死ぬべきものとしての=a mortal man・mankind・humanityの存在」として生きていくのは無理なんだろう・・・
 「市民社会で爆弾や銃、ナイフ、自動車なんかでテロリって、そして、最期には銃殺の末路」・・・最近は自殺も多いが、「道ずれ心中」、そして「心中詐偽」で簡単にダマされてアの世逝き・・・
 「虐め=試練=修行=愛の鞭(?)」が現実社会なのに、学校、教会、寺院では「善人(human・人道?)教育」・・・世間に出て「途(戸)惑うペリカン(pelican=伽藍鳥=鵜)」・・・

ーーーーー
 ハイイロペリカン=灰色ペリカン
          伽藍鳥(ガランチョウ)
         「顎袋(あごぶくろ・アタイ)が
          大きいので
          大寺院に例えた」
 コウノトリ=鸛・鴻鳥
 アマサギ(天鷺・猩々鷺)=コウノトリ(鸛・鴻鳥)=サギ
 アカガシラサギ(赤頭鷺)=コウノトリ(鸛・鴻鳥)=サギ
 オオダイサギ(大大鷺) =コウノトリ(鸛・鴻鳥)=サギ
 オオヨシゴイ(大葭五位)=コウノトリ(鸛・鴻鳥)=サギ
 ウミウ(海鵜)=ペリカン=ウ(鵜)
 ↓↑
 ペリカンが自分の胸に穴を開け
 その血を与えて子を育てる・・・
 最も子への強い愛をもっている・・・
 ペリカンは全ての人間への愛によって
 十字架に身を捧げたキリストの象徴・・・
 ペリカン=キリストのシンボル(象徴)
 中世の著作にもあるらしい・・・
ーーーーー
 弊害教育・・・「道の途中で惑う」、「どの(家の)戸を叩けば開けて、恵んでくれるんだか乞食(コツジキ・コジキ→古事記)に惑う」・・・「どう対処してよいかわからず、まごまごする」・・・「マゴマゴ=馬子、孫・真語、萬漁」です・・・三代目の子孫です・・・挙句の果ての「天孫(天津→隋王朝)降臨」です・・・
 ↓↑
 「スポーツマン-シップ(sportsman-ship)」って、「スポーツマンシップ (Sportsmanship)=スポーツで関係者らに求められる精神論の一種・競技の上では競争関係にあるもの同士でも、競技を離れた際には友好関係を築くべきとするもの」・・・この「友好関係」ではなく、「競技の戦いに於けるルールの厳守」のコトじゃぁないのか?・・・「競技精神・フェアプレーの精神と同義・公明正大に競技に全力を尽くす」、「スポーツマン・シップ=正々堂々と戦うことの精神」、「勝ち負けに拘(こだわ)らない精神的、模範的な行為、態度、礼儀」・・・で、「正々堂々・模範的な行為、態度」ってナニ?・・・
 「スポーツマン・シップ=アマチュア(amateur)精神」って、小学生の頃に教えてもらったけれど、ボクには「プロとアマ」、「玄人と素人」の意味が理解出来なかった・・・中学生になって、
 「プロ=玄人=仕事で金を稼げる知識、技術を有する人」、
 「アマ=素人=仕事で金を稼げない、
        趣味、遊び程度の知識、技術の人」
 って理解していた・・・最近は「スポーツマン」じゃぁなく、「アスリート(athlete)=専門的能力、技能を有する競技者」ですか・・・厳密には「sportsman(野外活動愛好家?)」と「athlete(専門的技芸能力者?)」は意味が異なるらしい・・・
 ↓↑
 アソビ(play→無礼)じゃないんだ、
 アスリート(athlete→阿蘇里意訳?)は・・・
 エンジョイ(enjoy→円所意?・猿女意?)は阿蘇外輪or猿女君
 リラックス(relax→理等通句詞?)は里等筑紫
 ↓↑
 「play=遊ぶ・子供の遊び・演劇・戯曲
  enjoy oneself・relax=学生、オトナの遊びなどを用いる」
 それにしてもコンピュータってスゴイ。「クロうと」を文字変換すると「玄人」、「シロうと」を文字変換すると「素人」って表示されるんだから・・・
 「玄(亠幺)人=玄武=北=高句麗・高麗」
 「素(主糸)人=怡土=伊都=九州⇔新羅」
 ↓↑
 「勝負に拘(こだわ)らない」で、どォゥすんの?・・・「国家間の戦争」ではドチラカが亡国の「国破れて山河あり」・・・「国破れて流浪あり」カモ・・・
 アスリート・・・「勝負(見世物)の結果」は生活に直結しているんだから・・・キヨミヤクンはプロだからねッ・・・
 プロの「負け」や「失敗」が、「地位の失墜」や「金銭収入の減収」に直結しているのが「市民(プチブル意識)社会」と云うモンだ・・・呑気に「塞翁が馬」などとは云ってはいられない・・・
 だが「スポーツマン-シップ (Sportsman-ship)」の「スポーツ」とは、「負け」や「失敗」で「社会的地位(金銀銅のメダルで決められる順位)の失墜」や「金銭収入の減収、枯渇」に直結していない、と云うコトだ。「競技参加者の勝者」には「名誉」と「オリーブの冠(月桂樹の冠)」が与えられるのみであるハズだが・・・
 ・・・「ship=3本以上のマストを持つ横帆船
        大洋航行用の船、艦
        時に女性扱い
        a naval ship=軍艦
        the ship of the desert=砂漠の船
                    ラクダ=駱駝
        a fleet of ships=艦隊
        on board (a) ship」
    「ship=運送・配送・発送・便船」
    「Ship=friend-ship・relation-ship
        romantic relation-ship
        ~を望む・~を願う
        サポートする等の意味」
    「Sportsman-ship
      ・・・狩猟・魚釣りなどの愛好家
         野外運動を好む人」
    「friend-ship・・・友人でアレ(語尾)のship」
             「友人の尻尾・聚富・室婦」? 
    「シップ(ship)・・・シュッポは蒸気機関の音
               Choo Choo Train
               汽車、汽車。シュッポ、シュッポ
     ボート(boat)
     ヴェッセル(vessel)」
ーーーーー
 北朝鮮の核実験
 1998年5月28日
    5月30日
 パキスタン
 バローチスターン州チャガイ地区
 Ras Koh丘陵の地下核実験・・・北朝鮮の代理核実験?
 ↓↑
 豊渓里核実験
 2006年10月9日10時35分
 2009年5月25日午前9時54分頃
 2013年2月12日
 2016年1月6日午前10時
 2016年9月9日午前9時60分頃・・・慶州地震9月12日19時44分
 2017年9月3日12時31分頃・・・・ 浦項地震11月15日14時30分
ーーーーー
 2017年 丁酉(庚・ ・辛)
 0011月 辛亥(戊・甲・壬)
 0016日 丁未(丁・乙・己)
 14:30 丁未(丁・乙・己)
ーーーーー
 ・・・木曜日の楽しみは、午後7時30分の「人名探究バラエティー古舘伊知郎の日本人のおなまえっ!」・・・
 かまつか=鎌の柄の部分が「一尺八寸」
 一尺八寸=かまつか
 延宝・天和(1673~1684)以後
 囲い女郎の揚げ代が
 一八匁だったので
 囲い女郎の別名
 笠(かさ)の直径が一尺八寸で
 近世、笠雲の異名
 四十物(あいもの)=魚の塩漬け
           塩漬けと干物の中間で
           相物、間物、合物などとも
           四十種類ほどあるということ
ーーーーー
 ・・・

