鎌倉時代、佐々木定綱の六男、佐保時綱がこの地に館を構え、15世紀中頃には、六角氏の支配のもとに小川左近大夫を城主として、犬上坂田両郡の境目の城となったと伝えられている。
戦国時代、佐和山城は度々戦乱の舞台となり、多くの武将の居城となった。なかでも、元亀元年(1570)の姉川合戦では、敗走した浅井勢の磯野員昌が籠城し、8か月にわたる攻防がくりひろげられた。のちに「難攻不落の城」と称えられた所以である。
その後、丹羽長秀・堀秀政・堀尾吉晴と引き継がれ、石田三成のとき「佐和山惣構」の普請が行われた。
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佐和山城跡の調査
佐和山城跡は、天守や櫓などの建物がまったく現存せず、石垣などもほとんど残っていないため、これまで城郭としてあまり評価はされませんでした。
ところが、近年、随所に城郭遺構が残っていることがしだいに明らかとなり、日本を代表する中世城郭として注目されるようになりました。
これまで、平成12・13年に本丸の測量調査を実施しましたが、平成16年度から新たに長期計画を立て、総合調査を実施しています。
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