今年は県内最東端の町で迎えた。海からの御来光を拝もうと人々が集まってくる。その数約300人。昨日までの、そして明日の御来光には関心を持たないのに1/1の太陽には意味を持たせるわけだ。大方は「~でありますように」と願っているはず・・。神社でも同じ。
私は散歩をする朝は毎日、東に向かって歩く10mの道すがらに立ち止まる。そしてその日目覚めたことに感謝する。まだよくわかっていないが、今日も生かされている、だから誰かのためにしっかり動け!と言われている気がする。
1/1の御来光の時も同じだった。おかげさまで、新年を迎えることができました。ただこれだけである。じっと太陽の光を見た後、すべてのものは光を失う。
そこに存在するのは自分という一人の人間を感じるときでもある。
“はじめの一歩は道の半ばに当たる。何事も出ようが大切。花は芽にあり、大人の心は三つ児に始まる。今年の事業は今日の心に起こる。”
本年もおつきあいのほどお願い申し上げます。
私は散歩をする朝は毎日、東に向かって歩く10mの道すがらに立ち止まる。そしてその日目覚めたことに感謝する。まだよくわかっていないが、今日も生かされている、だから誰かのためにしっかり動け!と言われている気がする。
1/1の御来光の時も同じだった。おかげさまで、新年を迎えることができました。ただこれだけである。じっと太陽の光を見た後、すべてのものは光を失う。
そこに存在するのは自分という一人の人間を感じるときでもある。
“はじめの一歩は道の半ばに当たる。何事も出ようが大切。花は芽にあり、大人の心は三つ児に始まる。今年の事業は今日の心に起こる。”
本年もおつきあいのほどお願い申し上げます。