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ユキです・・・

2017-11-15 22:52:28 | 古事記字源

 ・・・雪が舞い始めた・・・午後15時30分頃・・・イヨイヨ、冬・・・
 「冬=夂(おくれる・のろい・チ)+二(冫→氷)」
   「夂=ノ+又=ノ一乂」・・・冬=夂+冫
    遅=辶+尸+羊
    遲=辶+尸+土+牛
     =辶+尸+十+一+牛
     =辶+尸+氺+牛
     =辶+尸+=+丨+=+牛
 「尸」が「屍(しかばね)」なら羊や牛の(トサツ)、屠畜(トチク)される状況を感じての歩行だろう・・・感じているのは、羊や牛を観ている人間の子供かも・・・「塗擦(トサツ)」って、「塗りつけて、すり込むこと」らしいが・・・「秘密文書の開示」でも「黒塗(くろぬり)」の部分があるのはナゼなんだか・・・・文字を塗り込む・・・
ーーーーー
 キリエ(Kyrie)=ギリシア語・κύριος(kyrios=主
          キリオス)
          の呼格κύριεのラテン文字化
         「主よ」を意味する
         「キリエ」・「キリエ・エレイソン」
          Κύριε  ἐλέησον
         (キリ エ  エレイソ ン)
         「主よ、憐れみたまえ」
 Κύριε ἐλέησον,・・・・・・・・・Kyrie  eleison
                 キリエ・エレイソン
   Χριστὲ ἐλέησον,・・・・Christe  eleison
                 クリステ・エレイソン
     Κύριε ἐλέησον.・・Kyrie  eleison
                 キリエ・エレイソ
  ↓↑
 聖歌の一、「キリエ・エレイソン=Kyrie eleison
       (主よあわれみたまえ)」
 ・・・キュリオス(主=主人)が呼格形のキュリエに格変化・・・
 「求憐(キュウレン) 誦」、「求憐誦につけた音楽」
  ↓↑
 キリエ・エレイソン Kyrie Eleison Gregorian Chant
https://www.youtube.com/watch?v=jbl5FuB0U0I
【李香蘭MV】 別走(行かないで)玉置浩二
https://www.youtube.com/watch?v=sS-t0w6SfII
 ・・・Mちゃん・・・「李香蘭」に重なる・・・
 石川さゆり - 蘇州夜曲
https://www.youtube.com/watch?v=j7hlz42HOXI
 やっぱ、ナニを唄っても声量、歌唱力があって、上手いのが「島津あや(亜矢)」さん・・・
ーーーーー
 Kirya、Ha-Kirya
 Tel Aviv中心部の
 Kiryaエリア
 32度4.29分 N34°47'16.62"
  ↓↑
 Ha-Kirya
 Kirya(ヘブライ語・点灯キャンパス)
 中央のエリアである
 テルアビブ含む
 テルアビブ地区の
 行政センターや主要な
 イスラエル国防軍ベース
 キリヤの多くは
 19世紀に設立された
 テンプル河の集落である
 サロナの土地にある
 サロナは農業植民地
 第二次世界大戦
 イギリス軍はSaronaの制御を取り
 ドイツ人のための捕虜収容所にそれを変換
 戦争後、
 ドイツの捕虜は大部分がオーストラリアに追放
 サロナはイギリスの軍事警察基地となった
 ハガナの攻撃の場
 1947年12月16日
 ハガナーによって引き継がれ
 改名された
 キャンプYehoshu'a後、
 Yehoshu'a Globerman近くで殺された、
 Latrunにミッションから戻っながらエルサレム
 近代史における最初の独立した
 ユダヤ人の軍事基地であった
 HaKirya
 イスラエル国防軍
 Templerの建物を使用
 Sherut AVIR(イスラエル空軍)
 Kiryati旅団
 Givati旅団
 政府はキルヤ南部のキリヤ塔に
 多くの事務所を保有
 2009年現在
 キャンプ・ラビンは
 最も多くの正規兵士を擁している
 2012年
 IDFは、次の戦争で、
 HaKiryaが
 敵のGPS誘導ミサイル
 特にシリアに設置された
 M-300ミサイルによって
 標的にされる・・・
  ↓↑
 キリヤ
 軍事基地に使用されている北部区域
 2008年現在建設中の
 キリヤタワーを含む南部の事業区域で構成
 Kaplan Streetで区切られ
 軍事基地に
 MatcalタワーとMarganitタワー
 IDFのの本部として機能参謀
 1951年から1998年
 旧サロナ新学校に
 妊婦病院が隣接する
 テルアビブ・サウラスキー医療センターに開設
ーーーーー
 ・・・

