城郭探訪

yamaziro

尊勝寺城(多賀古屋敷)  近江国(浅井)

2014年09月26日 | 平城

田んぼの中に残る土塁

お城のデータ 

所在地:長浜市尊勝寺町  (旧東浅井郡浅井町尊勝寺)   map:http://yahoo.jp/fwvRGh

現 状:称明寺・宅地

区 分:平城

築城期:

築城者:

城 主:東野行一? 大橋秀元?

城 域:70m×40m

遺 構: 土塁,堀

目標地:称明寺

駐車場:称明寺駐車場

訪城日:2014.9.23

門前参拝者用駐車場(土塁で囲ってます)

お城の概要

尊勝寺地区にある平野神社が尊勝寺城の城址で、平野神社の東~南~西にかけて、高さ2mほどの土塁が巡っている。
 土塁は基底部で幅5~6mはあり、かなり分厚い。その周囲を取り巻く幅1mほどの堀もしっかりと確認できる。

 平野神社の北側にある称名寺との間の田んぼの中に、長さ20mほどにわたって土塁がしっかりと残っており、城域としては南北70m,東西40mぐらいであろうか。

 

歴 史

平野神社の北側に位置する称名寺は、湖北十ヶ寺のひとつで津布良山と号し、もとは美濃国安八郡津布良荘奥村(現大垣市あたり)に寺基をおいたが、文明13年(1482)に教円が本願寺蓮如に帰依し真宗に改め天正年間(1573~1592)に近江に移ったとされる。

 従って、尊勝寺城の跡に称名寺が建てられたと考えるのが妥当であるが、称名寺は方一町ほどの堀で囲まれた「多賀古屋敷」と呼ばれる土豪居館の跡に建てられており、平野神社を含む、複雑な複合遺跡である。
また、この尊勝寺が小谷城下の一部であったとも考えられている。

 なお、称名寺は湖北十ヶ寺衆として、元亀年間(1558~1573)に浅井氏と連合して織田信長に対抗したと考えられている。
 天正5年(若しくは同7年)8月17日の顕如消息によれば、信長の加賀出兵に際して、称名寺の教宗が北陸に下されており、天正年間(1573~1592)の石山合戦にも参戦していたようである。

湖北十ケ寺と称される湖北を代表する浄土真宗寺院のひとつ。浅井長政に与し、民衆と共に織田信長に対抗しました。

  その後は長浜城主の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に協力し、本能寺の変で明智光秀軍が長浜城を攻めたとき、住職の性慶は秀吉の母なかと妻のおねを岐阜へ連れて逃げています。こうしたことから、称名寺は秀吉に手厚く保護されました。

江 北 十 ヶ 寺

福田寺

(長沢城)

誓願寺

福勝寺

(福勝寺城)

浄願寺 順慶寺
坂田郡近江町長沢 坂田郡近江町箕浦 長浜市大戌亥町 長浜市榎木町 長浜市西上坂町
金光寺

中道場

(授法寺)

真宗寺

(増田城)

称名寺

(尊勝寺城)

誓願寺

(内保城)

長浜市十里町 長浜市西上坂町 東浅井郡びわ町益田 東浅井郡浅井町尊勝寺 東浅井郡浅井町内保

 蓮如が寂した年があけると十六世紀。日本史の上で最大の内乱時代「戦国の世紀」の幕が開く。この乱世に本願寺は、信長の天下制覇をさえぎる巨大な法城にまで発展していく。

 そして、福田寺は本願寺十一世顕如の時代に、石山本願寺を支える軍事力の重要な柱石となり、このころ福田寺は「長浜御坊」と称される小法寺を形成していく。

やがて、慶長元年(1596)、長浜御坊大通寺が建立されるが、このとき、福田寺をはじめ十ヶ寺は御坊建立の肝煎役をつとめている。

本願寺と福田寺に隆昌をもたらした力は何処にあったのか、それを知るためには、信長の覇権阻止に死闘を続けた湖北一向一揆をかえりみなければならない。

 

 湖国の一揆は、湖東、湖西、湖北の三つの地域で燃え上がった。湖北三郡を中心として、浅井・朝倉の勢力と連携して信長と対決した江北一向一揆は、湖北の有力寺院十ヶ寺が結束した。その筆頭に立ったのが、福田寺十一世覚世であった。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!   