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モウちゃんの命日も忘れ、気配をカンジて小声で呼ぶワタシかな

2017-11-13 19:56:35 | 古事記字源

 ・・・ウッカリしていた・・・「11月11日」で借りているサーバーの「HP」が打ち切りで、削除されてしまうなんてコト、知らなかった・・・まだ、遺(残)されているカナ、と思って開けてみたページ↓↑・・・まだ遺されていた・・・

http://web.archive.org/web/20090502181131/http://www1.odn.ne.jp:80/~haa98940/kkmokuji.htm
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp:80/~haa98940/hime/hime77.htm
 ・・・だが、書き込んだモノのスベテが順調に出てくるワケでもないらしい・・・肝心の「占いの命式」はダメ、アメリカを舞台にした物語はダメ・・・その他のモノもダメなモノが多々・・・

 「コジキ姫の「壱与」、・・・・モモ蘇姫・・・鳹=今+鳥
 カンジて赤い絨毯にのり、・・・姫=ひめ=鳹=ついばむ・ケン
 空をカケメグル        ゲン・キン・ゴン・カン・コン
 「古事記・字源」物語」    fabulous mythical bird=鶼
               ・・・a mythological bird called
                 a "mythical crow"・・・
           mythological=神話=禊=ミソギ
           ミソロジカル=見素賂字(時)化留?
           ミス=myth=神話・・・「み・・・そ」=禁止
           見素賂字意=ミソロジー=mythology
  ↓↑
 は完全ではないが、なんとか・・・最期のページに「あとがき」なるものが「2002・3・13・水曜日」の日付で書き込んでいたので・・・以下に添付・・・2017-2002=15・・・「十五年前」ですか・・・「1996年」は2017-1996=二十一年前・・・ですか・・・オッソロシくなるほど時間が流れたのか、まだ、昨日のコトだったんだか・・・
ーー↓↑ーー
 あとがき
 人生で一度ぐらいは「序文」とか、「あとがき」みたいなモノを「製本」され、「表装」された自分の本の中に書いてみたいと思っていた。貧乏人のワタシにはこの先も実現できそうもない。けれど、ワ-プロで書いて「CD-R」に記録するには簡単な作業で、取りあえず読んで貰いたい人の分だけは能率的に「製本」出来る。ワタシにとってはスゴイ高い値段の中古コンピュータを買って、この小説をワープロで書き出し、「5インチ」のフロッピーデスクに記録していったのは「1991年の湾岸戦争」勃発の時であった。それでもフロッピーデスクに記録したモノは「カミの本」になってから読まれるのだ、と考えていた。個人で簡単に「CD-R」を出版と同じような感覚で造れるなんて、当時はまだ思いも寄らなかったことである。小学校五、六年生の頃から鉄筆とガリ版、そして謄写版とロラーが大好きであった。そして、この歳になっても内容と言うよりは「文字」そのものを書いて、「コピー」したカミを閉じて、開いてみたいのだ。学生時代は毎日が大した内容のない「ビラの生産」であったような気がする。文章も文法もかなりいい加減であったし、今もそうなのだが・・・
 一応、この「本」が完成したのはイマヤ、三児の母親で、主婦、当時一八歳の乙女であった「蟹江ゆかり(旧姓橋本)」さんとの出会いであった。「昭和一二年発行・(株)誠文堂新光社」、「非売品」と記されていた「古事記」の漢字ルビ振り付、原文、解釈付の古本を読んでいたワタシに高校を卒業して商事会社に務め始めた彼女がワタシに「志望は出来れば、大学に行きたかった。そして、まだ使いたかったけれど、もう、その必要もなくなったから、この漢和辞典と古語辞典、使って。プレゼントだから」と言うことがきっかけであった。辞典はワタシも持ってはいたが開いて調べるのが億劫であった。「漢字」と言ったって「日本語」だろう。それにルビも振ってある。「古語」って言ったって、「日本語」だろう。何となく判るようになるのでは・・・と。高校時代に使用したワタシの「辞典類」の頻度はほとんどが「英和辞典」だった。だが、あらためて彼女のくれた「漢和辞典」をみると、「漢字そのものの説明」は「日本語の意味」ではなっかったし、「古語辞典」にいたっては「意味不明」のヶ所がかなり目に付いた。「日本人」が「日本語」を「理解出来ていない」のだ・・・。理解できていない「日本語」で「英語」や「仏語」、「独語」等を「理解」しようとしている。しかも、そのほとんどが「漢字の意味」で理解しようとしているのだ。
 「日本語、ワッカラナイッ・・・ワッカリマセン」・・・マァ、ワタシの「日本語」の日常会話には「誤解」も多いけれど、それほど支障がないか・・・ナントナクワカレバさっ。
 彼女が丁寧に使用していたこれらの辞典はいまやボロボロである。それで、ワタシの頭が詰まった、か、と言えば全然カラッポである。何度も何度も同じ漢字や単語、熟語のページを開くのが日課である。
 彼女に感謝、感謝である。
 それで、ワタシは「古事記」なるモノを、彼女のプレゼントの「漢和辞典」と「古語辞典」を片手に「研究」しだしたのだ。「古事記の漢字」を・・・
 もう一つ更にこのきっかけを「加速」させてくれた人物は名古屋の「大須」に代々居住してきた「鬼頭吉子」さんであった。おふくろさんの代までは手芸店の老舗であったそうだ。現在、彼女は「喫茶店・ローズセラヴィ」の女主人である。ワタシの故郷は「蝦夷・北海道」であったから、彼女の仕事のお手伝で「大須」に住むようになってからも、モチロンのこと「大須」のことは「大須観音」と織田信長のオヤジの菩提寺の「万松寺」ぐらいしか知らなかった。そして、「大須商店街」のラーメン屋や、食堂、パチンコ屋、質屋ぐらい。彼女はワタシにとっては「大須の歴史知識の信玄袋」そのもので、「江戸時代」からの諸々の「お祭り」、「儀式」、「しきたり」、おまけに日常生活には欠かせない「暦の意味」や、「仏教行事」、サラには「ウイロ・ウイロウ(外郎)」の由来や「黄八丈」等の織物に関する知識を教えてくれた人であった。人生に於ける縁とかユカリとかは、不思議である。しかも、彼女は「大須」に存在する「ナコヤ古墳」、「浅間神社」、おまけに「大須観音神社の一部分」なっている「大須文庫」の存在を教えてくれたヒトなのである・・・まさに、そこには「日本最古の写本(?)」と言われている「古事記」が存在したのだ。ワタシは「古事記」を研究しだしてからも、彼女が教えてくれるまではその存在には無知であった。
 ついでにワタシの「ハナシ」を熱心に聴いて下さった三洋工業の「吉田重一」さんと、西洋アンチック店を営んでいる「福本志朗」さん、それに、ここ「大須」に直接的にワタシを「存在」させしめてくれた女優の「高部シゲコ」さんに感謝、感謝である。
 そして、「那古耶古墳」の大樹の下で眠っている、いつもワタシのそばで寄り添ってくれた二代目「モウ」、一代目「モウ」、「コロッケ」、「マリー」、「ミヤオ」、「ミヤ太郎」、君たちには「ありがとう」と「不思議」の回数を唱えても足りないくらい「ありがとう」です。
 「古事記」に関してこの「小説」にした理由は単純で、明解・・・それは「理論・学問」としていまだのワタシにとっては「ムリ」があった、と言うことに尽きる。
 一応「小説」で、「稗文」だから・・・「アソビ程度」に読んで下さることを願います。
    K・K
 2002・3・13・水曜日
 (壬午年癸卯月庚辰日)
 ・・・モウちゃんの命日も忘れ、気配をカンジて小声で呼ぶワタシかな・・・
http://web.archive.org/web/20090502181131/http://www1.odn.ne.jp:80/~haa98940/kkmokuji.htm

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奝(大周)然(チョウネン)を「トウ=問う・唐・訪う・答・当」・・・

2017-11-13 12:12:59 | 古事記字源

 ・・・「皮膚(ヒフ)」・・・「膚=人のからだの表皮・皮膚・はだえ・物の表面・きめ・性質・気質・気性・肌が合う・ 肌で感じる・肌に粟を生ずる・肌を合わせる」・・・「うわっつら・うわべ・うすい・あさい・あさはか・おおきい・うつくしい・四本の指を並べた長さ」・・・「完膚無きまでに叩きのめす・完膚無きまでの敗戦」は負けた側のコトバ・・・「完璧な勝利(敗北)」・・・「傷のない、完全な皮膚・また、傷のない箇所」・・・多く打消しの語(ない・なき)を伴って用いる・・・「完膚無きまで=無傷なところが一箇所もないほど、傷だらけ」・・・
 「完膚=カンプ=還付・乾布・姦婦・姦夫
     劉迺・・・迺(の・すなわち・ダイ・ナイ)
     火刑の拷問でも忠儀を守って
     裏切ることをしなかった
    (新唐書・劉迺)
     ↓↑
 中国二十四史の一
 唐代の歴史を記した書・二二五巻
 北宋の
 欧陽脩(オウヨウシュウ)らの撰
 1060年完成
 仁宗の詔により
 「旧唐書(クトウジョ)」
 を改修・補正
 本紀十巻、志五十巻、表十五巻、列伝百五十巻・唐書
 ↓↑
 「新唐書(唐書)
  劉迺伝」
  ↓↑
 「完膚無きまで=身体中、火傷の箇所がないほどに
         ひどく、徹底的に
         火刑で皮膚に焼き鏝(ごて)をあてられた
         お灸された・・・劉迺
ーー↓↑ーー
 弄ぶ(もてあそぶ・ロウ)=いじくる・いじる
 ↓↑ 
 詰=詰(つ)まる・つめる・つ-まる・つむ
   詰(なじ)る・なじる・づ・つめ・づめ・ずめ
   キツ・キチ
   難詰=手きびしく非難すること・厳しく問いつめること
   面詰=問いつめる・なじる
      詰責・詰問・難詰・面詰・論詰
   詰屈=かがまる
   詰屈
   詰め切る
   その場を離れず、 絶えず待機、または出仕すること
   ある空間に物が隙間(すきま)なくいっぱいつめる
   時間や抽象的な心的な余裕の無い状態
 なじる=詰る
     相手を問いつめて責める・詰問する
 詰(なじ)る=過失や悪い点などを責め非難する
        to blame
        責める・不心得な行いを責める
        容疑者を責める
        咎(とが)める
        不注意を咎められる
        良心が咎める(詰る)
        違約をなじる
 詰(なじ)る=相手を質問の形で非難すること
        詰る・叱る・罵る・非難する・咎める
 叱責する=blame・rebuke・reprove・reproach
      とがめる・なじる
 暱=日+匿(匚若)=なじる・トク=慝(匿+心)
   暱に作る(或字)=昵
   親しい・親近・昵称・愛称
   ちかずく・ニチ・ネ・ネイ・ジツ(ヂツ)・デイ
   暱名=匿名・・・隠匿
 詰=言+士+口=なじる
 詰所=決まった場所に出向き、用事に備えて待機する
    もち場に詰める
ーー↓↑ーー
 ・・・
 「新唐書(シントウジョ)」
 唐代の正史
 五代の
 後晋の
 劉昫・・・迺(の・すなわち・ダイ・ナイ)=廼
         迺=西+辶(すすむ・シンニュウ)
         廼=西+廴(ひく・イン)
 の手になる
 「旧唐書(クトウジョ)」と区別するために
 「新唐書」、「唐書」と呼ばれる
 出典は示されてい ないが
 「宋史日本伝」の記事から
 「東大寺の僧侶
  奝(大周)然」・・・・奝(大周)=大(一人)+周(冂吉)
           奝(大周)=おおきい・チョウ
  が宋の太宗に献上した
 「王年代紀」を参照・・・
ーー↓↑ーーー
   奝(大周)然(チョウネン)
  (承平八(938)年一月二十四日?
   ~
   長和五(1016)年三月十六日
   京都生まれ
   平安時代中期の東大寺の僧
   藤原真連の子
   幼くして東大寺に入り
   東南院で三論その他を学ぶ
   永観一(983)年
   東大寺と延暦寺の信書をたずさえ
   宋商船に便乗して入宋
   翌年太宗に謁し
   紫衣を賜わり
   法済大師の号を受けた・・・
   五台山その他を巡拝し
   寛和二(986)年
   「釈迦如来像」
   「大蔵経・5048巻」
   「十六羅漢画像」
   清涼寺に安置されている
   「釈迦如来像」は
   その将来仏
   もって帰朝
   永祚一(989) 年
   東大寺に住した
   (京都嵯峨の
    清涼寺は弟子が建立)
 ↓↑
 奝(大周)然(チョウネン)
 が宋の太宗に献上した
 「王年代紀」
ーー↓↑ーー
 ・・・「其王姓 阿毎」・・・
 ↓↑
 日本について
 「旧唐書」では
 「倭」
 と
 「日本」
 が並立して書かれている
 「新唐書」では
 「日本伝」としてまとめられ
 隋の開皇末に
 天皇家の
 「目多利思比孤」が
 初めて中国と通じたと記録
 日本の王の姓は
 「阿毎」氏であること
 「筑紫城」にいた
 「神武」
 が大和を統治し天皇となったことなどが記載
 出典は示されていないが、
 宋史日本伝の記事から
 ↓↑
 東大寺の僧侶
 「奝(大周)然」
  ・・・奝(大周)然(チョウネン)
     天慶元年一月二十四日(938年2月25日)
       ~
     長和五年三月十六日(1016年4月 25日)
     東大寺の僧
     俗姓は
     秦氏・・・秦氏=陽侯氏?
     京都の出身
     号は法済大師
     東大寺の
     観理に三論教学を
     近江国石山寺の
 ↓↑  元杲(ゲンゴウ)に真言密教を学ぶ
     元杲(延喜十四年(914年)・・・元杲(日十八)
         ~
        長徳元年二月二十七日(995年3月30日)
     真言宗の僧・藤原京家の出身
     父は雅楽助藤原晨省
 ↓↑  房号は真言房・延命院僧都とも称される
 が宋の
 太宗に献上した
 「王年代紀」を参照した・・・
 ↓↑
 其王姓
 阿毎氏
 自言
 初主號
 天御中主
 至
 彥(彦)瀲
 凡三十二世
 皆以
 尊爲號
 居
 築紫城
 彥(彦)瀲
 子
 神武立
 更以
 天皇
 爲號
 徙治
 大和州
 次曰綏靖 次安寧 次懿德 次孝昭 次天安 次孝靈 次孝元
 次開化 次崇神 次垂仁 次景行 次成務 次仲哀
 仲哀死
 以
 開化
 曾孫女
 神功爲王
 次應神 次仁德 次履中 次反正 次允恭 次安康 次雄略
 次清寧 次顯宗 次仁賢 次武烈 次繼體 次安閒 次宣化
 次欽明
 欽明之十一年
 直梁承聖元年
 次海達 次用明
 亦曰
 目多利思比孤
 直隋開皇末
 始與中國通
 次崇峻 崇峻死
 欽明之孫女
 雄古立
 次舒明 次皇極
 (新唐書卷二百二十 列傳第百四十五・東夷一
ーーーーー
 ・・・