山本山城  近江国(湖北)

2014年09月26日 | 戦国山城

 

『城歩会』山本山城 見学会 9月23日 秋分の日
山本山城 「琵琶湖北岸最大級の城」
 講 師  長谷川博美
 予約 宮本まさこ 携帯090-1583-9033 参加費1000円(資料・縄張り概要図付き)
 集合 滋賀県長浜市湖北町津里305宇賀神社   11時集合

  

お城のデータ 

所在地:長浜市湖北町山本・高月町西阿閉  (旧東浅井郡湖北町山本・高月町西阿閉)   maphttp://yahoo.jp/KuMpY7

別 名:山本城・阿閉山城

現 状:山林

区 分:山城

遺 構: 曲輪・土塁・竪堀・堀切・土橋

標 高:324m  比高差:235m

築城期:治承4年(1180)

築城者:山本義経

城 主:阿閉氏,浅見氏,阿閉氏

目標地:宇賀神社(湖北町津里)

駐車場:宇賀神社駐車場

訪城日:2014.9.23

若宮古墳へ(宇賀神社登り口より)

山本山城へ(宇賀神社登り口より)

お城の概要

賤ヶ岳から南に派生した尾根の南端の頂部にある。 頂部が主郭で南に二の丸その東に三の丸を配し、主郭から北側に続く尾根にも馬場などの曲輪群がある。

宇賀神社より800mと標識には書いてありますが、急でジグザグな山道はけっこうきつい。若宮古墳を見学しながら!

30分程度で二の丸に到達します。二の丸は公園化され、南側遺構が破壊されている。主郭は四方を巡る土塁はよく残り。主郭の北側には見当杭と呼ばれる杭が建っていた高まりがあります。この高まりは往時は櫓台であったろうと想像できます。その先は堀切があり、さらに先は馬場があります。馬場の先には宗教関連の碑があり、その先には連続堀切があるようですが連続堀切が続きます。二の丸から見る琵琶湖は絶景。

西麓にある朝日山神社脇から登ることもできる。麓から重機「山上二の丸の公園化のため」で取り付けたハイキング道を登りつめると三の丸へと着く。ここは土塁が背後を固めているがハイキング道が曲輪内を突き破っている。 更に登ると二の丸に出るがここは緩やかに南に傾斜している。 これを北側に進むと主郭となり、土塁で囲まれた曲輪となり、南北東に虎口がある。ただ、北側はハイキング道用に取り付けたような感じもする。
主郭の北は空堀を経て一番馬場、二番馬場となり、ここは土塁が残っている。 ここから北側は土橋の架かる空堀と曲輪の連続である。

歴 史

平安時代末期に山本兵衛尉義経が籠った山本城がこの城であったと云われる。 その後京極氏の被官阿閉氏の居城となったが、永正年間(1504年~1521年)頃には浅見氏の居城となっていた。 浅見氏は一時期浅井亮政と対立したが後にその傘下に組み込まれ再び阿閉氏が城主となった。

 治承四年(1180年)に山本義経の本拠地である山本山城を平知盛・資盛が攻めたと言う記録があるようです。山本氏は、源氏の旗揚げとともに平氏打倒の挙兵をし木曽義仲の上洛を助けますが、義仲の滅亡とともに没落します。戦国期は浅井氏の家臣の阿閉氏の居城となりますが、織田信長の小谷城攻めの時に阿閉氏は織田氏に寝返ります。山崎の合戦時は明智光秀に味方し、秀吉方の攻撃で城は落ち廃城となります。

織田信長による小谷城攻撃では、阿閉氏の籠る山本山城が天正元年羽柴秀吉謀略によって開城となり、小谷城は孤立し落城した。

二の郭からの眺望(琵琶湖) 

二ノ丸到着(公園化)

主郭へ

尾上城(尾上漁協・小江神社一帯)

近世の有力者であった「滝本藤太夫」の屋敷付近が尾上城の跡だと云われている。小江神社の西側一帯で、かつて礎石が十二個並び、「十二石」あるいは「城ヶ石」と呼ばれていた。

文治年間(1185年~1190年)に浅見実勝によって築かれたと云われる。山本山は浅見氏の詰め城として!浅見氏は湖北の有力国人となったが、浅見俊孝のとき浅井亮政によって攻められ高島新庄へ退いたと云われる。

 

三の丸へ

三の郭堀切 三の曲郭の土塁南側は重機で破壊され!

堀切があり、さらに先は馬場があります。馬場の先には宗教関連の碑があり、その先には連続堀切がある

見学会参加者の記念撮影

昭和37年までの小学生の通学路を下山

本日の歩行数15,797歩

  実歩行時間2;52

  歩行距離 11.8km 

  消費カロリー384.9kcal

 脂肪燃焼量54.9g

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、長谷川博美(城郭研究家)の資料・説明

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!   


矢倉城 近江国(草津)

2014年09月26日 | 平城

 

お城のデータ 

所在地:草津市矢倉二丁目   map:http://yahoo.jp/n6G5Qu

現 状:矢倉神社・スギ薬局

区 分:平城

築城期:

築城者:

遺 構: 土塁

目標地:矢倉神社

駐車場:スギ薬局駐車場

訪城日:2014.9.18

お城の概要

矢倉城はR1沿いの森、矢倉神社付近にあったとされる。
鳥居脇の森林内には土塁のような高まりが見られるが、城との関連は不明。

 

歴史

不明

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

 

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!                                

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