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窮猿投林・・・蒼穹(ソウキュウ)=青空・大空・蒼天・碧空

2017-11-10 02:02:09 | 古事記字源

 ・・・移民、植民地=コロニー(colony)・・・「群体=分業協働体・分業共棲体」?・・・村落共同体、協同体・・・「村=むら=邑=群・叢・邨」ではない・・・「落ちたモノがある場所に集まり、落ち着く場所に落ち着いて、何かの形が出来上がって、きまりがつく」?・・・「分業=家族・私有財産・国家の起源」?・・・「分業が進んで、私的所有が共同所有に優り、財産相続も私的所有の分轄継承になる」・・・?・・・「原始共産制(primitive communism)=私有制が普及する以前の人類の社会体制であり、共産制の1形態とされる」?・・・いい加減なコトを云う奴が多いのが・・・この世の中の認識機能のサダメ・・・
 「原始共産制社会」?
 全ての人間は
 食料の
 獲得に従事し・・・「全ての人間」じゃぁないだろう・・・
 狩猟や収集により
 産み出されたものを・・・狩猟や収集で得たモノを材料に
             加工されたモノを?・・・だろう
             狩猟や収集で得たモノが「食糧」なら
             人間によって
             「産み出されたもの=生産されたもの」
             ではなく
             「採取されたモノ」だろう・・・
 全員が共有する・・・・・「全員の共有」かどうかは「?」である
             「分配の大小を決定する」
              のはダレか?
 原始的な社会では
 産み出されたものは・・・「採取された食べモノは」
 即座に
 消費されるため、・・・「即座に消費」されるかどうかは「?」で
            「消費される食糧」以外の
            「生活の諸道具」は
             予備とされるカモ、であるから
 余剰は
 産み出されず、・・・産み出されて「余剰となる」だろう
 衣服などの
 個人的な物品・・・「個人的な物品」は「私有財産」だろう
 を除けば
 私有財産は
 ほとんど・・・・・「ほとんど」とは「少し」ではあるが
 存在しなかった・・「存在した」のだ・・・
 であろう
 長い時間
 存在したものは・・・「存在したもの」=「私有されたモノ」
 道具や家など
 わずかであり
 それらは
 共同で保持された・・・共同か私有かは「?」である
 そして
 「国家は存在しなかった」
 であろう・・・当たり前だ・・・
 「国家の条件」を明らかにしないで「国家云々」は無理である
 「人間社会協同体の出発点」は
 「男と女」の「生殖(分業)関係」としての「家族」であるが
 必ずしも「男女の合意」から始まるとは限らない
 子供が生まれての「親子関係としての家族」は
 「序列関係」で「両親」が
 その子供の「養育」で
 命令権を有するのは当然である
 条件的に
 「鄙びた村=むら=邑・群」には
 「家族」の構成機能、個々の家族集合としての「村落」の構成機能として「分業」は当然で、「国家機能的」なモノはあった・・・
 そして「外敵」が存在する限り、防衛武力としては「七人の侍」を「一日の飯」を提供して雇うか、自前で武装と、武装教育をする必要がある・・・「外敵の存在」がある限り・・・
 「共同体」としてだけではなく、「共同体内」の個々人としても自分自身を害するモノが存在する・・・「自然の生物界」では「生殖の優先順位」を巡っての同性、異性の争いで自己の存在を賭けて肉体的実体を害し合うのは「宿命」である・・・「人間社会」も基本的には同じである・・・個々人の配偶者の選択は「分業-協同体の意志」でもあり、生存圏の縄張りの拡大でもある・・・
 「協同体」を防衛する為に何が必要なのかは「人類の歴史」というよりは「生物の生態系の歴史」をみれば明らかだろう・・・
 「マングースの縄張り争い」の原因はナニか?
 「蜜蜂」や「蟻」の生態に
 「人間の社会形態」を重ねるコトが出来るのか?・・・
 「人類の社会体制(形態)」として、
 そんな「モノ(原始共産制)」としては
 「自然弁証法・唯物史観」、
 その認識としての
 「生物の生態論」、
 「現実論」として
 重ねるコトは出来ないのはアタリマエである・・・
 スベテのモノの諸関係性に於ける「相互変化・動的変化」が自然界の根本原理である・・・アルベキモノとして、固定的、静的存在としは存在しえない・・・
 そして、静的な「自由・平等・友愛」はありえない・・・
 「自由、平等、友愛(Liberté=リベルテ・Égalité=エガリテ・Fraternité=フラテルニテ)は、
 フランス共和国の標語」
 現実存在は
 動的な「自由⇔不自由・平等⇔不平等・友愛⇔非友愛」・・・
 「誤解」が「後甲斐、誤甲斐」であるように「ゴカイ」であるようだ・・・
 「ゴカイ(沙蚕・Ragworm・lobworma worm・called lobworm)=環形動物門-多毛綱に属する動物の一種・体は紐状で、体長5~12センチ・70~130個の各環節の両側に剛毛の生えた疣(いぼ)足がある・河口や内湾の泥底にすみ、釣りの餌にする・ゴカイ科にはイトメ・ジャムシなども含まれる」・・・「沙蚕=ササン・シャサン」・・・「沙=水+少」、「蚕=天中ム」・・・・
 「近縁な複数の種の複合体であることが判明、
  ヤマトカワゴカイ(Hediste diadroma)=大和(倭)川沙蚕
  ヒメヤマトカワゴカイ(H. atoka)=媛大和(倭)川沙蚕
  アリアケカワゴカイ(H.japonica)=有明川沙蚕
  の3種に分割」・・・
 「多毛類(タモウルイ)=環形(カンケイ)動物門多毛綱(学名: Polychaeta)に属する動物の総称・ゴカイ、荊鈿(簪・釵・笄)=イバラカンザシなどが含まれる非常に多様性の高い分類群である。一般にはゴカイ類と呼ばれる」・・・
  ↓↑
 「一件落着」の「落」、「落石」、「剥落・剝落・落丁・落潮」、「墜落・落馬・落語・落後・落伍」、「落城」、「洛陽・落陽=ラクヨウ=落葉」・・・
 「溝落(みぞおち)・水下・鳩尾」、「みぞおち=心窩」、「窩=穴=室・窩=カ(クヮ)・ワ・あな・あなぐら・腋窩(エキカ・エキワ)・眼窩(ガンカ・ガンワ)・蜂窩(ホウカ)」・・・「窩主(ケイズ)買い=盗品と知りながら売買すること・また、その商人・故買(コバイ)・系図買い」・・・
 「水落(みずおち)=飲んだ水が落ちる所・噴門(フンモン→胃体)」・・・「溝落(みぞおち・gutter)」・・・「屋根の樋、車道と歩道との境の溝(みぞ)、排水溝、側溝、どぶ、 ガター、どん底の生活、貧民街」・・・
 「落合=水が集合して流れ、瀧壺に落下」・・・
 「人々がある場所に集まって、そこである形のもの=ムラやサト=ができたもの」、それが「聚落(集落)」や「村落」・・・?
 ・・・多分、漢字を分解し、その個々の意味を読みとって、文章化したモノ、そのものだろう・・・流木が流れつく下流の低地・・・
 「村落=村(木を寸る・十の八を寸る)+落(艹氵各・艹氵夂口)→日下の山水が各々に集合」、「聚落=聚(耳又乑)+落(艹氵各・艹氵夂口)」・・・「乑=ならびたつ・ギン・ゴン・シュウ」・・・
ーーーーー
 洛=身も心もやすらかなこと・安楽
 ↓↑ゆっくりくつろぐこと・身も心もゆったいること
   ラク・中国の川の名・洛水
   洛河(洛水・雒水)
   洛水の北岸にある都市の名
   洛陽・都・京都
   洛中・洛北・花洛・帰洛・京洛・上洛・入洛
   洛水
   中国、陝西省南部にある
   華山に源を発し
   河南省に入って北東に流れ
   洛陽の南を通り黄河に注ぐ川
   中国、陝西省北西部にある
   白于 (ハクウ) 山地に源を発し
   南東に流れ
 ↓↑渭水 (イスイ)に合流して黄河に注ぐ川
 「洛=京・都」
 「洛中、洛外」はそれぞれ「都の中、都の外」
 「洛南=都の南」
 「上洛(ジョウラク)」=京都に入ること
 「洛中・洛北・花洛・帰洛・京洛・上洛・入洛」
 ・・・権力者の野(里予)望(亡月王)・・・
 信長(大うつけ)・秀吉(猿・針鼠)・家康(貍)・・・
 ↓↑
 生誕
 天文3年5月12日(1534年6月23日u)
  西暦1534年7月3日g
 甲午(丙・ ・丁)年
 庚午(丙・ ・丁)月
 戊寅(己・丙・甲)日
 仏滅・火曜日
 ↓↑
 天文3年5月28日(1534年7月9日u)
  西暦1534年7月19日g
 甲午(丙・ ・丁)年
 辛未(丁・乙・己)月
 甲午(丙・ ・丁)日
 友引・木曜日
 ↓↑
 死没
 天正10年6月2日(1582年6月21日u)
       西暦1582年7月1日g
 壬午(丙・ ・丁)年
 丙午(丙・ ・丁)月
 戊子(壬・ ・癸)日
 先勝・木曜日
 大陸侵攻計画
 「信長は日本を統一した後、
  対外出兵を行う構想があり、
 「日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、
  一大艦隊を編成して明(中国)を武力で征服し、
  諸国を自らの子息たちに分ち与える考え」
 を持っていた・・・(『フロイス日本史』第55章)

 「秀吉所用と伝える金彩の豪華な扇
  おもては日本と明・朝鮮を描いた地図
  裏面には
 「なちうらい(拿酒来)さけもってこい」
  といった日常的な口語体の短文が
  中国語と日本語の
  対訳形式で書かれている
 「文禄の役の講和交渉」に際
  明国使節との会見にそなえて
  秀吉が作らせたもの」・・・らしい
ーー↓↑ーー
 「高椋の玄理(北方の理)」・・・「原理(源里・元の理)」・・・「高木之神=高御産巣日神(タカミムスビ)」、「別天津神の一柱」、「高御産巣日神(たかみむすびの かみ)・古事記」、「高皇産霊尊(日本書紀)」、「葦原中津国平定・天孫降臨の際に高木神(たかぎのかみ)」・・・「高御産巣日神・高皇産霊神」・・・「高御産日神・高御魂神・高皇産霊尊・高御魂命・高魂命・高木神(たかぎのかみ)」・・・「北-Korea」・・・?
ーー↓↑ーー
 ・・・神が「(藭」に文字化けするとは不届き千万!!
 「故爾、天照大御神(藭=文字化けの漢字)・高御產巢日神(藭=文字化けの漢字)、亦問諸神(藭=文字化けの漢字)等
 「天若日子、久不復奏。
  又遣曷神(藭=文字化けの漢字)
  以問
  天若日子之淹留所由」
  於是、諸神(藭=文字化けの漢字)及思金神(藭=文字化けの漢字)、答白
 「可遣 雉名(キジのナ・記字名) 鳴女(及所)」時、
  詔之
 「汝、行問(行を問え)
  天若日子狀者、汝所以使 葦原中國者、
  言趣和 其國之荒振神(藭=文字化けの漢字)等 之者也、
  何至于八年不復奏」
  故爾 鳴女、自天降到、居 天若日子 之 門湯津楓上而、
  言 委曲如 天藭之詔命。爾 天佐具賣此(三字以音)
  聞 此鳥言而、語 天若日子言
 「此鳥者、其鳴音甚惡。故、可射殺」云進、
  卽 天若日子、持 天神(藭=文字化けの漢字)所賜
  天之波士弓・天之加久矢、
  射殺 其雉。爾 其矢、自 雉胸通而、逆射上、
  逮坐 天安河之河原、
  天照大御神(藭=文字化けの漢字)
  高木神(藭=文字化けの漢字)之御所。
  是 高木神(藭=文字化けの漢字)者、
    高御產巢日藭 之別名。
  故、高木神(藭=文字化けの漢字)、
  取 其矢見者、血著 其矢羽。
  於是、高木神(藭=文字化けの漢字) 告之
 「此矢者、所賜 天若日子之矢」
  卽示諸神(藭=文字化けの漢字)等、
  詔者
 「或 天若日子、不誤命、
  爲 射 惡神(藭=文字化けの漢字)之矢之至者、
  不中 天若日子。或有 邪心者、天若日子、
  於此矢 麻賀禮(此三字以音)」云而、
  取 其矢、自其矢 穴衝 返下者、
  中 天若日子 寢朝床之高 胸坂以死。
  此還矢之本也。
  亦 其 雉 不還、故於 今諺曰
 「雉之頓使(記事の頓使)」是也」
 ・・・「キジのトンシ」、これナリ・・・
 「藭=艹+穴(宀八)+躬(身弓)
   =「芎藭(キュウキュウ)」はセリ(芹)科の多年草
    ハマゼリ(浜芹)属・花は白色
    ↓↑
    五臭=五香(草木)の一
    薜茘 (ヘイレイ)・イタビカズラ(葛)
イタビ=崖石榴・犬枇杷の別称
                 以多比・無花果(イチジク)
             クワ科の常緑低木
             薜=コケ(苔・蘚)、蘇苔類
               地依類・菌類などの総称
    白芷 (ビャクシ)・鎧草(よろいぐさ)の漢名
             花独活(はなうど)の漢名
    椒  (ショウ)・・・胡椒・山椒
    蓮  (レン)・・・・蓮華
    ↓↑
    蘼蕪 (ビブ)・・・・薔蘼
    ・・・蘼=艹+靡(なびく・ビ)邪馬台国
       蕪=艹+無(ない・ム)莫・无
           無効=ムコウ=向日
                  日向→向
                  高向→たかむく・コウコウ
   =藭=芎藭は四川省産のものが良品
      別名は川芎
     =血を補い、血液の循環をよくする生薬
      婦人の月経不順にも使用
      冠状動脈硬化性の
      心臓病による狭心症にも応用
     「藭・芎」の字は葉柄が弓状に曲がった様を表す
     「神農本草経には
      芎藭(根茎)と蘼蕪(ビブ・苗・蘪蕪)が収載」
    ↓↑↓↑
    蒼穹(ソウキュウ)=青空・大空・蒼天・碧空
     穹=あな・おおきい・おおぞら・キュウ
      =穴居住・洞窟住
    ・・・「藭=艹(くさ)の穴(あな・宀八)の身の弓」・・・「句差の蛙(かえる)名の化(加)等拿の由観(喩実)」?・・・
   =窮
    きわめる・きわまる・つきつめる・キュウ
    「窮極・窮理」・究・行きづまる・身動きできない
    苦しむ・「窮地・困窮」・「貧窮・無窮」・・・
 「窮猿投林(キュウエントウリン)=困っているときには、選択の余地はない、貧窮しているときには俸禄や官職などをえり好みしている余裕はないたとえ・窮猿=追いつめられた猿、投林=林に飛び込む」・・・
 ・・・「窮猿=求猿・旧縁・救援・・・追いつめられた猿、「投林=トウリン=東海」の「林=はやし=隼士(隼志)・悋(リン)=物惜しみ・悋嗇・やきもちを焼く」・・・猿田彦の死亡・・・「白村江の海戦、撃沈、沈没」・・・「ウミザル(海猿)」は「海援隊」、「海役=阿倍比羅夫・安曇比羅夫」・・・坂本竜馬・・・
 「逃げ場の無い状況に追い込まれた猿が、林の中に飛び込んだ時、逃げるために木々を選ぶ余裕はない(晋書・李充伝=東晋の李充・選ぶなら名誉職(将軍参謀)よりは喰える(金=報酬の多い)地方官)」・・・
 「窮境」・「きわまる・終わる・終わりになる・限度・限界に達する・止まる・ふさがる・詰まる・苦しむ」・・・
 窮猿投林(キュウエントウリン)
 窮山幽谷(キュウザンユウコク)
 窮措大(キュウソダイ)=貧乏書生・貧乏学者
 窮鼠、猫を嚙む
 窮鳥懐に入れば猟師も殺さず
 窮途末路(キュウトマツロ)
 窮年累世(キュウネンルイセイ)=自分から子々孫々まで
                窮年=一生・累世=代々
 窮余の一策(キュウヨのイッサク)
ーー↓↑ーー
 高向玄理・・・高椋の玄理(北方の理)
           原理(源里・元の理)
        椋=木+京=むく・リョウ
          ムクノキ・ムクドリの略
          (ニレ科の落葉高木)
          椋木・椋の木・樸樹
          aspera・アサ科ムクノキ属の落葉高木
          ムクエノキ(椋榎)とも云う
          やや堅く粘りがあるが、耐久性は低い
          道具材、楽器材などに使用
          葉の裏のザラつきを利用し
          漆器の木地を磨くのに使われる
          元々は「ちしゃ」の木を意味
         =「蔵・倉」の意味もある・・・高倉下
 押使として唐に赴く
 新羅道経由で
 莱州に到着
 長安に至って
 3代目皇帝
 高宗に謁見
 病気になり客死
ーー↓↑ーー
 孝徳天皇
 諱は軽(かる)・・・「文武天皇=珂瑠(かる)皇子」
 和風諡号は天万豊日天皇
 (あめよろずとよひのすめらみこと)
  ↓↑
 皇極天皇=斉明天皇
  ↓↑
ーーーーー
 最初に
 用明天皇
 橘豊日天皇
 (たちばなのとよひ の すめらみこと)
 の孫の
 高向王(たかむこのおおきみ)
 の妃となり
 漢皇子(あやのおおきみ)を生む
 後、
 舒明天皇
 息長足日広額天皇
 (おきながたらしひひろぬか の すめらみこと)
 の皇后とし
 再婚
 二男一女
 を生む
 「高向王の正体が不明
  高向王の父母が不明
  漢皇子の死亡が不明」
ーーーーー
  ↓
 斉明天皇
 和風諡号
 天豊財重日足姫
  ↓↑
 父親  
 母親  吉備姫王
 配偶者 高向王 舒明天皇
 子女
 漢皇子
 天智天皇
 間人皇女
 天武天皇
  ↓↑
 「天武(漢皇子)」
 「九州
  倭国王
  筑紫君
  薩野馬(大皇)」・・・薩摩?
 の
 「大海人皇子(大皇弟)」・・・阿毎王朝
 「天智(翹岐王)」
 は
 「百済武王(舒明)」
 と
 「新羅王女の宝皇女(皇極=斉明)」
 の子
 「漢皇子=宝皇女の連れ子」
 「漢皇子=大海人皇子=天武天皇=阿毎王朝」
 「推古(豊御食炊屋姫)」天皇
  (第33代)=欽明の中女
        用明の同母妹
 「舒明(息長足日広額天皇)
  (第34代)=敏達の孫
        押坂彦人大兄皇子の子
        母は糠手皇女
 「皇極(天豊財重日足姫)
  (第35代)=敏達の曾孫
        押坂彦人大兄皇子の孫
        茅渟王の女
        母は吉備姫王。
 「孝徳(天万豊日天皇)
  (第36代)=皇極の同母弟。
 「斉明(天豊財重日足姫天皇)
  (第37代)・・・
 「天智(天命開別天皇)
  (第38代)=舒明の太子
        母は皇極
 「弘文(大友皇子・伊賀皇子)」
  (第39代)=母は伊賀采女宅子娘
        妃は十市姫
        男子は葛野王
        娘は壱志姫王
         (いちしひめ)
       「本朝皇胤紹運録」
       「従四下、
        母大織冠(鎌足)女
        耳面刀自」の注記
        伊勢国
        一志郡に興る
        壱師君(後に宿禰)が扶養者・・・
        兄弟
        建皇子・川島皇子・志貴皇子
        姉妹
        大田皇女・鸕野讃良皇女(持統天皇)
        新田部皇女・大江皇女
        (以上、夫は天武天皇)
        明日香皇女(夫:忍壁皇子)
        御名部皇女(夫:高市皇子)
        阿陪皇女(元明天皇、夫:草壁皇子)
        山辺皇女(夫:大津皇子)
        泉皇女・水主皇女
        明治三年(1870年)
        七月二十三日に贈諡号
 「天武(天渟中原瀛真人天皇)」
  (第40代)=天智の同母弟
 「持統(高天原広野姫天皇)
  (第41代)=天智の第二女
        母は遠智娘
ーーーーー
 ・・・???・・・窮猿投林・・・センタクのヨユウはナイ・・・

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